第15回 JAB/ISO 9001公開討論会
 「審査を変える〜QMS認証の価値向上〜」 
09.03.08

まもなく日本適合性認定協会主催の「第15回JAB/ISO 9001公開討論会」が開かれます。ビッグサイトに行くには大金がいるので、招待券を頂けない身としては聴講することができません。
幸い、JABのウェブサイトには基調講演(案)WG1資料(案)WG2資料(案)WG3資料(案)というのがアップされています。それを拝見した私の感想を申し上げます。
ISO関係者のお考えをぜひお聞きしたいと思います。

まず有効性審査というものについて説明がありました。有効性審査というのは「有効性」+「審査」ではなく、それなりに定義付けしているなら特段どうこう申し上げることはありません。私が違和感を持ったのは有効性審査の説明図についてです。
そこでは「適合性審査」=「逐条審査」+「有効性審査」とあります。
(基調講演 8ページ)
その算式に同意しませんが、とりあえず異議は申し立てません。絶対におかしいと思ったのは「逐条審査」という語句についてです。
ISO規格はたくさんの要求事項の集合と理解しています。審査とは適合性を確認することですから、要求事項を満たしているか否かを見ることは当然です。しかし要求事項を満たしているか否かを確認するのに「逐条」で行うのは時代遅れだと考えます。既に2007年 4月13日にJABの「マネジメントシステムに係る認証審査のあり方」という通知で審査は項番ごとに行うのではなくプロセスアプローチで行うのだと語っています。
一般的に「○○法逐条解説」といえば、法の全般的な意図などではなく、第一条から順々に解説するという意味に使われます。ここでは逐条審査が別の意味で使われているのかは分かりませんが、一般的な意味として論を進めます。
私はISOのマネジメントシステム審査は、逐条審査ではなく業務のプロセスを切り口として「規格要求事項を満たしていること」を審査しなければならないと考えております。このWG1では審査は逐条に行うべきと考えているのでしょうか? もしそうであれば有効性審査を語る以前かと思いました。
審査とは規格の言葉でなくその会社の言葉で行わなければならず、規格の項番でなく業務のプロセスに沿って行わなければならないはずです。

第二にWG3の報告の20ページに組織の各階層の必須スキルとして品質システムを教育すべしという図があります。この考えは「品質システムがあれば会社は成り立つ」という前提なのでしょうか?
その次の21ページに「聖域なき内部品質監査」には笑ってしまいました。 
品質の観点が企業で最優先するのだ!と確信しているのでしょうか。
私は会社とはもっと複雑で有機的なものだと考えています。品質はもちろん大事ですが、たくさんの重要なこと(複数)のワンノブゼムにすぎません。他に何が重要か?なんて聞くまでもありません。安全衛生、人権問題、情報管理、輸出管理、環境もありますし、外注などの取引先の管理も、代理店の管理もすべてにわたって法を守りトラブルを起こさず、そして売り上げを伸ばしていかなくてはなりません。会社とはそういう複雑な機構であるのに、本部長は品質管理責任者の教育を受ける、部長は内部品質監査のリーダ研修、課長は内部監査員、従業員は要求事項を研修するべきなのだそうです。
これってまったくおかしいとしか言いようありません。
言い換えればそんなことで会社が動くなら簡単ですよね?
もちろん品質だけではないですから、本部長は、公害防止統括者の教育を受け、環境管理責任者の教育を受け、情報管理責任者の教育を受け、主任安全管理者の教育を受け、防火管理者の教育を受け・・・・なのでしょうか?
それはおかしい。
話がそれますが、ある会社で監査部が環境監査を行っていることに対して、審査員が「監査部員がISO14001規格を理解しているのか?」と聞いたそうです。
これって論理的にまったくおかしくありませんか?
企業はISO規格のために存在しているわけではありません。企業は事業を推進し継続していくための仕組みがあり、その仕組みを会社の規則に展開しているはずです。それが唯一無二のマネジメントシステムであり、その唯一のマネジメントシステムとISO9001やISO14001の要求事項との対照表がマニュアルです。つまり内部監査をするためにISO規格など知ることも理解することもありません。監査を行うにはその会社の規則、手順類を理解していることが必要十分条件となります。言いかえればISO規格を知っていても内部監査はできないのです。そしてISO審査とはISO規格とマニュアルを比較して要求を満たしているか否か、及びそれが実際に運用されているかをチェックすることです。
そういう会社の当たり前のことを知らないのだろうかと思ってしまいました。

23ページになると「財務とリンクさせてQMS活動を進めている」「コストと効率性を活動に確実に反映させている」「経営戦略と明確に関連付けてQMSを推進している」とあります。そのこと自体はおかしくはないのですが、果たして経営とリンクしないQMSがあるのでしょうか?コスト低減や企業内の活動がばらばらということがあるのでしょうか?
仮に、ばらばらという組織があれば認証しなければよいのだし、あるいは「マネジメントシステムが実際と乖離していてバーチャルです」と改善を示すべきです。
しかしこれは簡単ではありません。本当に「経営戦略とQMSが一体」であれば、マニュアルを読んだだけで理解できるのかという問題があります。まず審査員は会社というものを理解していなければなりません。まず一般的な会社の稟議、決裁、根回し、仕事の進め方を知る必要があります。その会社の定款を知らなければならないでしょう。どのような組織、職制で権限はどうなっているのかを紙に書かれたものでなく、ヒアリングして実際に理解することが必要です。
そういうベースがあって初めて「経営戦略とQMSが一体」かどうかわかるでしょう。
会社の仕組み動きを知らなければ、逐条審査しかできないでしょうし、それでは会社の真の姿を知ることはできないのです。

