「2011年新聞・テレビ消滅」 2009.09.06

著 者出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
佐々木 俊尚文春新書978-4-16-660708-22009年7月20日750円全一巻

だいぶ前だが、読売のナベツネと朝日の若宮が対談して、意気投合したという報道があった。左の若宮と元右のナベツネが肩を組んで「どちらが朝日かわからない」なんてじゃらけていた。調べてみると2006年のことだから、もう3年になる。
あのときは、アホが二人いるともう手に負えないな、という感じしかなかったが、最近同志から「読売と朝日が合併する日が来るかもよ」と聞き、そりゃすごい!と思った。私が世の中の動きに疎いことは認めざるを得ない。

アメリカでは新聞がにっちもさっちもいかなくなっているとは、さまざまなメディアで報道されている。もちろん新聞報道に価値がなくなってダメになったというのではなく、新聞というビジネス・・より具体的にいえば金儲けの方法が時代に合わなくなって、利益が出せなくなってきたということだ。
インターネットはニュースを新聞よりもテレビよりも早く、無料で伝える。しかも複数の報道機関のものを比較できるのだから、わざわざ新聞を読もうとか、テレビを見ようという人は減るのが当然だ。
前にも書いたが、我が家ではいまだに新聞をとっているが、読むのは家内だけで、家内の主たる目的は番組欄と折り込み広告である。
官報だって、今とき紙の官報を読んでいる人はどのくらいいるのだろうか?
私は過去8年間、紙の官報を読んでいない。もちろんインターネットの官報は毎日というか発行される日は欠かさず見ている。

もう10年も前の話、1990年代半ばのこと、電車の乗り継ぎとか時刻表はれっきとしたソフトとして販売されていた。安くはなかった。当時私は出張など縁のない仕事であり、かつ田舎は車社会であるから、電車に乗るなんてことはなく、そういう乗り換え案内ソフトと縁はなかった。引っ越して都会に来ると電車の乗らないと仕事にも行けないという状況になった。
当時同居していた娘が、「駅前探検というのを知らないのか?」と呆れたように言う。
「駅前探検なんてしたいとは思わない」と真面目に応えると、しょうがないなと言いつつ、娘は乗り換えのウェブサイトを教えてくれた。
おお!こんな便利なものがあったのか!
それ以来、たくさんの乗り換え案内のウェブサイトがあることを知ったが、初めに使った駅前探検を今でも重宝している。
交通公社などが出しているボリュームのある時刻表なんてもう何年も触ったこともない。

乗り換え案内ソフトに限らず、ネットでは相当有用なソフトもただ!、あるいは情報を得るのも無料!てのは多い。いやそれが当たり前だ。
わが愛しきISOについても、何千円も出さずにそうとうな情報を得ることが可能だ。おかしなコンサルの間違えた解説本を買うよりも、我がうそ800の方が信頼できる情報を得られるというもの。
もし審査でとらぶった場合は、アフターサービス付ですよ 

つまらない例をもう一つ上げる。
私は古い時代の人間だから、紙の辞書、辞典を使っていた。娘は今どきは電子辞書の時代だと言って買え買えといつも言っていた。インターネットには電子辞書以上の情報が、しかも最新の情報があふれている。だがやはりハンディという意味ではインターネットより電子辞書の方が使いやすいと思って買った。しかしその後すぐにミニノートを買い、どこでもインターネットに接続できる環境になって、電子辞書は誇りをかぶってしまった

インターネット時代は、情報のコストが格段に下がった。入手するコストも、手間も、紙メディアの時代に比べて何ケタも下がった。90年頃の価格破壊なんて比較にならない。
しかし当たり前のことだが、情報を収集してそれを伝えるにはお金がかかる。新聞社が取材して、編集して、戸々の家々に届けるというのは大変費用がかかるのはあきらかだ。だからそのコストを誰かが負担しなければならない。一般的には購読料を取り、しかも新聞広告代をとり、またチラシを運ぶというビジネスによって新聞社はその費用を回収し、利益を上げるというビジネスモデルであったわけだ。
テレビも同じだ。くだらないドラマにしても、白痴的バラエティにしても、出演者に払うギャラも建物の費用も、電波を出すにも電気代もかかる。そういったものは広告宣伝費用によって回収し、しかもマスコミ特有の高額な賃金を払ってきたわけだ。
シナ撲滅
中国の宣伝放送であるNHK(正式名称は"犬あっちいけ")はそのような自由主義経済の手段に寄らず、共産主義的に独裁的な強権を発動しか弱い国民からお金を巻き上げている。さすが中国の手先はやることが違う。

しかし今マスコミ(正式名称は"マスゴミ")というビジネスモデルは、インターネットという強敵に浸食され続けている。
もっともインターネットは旧来のマスコミを敵とさえ思っていない。存在するとさえ思っていないようだ。
インターネットはひたすら限りなく無償に近いコストで多様な情報を提供する。
しかも、その情報は従来のマスゴミの好みの色に脚色された偏光したものではなく、さまざまな観点からの情報がよりどりみどりなのだ。
その結果、マスコミの命の源であった宣伝広告からのお金は、どんどんインターネットに吸い込まれ、そして発行部数も底なし沼のように減り続けている。
ナベツネと若宮が必死の思いで肩を組み、ガンバローと叫ぶ気持ちは分かる。 
だが、それは馬具を作っていた競争メーカーが、自動車の時代を迎えたとき力を合わせていこうというような引かれ者の小唄に過ぎない。
右であろうと、左であろうと、時代に遅れたビジネスはアットいうまに消滅してしまうことから逃れることはできない。

