異世界審査員101.減災作戦開始

18.07.19

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

今(2018年7月時点)まさに西日本豪雨災害で、死者・行方不明者が200名を超えた。またタイでは洞窟に探検(肝試し)で入って遭難した13少年の救出が話題になっている。自ら危険にチャレンジしたのと生活の場を大水が襲ったのは違うが・・・
災害 災害に備えろとよく言われる。その中身は、非常持ち出しするものを決めておくとか、避難場所を確認しておくというのが定番だ。
だがそれよりもなによりも【災害にあわないようにすること】が最重要課題だろう。災害を避けることができるのかと反論されそうだ。一般論では何とも言えないから、具体例を挙げる。

終戦になって私のオヤジは故郷に帰ってきた。とはいえ実家を頼ることもできず、オヤジはなんとか中小企業に職を得て、引揚者住宅というところに住んだ。当時は満州や朝鮮から引き揚げてきた人や戦争から復員してきた人がたくさんいて、そういう人のための安普請の住宅が作られた。安いだけあって屋根は杉の皮、天井はなく、6畳一間と台所と便所だけだ。
その引揚者住宅で下の姉と私が産まれた。引揚者住宅が建っていたとこは阿武隈川という結構大きな川のそばの元々は田んぼだったところで、大雨が降るとすぐ水が上がった。とはいえ他に土地がないからか、町はそこに引揚者住宅を作ったわけだ。
オヤジはそこが危ないと気が付いて、私が生まれてすぐにそう離れてはいないが少し高台の引揚者住宅に空きを見つけて引っ越した。私は結婚するまでそこに24年間住んだ。その24年間に以前住んでいた引揚者住宅は3度床上浸水した。そして私が結婚した後に、そこは危ないからと一切の住宅が撤去されて遊水地になり、グラウンドや公園など町の施設が作られた。もちろん1970年代になると引揚者住宅が不要になったこともある。
更に40年以上経った数年前、田舎で元同僚のお葬式に参列した際、会社の大先輩に会った。どこにお住まいですかと聞くと、なんと私が産まれたあの危険地帯に家を建てて住んでいた。そこは今は遊水地ではなくショッピングセンターや住宅地に変貌していた。余計なことは言わなかったが、大先輩ご存命の内にまた洪水が起こるだろう。なぜ町はまたそこに建築許可を出すようになったのだろう。多分、過去何10年も洪水がなかったからというのだろう。

1986年、子供たちも小学生となり、自分の部屋も欲しかろうと家を買うことにした。当時家を建てたばかりの同僚にどこがいいかと相談した。すると彼はどこがいいか分からないが、晴れた日だけでなく雨の日の様子も見ていた方がいいという。その後、気に入った中古物件があったので、雨の日に見に行ったら、その家の前の道路が冠水していた。これではいかんと思ったが、場所が気に入っていたので、その周囲を探したら似たような売家があった。そこは道路から階段を3段のぼった敷地だったのでそこにした。
ある年大雨が降り最初良いと思った家は床下浸水になったが、私の家は玄関の階段が1段水に浸かっただけで済んだ。そこに12年住んだ間にそんなことは1回きりだったが、雨の日に見に行った甲斐はあった。
後で知ったのだが、私の家のところには農家が建っていたという。なるほど、昔から何代も住んでいた農家の人は、大雨でも被害を受けないところに家を建てていたということだ。

通りすがりに家々を見ていると、火災、地震、大雨のとき危ないんじゃないか、あるいは車が飛び込むんじゃないかとか、いろいろ心配になることがある。家を買うなら、火災になっても逃げられる、地震が来ても大丈夫、車が飛び込む恐れのない所にすべきだろう。
東日本大震災で浦安市の液状化被害は全国的に有名になったが、液状化したのは浦安だけではない。市川市でも船橋市でも習志野市でも千葉市でも起きている(注1)それも海岸だけでなく内陸部の野田市や我孫子でも印西市でも液状化は起きた。実は、そういうところは大震災以前からハザードマップにちゃんと危険だと書かれている。家を買うならそういうところは避けるべきだ。2018年の大雨で洪水になった倉敷市真備町の水害を受けたところとハザードマップが完全に一致していたのには驚いた。この災害対策は、まずはこの地区への建築制限ではないのだろうか。