そういうことを踏まえると、審査員は世の中の会社が実際にどういうふうに動いているかということを知ることが必要であり、知っていれば逐条審査などでなく、システムに沿った審査ができるだろうし、有効性などと言いださなくてもシステムが(ISO規格要求事項ではなく)必要条件を満たしているか否か、そしてそれが効果的・効率的に運用されているかを見ることができると考えます。
つまり、それがEMSでもQMSでも審査の質向上であり、信頼性の向上になると考えるのです。私の単純素朴な考えは間違っているでしょうか?
きっと多分、いや間違いなく、ISO大会では画期的なお考えが示されそしてそれに基づけば品質マネジメントシステムを大きく改善することができるのだろう。
私のような素朴な疑問など無縁であろう。


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(09.03.08)
しかし要求事項を満たしているか否かを確認するのに「逐条」で行うのは時代遅れだと考えます。

時代遅れ以前に、意味がないと思います。
審査報告書には往々にして縦軸に規格の項番、横軸に組織の部署名からなるマトリクス表が登場します。表の中は審査結果に基づいて、○や△、−が記入されています。
これを見て、「いやあ、すばらしい。この表はわが社の経営に大きな反省とヒントを与えてくれた。ありがとう」などと賞賛する経営者がいるはずがありません。
こんなものは参考資料扱いで十分(あるいは添付さえ不要)なのに、「経営に寄与する審査」の成果物(製品)である報告書の最重要事項となっていることに大きな矛盾を感じます。だいいち、ほとんどの場合、経営者はISO規格の内容を知りません。(知る必要もありませんが)
判定委員会に提出する報告書と、受審組織の経営者に提出する報告書とがまったく同一というのは(正確には、判定委員会に提出する報告書のコピーを受審組織の経営者にそのまま提出するというのは)、いったいいかなる了見なのでしょうか?

「財務とリンクさせてQMS活動を進めている」「コストと効率性を活動に確実に反映させている」「経営戦略と明確に関連付けてQMSを推進している」とあります。そのこと自体はおかしくはないのですが、果たして経営とリンクしないQMSがあるのでしょうか?コスト低減や企業内の活動がばらばらということがあるのでしょうか?

ないと思います。
私はアホですから、そもそも「QMS活動」という言葉の意味がよくわかりません。
何ですか、これ?
どうして「QMS」と「活動」がくっつくのか? 前者はシステム、すなわち仕組みです。その仕組みを「どうする」活動なのかがわからないのです。
「QMS効率化活動」とか「QMS改善活動」とかなら理解できます。
「救援活動」、「啓蒙活動」、「清掃活動」などなど、活動の前には何かのアクションを示す言葉がつかないと意味を成しません。
まあとりあえず「QMS改善活動」という言葉に置き換えてみた場合、財務とリンクしない活動などあるはずがありません。また、企業活動を行う上で「コストと効率性を活動に確実に反映させ」ないものもあるはずがありません。
当たり前のことを、なぜさも特別なこと、あるいは新たな概念であるかのごとく取り扱うのでしょうか。どうも催眠商法の怪しげな集会と同じ匂いを感じてなりません。
経営に寄与するという言葉の意味を、まず「公開討論」していただきたいものです。

たいがぁ様 安心しました
・・・つまり私だけが理解できないのかと・・
しかし?
では、この深淵な摩訶不思議な理論を理解できる人がいるのかと・・・
そして、ぜひとも経営に寄与する管理指標を示してほしいですね


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(09.03.09)
『WG1:QMSの有効性をみる 〜ISO 9001逐条審査からの脱却〜』
当たり前のことを言葉遊びを交えてさも新しい考えであるかのようにクドクドと述べているだけという印象です。

少しだけコメントすると、
方針,目標の妥当性を確認する
はあ? どうやって? カンタンに言うけど、部外者にそんなこと本当にできるんですか?
もしそれができるとして、審査側は組織が納得するだけの根拠と基準を示せるんでしょうね?

(「有効性審査の事例2」より引用)
このような状況に関しては,内部監査やMRにおいても検討されていたが,作業者の力量管理が,単に工程内不良だけでなく,この組織の競争力確保のための重要な要素であることに気づいていなかった
現実にそんなボンクラ揃いの会社があればとっくに倒産していますよ。
「気づいているけど、どうやって手を打てばいいのかにまで考えが回らない」という会社であればたくさんあるかもしれません。

『WG2:社会・組織の期待に応える審査 〜現行制度の枠内でどこまで可能か〜』
まず、なぜ「現行制度の枠内で」というシバリを入れるのかが理解できません。
「15年の制度の運用の中で発生した制度設計の目的を超えた組織及び市場からの期待に応じることは出来ないとの結論に至った」のであれば、いっそ現行制度を全てご破算にして、まったく新たな認証制度を語ってもいいじゃないですか。社会は、今の制度の枠組み内でやってくれなんて余計な注文はつけていません。
このシバリは、「現在の認定機関と認証機関がメシの食い上げとならない範囲で」と読み替えるとよく理解できますが。
提言Iにある、審査前に組織の審査ニーズを汲み取るというくだりについては賛成です。
当社ではすでにこれをやっておりますが、これを受けてくれる(正確には、受けることができる)認証機関が極めて少ないのが困りものです。

『WG3:組織からみた価値ある審査 〜審査の活用と期待〜』
上の2つに比べればまだいい資料ですね。
「組織はありのままの姿を見せ」には大いに賛成ですが、「認証機関は計画された活動との差を厳格に審査する」という部分は賛成しかねます。これでは従来の適合性審査と同じことです。まさか、こんな当たり前のこともやってこなかったんですか?
あと、「政府及び認定機関を含め、制度の関係者は有効性審査の厳格化をPRしてほしい」とありますが、他人様を頼ってはいけません。
厚かましいというか、情けない。
おかみ根性、役人根性を捨てて、世間様の役に立つ仕事をマジメにコツコツとやっていれば、やがては社会・市場に正当に評価されるのです。
WG2の意見と重複する内容ですが、13ページの『4.「有効性審査」を受審する組織はどうあるべきか』については賛成です。もっとも、これを実現するには1件の審査に相当のリソースを要しますから、審査工数は増え、費用も高騰することでしょう。標準工数単価とは別に、特別工数単価を設定してもいいかもしれません。受審組織側がそれに価値を認めれば支払うでしょう。

