*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。
スラッシュ電機の今回の更新審査の計画表である。
日付 | 三木 | 朝倉 | 宮下 | 寒河江 | |
第1日 | AM | 本社(東京) | |||
PM | 本社(東京) | 東京⇒新潟 新幹線 信越支社(新潟) | 東京⇒郡山 新幹線 郡山営業所(郡山) 郡山⇒仙台 新幹線 | 東京⇒名古屋 新幹線 東海支社(名古屋) 名古屋⇒高松 電車 |
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第2日 | AM | 本社(東京) | 新潟⇒千歳 飛行機 | 東北支社(仙台) | 四国支社(高松) |
PM | 本社(東京) | 北海道支社(札幌) | 仙台⇒青森 新幹線 | 高松⇒広島 新幹線 | |
第3日 | AM | 関東支社(東京) | 札幌⇒旭川 電車 旭川営業所(旭川) | 青森営業所(青森) | 九州支社(福岡) |
PM | 関東支社(東京) | 旭川営業所(旭川) 旭川⇒羽田 飛行機 | 青森⇒東京 新幹線 | 福岡⇒羽田 飛行機 | |
第4日 | AM | 本社(東京) | |||
PM 15:00 終了 | 本社(東京) |
実際の審査では少しでも移動を減らすために、オープニングに集まることはなく、バラバラで審査開始するだろう。
審査員のリーダーである三木はまっとうな
寒河江審査員の第一日目はスラッシュ電機の本社で午前中三木と共にオープニングと経営者インタビューに参加し、終わるとすぐに新幹線で名古屋の東海支社に行き、そこで夕方まで審査である。
昼飯は新幹線の中で食べた。缶コーヒーを飲みながら三木の話を思い出す。今のご時世、乗り物や待合室で書類はもちろん、自分の身分が分かるようなものを出すなと言われている。だからできることと言えば小説を読むとか、頭の中で審査のおさらいするくらいしかない。
審査員の打ち合わせで三木から、ISO用語を使うな・日常の言葉で質問しろ、規格から始めるのでなく現場現実から始まれ、すべからく表のシステムでなく・運用されているシステムで審査せよとある。
それを聞いて寒河江は、そんなこと当たり前、なんでわざわざ言うのかと思った。なにしろ寒河江はベテランで並みより上の審査員だと自任しているのだ。
スラッシュ電機の東海支社は名古屋駅から歩いて数分という便利なところだ。よし厳しく行くぞと寒河江は張り切ってスラッシュ電機の受付に向かった。
支社長のインタビューはなんだか要領を得ない。支社長が言うには、審査に向けて何も準備などしてこなかった。審査員から言われたものを見せ、問われたことに答えますということである。それを聞いて寒河江は内心怒ったのである。
というのは訳がある。磯原が品質環境センターに伝えた審査を受けるスタンスは、間違いなく審査リーダーである三木に伝えられ、三木はそれをブレークダウンして書き物にして審査員3名に配り説明したのだが、残念なことであるが、寒河江は真剣に三木の話を聞いていなかったのだ。
いずれにしてもスラッシュ電機のオーデタビリティーは低いのであるが、三木は審査員になる前の営業の経験とどんな人ともコミュニケーションを取ろうとする意欲で、審査を乗り切っている。
寒河江はそれを知らなかったし、元々そんな発想はない。
さてどうなりますか?
注: auditability(監査性)とは、監査のしやすさを意味する言葉。監査性が悪いとは監査しにくいこと。
具体的には、監査を受けたことのない人を相手にヒアリングすると問いに対応した回答が返ってこないとか、審査員の言葉が理解されないなどがある。
審査員たるものは、監査性が悪いなどと愚痴をこぼしてはならない。それは設計者が難しいとか、営業が客がいないとこぼすようなものだ。
寒河江審査員にとっても支社長にとっても、なんだか要領を得ない生産性のないインタビューを終えた。これから支社の各部門の審査である。
個々の審査に入ると普通の会社ではISO事務局ですと名乗る人が対応するのであるが、寒河江審査員の前に現れたのは総務課長の川端と担当の岡田である。
岡田担当 | 川端課長 | 寒河江審査員 | |
総務のメンバー | ISO審査員 |
「本日はご対応ありがとうございます。まず東海支社の環境側面を教えてください」
「環境側面ですか? それはどんなものでしょうか?」
「はぁ! ISO規格ではまずは環境側面を把握して、重要なものを著しい環境側面と決めることから始まりますよね。それを知らないのですか?」
「まったく存じませんが」
「ちょっと待ってください」
そういえばと寒河江は思い当たることがあった。
寒河江は審査員の事前打ち合わせのときに、リーダーの三木が配った資料を引っ張り出した。A4の3ページホチキス止である。
それをパラパラとめくる。
それらしきことが書いてある。
なになに……スラッシュ電機では、環境側面を本来業務そのものとしたこと。
環境側面を「本来業務とする」とは、本来業務の中から環境側面を探すということではない。本来業務そのものが環境側面であるということだ。ものをつくる、ものをうる、ものをはこぶということだ。
それをおかしいと言ってはいけない。環境側面を考えるにも階層がある、メタ(より高次)で考えるということだ。
例えば物を作るのに電気を使うことを環境側面と考えるのか、物を作ることを環境側面であると考えるのかの違いだ。電気を減らそうというより、物を作るのをどうするかと考えるほうが多様な解が考えられるだろう。
そして社内では環境側面という言葉を使っていないこと。要するに環境に限らずな仕事というか機能については、それに関わる法規制を把握しているし、その社内での運用を規則に定めて、それに基づいて教育し、業務を執行する能力があるとみなした者を従事させているということらしい。
審査では環境側面は何か・それは管理されているかではない、審査員が環境側面とみなしたものが・管理されているかを確認しろとある。
それはISO規格の用語を使っていないが、規格要求は満たしているのだという。
しかも環境側面に限らずすべてについてそうだとある。力量とか認識とか内部監査とかすべてだ!
