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| ■フライト |
数年前、インドネシア、ジョグジャカルタのボロブドゥール遺跡を見てから、東南アジア最高傑作の誉れが高い アンコールワットを一度見たいと思い続けていた。治安情勢も回復し、ようやく念願のアンコールワット旅行となった。出発直前にアンコールワットの近くで爆弾事件が発生したため、家族是全員から反対され、結局というか、予定通りというか一人旅となった。
ベトナム 1泊
アンコールワット
年末年始で飛行機・ホテルはすべて満席、やむを得ずビジネスチケットを購入し、二つ星ホテルを予約した。
午後5時30分出発のJAL直行便でホーチミン市に向かい出発。出発は30分遅れの午後6時。ホーチーミン国際空港は予想以上に広く大きい。日本との時差は約2時間、夜中の午前0時頃に到着。
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市内には数のバイクがひしめき合うように走行していた。信号も少なく、交通ルールはあまり確立されていない ベトナムでの車の運転は危険 とても自分で運転しようとは思えない。 |
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| ■ホーチーミン市内中心部 12月31日 |
翌12月31日、車1台を予約 市内観光とトンネル観光に出かけた。料金は1日約100ドル(9時から4時)ホテル近隣の市内中心部の町並みは 比較的綺麗に整備されていた。 |
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市中の交通ルールは無いに等しく、人やバイクが平気で車の前を横切り、不慣れな日本人では運転することはまず無理、人とバイクの間を縫って郊外に向かった。市内の交差点では何件かの交通事故を目撃したが、この交通事情では事故の発生は当然と思われた。市内は東南アジア特有の道路の両側に小さな商店が建ち並び、いろいろなものが売られていた。市内の風景はバンコク、インドネシアと同じく雑然としており、社会主義国であることを外見から伺うことはできない。 |
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市内から30分程走るとのどかな田園地帯に入った。牛が草をはみ、農民が農作業をおこなう、典型的は東南アジアの田園風景が続いた。ドライバーの説明によれば、ベトナム戦争当時は、近郊の農村地帯も米軍の攻撃を受け、農民も銃をもって戦ったとのこと。 |
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| ■Chuchi Tonnel(市内から1時間) |
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ホーチーミン市郊外には、ベトナム戦争当時の地下トンネルが残されているが、訪問したトンネルは、最大級のトンネルの一つとのこと。トンネルの総延長距離は200Kmに達していたとのこと。入り口には広い駐車場があり、記念館風の立派な建物が建てられていた。入り口で切符を購入した 英語を話すガイドが同行し、トンネルや施設を説明してくれた(英語のみ) |
トンネル入り口は敵から発見されないように落ち葉等でカモフラージュされジャングル内に無数にはりめぐさられていた。入り口はとても狭く、小柄な日本人がやっと入れる大きさであった。これは大柄なアメリカ人がトンネル内に入れないように意図的に入り口を狭くしたとのこと。 |
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トンネル内には、病院、食道、工場、何でもあった。外部から見学しやすいように、トンネルの土が取り払われていた。トンネル内部に入ったが、内部の通路も狭く、日本人が腰をかがめてやっと通れる高さと広さ。長いンネルの要所要所には食堂、病院、工場等が設置されていた。これら施設は10畳ほどの広さがあり、天井の高さも高く、トンネル内でも普通の生活が送れる構造となっていた。 |
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ベトナム戦闘当時、トンネルからの攻撃や罠で、多くの米軍兵士が犠牲になったとのこと、その理由もうなずけた。ジャングル内には、朽ち果てたた米軍戦車の残骸、爆弾でできた大きなくぼみ等戦争のなまなましい傷跡が当時のまま保存されていた。ジャングルはそれほど広くはなく、1時間ほどで見学できた。 |
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| ■ホーチーミン国際空港からシュムリアップ市へ |
驚いたことに、荷物検査が何度も行われ、結局、最終搭乗手続きが終了するまでに約1時間50分以上を要した。手荷物の検査が3回ほどあった。ベトナムでの出国手続きには時間がかかるので、注意が必要。
シュムリアップ空港に向けて、飛行機(ベトナム航空)は定刻の5:30分に出発した。アンコールワットに行くにはシュムリアップ国際空港が一番便利、他にバス、乗り合いタクシー等陸路を利用した方法がある。暫くすると、飛行機の天井付近から蒸気が吹き出した。事故の発生かと一瞬肝を冷やしたが、飛行機の上昇に伴う現象であることが後に判明。太陽がジャングルに顔を隠し、空は夕焼けでオレンジ色に輝き始めた。
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その太陽も次第に水平線に姿を消したころ、突然、滑走路がジャングル内に出現した。シュムリアップ空港である。飛行機は18:15、目的地に到着した。ホーチーミンからの飛行時間は約1時間15分 |
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