定年後に趣味の会でできた友人の話。彼は浦安にマンションを持っていたが、建設関係のお仕事だったので埋め立て地である浦安は危険だと常々感じていた。それで2000年頃に習志野に引っ越した。浦安というのは当時住宅地のブランドとして最強だったこと、まして習志野と言っても津田沼近くでなく山手の方なので、当時は奥さんもお子さんたちも激怒したという。しかし東日本大震災で浦安が液状化して以前住んでいたマンションが損壊してからは、奥さんは自分が考えて習志野に引っ越したと記憶を改ざんしていたと友人は笑っていた。

私の住んでいるマンションの周辺には「○○貝塚」という地名が多い(注2)日本に貝塚は2,700か所以上あるそうだが、そのうち770が千葉県にあり貝塚ランキング1位である(注3)千葉の地形はリアス海岸で縄文海進時代には海岸線が複雑に内陸に食い込んでいた。三陸などはリアス式でも急峻なので海面が上下してもあまり海岸線が変わらない。だから昔も今も人が住んでいる地域が変わらない。
ともかく我が家のあるところは縄文海進時代でも陸地であり、これから温暖化が進もうと陸地である。実を言ってここを買おうといったのは家内で、家内はマンションを探すとき物件の所在地をハザードマップと見比べていた(注4)普通の奥さんは土壌汚染・地下水汚染があると拒否反応を示す人が多いが、海抜とか過去の土地利用まで考える人は少ないようだ。
元同僚は平井にマンションを買った。広さは我が家と同じだが、お値段はほぼ倍だ。それはともかく、地図で見るとそこは標高マイナス2mである(注5)基準海面より2mも低いのだ。私はとてもそこに住む心臓は持ち合わせていない。


7月16日

■■新聞 号外

山本権平内閣成立
閣僚は以下の通り
内閣総理大臣 山本権兵衛、外務大臣 山本権兵衛兼務、内務大臣 後藤新平、大蔵大臣 井上準之助、陸軍大臣 田中義一、・・・・・




7月19日 作戦開始
関東大震災というのは関東地方に地震が起きて大災害が起きたということだ。それで発生する前に地震対策のために作られた組織は「東京大地震減災作戦」と命名された。
総指揮官は内務大臣に就任した後藤新平である。内務省は警察、消防、建設を管轄しているから主催者になるのは当然であるが、その他文部省、陸軍省、海軍省、枢密院、宮内省、司法省、農商務省、逓信省と結局全省庁が参画している。

後藤大臣から、大地震が起こる可能性、今までの検討結果、対策の実施状況などを説明したのち、各省庁の検討事項、実施事項が指示される。
内務省はもちろん陸軍、海軍は過去2回の防災訓練に参画しており要領は理解していたが、司法省や逓信省などは計画を聞いて驚くばかりである。
地震が起きたら早急に戒厳令を敷くこと、官僚、軍隊、消防は近隣県からの応援を求めること、避難施設は8月25日頃には構築することなど挙げられた。


7月23日

■■新聞 号外

内務省は7月23日に、8月下旬から9月中旬の間に関東地方に大地震が起こる可能性が大きいと発表した。
以下、公告文を転載する。


文部省中央気象台及び皇国大学など関係機関は最近の地震発生、大島三原山の噴火、地下水の変動などを観測した結果、東京府並びに横浜市及び川崎市など関東平野とその周辺に近く大きな地震が発生すると予測したので、これを公表する。
発生は8月下旬から9月中旬と予想するが、具体的日時は不明である。
政府関係機関は避難や防災などについて検討中であり、漸次対応を発表するので、該当地域にお住まいの方は、今後の政府や県知事が発する種々勧告や命令に注意し、それらに従って行動することを望む。
以上
1923年7月23日
内務省 大臣 後藤新平