ぶらっくたいがぁ様 毎度ありがとうございます。
虚心坦懐に読めば読むほど、矛盾というか、わけのわからないものですね
私はISO9001に品質保証と会社を良くするという二足のわらじをはかせたことによって、支離滅裂になってしまったのではないかと考えています。
ISO9001は品質保証に返って、会社を良くするのはISO9004に任せたらどうなんでしょう?
もちろん中身は全く異なるものになるでしょう。
今のまんまじゃ、ISO9001がかわいそうです。


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(09.03.10)
“有効性審査”とは、組織のマネジメントシステムが規格に適合している“程度”を客観的に判定することではないだろうか。つまり、規格の意図を実際の業務に活かしている度合いを見るのである。この場合、有効性とは、「規格の意図が仕事に織り込まれ、機能している程度」と定義することができる。
従来の審査は、組織のマネジメントシステムが規格に適合しているかどうかのみを判定していた。つまり、マルかバツかの択一判定だけで、その程度については言及しなかった。それをしたとしても審査員個人の参考意見であって、審査報告書で正式に触れられることはない。せいぜい審査所見として主観的なコメントが載るぐらいである。
ひとことで適合と判定しても、当該組織のマネジメントシステムのプロセスごとに適合度の厚みは異なっているはずであり、まったく均一であるとは考えにくい。多くの場合、その薄い部分が当該組織の弱みであり、リスクを抱えている部分でもある。
実は、認証機関の一部にはそれを抽出することを審査の目的に据えているところもすでにある。受審組織から見れば、まさしくそれが“有効性審査”であり、“付加価値型審査”である。
各々のプロセスが規格に適合していることを確認するのは当然として、基準に基づいてその度合いを判定することができれば、受審組織の経営者が欲しい情報となる。それが明確な形で審査報告書に盛り込まれれば、名実共に経営に役立つ審査ということになる。
こうしてみれば“有効性審査”とは、単純に“組織にとって有益な指摘がなされる審査”と言い換えることもできる。

これを実現するためには、まず組織が次のことを認証機関に伝える必要がある。
 ・何を目的として、何を期待して審査を受けるのか
 ・規格をどう解釈し、どのように適用しているのか(特に、組織自身で自覚している弱点)
 ・認証機関がこれらを理解する上で必要なその他の情報
これらの情報を元に、認証機関は次の準備が必要となる。
 ・組織の規格解釈の理解と検討
 ・組織の審査ニーズを反映した審査計画の策定(審査方針、重点審査ポイントの設定等を含む)
 ・計画された審査が実施可能な力量を持つ審査員の選定
現状の審査プロセスを見ると、ほとんどの場合こういった双方の準備はない。
組織は審査の要望事項や目的の有無を認証機関に伝えることはせず、認証機関は派遣する審査員の略歴と審査日程を組織に伝えるだけである。
これで適合性以上のことが審査で炙り出せるとはとうてい考えられない。
組織と認証機関の双方が、ここまで踏み込むことができるかどうかがキーとなる。

さて、規格適合性の程度を見るということは、その優劣を表すことも可能だ。ミシュランのごとく、登録証に☆マークを入れることもできる。
もちろん、従来の適合性確認だけでよいという組織もあるだろうし、その場合はマークなしの登録証も併用すればよい。
有効性審査を希望する組織は、☆からスタートして☆☆☆を目指すことで関係者のモチベーションも上がるだろう。なにより、顧客や市場に対して自社の管理技術が効果的なことをアピールすることができるようになるのであるから、品質保証の確かさを示すことにもなる。
従来、固有技術の優秀性については製品の優位性や市場シェアなどによってアピールする術はあったが、管理技術についてはなかったように思う。
それがISO認証取得とそのレベルアップによって可能になる。
認証機関にすれば、☆の多い登録組織をいかに多く抱えているか、あるいはその比率の高さが他の認証機関との差別化ポイントになる。審査費用以外の差別化ポイントができるのであるから、組織と市場のために役立ちたいと真剣に考えている認証機関はこれを歓迎するはずだ。
かといって、☆を乱発しては認証制度の信頼性が損なわれてしまうから、認定機関は今以上に認証機関の能力の妥当性を厳しくチェックしなければならない。それによって、結果として認定機関の価値が市場から評価を受けることになる。

“有効性審査”をこのように捉えて運用を確立することができれば、顧客(市場)、組織、認証機関・認定機関の三者にメリットが生じる。また、価格に加えて製品品質(審査能力の質)が認証機関を選ぶ際の選択肢になることで、認証制度の世界にも市場原理が正しく機能する。これが大きい。
評価基準の公正性をどう確保するのか、はたして組織と認証機関がついてこれるのか、いろいろ課題はあろうが、これぐらい踏み込まなければ認証制度の将来はないと思う。
JABの中の人、私を外野の一代表として公開討論会に呼んではくれまいか。
ダメ?

ぶらっくたいがぁ様 毎度ありがとうございます。
大論文に短いコメントで恐縮ですが・・
ISO9001ってなんなのでしょうか?
私は最低限、品質保証の規格だと思っておりました。品質保証もまともにできないなら、ISO9001は値打ちがないと思います。
経営を良くするのは9004だと記憶しております。
ともかく、来年の今月今夜・・ではありませんが、たいがぁ様と私が公開討論会で・・なんて考えるのは無駄というもの 



第15回 JAB/ISO 9001公開討論会 その2 09.03.11

ISO9001の目的というか存在意義はなにかというと、多くの人は二つあるという。
ISO9001の権威と目されている飯塚先生によると「購入者のための品質保証」と「供給者のための品質マネジメント」という。
人により時代により表現は異なるが、1987年版のときからISO9001の使い方として「外部品質保証」と、「会社を良くするため」のふたつがあるといわれていた。 そして付け加えれば「外部品質保証」としてのISO認証は受身で好ましくなく、「会社を良くするため」にISO認証するべきだと語られたものであった。そんなこと余計なお世話といいたいが、そういう意見が大勢を占め現在に至る。
1987年版では「内部品質保証」も本来の目的であったはずだが、そのために活用しようとする人はあまりいなかったように思う。
ところで、「供給者のための品質マネジメント」と「内部品質保証」が同じものかどうか私は知らない。なにせ「内部品質保証」は明確に定義されていたが、「供給者のための品質マネジメント」は明確な定義がなく何のことかわからない。
ISO9000:1987 定義3.5 備考3.
組織の内部では、品質保証は経営のひとつの道具となる。契約による場合には、品質保証は供給者に対する信頼感を購入者に与えるのに役立つ。

