エコ生活再考

22.03.31

本日のタイトルはエコ生活最高💛じゃありません。再考です。つまりもう一度考えてみるってことです。キュウリのごとく冷静にね、いえキュウリを食べてもエコ生活ではありません。

最近は「エコ生活」という言葉が、市民権を得て堂々と使われている。その証拠を上げれば、Google検索で「エコ生活」と入れてクリックすると、コンマ何秒で4,900万件ヒットした(2022.03.30時点、以下同じ)
これは少なくない。比較のために「USO800」で検索するとエコ生活の0.1%ほどの6万6千件しかヒットしないし、このウェブサイトはトップどころか11番目だ。カナシー
ちなみに「太陽光発電」で検索すると4,200万件ヒットした。「エコ生活」のほうが「太陽光発電」よりも人口に膾炙している。

会社で20年間も環境の仕事をしていた私だが「エコ生活」とはどんなことなのか、エコ生活を実現するには何をすれば良いか全くわからない。
それで今まで想像して、エコ生活ってなんだろう?とか、真面目に考えたエコ生活とか、不真面目に考えたエコ生活なんて駄文を書いてきた。
今回は一歩進めてエコ生活に精進するのと、エコ生活なんぞしないぞ!と反旗を翻したのではどれほど違うのだろうかを考えてみたい。


4,900万ものウェブサイトやブログが「エコ生活」を語っているが、確立された定義はないようだ。
法令では「エコ生活」なる言葉は使われていない。環境省は「エコライフ」という言葉を使っているが、「エコ生活」と「エコライフ」が同じか違うかも分からない。
おっと環境省では「エコライフ」を定義していない。

注:法令とは通常、法律・政令/施行令・省令/省規則をいう。憲法・条例を含める場合もある。


ウェブサイトにあるエコライフを説明した文章をいくつかあげる……紫色の文章が原文

ここではGoogleで上位4位までみたが四者四様で、要するに見解が一致した定義はない。
四者をひっくるめて最大公約数をとれば「地球環境への負荷を減らす暮らし方」らしい。ともかく本日の議論を進めるうえでエコ生活をそう定義する。


ところで環境に負荷をかけないという一般方向(注5)はわかったが、そのレベルというか要求水準がわからない。10点も90点も一緒くたでは訳が分からないから、とりあえず我々が暮らしの上で環境配慮しているレベルの違いで次のように区分してみよう。

生活における環境配慮レベル
レベル概要罰則規定努力義務自主的活動
ゴールドレベル守るだけでなく改善を進める
シルバーレベル努力義務も遵守・慣習を尊重×
ミニマムレベル罰則のある法令のみ遵守××
アウトロー見つからなくちゃいいのさ×××

注:レベルの名前は特に意味はない。優・良・可・不可でも良い。

アウトローレベル以外は、程度の差はあれ環境配慮していることは間違いない。ではエコライフとは上表でどのレベルなのだろう?

少し解説するが表中にある罰則規定といってもいろいろある。窃盗は犯罪であり懲役10年以下、罰金50万円以下の罪になる。
タイーホ 環境で窃盗とはこれいかに? なんて言ってはいけない。
ゴミ捨て場からものを取ってくるのは窃盗になる。もしそのとき止められても手を振り払って逃げれば強盗になる。強盗の場合は懲役5年以上になる。
捨てたごみなら良いじゃないかと驚かれても困る。
通常、市町村が家庭ごみの手順を定めた条例には「家庭から排出された廃棄物の所有権は、〇〇市/町/村に帰属する」と記述されている。家庭ごみを集めて処理するのは自治体の責務となっており、家庭から出されたごみを第三者が持ち去りとか処理をしてはいけないのだ。万が一ゴミを持っていき、良いとこどりしたのち不法投棄などされると市民も行政も被害を受ける。
実際に売れるもの(新聞紙など)とか、使えるもの(家電品など)を持っていくのが見つかれば逮捕されてときどきニュースになっている。

罰則規定のない法律もある。離婚して慰謝料を払わなくても罰はない。つまり刑務所に行かなくてもよい。
環境関連でも市の定めた分別を守らなくても罰金というところは少ないと思う。せいぜい近隣住民からちゃんしろと嫌味を言われ、それでも守らないと町内会長あたりからお叱りと監視を受ける。まあ評判が悪くなっても気にしないで居着くとなるとアウトローとしか言いようがない。
最終的に見放されると村八分とかごみを出すなと言われる。交通事故と同じく刑事上の責任でなく行政上の責任と類似かもしれない。