7月24日

■■新聞 社説

昨日、内務省は大臣名で大地震が間もなく起きると公表した。内務省が発表することであるから相当な根拠があると窺い知れる。
しかしここで疑問が湧く。昨年、一昨年と内務省と東京府が主体で防災演習を行った。しかもそれは9月20日であった。このことから内務省は2年前から今年大地震が起こることを察知していたのではないか。であればそういう事実と対応を早め早めに国民に知らせるべきではなかったのか。
事業に携わっている人々は工場建設や投資において、地震が起こることの情報が得られていればより的確な判断ができたはずだ。今回の公表で巨額の損失が生じると気が付いた事業家は少なくはないだろう・・・・



7月24日朝
政策研究所である。中野、米山そして幸子がいくつもの新聞を読んでいる。彼らも人の子、噂話や新聞報道を気にするのはしかたない。

米山
「新聞というのは常に上から目線で批判ばかりするものですね。自分は絶対に正しい、いや自分は神だと思っている」
幸子
「私の世界でもそうですよ。向こうの世界では新聞だけでなくラジオやテレビがありますが、報道関係者はみな自分は正しく賢く、一般人はバカだと思っています」
中野部長
「それじゃ人々はみな洗脳されていきますね(注6)
幸子
「新聞、ラジオ、テレビというのは一方的に情報を送り出すだけです。私の世界ではそれらをオールドメディアと呼びますが、その情報発信の非対称性から捏造や偏向報道が容易く、国民を操縦しようとする権力はそれを掌中にしようとします。
しかし1990年後半からのインターネットを使ったニューメディアは情報発信の垣根を低くして情報発信が対称になったことにより、オールドメディアが国民を洗脳することは困難になりつつあります」
中野部長
「なりつつあるとはまた奥歯に物が挟まったような言い回しだね」
幸子
「高齢者はオールドメディアを信じる人が多く、オールドメディアはニューメディアを貶めて、今まさにオールドメディアとニューメディアの熾烈な戦いなのです」
米山
「お話を聞くと、オールドメディアが強いと全体主義になりやすいように思います」
幸子
「まさしく、私に言わせればオールドメディア死すべしです」
中野部長
「この世界もまさしくそれと同じだ。新聞が国民を扇動している感が強い。中国やロシアとの戦争も、新聞が焚きつけて起こした」
幸子
「インターネットのないこの時代、いかに双方向の情報交換ができる仕組みを作るか、難しい課題です」

7月24日朝
新潟県某所 山梨工業の社長宅である。社長夫婦が朝食の後、コーヒーを飲んでいる。ドロシーのお腹が膨らんでいるのは赤ちゃんができたのだろう。

ドロシー
「ジョー、今日の新聞読みましたか?」
山梨社長
コーヒー 「今、読んでいるよ。関東地方に近く大きな地震が起きるらしいね。東京では昨日号外が出たそうだ。東京にいたら一日早く知ることができた。やはり新潟では世の中の動きに遅れるな。東京に進出していれば良かった(注7)
ドロシー
「ジョー、何言ってんの! 2年前の今頃、伊丹さんのお宅でごちそうになったときのことを覚えている?」
山梨社長
「すまん、忘れた。なんだっけ?」
ドロシー
「しっかりしてよ、あのとき東京に工場を作りたいと言ったでしょう。だけど伊丹夫婦に止めなさいと言われたの、忘れたの?」
山梨社長
「あっ、思い出した。そう言えばあのとき強く反対されたね」
ドロシー
「伊丹夫婦はあのとき既に、地震のことを知ってたに違いない。だから私たちを止めたのよ」
山梨社長
「そうだったのか。もし投資していれば工場が完成してすぐ地震で壊滅だったかもしれない。伊丹さんにお礼をしなくちゃならないね」
ドロシー
「ジョー、しっかりしてよ、そんなことしたら伊丹さんが秘密を漏らしたことがバレちゃうでしょう。なにもしてはいけないわ」
山梨社長
「えっ、それじゃ恩を返せないよ」
ドロシー
「いいのいいの、慌てずに将来的に恩を返せばいいの。でもジョー、あなたもう少ししっかりしてくれないと困るわ」