第15回公開討論会のパワーポイントを眺めていると、実は上記ふたつ「購入者のための品質保証」と「供給者のための品質マネジメント」は共に目的から滑り落ちてしまい、第三の目的が主たるものとなったように感じている。では第三の目的とは何だろうか。
予稿集のパワーポイントをご覧になった人は多いだろう。ご覧になったみなさん、変だなあと思ったはずだ。それはISO9000という言葉はISO規格という意味ではなく、ISO規格を用いた第三者認証制度という意味で使われていることである。

基調講演の飯塚先生のパワーポイントの「ISO9001とは何か」というページに
ISO9001=QMS認証制度+ISO9001QMSモデル
とあるが、これはずいぶんと乱暴というか独断な式である。
飯塚先生が語ったとおりの式は
ISO9001=外部品質保証+ISO9001QMSモデル
ではないのか?
いったい、いつからISO9001が認証制度とイコールになったのか?
上式で言えば、外部品質保証と認証制度がイコールとでもいうのだろうか?
第三者認証制度というのは元々ISO9001のひさしを借りていたのに、母屋を乗っ取ったのか?いやひさしを借りていたのではなく、ISO9001という人のふんどしを借りて認証ビジネスという相撲をとっていたくせに、ずうずうしくも人のふんどしを我が物と言い出したようだ。
基調講演のスタートから「ISO9000」という言葉はISO規格という意味ではなく、「ISO規格を用いた第三者認証制度」という意味にすり替わっているのである。

次の「ISO9001の本質」のページであるが、
タイトルが「ISO9001の本質・・・QMS認証制度」となっている。これもまた独創的な言い方だ。
私は「ISO9001の本質が品質保証なのか?、品質マネジメントシステムなのか?」という議論ならまだ納得できる。しかし、私は「ISO9001の本質が認証制度」であったなどとは思ってもみなかった。
これは私の思い込みではない。ISO9001:2008の序文0.1の末尾に「この規格は、製品に適用される顧客要求事項及び法令・規制要求事項並びに組織固有の要求事項を満たす組織の能力を、組織自身が内部で評価するためにも、認証機関を含む外部機関が評価するためにも使用することができる。」と明記してある。
ISO9001には第三者認証制度のための規格だなどと、どこにも書いていない。そもそもIAFはISO9001を使った第三者認証のためにガイド62を作ったが、最近は生意気にもそれをISO17021に格上げした。とはいえ、ISO9001は第三者認証のためのものではなく、ましてやISO9001が認証制度を意味することは絶対にない。

そして「ISO9000は誰のための制度か」に至ってはもう完全に馬脚が現れ、本音がばればれである。
この「ISO9000は誰のための制度か」というフレーズを読んで、変な文章だと思わない人は洗脳されている人だ。ISO9000とはISO9000ではなくISO9001であるという前提で語るが、ISO9000だとしてもおかしなことは変わらない。一体全体、ISO9001が制度なのでしょうか?JIS規格票を見ても、ISO規格を見ても、対訳本を読んでも、ISO9001にはいかなる制度についても書いてありません。
「ISO9000は誰のための制度か」と書いた心は、「ISO9001を使った認証制度は誰のための制度か」ということであり、それは規格そのものよりも、規格を使った認証ビジネスがテーマであるということだ。ということはISO規格を良くしようとか、ISO規格を活用しようとか、ISO規格の評価を上げようとかいう意図はないだろう。あるのは、認証制度を良くしよう、認証制度を活用しよう、認証制度の評価を上げようという意図に相違ない。
仮に「ISO9000は誰のための制度か」は「ISO9001第三者認証制度は誰のための制度か」を略したというなら、不適正で誤解を招く手法である。そしてそれなら、この大会のタイトル「JAB/ISO9001公開討論会」は「JAB/ISO9001第三者認証制度公開討論会」と名称を変えるべきだ。まさか「JAB/ISO9001公開討論会」は「JAB/ISO9001第三者認証制度公開討論会」を略したとは言わないだろう。

そして「ISO9001への期待」はまさにそのものズバリである。
パワーポイントを見る限り、改正されたISO9001への期待を語っているのではない。語っているのは「制度の信頼性」であり、「第三者認証制度のビジネスモデル」であり、「審査を変える〜QMS認証の価値向上」である。

ここまで読んで分かることは、ISO9001の目的あるいは期待することは「購入者のための品質保証」でも「供給者のための品質マネジメント」でもない。第三の目的、つまりそれは「第三者認証制度を維持する」ことである。
なんのために?
認証ビジネスで食っている人たちのために違いない。
飯塚先生の基調講演のテーマは「QMS認証の価値向上」であるが、真のテーマは「QMS認証制度の価値向上」、より露骨に言えば「第三者認証継続させること」ではないのか。
同じように各ワーキンググループの検討テーマもすべて「QMSの有効性をみる」ではなく「審査制度の有効性をあげよう」であり、「社会・組織の期待に応える審査」ではなく「認証機関の期待に応える審査制度」であり、「組織からみた価値ある審査」ではなく「認定機関と認証機関からみた価値ある制度」なのだろう。
もうそこにはISO9001そのものを考える人も、規格を実現しようとする人もいない。頭の中にあるのは認証制度の存続、ビジネスとしてのISO規格なのだろう。
大会のスタンスも、ワーキンググループの結論も08年よりも退行したように思う。
昨年のWG1の結論としては認証制度だけがISOの目的ではないとなっていたが、今回はそのような意見はない。審査登録制度はもはやそのようなことを言う余裕もなく、なりふり構わずなのか?
ちなみに08年一年間のQMS登録件数の減少は1462件、登録件数の3.4%であった。それは一年前の07年の減少739件、1.7%の倍増である。果たして09年はどうなるのだろうか?
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3月16日の公開討論会本番では、参加者全員が鉢巻をしてスクラム組んで、認証件数アップを勝ち取ろう!と掛け合いコールでもするのだろうか?
時まさに春闘の開幕だ 

