マネジメントシステムだめおし

2013.03.31
マネジメントシステム規格というのがおおはやりである。もっとも数は多くても、ビジネス的にはあまり成功していないようだが・・
品質にしろ、環境にしろ、情報管理にしろ、最近ではエネルギー管理にしろ、マネジメントシステム規格を作れば、改善が進みあるいは良い状況が維持できるとお考えの方がいるようだ。いや、マネジメントシステム規格をあたかも万能薬、パフォーマンス改善ができると考えている人がいるからこそ、雨後の竹の子のようにマネジメントシステム規格が作られているのだろう。
本日は、そんなことはまったくの間違い勘違いであることを語る。
おっと、このテーマというかモティーフは過去何度(200620092011・その他多数)も語っており、「うそ800」の読者は十二分にご理解いただいていると確信する。なぜ本日も同じテーマで語るのかと言えば、そんなことが理解できない哀れな人々・・・現実を見ていない天動説の人々・・・を教育啓蒙しようという、おばQのささやかな好意である。

一般論ではパンチ不足だろう。いや理解できない人が多いだろう。それでは具体例から始める。
私は今まで料理なんてほとんどしたことがない。会社に勤めていた頃は、お湯を沸かしてカップラーメンを食べることくらいしかできなかった。引退して10か月たった今でも大したことはできないものの、そば、うどん、カレー、チャーハン、ホットケーキくらいは作れるようになった。もっとも正直言えばそれさえも私にとっては大変な仕事である。家内がメロドラマを見ながらサッサと作るのが不思議である。
とはいえ家内が万能で私が無能なのではない。家内が役員をしているクラブの年度報告書を、私がサッサとパソコンで作るのを、家内は不思議そうに見ている。海彦・山彦である。あるいは海婆・山爺か?

さて、マネジメントシステムがあれば料理ができるのかといえば、できないのは誰が考えても分るだろう。
おっと、できるなんて考えた人もいるかもしれない。
おお、あなたはISO審査員ですか 笑
料理をするには、作り方を知っていて実際に包丁が使えて、こしらえることができるだけでなく、作るべき料理というものが頭に入っていて、その味、盛り付け方、食べ方というものを知っていないと形にならない。
考えてごらんなさい、レシピ通りに作っても本来の味かどうかは自分の舌で確かめて微調整しなければならない。高級料理でなくても、皿にきれいに盛り付けなければ美味しそうには見えない。グアムのフードコートの食べ物は、プレートにごちゃごちゃと盛り付けてあるだけで、カロリーと栄養があって毒はなくても美味しそうには見えない。和食は見た目も、うつわも味の一部だ。食べ方についても同じ。
カレーを作るときジャガイモの皮を剥いて大きめに切ってとあっても、どの程度の大きさが良いのかは食べたことがないと分らない。 カレーライス いや自分の好みではなく食べる人の好みにあわせなければならない。肉を煮た時にでるあくを取るといっても、全部取ってしまってはうま味もなくなってしまうので、加減がだいじだ。味も買ってきたカレールーそのままでは私の好みでないので、辛口と甘口を合わせチョコレートを入れたりして、自分好みの味に調整することが必要である。
いやいやカレー初心者である私が、これ以上述べると恥をかいてしまうのでやめよう。要するに、そういった細かい作り方を知らないと好みのカレーは作れない。これを固有技術といってよいだろう。

話を次に進める。
家内は結婚前には実家で料理などあまりしたことがなかったらしい。それは家内が怠け者だったというわけではない。今だって30年前だって、母親が家にいるとき外でフルタイムで働いている娘が家で料理をするとは思えない。
だが家内は結婚してからはずっと炊事をしてきた。私と結婚して早38年になる。よくもそんな長い期間一緒に暮らして離婚しなかったものだ・・・と感心している場合ではない。ともかく家内は私と結婚してから以降ずっと料理をしてきた。朝晩だけとしても単純に計算すると
38年×365日×2回=27,740回
実際には旅行に行ったり出産したり病気のときもあったからこの95%程度だろうが、それにしても大変な数である。長い間お疲れ様でした。いや、まだ家内は生きている。
さて高級なレストランで出すような上品な料理とか、特別なエスニック料理はともかく、肉じゃがとか鍋物とか一般的な日本の家庭料理について、家内は一人前の料理人であろうと思う。
じゃあ家内が作る料理は常に美味しく栄養を考えているのかといえば、実はその品質レベルはあまり芳しくない。家内は杓子定規に作るのが得意ではないのだ。
ちょっと前、家内は娘と一緒に旅行に行った。家内は東京から東海道線に乗り、娘は横浜で同じ車両に乗ると約束した。家内は電車に乗ってすぐに「2号車に乗った」と娘にメールしたそうだ。娘は2号車を必死に探したが家内がいない。娘から私にいったいどうしたのかとメールが来たが、家にいる私にわかるはずがない。結局、目的地の駅で二人は会うことができたのだが、家内は動ぜず「そういえば2号車ではなく3号車だった」と平然と言い、それを聞いて娘は脱力したそうだ。推して知るべし
娘家内
おかあさん、
2号車って言ったでしょう
心配したのよ
良く見たら3号車だったわ、
アハハハハ