我々は近隣住民ともめないようにかつ手が後ろに回らないように、環境に限らず最低でもミニマムレベルで暮らしていると思う。場合によってはアウトローレベルのことをするかもしれない。とはいえ場合によってはというのは、周りに人がいなければ赤信号でも横断するとか、道に落ちていた千円札をありがたくいただくことはあるだろう。だが常にアウトローレベルでは世の中渡っていけない。


では上の表でエコ生活とはどのレベルだろうか?
アウトローレベルは対象外として、三つのレベルのどれなのか考えてみよう。

家庭で守らなければならない罰則ある法規制となると、実はあまりない。
雪国で400リットルの石油タンクを備えていれば、消防法の規制がかかる。
石油でなく薪を大量に備蓄しているなら、10m3以上になると指定可燃物に該当する。50m3以上となると届け出が必要となり、もし届け出が受理されない⇒ダメなら保管できない。10m3とは2.2m四方で高さ2mで、50m3とは5m四方で高さ2mで該当する。
植木鉢 マンションの共有部分に、自転車とか植木鉢を置いたりするのもアウトだ。
まあ、その程度では起訴とか有罪ということはないだろうけど、薪にしろ共用部分へ物を置いたにしろ、火災が起きたならただでは済まないだろう。

罰則のない規制とはどんなものがあるか?
例えば「建築物のエネルギー消費性能の向上に関する法律(建築物省エネ法)」では、建築主の義務として、エネルギー消費性能(早い話が断熱だ)を一定以上にするなどがある。要するに壁の断熱材を薄くして安くあげてという依頼はできない。但し罰則はない。

国民の義務ではないが推奨されているものとして、省エネ法で定めるトップランナー制度などを考慮して家電製品を選択することなどがある。LED照明を使えというのもこれに入るのだろうが、現実には白熱電球も蛍光灯電球も製造は終わってしまい消費者に選択の余地はない。

つらつらとそんなことを考えると、暮らしの中で環境配慮しようとしても、選択の余地がないというか、自由意思でできることがないのではないだろうか?

そして最終的に省エネ・省資源をしようとすると、モノを持たないことしかない。
エコドライブしますといっても、車を持たない人には勝てない。ハイブリッド車の燃費が良いといっても製造時のエネルギーや資源を考慮すとガソリン車とどっこいだろうし、電気自動車なら電力供給の観点から大外れとしか思えない。電力事情逼迫時には電気自動車走行禁止なんて出るだろうと確信する。まさか家庭を停電にしても電気自動車走行を認めることになれば政権崩壊だろう。
家の照明をすべてLEDに変えましたと言っても、削減した電力量は微々たるものだろう。高効率家電に更新しても、古いものを大事に使ったときに比較して自慢できるほどのことはない。

じゃあ何もしなくても良いのかとなると、現実問題としてゴールドレベルまで張り切っても、肩の力を抜いてミニマムレベルで生きても、差異はほとんどないというのが私の見解だ。
ハイブリッド車 例えば月1000キロ走るとき、エコ運転に努めリッター当たり1キロ伸ばしても、20キロが21キロになる程度だから、使用量が5%減る程度だ。
家じゅうの蛍光灯電球をLEDにしても月の電気代8,833円(2017年日本の一般家庭平均)が440円は下がらないだろう。もちろん電気代減少分がそのままプラスになるわけでなく、電球更新などの費用を回収しなければならない。

5%が大きいかどうかだが、CO2排出量を半分にしろとかゼロにしろという時代だから、五十歩百歩ではないのか?
つまるところ環境配慮の効果は金銭でみればほとんどない。
ドラスティックな変化には対応もドラスティックでなければならない。私は車を持っていないが、仮に保有していたら、時代が変わったと認識してエコカーなるものを買うのではなく、スパッと車所有を止め非常時はタクシー利用という選択をするだろう。保険も不要、自責の事故の心配もない。

ゴールドレベルはボランティア活動をして差をつけていると思うなら、それも間違いだ。
マングローブ植林とか砂漠を緑化しようとツアーに参加すれば、移動の飛行機のCO2排出がボランティアの植林の効果よりはるかに大きいだろう。
アルミ缶やペットボトル回収などは市のルーチンワークに取り込まれているわけで、わざわざ余計なことをしてはいけない。

ボランティア活動をしてシルバーレベル、ミニマムレベルの差を付けようとしても、その差は大きくはなく、ケースによっては逆に悪化することもある。
それらを踏まえると、我々は高尚な意識高く生きることはなく、ミニマムレベルのことをすれば完ぺきに近いように思える。