本日の提案
私は第三者認証制度を悪いなどというつもりはない。認証ビジネスが発展することに反感を持つものでもない。問題は、今認証の社会的評価が低いこと、登録件数が減っていることだ。それはなぜか?現状分析をしっかりせずに適切な手を打たなければ効果はなく裏目になるだろう。
ISO第三者認証制度を発展させたい、そのためにISO審査の評価を上げようとするなら、有効性審査などと言わなくても良い。審査方法を変えようとか、厳格な審査をしようなんていわなくても良い。たいそうな大会を開催することもない。組織(企業)を巻き込むこともない。
認証機関それぞれが自分のところの審査員がどのような審査をしているのかをよく把握して、問題があれば対策して審査の品質を向上させれば良いだけではないか?
私の知っている会社(複数)が、審査員の力不足、傲慢な態度に対して認証機関に抗議しても対応しないなどの理由で認証機関を鞍替えしても、当の認証機関がなんら対策しないなら審査の質が改善するわけがない。
メーカーが顧客クレームを放置してお客様が去っていっているのを審査で見つけたら、審査員はなんというのだろう?

今までまともな審査をしなかった審査員、そういう審査員を派遣していた認証機関、そんな認証機関を認定していた認定機関が、審査方法を変えようと叫んだところで、審査の品質が向上するとは思えない。
第三者認証制度の信頼性を上げて制度を継続させていくためには、今の問題の原因をしっかり究明し、原因を除去することだ。そのためにはまずお客様は誰か、顧客満足を得るためにはどうすべきかを考えることだ。認証機関の経営者がみな企業・組織をお客様と呼んでいるようでは期待できない。審査で審査員が「私の発言は顧客の声だ」というなら、真の顧客は誰なのかは分かっているはずだ。
品質管理・品質保証の専門家がそろい踏みしているのだから、できないことはないだろう。
蛇足だが、ISO14001も同じである。

本日の期待
数日後に開かれる公開討論会では、本当の問題点に気づいて、まっとうな結論に至ることを期待する。


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(09.03.12)
そもそもイベントタイトルが『JAB/ISO 9001公開討論会「審査を変える〜QMS認証の価値向上〜」』ですから、「ISO9001規格の有用性を高めるためにはどうすればいいか」ではなく、「認証制度の信頼性を高めるためには制度自体と審査のあり方をどうすればいいか」という議論になるのは当然の流れでしょうね。
でも、「QMS認証の価値向上」という文言は絶対ヘンです。正しくは「ISO9001認証の価値向上」でなければなりません。
購買先に過ぎない認証機関風情に、自社の品質マネジメントシステムの“価値”についてとやかく言われる筋合いはありません。失礼な話です。
認証機関、認定機関はどうしてこう高飛車というか、上から目線でモノを考え、言うのでしょうか。最終顧客は社会・市場だとしても、直接の顧客は組織のはずです。

審査で審査員が「私の発言は顧客の声だ」というなら、真の顧客は誰なのかは分かっているはずだ。
たまにこういうことを言う審査員がいますね。
じゃあ、自分でポケットマネーをはたいて実際に組織の製品を購入してみろと言いたいです。自動車メーカーを審査するなら自動車を、家電メーカーなら液晶テレビを買い、病院ならわざとケガをして診察と治療を受け、運送業なら引越しを頼み、製鉄業ならH型鋼の一本でも買ってみろってことです。
実際に顧客になったことがないのに、どうして顧客の気持ちがわかるというのでしょう。その意気込みは買いますが言葉だけでは重みがありません。
ちなみに、某認証機関の審査本部長は、実際にこれをやっておられます。さすがにわざとケガまではしませんが、病院を審査する前には自費で健康診断を受けてみて医師・職員の対応や患者の扱いなどを観察されます。有言実行、こういう審査員なら信用できます。
まさかタンカー1隻、ビル1棟を買うわけにもいかないので限度がありますから、せいぜい顧客になったつもりでその気持ちを考えてみるぐらいに留めるべきであり、「顧客の声である」などと自分の顧客を前に大言壮語を吐くのはやめて欲しいものです。

たいがぁ様 毎度ありがとうございます。
チョー古い話で恐縮ですが、審査機関はサードパーティ(第三者)と呼ばれました。そして顧客の代理人と称したのです。20年も前のことです。(参照 ISO10011-1:1990)
だから審査員は顧客の代理人と称するのは当然です。
あれえ・・・顧客の代理人として組織の品質保証(当時)の適合性を点検するのであって、顧客の声を伝えることではないですね。
たいがぁ様 きっとあわて者の審査員が、顧客の代理と顧客の声を取り違えたのでしょう。もっとも過失か故意かは不明ですが・・・
間違えたままですと、ご本人もお困りでしょうから、ぜひともその違いを教えてあげましょう。
でも私は組織の製品・サービスを購入しなくても、組織の品質マネジメントシステムを確認することはできると思います。
言い方を変えれば、組織の製品・サービスを購入しても、組織の品質マネジメントシステムを確認することはできないのではないでしょうか?