具体例をあげると夜大好きな卓球クラブに行くときには、夕食の味付けで調味料を入れるのを忘れるとか・・・その結果、私は文字通り味気ないものを食べる羽目になる。家内は夕食を食べずに卓球に出かけて、帰ってきてから私の顔色をみて味付けを修正してから食べる。
あるいは材料がないときは代替品を使って適当にしてしまう。まあ代替えで問題ないときもあるが、ほとんど食えなくなる時もある。とはいえ、私は食べないとならないのだが・・
また家内は料理の味付けを決められた通りにすることができない。小さじ1杯とか、何グラムなんて書いてあっても「これくらいかな」と、計量せずにめかんで適当にしてしまう。その結果、味は常にばらつき、私は許容範囲外でも食べないとならないということになる。
ご飯を炊くときも、米の量も水の量もめかんだから固かったり柔らかかったり・・電気釜でメッコ飯を炊けるというのはある意味すごい技術かもしれない。
非常に簡単なコーヒーを沸かすにしても、水の量はめかんだし、コーヒーの粉もめかんだ。その結果は、濃いめか薄すめかどちらかしかない。まるでロシアンルーレットだ。
「それじゃ、あんた作りな」という言葉が怖くて私は文句を言えない。

ここで言いたいのは、上品に言えばレシピ、簡単に言えば手順や材料や分量を守って作り、オープンループではなく常時味をみてフィードバックかけないと、ちゃんとした料理はできないということである。それには、みなさんもご異存はなかろう。
つまりうまいものを作るには、まず手本となる手順と基準があって、そしてそれを守ることが必要であるということ、同時にその手順を守って作ろうという意思が必要である。

さて、家庭で料理する時のマネジメントシステムとはなんだろうか?
  実施事項 (項番)
料理人が食べる人の好みを理解し、皆に喜んでもらえるものを作ろうとする気持ちをもつこと。 (料理方針)
もちろんそのためには食べる人の好み、アレルギーを知り、更にはその人が昨日、お昼に何を食べたかということを把握することも必要かもしれない。
(料理側面)
(法的及びその他の要求事項)
  現実を踏まえるとその逆で、常時冷蔵庫にある材料を把握しておいて、保有している材料で作れる料理を選択し作ることであるのかもしれない。 (目的・目標)
(実施計画)
料理に使う材料は買うのを忘れないようにしなければならない。そのためにどうするのか?
一人でできないなら、買い物とか配膳は夫に頼むかとか・・
(資源、役割、責任及び権限)
またより満足してもらうために料理人の腕、料理の幅を広げるように努めることもあるかもしれない。 (力量・教育訓練)
自己満足に陥らないためには、常に何を食べたいかを聞いてそれに応えること、また食事後に評価を聞いてそれをフィードバックすることもある。 (コミュニケーション)
手順と基準であれば、ノートなどにレシピを書いておくこともあるだろう。そのノートをなくさないように保管しておかねばならない。 (文書類)
(文書管理)
料理を行うに当たっては、常にレシピを参照し、味付けなどは計量して行うこと、煮炊きの時間は測定することなどがあるだろう。 (運用管理)
カツを作ろうとしてパン粉がないと気が付いたときは、あわてず別のものにチェンジすることも想定しておかなくてはならない。 (緊急事態)
常に味をみて調整をはかり、とんでもないものにならないように気を付けなければならない。 (監視及び測定)
そして失敗したときは原因を調べて、レシピに注意事項を追記しておくべきかもしれない。 (是正処置・予防処置)
(記録の管理)
ときどきは食べる人の苦情や失敗を省みて、料理の味が向上しているか、トラブルが減少しているか振り返り対策を考えることも必要だろう。 (順守評価)
(内部監査)
定期的に上記項目を踏まえて今度の方向を考える。 (マネジメントレビュー)

こういったことをしなければ料理は作れないのだろうか?
そう考えると、どうもそうじゃないように思うのは私だけだろうか?
まず、「料理方針」から「マネジメントレビュー」まで羅列してみたが、これらの一部あるいは全部が欠けても料理は作れるということに気がついただろう。
だって当たり前だよね、マネジメントシステムとは物事をすることではなく、物事の進め方を管理することだけだから。
ISO14001:2004の4.4.6が運用管理であって運用でないこと、ISO9001の製品実現でも製品を実現する方法ではなく、製品を実現するための管理を定めていることはご存じのとおり。
マネジメントシステムはすばらしい劇場は保証しても、すばらしい演技は保証しないのだ。