しかし考えてみると、すべての製品にもサービスにも寿命があり、永遠に栄えるものがあるはずがない。
コンピュータだってメインフレームからミニコンになりパソコンになりクラウドになりと変化し続けています。
メディアというものが人類社会に必要なものであることは論を待たないでしょうが、紙媒体の新聞というものだってせいぜいが200年の歴史しかありません。それ以前には講談とか演劇がニュースを伝えていたと思います。
そう考えると、新聞業界の方々、テレビ業界の方々、広告業界の方々、時代の流れをしっかりと受け止めて、新しいビジネスモデルを考えればよいのです。
ちなみに週刊誌やマンガ雑誌が大きく減少しているそうですが、その原因は携帯電話だそうです。可処分所得が一定であれば、なにかが増えればなにかが減るのは自然の摂理

おっと、インターネット時代には書籍も消滅するのだろうか?
私は自分の作品を出版する気もなければ、本に残す気もない。このウェブサイトの目的は何か?と考えれば、己の主張を皆に聞いてもらうこと、そして願わくはそれを実現することなのだから。
本も、新聞も、テレビも、ウェブサイトも、ブログも、その手段に過ぎない。
我々は一番費用のかからない、効果のあるメディアを使って活動すべきだし、それ以外を選択しようがない。

マスゴミが消滅すれば、もっと公平客観的な情報伝達が行われ、媚中とか韓流というおかしな報道も消滅することを期待する。
三橋貴明などを見ていると、その時代は、もうすぐのように思う。

本日のお勧め
この本はそんな時代の流れを平明に解き明かしてくれます。


ある大学生様からお便りを頂きました(09.09.07)
ちょっとちょっと
父親が増すゴミの一部なのでなくなってもらうと困ります!
それにいなかのおじーちゃんやおばーちゃんのメディアがなくなってしまいます!
増すゴミは増すゴミなりの必要性があると思いますよ コンビニ袋みたいに
おお!ある大学生様 ご無沙汰でございます。
新聞が必要なのか否かについては、だいぶ前あらま様と議論しましたのでご参照ください。
現実を見れば、新聞が老人のために存在するわけではありません。新聞はビジネスとして存在しているのです。
昔の国鉄のように採算を度外視しても、一部弱者(とも思えませんが)のために存続しようというなら、その犠牲を一般国民に負うことを納得させなければなりません。
朱鷺を再びというのは美しい考えのように思えますが、朱鷺を籠の中で飼育するのと、野生で生きていくことは全然違います。野生で生きていけるということは、餌、住みか、気温から気象など大昔朱鷺が羽ばたいていた時の環境まるごと用意しなければならないのです。
新聞を生かし続けるというのもそれと同じで、老人が読むのがないから残そうよという程度の考えでは無理です。
なにごとも、生き物も、無生物も、社会システムも、ほっといても存続できる条件がなければ自立できに存続していくことは無理です。
あまたの財団法人などが設立されたのち、目的を果たしたり、あるいは時代が変わって不要になってもあり続けることがいかに問題かと騒がれているのに、老人のために新聞を残そうよというのは大いなる逆行です。
どうしても必要なら、コンビニなどでネットのニュースを新聞紙にプリントするようなサービスを開始すれば良いだけです。

ふっくん様からお便りを頂きました(09.09.09)
誇りをわすれた日本人にも・・・
・・・電子辞書は誇りをかぶってしまった。
正しくは「埃」ですが、埃まみれになって働いた(かもしれない)「誇り高い」電子辞書に乾杯!
ふっくん様!
トンデモナイ誤変換  であります。
しかし、なかなか風情があってよろしいかと・・・・負け惜しみです。

kazu10様からお便りを頂きました(09.09.13)
新聞の必要性
先生、お疲れ様です。
新聞の価値、必要性、利点・・・
足りない脳みそで考えてみましたが、丸めてボールが作れるとか、折り紙が出来るとか、緊急時のトイレで大活躍(流しちゃだめだけど)と、中身ではなく、再生紙としての使い道しか浮かびません。
確かに消え行く物なのかもしれませんね。
満員電車で必死に日経新聞を読む方もいますが、邪魔で邪魔で・・
家で読めば良いのに。
あ、今気付きました!ペースメーカーに影響しないってところは立派ですね。
ナベツネが天に召されたら、何か大きな改革が起こりそうな気がするのは私だけでしょうか??
カズさん!ご無沙汰でーす
あのう、私は先生じゃありません。単なる老人です。
あっつ、カズさんより早く生まれたから先生か?
電車の中で新聞を読む人って多いですね。それも日経とかアサヒ、読んでいる形相がスゴイ!藁
天下国家を考えているって顔つきしてます。スポーツ紙のエッチな記事を読んでいる方が人間らしいですよww
ネベツネ・・困ったものです

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