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(09.03.15)
ロケットけんちゃん様
はじめまして。ぶらっくたいがぁと申します。中小製造業で管理責任者をやっております。
9001の項番では不十分だから「有効性審査」をするというのはおかしいのです。
正しくは「今までの審査では9001の項番が要求している有効性の評価及びその改善についての審査が十分になされていなかった。これからはきちんと9001適合性審査をするようにしたい」と釈明すべきではないかと思います。

賛成です。
認定機関及び認証機関にすれば、それは百も承知ではあるが、それを表に出すと今まで行ってきた認証行為に欠陥があったことを認めることになるので、それはできない。であるから、さも新たな概念であるかのごとく“有効性審査”なる言葉を作り出し、過ちを隠蔽したまま方向転換を図ろうとした。というのが真相ではないかと私は考えております。
ところで、「ロケットけんちゃん様のお便りを読んだ関西の方」というのは何を隠そうこの私です。機会があれば“うそ800全国代表者会議 in 居酒屋”をやりませんか?

たいがぁ様 ありがとうございます。
ロケットけんちゃん様のメールアドレスは私も知りませんので、次にロケットけんちゃん様がご覧になってご返事いただくのを待つことにしましょう。
ところでISOの大会もいよいよ明日、きっと討論の結果すばらしい結論が出ることを期待します。
あと一日待ちましょう。

外資社員様からお便りを頂きました(09.03.16)
ISO認証機関に関する素朴な疑問
いつもISO認証に関する興味ある話題をありがとうございます。
この方面に私は、素人なので、ご教示頂けると幸いです。
IT機器の認証では、USBIFならば仕事で知っているので、こちらとの比較でお話が出来ますと幸いです。
↓こちらが、USBIF(USB規格の国際団体)のHPです。
http://www.usb.org/home
Q1:ISOの認証機関は、誰が認証するのでしょうか?
Q2:複数の機関があれば、それらが同じ基準で審査する裏付けが必要と思います。それは何によって確認されているのでしょうか?
Q3:ISOの認証機関は、国際的なのでしょうか?
素人なりの質問ですが、言語の壁は別として、現地法との適合を考えれば個別の国の中でしか認証できないようにも思います。それとも、各国規格を周知した上での、国際的な認証機関があるのでしょうか?

ちなみに、USBIFでは、Q1はUSBIFが行い、認証機関は認定審査、毎年のAuditを受ける必要があり、認証担当を個人登録することを求められています。 Q2はAuditにより、同じ機器を各認証機関に送り、審査結果の付き合わせが行われます。 ですから、そこで同じ結果を出せるだけの能力は求められ、その範囲で同じレベルが確認されています。
Q3は、USB認証事態が、技術規格で個別製品に対する認証ですので各国法規とは独立しており、認証機関(民間会社)はどの国からも対応できます。

素人のメクラ蛇に怖じずな質問と思いますが、お付き合い頂けると幸いです。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
Q1:認定機関が認定します。というと堂々巡りですね。各国で認証機関を認定する民間組織をひとつ作ることになります。日本ではJAB(日本適合性認定協会)です。
そして各国の認定機関が集まってIAF(国際認定機関フォローラム)というのを作って質の維持を図っています。
Q2:基本的に一国にひとつとなっています。各国にありますがそれぞれ相互監査を行って一定水準を保つようになっていると聞きます。
じつを言って日本には認定機関がふたつあります。情報セキュリティはJABと財団法人日本情報処理開発協会があります。どうしてなんでしょうか?
Q3:認定を受ければ国際的に通用するとされています。とはいえ認証機関によってブランドの違いは大きく、さらに認定機関のブランド力も大きく違います。富士山マークのJABより王冠マークのUKASは偉いようです。
法規制や言葉の違いがありますが、認証の基準があり、言葉が通じない場合は通訳についても基準がありますので、まあ国際標準ということになっています。
前提はということですが・・・

第15回 JAB/ISO 9001公開討論会 その3 09.03.18

やはりというか意外というか、それが2009年の「第15回 JAB/ISO 9001公開討論会」の感想である。つまり過去の公開討論会から予想されたことの範囲内であることは「やはり」であるが、その検討過程と結論が1年前の討論会より退行したのは「意外」であった。彼らは本音で第三者認証制度を良くしようとか社会の信頼を得ようという意思があるのだろうか?
正直言って、私はビッグサイトの公開討論会を聴講していない。インターネットに公開されている予稿集を読んだこと、公開討論会に参加した方のブログを拝見したこと、参加した方が私に送ってくれた感想メールを拝見しただけだ。だから私が状況を良く知らず勘違いもあるかもしれない。しかし今週たまたま某大手認証機関のエライさんから「公開討論会に行ったが、あまりもくだらなくて午前中で出てきたよ」という話を聞いて、私の印象も間違っていないように思う。

上記の私の得た情報だけからの推察だが、飯塚さんをはじめとする講演者、パネラー、ワーキンググループのメンバーは、利害関係者が第三者認証制度へ期待していることを理解していないように思える。あるいは討論参加者だけが利害関係者であり、ワーキンググループに参加していない利害関係者の意見に気がついていないのかもしれない。
そして現実の問題を認識していないのではないだろうか?
審査料は申請した組織が支払っているので、質の良い審査をする認証機関が発展するような制度運営構造になっていない
とか
会社全体がグルになって虚偽の対応をしていた場合は、審査でそれを見つけることはむずかしい(いずれも飯塚氏)
と語っているようでは、現実の審査とか審査報告書を見ていないとしか思えない。そしてこの論は昨年の公開討論会から少しも前進していない。
ワーキンググループに参加していない世の利害関係者は審査で偽証を見つけてほしいとか、会社が悪いことをしていないか点検してほしいなどと期待していないだろう。期待しているのは、『良い品質の製品を買いたい。だから品質保証体制を見てほしい』ということではないのか。この期待に応えるために、外部品質保証を確認しなければならない。品質保証がしっかりしているかを点検する過程で、仕組みの不備を見つけたり、運用の不備を見つけたりすることもあるだろう。
もうひとつの利害関係者である組織の期待が、『会社を良くする(といっても意味不明なのだが)こと』であれば、その期待に応えるためには、有効性を含めたISO規格適合か否かを見るだけではそもそも無理なのかもしれない。
さらにもうひとつの利害関係者である認定機関と認証機関の期待は、『不祥事が起きても火の粉が己に降りかかってこない』ことであろうし、世の中の審査の評価をあげたいということだろう。しかしながら今までの審査が規格とおりであったのか、他の利害関係者の期待に応えていたのかは気にしていないようだ。
いずれにしても「我々(認定機関+認証機関)は会社ぐるみの虚偽や偽証を見つけることができないから社会の期待に応えられないのです」という論は、大はずれである。それをまじめに語る飯塚氏は審査の実態を知らないのか、知っていて語っているのか、私は分からない。
いずれにしても社会は認証機関や審査に対して、検察や警察の役目を求めていない。私はそのような能力があるとは思っていません。