もっと細かい話になるが、家庭から出るごみを減らそうとしても減るはずがない。我が家の燃えるゴミ袋の中は次のようなもので、減らす方法(案)を付記しておく。

ごみを減らすおばQ案
ごみの種類削減方法備考
冷凍食品の袋冷凍食品を食べない料理できない人はどうするの?
カップ麺の袋カップ麺を食べない家内がいないと餓死してしまう
果物や肉などのラップスーパーでラップをはがすラップのごみが家庭で出るかスーパーで出るかの違いだ。
大根の切れ端切れ端も食べるスーパーや農家で切り落としても、ごみ発生場所が変わるだけ
リンゴの皮皮をむかないで食べるリンゴならともかくキウイは無理
スイカは皮も食べるのか?イチゴのヘタはどうするの?
豚肉の脂身脂身でろうそくとか石鹸を作る(笑)大量ならともかく、二人分のカツを作るとかベーコンの大きめの脂身をどうするというね?
調味料の容器容器も食べるガラス瓶からポリ袋にしてもゴミは出るしねえ〜
コーヒーフィルター
コーヒー
フィルターを使わずコーヒーの粉ごと飲む茶こしというアイデアもあるだろうが、その場合は単なるろ過でなくお茶同様にコーヒー粉とお湯を静止状態に置かないとならず、その時間によって味がばらつく。
おっと、キッチンペーパーという案は却下、だってコーヒーフィルター代わりにキッチンペーパーがゴミに出る。
使用済テッシュペーパー乾かして再利用ハンカチという案もあるけど、私は嫌いだ
穴の開いた靴下、シャツ家内はシャツを縫い合わせてエコバッグにするのだが、それも溜まりつつある。
洗剤やシャンプーの
詰め替え用プラ容器
シャンプー使用を止める私の子供時代シャンプーはなかった。あの頃に戻れば無問題、髪の毛ゴワゴワになるけどね
使い捨てカミソリ髭をそるのをやめて伸ばす使い捨てカミソリを使うなと言わないで。今のカートリッジ式カミソリはみな使い捨てだ
使用済歯ブラシ歯を磨くのを止めるファクトフルネスにありましたね。貧しければ1本の歯ブラシを家族で使うって、あなたできますか?

バカバカしいので考えるのを止めよう。
なぜこのようなことを書いたかというと、各市町村が家庭ごみの出し方のガイドブックを配布して、ごみの分別や出し方を指導している。現実問題として市町村の決まりを守っていれば、それ以上のことをしようとしてもできることはあまりない。
燃えないゴミ
なもの我が家では、年に15リットルのポリ袋ひとつにもならないよ。

いろいろ考えると、前にあげた表でいえば、ゴールドレベルもミニマムレベルもほとんど変わらないのではないだろうか。言い換えれば罰則のある法令/条例を守れば十二分だと思える。

それから考えるとエコ生活とは、最低限罰則のある法規制を守るだけのことになる。更なる高みを目指してシルバーレベル、ゴールドレベルに進むことはない。
となるとエコ生活とかエコライフというものは、ミニマムレベルのことなのか、それとも意識高い人の浮世離れしたことなのかの二択である。


じゃあ、じやみんな何もしなくてOKで、誰もかれもがエコ生活をしていると言えるのかとなればそうではない。
まっとうでない暮らしをして環境運動をしている人はたくさんいる。
大豪邸に住んでいるゴア元副大統領なんてエコ生活をしていないと断言できる。大豪邸を建てたとき資源の無駄使い、エネルギー消費がとんでもないと批判された。その後必死に太陽光パネルをつけて、屋敷の電気を太陽光で自家発電していると自慢していた。
ちょっと待ってくれ。
その太陽光パネルを取り付けることよりも、そんな大豪邸が必要なのかどうなのか? その一点だけでエコ生活ではないと私は断じる。

そういえば大西洋を太陽光発電のヨットで横断して国連で演説した女の子がいた。
ぐれたお嬢さん ところが帰るときにヨットが故障とかで、飛行機で帰ったそうだ。帰路では特急で座る席がなかったとか騒いで嘘つき騒ぎもあったらしい。
まっ、それはともかく、国際会議で発言するために大西洋を横断するなら、何もせずに自宅で読書でもしていたほうが環境に良いことは間違いない。 この女の子は食い物でもいろいろ突っ込みどころがあって可愛い。
これから本当のエコ革命が起きれば、お二人は身の証を立てる必要はあるだろう。