そんなことで規格要求を満たすことができるのかと寒河江は思うのだが、既に審査は走り出している。三木が説明した時点で質問しクリアにしておかねばならなかったことだが、今さらどうしようもない。自分の才覚で処理せねばならない。
「ああ、御社ではISO規格の用語を使わないと聞いておりました。御社のように唯我独尊なところは珍しい。審査がやりにくいですな」
「そう言われても困りますね。ともかく寒河江さんもなすべきことをしなければならないでしょう。必要なことをどうぞご質問ください」
寒河江はこの総務課長は能天気なことを語っていると、内心ブスくったもののにこやかに言葉をつづけた。
注:辞書によると『「ぶすくる」「ぶすくれる」とは博多弁で「ふてくされる」こと』とあるが、福島県でも普通に使われる。独立して発生したのか、本家・分家の関係なのかは定かではない。
「ぶーたれる」は「ぶうぶう文句を言うこと」とあり「ぶーたれる」と「ぶすくれる」は意味も違い関連ないようだ。こちらは方言ではなく全国的らしい。
「質問の表現を変えます。この支社で環境に影響のあるお仕事とはどんなお仕事ですか?」
「それは明白です。モノを売ることです」
寒河江はその返答を聞いてエッと驚いた。それは環境に影響があることというよりも、販売のために存在する支社の仕事そのものだろう。
「モノを売ることですか? 支社で使う電気とかゴミを出すことでなくて?」
「ご冗談をおっしゃる。東海支社の目的は電気を使うとかごみを出すことじゃありません。モノを売ることです。電気を使わずゴミを出さないで物を売れるならそうしますよ。
東海支社の顧客といえば自動車メーカーが第一位ですが、そこから波及して数多くの機械メーカーがあります。また以前から楽器メーカーも多く、そこで使われる木工機械メーカーも多いです。
弊社の製品はコンシューマー向けもありますが、この支社で大きな割合を占めるのは、そういった工作機メーカーや製造業全般で使われる、FA(ファクトリーオートメーション)を始めとする産業用電気機器です。
もちろんそれを製造するにはエネルギーや資源を使いますが、同時にそれを多くのメーカーに供給することによってお客様のところで多大な省エネ、省資源を実現しているわけです。ですから弊社の製品を使っていただくこと、買っていただくことが最大の環境貢献であると認識しています。ですからこの支社の最も大きな環境影響はモノを売ることです。
東海支社で1年間に販売するだけで、弊社のすべての工場が1年間に使用しているエネルギーを削減していると言われていますよ」
「ほう! それは素晴らしいことですね。
とはいえオフィスで使用する電気も減らさねばならず、オフィスから出るごみも減らさねばならないわけです。
まずはオフィスの省エネ計画を見せてもらえますか?」
「東海支社の電気削減計画というのはありません」
「えっ、ない? お宅では省エネ活動をしていないのですか?」
「我々は節電に努めております。省エネ活動ってどんなことでしょう?」
「私が聞かれても困るのですが、昨年何キロワット時使っていたから、今年はそれをいくら減らそうということですよ。分かりきったことだと思いますが」
「うーん、私どもはテナント、つまり借家人です。このビルの空調も照明もエレベーターの運転も一切ノータッチです。ビル内の省エネルールはビル管理会社から指示されており、それは周知して遵守しております。
私どもができるのはOA機器を導入するときは省エネのものを選ぶとか、省エネモードで使うとかですね」
「ええと御社は環境行動計画というものを広報発表していますね。その中で工場だけでなくオフィスも省エネを図り使用電力を減らすと語っています。
東海支社が省エネ活動していないということは、あの広報は嘘ということですか?」
「アハハハ、あっ、ごめんなさい。嘘なんておっしゃるからおかしくて
こちらが広報発表した弊社の環境行動計画です。どんな施策をして何をいくら減らすと詳細を記しています。オフィスについてはビル管理会社に協力して省エネを図ると記載しています」
「ご確認ください。弊社全体の省エネの目標値は、オフィスでそのようなことをすれば達成されると記載してあります」
「はあ〜、すると東海支社においては電気の使用は著しい環境側面ではなく、削減計画もないというわけですか?」
「ええと、環境側面とか著しいとかISO用語を使われても、私どもにとっては英語どころか火星語と同じく理解できないのですが……私どもが使っている平易な日本語で言いますと、東海支社においては電気の使用にあたっては、ビル管理会社のルールに従い節電に心がけております」