ぜひとも、飯塚さんや井口さんをはじめJABもJACBも現実の審査実態を知る必要があります。JACB(審査登録機関協議会)は審査の当事者だから、審査の実態は良く知らないとはおっしゃらないだろう。しかし例えば認証機関の取締役が自分のところの審査員がどのような審査をしているのか知っているだろうか?言葉使いがぞんざいで、お客様のご機嫌を損ねていることなど知っているはずがない。もしそのような失礼を取締役が知っているなら、部下をしつけて言葉使いを改めさせるだろう。現実にそういう改善が見られないということは、取締役は知らないのだろう。まさかお客様に失礼があることを知っていて何もしない取締役はいないだろうと信じる。なにせ顧客満足を審査するのだから、己の顧客満足には十分に気を使っていることだろう。

会社全体がグルになって虚偽の対応をしていた場合は、審査でそれを見つけることはむずかしい
笑うしかありません
そんなことを語る飯塚さんは、審査で不適合を出さないから認証返上をしないでくださいという審査員とか、規格の文言がマニュアルにあるかどうかチェックするしかできない審査員がいることを知っているのだろうか?
実態を知らず、思い込みでいては第三者認証制度なんて崩壊まっしぐらですよ
品質管理の大原則は三現主義、現場で現物を見て現実を知ることです。
覆面で実際の審査を20回くらい立ち会って見なさい。それも認証機関のエース級ではだめです。平均レベルや最低レベルの審査員の審査に立ち会えば何かを感じるでしょう。こんな審査ではお金をもらえないだろうとか、組織が怒るのも無理はないとか、審査というより自慢話じゃないかとか、いろいろあるでしょう。
「聖域なき内部監査」(WG3パワーポイント21ページ)とありますが、そんなことを言う前に「聖域なき認定審査」を行うべきです。全審査員を対象に認定審査を行わなければ組織の顧客満足を保証できないではありませんか?世の中の利害関係者の安心を担保できないじゃないですか?
そして「全審査員が組織の組織的偽証がなければまっとうな審査ができる力量があること」を確認した後に
「会社全体がグルになって虚偽の対応をしていた場合は、審査でそれを見つけることはむずかしい」
と言ってほしい。
また審査報告書も見てください。審査費用として100万も200万も払った成果物が、たった数ページの文字数も少ない報告書をみて、妥当だと思いますか?そういうものが「経営に寄与」したり、「会社を良くしたり」するものでしょうか?判定委員会は何を見ているのだろうか? そして認定機関は何を見ているのか。

「経営者インタビューで社長一人ではなく、経営層も列席の上トップインタビューに臨む」(WG3パワーポイント15ページ)とたいそう上から見たもの言いですが、それほどの力量を持つ審査員がいかほどいるのでしょうか?
会社の規模にもよるが、社長やトップ経営者数人を一時間拘束するなら、その成果が百万や二百万円の価値がなければ会社は怒りますよ。
お断りしておく。私は師と仰ぐ審査員も何人もいる。しかし、どうしようもないという審査員も多数知っている。
Suppose、考えてみてください。
企業において品質管理とか品質保証業務に就いていた方が、研修を受けようと少し審査業務経験を積もうと、経営者に教えるようななにものかをお持ちですか?

現実を知ってほしい。現実を知らなくては公開討論会の場に出てくるべきではない。あるいはISO規格の専門家であっても、第三者認証制度の専門家ではないと明確にすべきである。まして第三者認証制度の改善提言などするべきではない。

さて、私はこれからどうするべきか?
個人的にドンキホーテのようにJABやJACBを相手にハルマゲドンを挑む気もない。相手は巨大であり一人で戦うことは不可能だし、私個人には何のメリットもない。
私もまもなく定年で、組織の事務局から困りごとのご相談を受けるのももうそんなにないだろう。一般市民より少しはISOに関心がある一人の老人として、第三者認証制度とそれに連なる認定機関と認証機関が、いついかなる死に方をするのか眺めることにしようか。

第15回 JAB/ISO 9001公開討論会 その4 09.05.21

毎年JABがISO14001と9001それぞれ東京ビッグサイトで大会を行う。
およそ論評するほどの価値もないし、私は入場料10000円も払うほど余裕のある生活はしていない。に三年前どなたさまから招待券をいただいて行ったことが二度ほどあるだけだ。
でも興味は捨てがたく、予稿集は熟読したし、規格協会の月刊誌「標準化と品質管理」に討議内容が載っていたのでこれも拝読した。
まあ、飯塚センセイも他のメンバーも感心するようなことは語っていない。というか、問題を理解していないと私は思う。
不良対策の基本は三現主義だ。現場で、現物を見て、現実を知る、このみっつの現をやらずして、不良対策もあるまい。
飯塚センセイは審査の現場をいくつ立ち会ったのだろうか?
そりゃ出来レースの審査をみたことはるだろうが、現実の多くの審査の実態を知らないことは間違いない。
だから語ることがまったくの見当はずれ、見当違いであって、検討などできるわけがない。

思うに、飯塚センセとか彼の取り巻き、あるいはJABやJACBの幹部はみな全共闘世代であることに原因があるのではないだろうか?
いや、それは全くの想像ではあるが・・・

私が10代後半、全共闘なんてアホどもが大騒ぎをし、はねっかえりは人殺しなんかもした。彼らは純真だったのかもしれないが、いかなる改善もできなかったことは間違いない。
あらゆることに、保守と革新というスタンスというかアプローチ方法がある。
現状に問題があれば、問題点を少しづつ改善するのが保守であり、ご破算にして新しく作り変えるのが革新だ。
飯塚センセイがそういった運動をしていたかどうかは知らないが、ISOとか認証制度の改善というと革新的な意見を出すところをみると、発想はそうではなかろうか?
お間違えないように、「革新的」ということは「良いこと」とか、「すばらしいこと」という意味ではない。
単に現状をよく見もしないで現状を否定することにすぎない。
今、ISO認証制度は危機にある。それはみなそう認識している。
じゃあ、その問題をしっかりと把握して、それをひとつづつ対策していくというのが保守である。革新を唱えながらなにもアウトプットも出さないのと、可能なこと、できることから小さな改善を積み重ねるという地道な活動をなぜしないのか?