では冒頭に書いたことを考えてみよう。
品質にしろ、環境にしろ、情報管理にしろ、最近ではエネルギー管理にしろ、マネジメントシステムを作れば改善が進みあるいは良い状況が維持できるのだろうか?
答は明白だ。
品質にしろ、環境にしろ、情報管理にしろ、最近ではエネルギー管理にしろ、マネジメントシステムを作れば改善が進みあるいは良い状況が維持できることはないというのがその回答である。
品質にしろ、環境にしろ、情報管理にしろ、最近ではエネルギー管理にしろ、マネジメントシステムを作れば改善が進みあるいは良い状況が維持するための背景は確立されるかもしれないが、実際にそれを行いあるいは改善を進めていくのは、その固有技術であり、確固たる意思が必要である。
言い換えると、固有技術があり確固たる意思があっても、その活動は長続きしないことはあり得る。そのとき固有技術や意思が風化することを防ぐためにマネジメントシステムが必要なのである。
ちょっと待てよ、そんなことは今更考えるまでもなく、10年も前からISO14001:2004の序文に書いてあったじゃないか。

うそ800 さて本日の結論である。
マネジメントシステムを見直して良い製品を作ろうという人がいる。だがそれは残念ながら間違いである。ISO審査員にはそういった間違えた考えの人を多く見かける。
既に良い製品を作る力があるとき、その状態を維持するためにマネジメントシステムを見直すことはありえるだろう。だが元々良い製品を作る力がなければ、マネジメントシステムをいかに改善しても良い製品をつくることはできないのだよ。
品質にしろ、環境にしろ、情報管理にしろ、エネルギー管理にしろ、削減を進めようとするなら、マネジメントシステム規格を作るのでなく、固有技術をつけようとか新技術を開発しなければならない。
ISO業界の皆さん、つまりISO-TC委員の方、認定機関、認証機関、審査員、審査員研修機関、審査員登録機関の方々、もうISO規格を作ったり認証するなんてことを止めて、固有技術を開発し教育することをしたらどうでしょうか?
そのお仕事は終わることがないし、社会から喜ばれることは間違いありません。
そしてオママゴトに堕することも決してありません。
コンプライアンスとかパフォーマンスなんて、わざわざいうこともありません。そのものズバリですからね ♪

うそ800 本日の反省
本日のタイトルを「だめおしマネジメントシステム」としてみたが、そうではなく「とどめマネジメントシステム」の方が良かったか?
「だめおし」とは、既に結果が見えているときに、さらに念押すこと
「とどめ」とは、相手を斃したあとに刀を心臓などに突き刺すこと
ファイル名

うそ800 本日の暴露話
先日書いた駄文に、N様からコメントが付き、それにお応えを書いたのですが、書きたらずこれを書いたわけです。オソマツ


名古屋鶏様からお便りを頂きました(2013/3/31)
鶏も台所は長いですが、やはり計量はしませんね。メンドイですから。なので体調がいいと勝手に濃い味になりますし、不調だと自動的に薄味になります。ボーッとしてると材料を入れ忘れることもあったりw
ちなみに母親も計量しないヒトでしたが、その母親も「よい加減にいれるじゃわ」のひとでした。そういう家系なのでしょう。

名古屋鶏様 毎度ありがとうございます
ISOが目的でなく会社を良くするのが目的であるのと同じく、計ることが目的ではなく、おいしい料理を作ることが目的です。
鶏様は計量せずともおいしい料理を作る達人で、家内は計量せずにまずいものを作るズボラ人間、私はといえば計量してもまずいものを作る未熟者ということかと・・

 計量する計量しない
料理が上手凡人達人
料理がへた未熟者ズボラ


N様からお便りを頂きました(2013.04.01)
マネジメントシステムだめおしのリプライの表
計量できないを入れると「資格なし」が入るのかな?

これはこれはN様、そのようなケースは想定外でありました。
何が起きても想定内を連発していたホリエモンが塀から出てきましたので、今後は大丈夫でしょう。
ご指摘いただきまして、マトリックスの修正案を提示します。
資格なしでは風流ではありませんので、未熟の前の若芽ではいかがでしょうか?

 計量する計量しない計量できない
料理が上手凡人達人天才
料理がへた未熟者ズボラ若芽


initail A様からお便りを頂きました(2013.04.01)
佐為さま こんばんわ。
initail A です。
「家庭で料理する時のマネジメントシステム」非常にわかりやすかったです^^
なにより「すばらしい劇場は保証しても、すばらしい演技は保証しないのだ」という言い回し、是非使わせてもらおうと思います。
私風にアレンジしてみますと、「レストランのマネジメントシステムは店内の雰囲気は保証されても、味は保証されないのだ」とかと考えてみましたが、あってるでしょうか?
そして最後のマトリックス、「私たちのような料理をしない人」を入れるとどうなるのでしょうか?

initail A様 毎度ありがとうございます。
その1はどうぞどうぞ
その2
マネジメントシステムは形あるものしか保証しません。
つまり建物や食器の存在は保証するでしょうけど、そのお店の雰囲気が良いかどうかは味と同じく固有技術やサービス精神によって醸し出されます。なんとも・・
その3
料理をしない人ですか・・・・難しいので考えると知恵熱が出るのでやめます。



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