「節電に心がけるといっても、電気の使用要領とか決めてないわけでしょう。そして削減もしていない。それって大事に使っていないということじゃないですか」
「いや、私どもが独自に電気の使用要領を決めてはいませんが、ビルの管理会社から『シャチホコビルにおける電気使用について』というA4のものですが、ビルの店子に配られていて、空調の管理基準とか廊下の照明条件とか、店子の専有部分についても基準が定められています。
私どもではそれを各部屋のスイッチのところに掲示しておりまして、従業員にそれに従うように指示しております」
「でも、それは現状維持でしょう。削減計画じゃないでしょう」
注:著しい環境側面なら改善をしなければならないという要求事項はISO14001にはない。現状維持であって問題ない。著しい環境側面に要求されるのは、管理しなければならないこと。
管理とは、手順・基準を決め、教育し、力量のあるものにさせ、監視するということだ。
「確かに私どもでは削減計画を作っておりません。でもビル管理会社がビル全体の計画は作っていまして、私どももそれに協力していますよ」
「どんなことですか?」
「最近では昨年8月でしたが照明機器の更新工事のとき、お盆休み10日間ほど長期休日にしましたね。その期間に照明器具の工事をしました」
「それが削減計画になるのかなあ〜
まあ、いいです。電気はおしまいにして、廃棄物についてお聞きします。
東海支社からでる廃棄物にはどんなものがありますか?」
「東海支社から出る廃棄物となりますと、オフィスからのごみの類ですね。
OA機器、FAXやプリンタ、コピー機は複合機になりましたが、リースです。弊社は固定資産を減らそうという方向で東海支社ではできる限り資産を持たないことにしています」
「パソコンもですか?」
「そうです。弊社の子会社にリース会社がありまして、そこを使っています」
「産業廃棄物はあるのでしょう?」
「事務所の机や椅子もリースです。古いものですと働く意欲にも関わるので定期的に入れ替えますから、買い取りではなくリースが向いてます」
「事務用品や文房具にも金属やプラスチックのものはあるでしょう。そういうものは産業廃棄物になりますよ」
「もちろん産廃として出しています。でも毎月は出ませんね。細かいのばかりですから、年度末にまとめて一度です」
「収めた製品が返却されるとか試供品などを廃棄することはないのですか?」
「支社は営業だけという感じで、試作とか試供品は、工場が直接引き渡し引き取りを行ってます。支社で一旦預かるということはありますが、資産管理上ここで廃棄はしません。工場で行うことになっています」
「するとお宅の環境影響なるものは非常に小さいということですね」
「いえいえ、冒頭に申しましたように、支社の環境影響は非常に大きいです」
「エッ」
「お客様に製品へ売り込むというと聞こえが悪いですね、環境性能などの情報を提供すること、ファクトリーオートメーションについての情報提供やコンサル業務、そういうことでお客様の省エネや短納期化を図るというサービスの提供が最大の環境影響ですよ。もちろん良い影響だと自負しております」
「あ〜、そういうのはいいですから」
「あのう〜、寒河江さんは予め決めてきた筋書き通りでないと困るのですか?」
「はあ〜、どういう意味ですか 💢」
「弊社のあるがままの姿をご覧いただいて、その環境影響がどのようなものなのか、それに対して私どもが実際にどのように対応しているのかを見ていただきたいなと思っておりました。
残念ながら寒河江さんのご質問を伺いますと、あなた好みの回答以外受け入れないようで、弊社の実態を知ろうとしていないように見受けました。そのようなスタンスでは審査を依頼した意味がないように思いまして…」
寒河江は一瞬怒鳴り返したいと思ったが、ハッと気が付いて、三木の書いた説明書を改めてながめた。そこには項番順とか要求事項からスタートする審査ではなく、見たものや説明を受けたことがどの要求事項に対応するかを考える審査をするようにと書いてある。
三木はこのような対応を予測して説明していたのかという思いがしてきた。
とはいえ、もう審査も終わりで手遅れのようだ。
その後、三人は東海支社の廃棄物保管所とオフィスを巡回する。とはいえケチをつけるような状況ではない。
川端はビル管理会社が配った省エネの基準の紙を見せるが、寒河江は全く関心がないようだ。そしてほとんど質問することもなく、寒河江は審査をおしまいにするという。