現在、ISO認証への批判は多い。だが、誰もが回天を!とか大改革すべき!なんて語っていないのですよ
 ・審査員は審査でもちっとしっかり見てくれよ
 ・審査員は規格くらい勉強しろよ
 ・審査報告書をしっかりしたものにしてほしい
 ・審査がいい加減じゃないか
 ・不祥事が起きたら、認証を取り消すが、なぜ認定を取り消さないの?
 ・こんな不適合を出されておれは頭に来たぞ
という非常に低レベルの不平不満がうずまいている。
しかしJABも飯塚センセイをはじめとするエライサンたちは、そのような現実を見ず、現実を知らず(知りたくないのか?)有効性審査とか、組織ぐるみで偽ったら見つけられないよとか夢物語を語るだけだ。
そういう革新的発想では志は良くても、良い成果は出ないだろう。

昔、本で読んだことがある。
新しく開発された機械が振動が大きく、技師たちが大議論していた。
そこに工員が通りかかり一言言った「アンカーボルトが1本ゆるんでいますよ」

ISOの認証制度が不振で認定機関や認証機関や大学のセンセイが大議論していた。
「制度を変えなければだめだ」
「審査を受ける会社がお金を払うのではなく、社会がお金を払うようにしなければならない」
「組織ぐるみで偽ったら審査で見つけることは出来ない」
「有効性審査をしよう」・・・みなが有効性というが、その意味はみな違うようだ
そんなことはない。
審査をしっかりすればいいだけさ
そのためにはデモシカ審査員ではだめだ。現場でたたき上げで、そして規格を知っていることが必須条件だ。
そういう人を審査員にすればすべて解決

わかったかい?



外資社員様からお便りを頂きました(09.05.22)
公開討論会への 「たはごと」
ISOの認証制度が不振で認定機関や大学のセンセイが大議論していた。
「制度を変えなければだめだ」
どうぞご随意に、それが顧客に受け入れられなければ淘汰されるのはビジネスでら当然ですよね。

「審査を受ける会社がお金を払うのではなく、社会がお金を払うようにしなければならない」
ISO認証って、社会的必然がある公益法人だったのでしょうか?
ビジネスならば顧客が満足すれば、お金は払ってくれるように思います。
もし社会が費用負担をするならば、ISO認証が社会に対してどのような責任を果たしてくれるのかが重要です。 産地偽装や、危険な食物を市場から排除、廃棄物の不法投棄などを無くす実現への責任を負うならば、賛成する人も多いでしょう。

「組織ぐるみで偽ったら審査で見つけることは出来ない」
審査の正当性を裏づけている部分以外は、組織ぐるみだろうがなかろうが、審査で見つけることができません。 逆に、審査を裏付けている部分ならば、組織で隠ぺいしようが見抜けなければいけません。
例として、自己申告をもって判定するならば隠ぺいには対抗できず、データを審査者がとるならば、組織ぐるみの隠ぺいが見抜けないといっても、言い訳にしかなりません。こうした裏付けが、審査員や審査会社により一律でなければ、判定結果の信頼性も不明だと思います。
また、何ができて何ができないか不明ならば、まずそこに手をつけるべきだと思います。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
おっしゃることに全く同意
しかしそれが理解できない人たちが制度設計をして、運用しているのですから、改善するはずがありません。
机に座って不良対策しようなんて人がいたら、上司は椅子から引きずりおろして
「現場に行って来い! 現場で現物をみて現実を知らなくてなんとする!」というでしょう。
ISO9001にかかわっている人たちは、頭でっかちで道理を知らないのかもしれません。
あるいは上品すぎて現物を見たり、触ったりするのが苦手なのかもしれません。
世の中様々ですから

ふっくん様からお便りを頂きました(09.05.22)
船頭多くして・・・
ISOをよくしたいという思いはどなたも持っていると信じたいですが、頭でっかちが集まると「船頭多くして、船は山に登る」という頓珍漢な方向に行くのでしょうね。
でも、工員の話は妙に感動しました。
私にも社会人に出たときに同じような経験があります。土木屋は現場が全てといいますが、下手に大学を出た技術者より、高卒でも現場のたたき上げの方がよっぽどいい仕事をしていました。彼らに教わること多くして、私はどれだけのことを彼らにしたのかと恥じるばかりです。こんな人たちが戦後の日本を見事に復興させたのだなと思いました。
私は現場を離れた瞬間に堕落した多くの例を見てきました。山本五十六が「常在戦場」と書かれた(元々は彼の出身の長岡藩の教えだった)ように、私たちも「常在現場」主義を貫かないといけません!

ふっくん様 毎度ありがとうございます。
「常在戦場」「常在現場」額に入れて日本適合性認定協会にでも贈りたいところです。
もっとも過去20年間改革がなかったし、ISO9001:2000の改定もISO17021の制定もあまり影響はなかったことを見ると、額を一つ掲げてもごりやくはなさそうです。
ところで、ISO審査では「品質方針が大事なんです。まずそれをしっかりして、それを実現するのです」(品質を環境に入れ替えても通用します)なんておっしゃる審査員はウジャウジャいます。
案外、額を掲げただけで改善するかもしれません。
保証の限りではありませんが


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