話は変わるが、エコ生活でググると、「昭和に学ぶエコ生活」とか「江戸時代に学ぶエコ生活」「もったいない実践 エコ生活」なんてのがゴロゴロある。
昔を懐かしむのは結構だが、そういうことを語る人は昔に帰れるのか?
帰れるはずがない
1964年東京オリンピックの時、汚れ切った隅田川をなんとかしろ! 汲取り車をなくせ! という大騒ぎがあった。
河川の浄化、下水道などはそれ以降整備されてきたのだ。田舎の話ではない。大東京の話だ。
トイレット そして21世紀の今、地方都市がやっと下水道を整備しているのだ。
あなたは汲取り便所を使ったことがあるのか?
となりのトトロの時代はみな汲み取りだった。臭いよ!
地下鉄がなくて路面電車だった。路面電車の多くが廃止されたのが1972年だ。交通渋滞大変だったよね。
そういうのを知って「昭和に学ぶ」とか「江戸に学ぶ」と騙っているのだろうか?
間違っても石川英輔なんて本気にしてはいけないよ、あの人、妄想だけで昔の実態知らないんだから。本を読んでいてあほらしくなる。

あなたはスマホを持っているだろう。2010年頃はスマホはなく携帯電話だった。当然LINEもなければアプリもなく、不便極まる。
2000年頃、携帯電話は高くて学生はPHSだった。電波は途切れやすく、着信音は単調で多くの人は週刊誌などを見て和音のない曲をひとつひとつ音符をインプットした。
1990年以前は携帯電話の類はなく、用があれば家の電話をするか、人に聞かれるのが嫌なら相手の家まで行った。
今の生活の便利さを捨てることができる人はまずいないだろう。


ここまできて気が付いた。
エコ生活とかエコライフといっている組織・機関によって、意味するところが多様だということだ。前述の大船渡市や福岡県は決まりを守って暮らそうよという意味にとれる。ということは決まりを守らないアウトローが大量にいるのだろうか?

他方、EICネットの内容は何らかの行動を起こすとか、環境省は取り組みというのだから、言われたことを守るだけでなく地球に良いこと(どんなことかは分からないが)を通常の暮らし・行動だけでなく積み重ねなければならないと受け取れる。
つまり意識高い系は地球環境を思いやってガンバローというのもあり、自治体では条例というか具体的にはゴミ出しの決まりを守ってねというものもある。

昔から日本では「すべての仕事は道に通ずる(注6)と言って、日々の暮らし・仕事を務めることが宗教の務めであり極楽に行けるという教えがある。武術、芸事、趣味、博打にさえ○○道があるのはその表れだ。
「世に生を得るはことを成すためにあり(注7)といっても、日々の暮らしの先にそれがあるのか、日々の暮らしを打破して成すのかの二通りの受け止め方がある。人間そんなにいろいろなことはできないし、今の暮らしを捨てて大義に殉じるなんてことでもないだろう。

意識高く己が地球を救うなんて勘違いをすることなく、定められたことを守るだけでも一市民レベルなら十二分にエコ生活なのだ。
いや、粋がってもボランティア活動に努めても、日々平穏な暮らしをしても、その環境影響は大差ないなら無理なことをすることもない。国連まで演説に行っても、はた迷惑なだけだ。
ならば、エコ生活とかエコライフなんて言葉は不要ではないのか?


うそ800 本日の 〆

エコ生活の第4弾でございました。
言いたいことは常に同じで、エコ生活ってなんぼのもんじゃ? 人間真面目に暮らしいれば良いということに尽きます。
高い理想を持つのも結構だが、現実社会は種々の問題を受け一般方向としては環境負荷低減、人々の安全衛生の向上方向に進んでいるのだ。ギャーギャー騒ぐことはない。いや余計なことをすると無用なロスが生じるだけ。

おっと、私の意識が低すぎる愚か者というご意見もありましょう。ご批判、コメントを頂ければ大いに議論したいと思います。
本当のエコ生活を教えていただけるとは幸甚の至りです。お待ちしております。




注1
環境省 ECO LIFE FAIR

注2
注3
EICネット エコライフとは

注4
注5
一般方向とは軍事用語でルートを問わず目的地を目指すこと。細かいことは自由にしてよいから目的を果たせということ。

注6
「一芸は道に通ずる」ともいう。
キリスト教はもともとは労働は苦役でありエデンの園から追放された原罪への罰という認識だった。プロテスタントは神に祈るだけが信仰を深めることではなく、仕事に励むことを宗教的使命ととらえた。神に召されたから己の仕事をするという発想になった。自分がしている仕事は、神に呼ばれてするから天職(calling:呼び出し)という。アプローチは違っても結果は仏教徒と同じようだ。

注7
坂本龍馬の言葉といわれる。
ありていに言えば、昔の人らしい大言壮語にすぎませんね、



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