最後に東海支社を審査した所見として、ISO規格要求を理解していない、ゆえに規格で求めるものが職場に展開されていないことが問題であるという。
何が不適合と言える状況でなく、要求事項を理解していないことが重大問題であることを認識してほしい。いずれ結論は最終日に本社で決定されるという。
ビル一階の受付まで岡田が見送りした。
岡田が自席に戻ると川端課長が今日の出来事をA4で1枚にまとめて本社の磯原氏に送ってほしいという。そう言った時点で川端課長はISO審査をもう過去のこととして忘れた。川端との話し合いで参考にすべきことはないと判断した。
岡田は寒河江との応答を、速記ではないがQ&Aの内容は漏れなく記録していた。それをワープロ起こしして、若干 岡田の感想を追加した。
それを添付して川端課長から聞いた本社の磯原氏宛にメールを送る。こんなもの上長決裁がいるものではない。もちろん川端課長にはCCを送る。
それから岡田は本社の磯原氏に電話をする。直接 非常に嫌な審査員だったと言いたかった。電話をすると、呼び出し音が2回鳴る前に向こうの受話器がとられた。
「はい、生産技術本部施設管理課の磯原です」
「磯原さんですか、良かった。東海支社総務の岡田と申します。こちらのISO審査は終わりまして、今お見送りしたところです。一字一句ではありませんが、Q&Aの記録をそちらに送りました。
いろいろとトラブルがありまして……」
「ちょっと待ってください。メール確認します……ええと、東海支社岡田様、あっメール来てます。添付開きますね。東海支社審査記録…ハイハイ
はあ、はあ〜、斜め読みしただけですが大変でしたね。私どもの力不足でご迷惑をおかけしました」
「いえおかしな方からの電話対応は慣れております。私が感じたことは思い込みで審査しているようで、そちらからお話があったISO用語を使わないとか規格要求を知らなくても良いということでは寒河江さんのお気に召さなかったようです。
最後に言われたのが要求事項を理解していないことが重大問題とのことでした」
「申し訳ありません。審査で嫌な思いをしたのは忘れてください。寒河江審査員が問題を提起しても、対処しますからご安心ください」
そう言って磯原は電話を切った。
岡田は磯原との応答を川端課長に報告した。そして頭を切り替えて、今日の審査のことは全部忘れることにした。
磯原は改めて岡田からのレポートを読み直す。苦笑いするしかない。これは品質環境センターに文句を言うレベルではないだろうか。
とはいえ、審査の様子を見て認証を継続するか止めるかを決めるとか山内参与が語っていたことだし、わざわざもめるようなことをするまでもないか……他の審査員はもう少しまともだといいが……そんなことを考える。
本日の失敗
審査員の移動計画をでっち上げるのに1時間かかった。嘘は書きたくないので、新幹線や飛行機のダイヤを見て辻褄合うように考えた。移動時間ばかりかかって、真面目に審査しようとしたら絶対に時間が足りない。審査員も大変だね。
自分が移動することを考えると……審査員などする気にならないよね。
私はISO審査員ではなかったが、全国を歩いて監査するのが仕事だった。夜遅く羽田について、最終のリムジンバスに乗ろうと乗り場まで走るのが辛くなって引退した。
安くしようとLCCに乗ることが多かったが、これはボーディングブリッジでなく離れたところに駐機してバスでターミナルまで移動するので、出るまで時間がかかり大変だった。
キャビンアテンダントはすてきな職業と思うかもしれない。だが京成船橋駅あたりでLCC(格安航空会社)の客室乗務員をよく見かけるが、重いキャリーバッグを引っ張って駅から安ホテルまで歩くのを見ると、我が事のように思えてならない。
本日の友情出演
懐かしき(私以外知らないだろう)川端さんと岡田嬢の登場です。と言っても今回だけですけどね。
同じ人が別の役で出演するのはおかしいと言ってはいけません。俳優は番組が変われば職業も性格も変わります。あるときは正義の味方、あるときは悪役、それでも誰も文句を言いません。
驚くことに、名作「刑事コロンボ」では何度も犯人役として出演したゲストスターがいます。
その「刑事コロンボ」のオマージュともいえる田村正和の「古畑任三郎」では、複数犯人役をした俳優はいないと思っていたが、木村拓哉が2回も犯人役をしていたとは知らなんだ。
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