通史展示室「瀬戸内海の誕生」
草戸千軒
入口へ 総合案内 新着情報 草戸千軒とは? 広島県立歴史博物館 ご意見 リンク

瀬戸内海の誕生


 地球の誕生以来、陸地と海面は絶えず変動を繰り返してきた。日本付近も古生代(約2億〜2億3000万年前)から中生代(約2億3000万年前〜7000万年前)には列島ではなく、海中に没したり大陸と続いた状態になるなどの変化をしていた。

 現在の日本列島は、新生代第四紀洪積世の初めごろにその原形ができた。およそ200万年続いた洪積世に、地球は北半球を中心に5〜6回にわたり寒冷な大氷河期に見舞われた。この氷河期には地球の気温は今よりも10度近くも下がり、海水や河川などの水分が凍結し、海水面が著しく低下した。一方、次の氷河期との間には温暖な間氷期があって、海水面は上昇した。このような海水面の上昇・低下を繰り返し、洪積世末のヴェルム氷河期最盛期には海面が100〜140mも低下し、日本は大陸と陸続きの状態になっていた。

 約一万年前に氷河期が終わり沖積世になると、地球は温暖化し氷河の大部分が溶けて海水面が上昇した。これによって大陸と陸続きであった日本は次第に孤島化し、それまで陸地であった瀬戸内海にも海水が流入し始めた。

 瀬戸内海の沿岸部や島々には旧石器時代の遺跡が点在し、海底からは旧石器人達が狩りの対象としたナウマンゾウやニホンムカシジカなどの動物化石が引きあげられている。海水が流入する以前の瀬戸内を想像すれば、中・四国山地から河川が流れ込んで湖沼ができ、水辺には動物が集まり、人々は狩りに適した丘の上で生活をしていたと思われる。

 この海水の流入状況をよく示す遺跡として、岡山県牛窓沖の黄島貝塚と黒島貝塚がある。これらの貝塚では、食べた貝の種類が半淡水産から海水産へと変化しており、約8000年前の縄文時代早期に海水が流入していた様子がわかる。海面の上昇は、約6000年前の縄文時代前期ごろまで続き、現在のような瀬戸内海ができたものと考えられる。

前に戻る 次に進む

常設展示室の入り口へ
suzuki-y@mars.dti.ne.jp
1998, Yasuyuki SUZUKI & Hiroshima Prefectural Museum of History, Fukuyama, Japan.
Last updated: June 10, 1998.