7月25日
ニューヨークニューズ紙
扶桑国内務省は7月23日(東部標準時22日)に今月下旬から来月中旬の間に、扶桑国の首都であるトウキョウシティに大地震が起こると発表した。
本紙はマサチューセッツ工科大学の地震研究をしている○○教授にインタビューした。以下、その要旨である。

「地震予知は今だ不可能である。それは地震発生の理屈が解明されていないからである。扶桑国がそのような発表をしたということは、科学的な方法ではなく東洋の神秘である占術によるものではないか。いずれにしても科学的な根拠に乏しく信頼できるものではない。これから2か月間、生暖かく眺めようではないか」
以上○○教授のコメントでした。


7月26日
ここは内務省会議室である。後藤大臣を始め関係者が20名ほど集まっている。

後藤新平
「先日の「東京大地震減災作戦」第1回打ち合わせから1週間が過ぎた。
内務省の担当業務の進捗はどうだろう?」
お役人
役人A
「避難の手引き(案)を作りました。今現在関係部門で検討中です」
後藤新平
「どれどれ・・・うーん、布団や衣類など可燃物があるとそれに火がついて死者が多くなると言われている。逃げる時はお金や位牌などに限定し、あまり荷物を持たせないこと、避難者が自動車や荷車の利用、布団やこおりなどを持っている場合は警官、軍人は即放棄させることを明記してほしい(注8)従わない者は処罰する」
お役人
役人A
「承知しました」
お役人
役人B
「江戸時代と同じですね」
後藤新平
「そうだ。まあ消防官の指示に従わない者を切り捨て御免とはできないがな。
ああ女性は避難する時は、モンペを着用するように追記してくれ(注9)
お役人
役人B
「モンペですか? そりゃ嫌われますよ」
後藤新平
「嫌われても人殺しと呼ばれるよりはよろしい。そう書きなさい」
お役人
役人A
「大臣から参考用に見せていただいた関東大震災史では死者はいくつかの場所で大量に発生しています。ついてはそういう場所に避難しないように、また当面近づかないようにということを盛り込みたいです」
後藤新平
「避難場所はもちろんだが、新吉原の花園池対策はどうする?」
お役人
役人B
「遊郭では火事があっても遊女は逃げられないことになっています」
後藤新平
「地震発生したらすぐに警官隊を出して、遊女だけでなく男衆も一緒にまとめて強制的に避難させるよう計画してくれ。逃げるところがなく池に溺れて死ぬなんてかわいそうなことはさせてはいかん」
お役人
役人B

「忘八が騒ぎますよ」
忘八とは遊女屋の主人のこと。仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌?(てい)?の人間が持つべき八つの徳を忘れた人であることから。 仁(思いやり)義(正義)礼(習俗を尊重する)智(智慧)信(言ったことはする)忠(主人に忠誠)孝(親に従う)悌(兄に従う)で、孔子が語ったらしい。後の三つは現代では通用しないかもしれない。
後藤新平
「それを考えるのがお前だ。ハムラビ法典では火事場泥棒は火刑だったという(注10)死刑はともかく即逮捕だ。同じく避難を阻害したり、可燃物の放棄を拒否するのも同罪。
分かっていると思うが、我々がしているのは遊びじゃない、戦争だ。人命を救うために最大限考えてほしい。そして君たちが企画したことを警官や消防官や軍人に徹底させるのだ。君たちが死ぬとき、俺は頑張って生きてきたと言えるようにせい」
お役人
役人A
「戒厳令に災害出動を追加する法案です」
後藤新平
「細かくは見れん。出動した兵士の権限はどうなっているのか?」
お役人
役人A
「交通規制、避難命令、避難時の命令については巡査と同じと・・」
後藤新平
「よろしい。出動する部隊へ、して良いこと悪いことの教育をすることも書いておけよ」


ここは緊急医療の教育である。

島村医師
「トリアージを徹底してください。トリアージとは手当の緊急度合いによって治療の優先を決めることです」

 島村医師を忘れた方は

医師
「それは軍隊でもしているぞな。兵隊より下士官、下士官より士官、士官より華族様優先じゃ」
島村医師
「残念ながらそれは我々の基準とは違う。我々のトリアージは4段階に分けて優先度の高い方から治療する(注11)身分や階級に関わらずこの順序に従ってもらう。
トリアージの判定を担当するものはこの基準に従って傷病者に色のついたカードを付け、治療担当医師はそのカードの色に従い処置をする」
医師
「逸脱した場合は?」
島村医師
「戒厳令の根拠となる緊急勅令により治療に当たるすべての医療関係者は一時的に軍属扱いとなる。よって最悪死刑、軽くて医師免許はく奪だろうな」
医師
「えっ」
島村医師
「戒厳令下では陸軍刑法が適用される。敵前において上官の命令に服従しない者は死刑または禁錮10年だ (注12)
医師
「承知しました。教育において周知徹底します」
後藤新平
「あれ、島村先生じゃないか。向こうの世界とつながりが切れそうだと聞いたが、君は帰らなかったの?」
島村医師
「アハハハ、私は元々世界中の戦場を歩いて治療に当たっていました。どこで死ぬかは成り行き次第です。ここで死ぬならそれも運命です」
後藤新平
「そうか、一段落したら皇国大学の医学部教授にしてやる」
島村医師
「後藤大臣、ご遠慮しますよ。私は常に一兵卒です。教授なんかよりも南洋に憧れているのですよ。南洋諸島の病院なんかいいですねえ〜」
後藤新平
「それは贅沢な望みだ、よって叶えられん」


7月29日
さくらはいつものように27日の金曜日に伊丹邸に来て、土曜日は新宿、日曜日は巣鴨で遊んできた。日曜日の夕方、日本の世界に帰ろうとドアを開けると敷島国につながっている。コーヒーを飲んで再びトライしてもまだ敷島国だ。
嫌な感じがして新世界技術事務所の工藤社長の自宅に電話をする。

さくら
「工藤の小父様いらっしゃる? あっ、さくらです」
工藤社長
「さくらさん、なんでしょうか?」
さくら
「小父様は向こうの世界とのつながりを毎日チェックしていると聞きました。今日はいかがですか?」
工藤社長
「さくらさん、まだこちらにいたの。なぜそんなバカなことしているの。最近はものすごくつながりが悪いのですよ。昨日など20数回試してみて、つながったのは一二度だったと思いますよ。今日の状況はわからないな。実験をしている者に問合せして電話をかけなおしましょう」
一旦電話を切ってさくらは受話器のそばで待つ。20分ほどして電話のベルが鳴った。さくらは飛びつくように受話器を取る。

さくら
「伊丹です」
(さくらは伊丹邸から電話しているのだから、受けたら伊丹ですと応えるのは当然)
工藤社長
「ああ、さくらさん、工藤です」
さくら
「どうでしたか?」
工藤社長
「昨日の土曜日は24回試してさくらさんの世界につながったのは2回だそうです。それも昨日の朝のことで昼以降はだめだった。
今日は今まで17回中、さくらさんの世界につながったのはゼロです」
さくら
「ええっ、それじゃもうつながらないということ?」
工藤社長
「何とも言えませんが、過去3か月減り続けてきました。もうだめかもしれません」

うそ800 本日の懸念
東日本大震災は大変な出来事でした。そして今日、まもなく関東地方に大きな地震が起きるだろうといわれています。過去500年間にマグニチュード8クラスが6回、マグニチュード7クラスが7回起きています。関東大震災からちょうど100年ですからマグニチュード8の地震がいつ起きても不思議ではありません。
とはいえ、日時が分かったとして、私たちにできることって何かあるのでしょうか?
私はなにもなさそうな気がします。せいぜい遠くに避難するくらいではないのでしょうか。でも遠くってどこですかね?

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注1
注2
注3
注4
防災マップとも呼ぶ。水防法(下)によって市町村長は「水防法第 15 条第 1 項各号に掲げる事項を住民に周知させるため、これらの事項を記載した印刷物の配布その他の必要な措置を講じなければならない」として水害、液状化、がけ崩れなどの危険性を記載した地図を作成し配布する義務がある。
だが私の経験では配布は一回限りで、配布後の転入者やハザードマップの改定などは配布が徹底していないようだ。
参考

注5
国土地理院地図
「江戸川・中川・綾瀬川流域-1」
江戸川区ウェブサイト「江戸川区の地形」
海抜と標高は違う。標高は各国の基準海面からの高さであり、海抜はその場所に最も近い海面からの高さだそうだ。つまり高潮とか津波の危険は海抜で考えなければならず、どの山が一番高いかというのは標高で比べなければならない。もっとも基準海面は東京湾だから、平井なら海抜も標高も同じだ。

注6
「洗脳」とは中国共産党による「洗?」を1951年にエドワード・ハンターが「Brain-washing」と訳したことから、朝鮮戦争でアメリカが捕虜となった兵士が共産主義を信奉するよう死蔵教育することに使われた。第二次大戦後に中国にいた日本兵が中国に思想教育されて親中、共産主義に染まった中帰連(中国帰還者連絡会)はその具体例である。
おっと、この物語は1923年であるから「洗脳」という言葉はまだ存在していない。

注7
日本のラジオ放送は昭和天皇ご成婚や衆議院選挙速報など実験放送は1924年に行われたが、定常的な放送は1925年3月22日である。

注8
被服廠跡で逃げ込んだ38,000人のほとんど全員が焼死し、横浜公園に逃げ込んだ60,000人はほとんどが助かった。その差は被服廠跡に逃げ込んだ人たちは家財道具を大八車などに積んできて可燃物だらけであったことと、そのために隙間がなかったこと。対して横浜公園に逃げ込んだ人たちはオフィス街の事務員がほとんどで着の身着のままで可燃物が少なかったこと、更に横浜公園では水道管が破裂、公園が水浸しになり、それが火災から人々を守ったと言われる。
「実は被害甚大だった横浜の関東大震災を知っておきたい」
「横浜公園の由来碑」

注9
モンペとは農村女性の作業着であった。第二次大戦に都市の女性に着せる時、格好が悪いと相当な抵抗にあったという。戦前と言っても全体主義が通用する状況ではなかったようだ。

注10
「図解大づかみ世界史」、歴史読本編集部、中経出版、2015

注11
東京都福祉保健局「トリアージ」
第1順位【赤】生命を救うため、ただちに処置を必要とするもの。
第2順位【黄】多少治療の時間が遅れても、生命には危険がないもの
第3順位【緑】軽易な傷病で、ほとんど専門医の治療を必要としないもの
第4順位【黒】心肺蘇生を施しても蘇生の可能性のないもの

注12
陸軍刑法第57条



akitaiwan様からお便りを頂きました(2018.07.18)
シェアさせていただきました。
力作を毎回楽しみにして生きております。
防災士でもあります、わたくしは、共感するところが多く、拙ブログでも、シェアさせていただきました。

akitaiwan様 お便りありがとうございます。
不肖おばQ、防災士なるものを知りませんでした。
そういうものを学べば客観的で広い視野で防災、災害をかんがえられるのでしょうね。
私の場合は実戦というとかっこいいですが、日々の業務で切羽詰まって火事だ、漏洩だ、公害だと(以下略)
とはいえ今更学ぶというのも「老いて学べば死して朽ちず」どころか「老いても迷うばかり」ですからもう見込みがありません。
また機会あればメールください。

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