第31条  (2006.10.29)

「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」

憲法9条を守ろうという運動は今に始まったわけではないが、ネットをめぐっていたら、憲法99条を守ろうというフレーズを見かけた。
なるほど、この方は施行を定めた補則以外の1条から99条を守ろうということらしい。
ということは、憲法1条を守って皇室制度を尊重し、憲法96条を守って憲法改正を是とするのかと読んでいると、どうもそうではないようだ。天皇はいらない、憲法は改正しないという、どうも支離滅裂でまかふしぎな理屈なのである。
man7.gif お断りしておく、私は天皇制、いや皇室制度を廃止しようという主張も尊重する。憲法改正しないぞという考えもあってよいと思う。
しかし、天皇は認めない、憲法改正を禁じる、という主張にはどうも無理があると思う。いえ、本音を言えば、論理的ではなくアホじゃないかと思っている。
いろいろな方がいて、いろいろな主張があるのは当たり前なのだが、私のような論理の齟齬、システムの不整合を見つけるのが商売の者にとっては、そのような主張は納得しがたいのである。
私の商売、環境監査なら、即 不適合と叫びたい 

さて、そんな方のホームページで見つけた文句から今日は始まる。
『大日本帝国憲法では人権なんかないも同然、政府が気に入らない人物がいると、問答無用でバッタバッタと逮捕し、拷問し、獄門送りした。
それを反省して、日本国憲法は法の定めがないと官憲は逮捕も拘束も、そしてもちろん刑罰を与えることができなくなった。
大日本帝国憲法のように改正されたら人権が無視されてしまう。だから、日本国憲法は守らねばならない。』
言い回しは多少誇張している 
そんな主張はその方ばかりではなく、戦後民主主義者のお書きになる日本国憲法の本にはたくさんでてくる。
一例を挙げましょう。ある憲法解説書にこんな文章があった。
「戦前におけるわが国の貧弱な刑事手続きは、悲惨な人権侵害を惹き起こした」
私はなんにでも突っ込みたくなってしまうのですが・・・
「戦後におけるわが国の過剰な個人の権利の主張は、悲惨な公共の福祉侵害を惹き起こした」とまぜっかえしたらどう返って来るのだろうか?
成田闘争が過剰な私権の主張であることは論を待たない。

冗談はさておき、憲法31条は戦前のような悲劇を防ぐために手続き的保証をするものだという。・・・学のない私には分からない。
しかし、分からないものはそのままにせず、学がないなりに、頭が足りないなりに考えてみようというのがこのホームページのスタンスである。
私のことをドンキホーテだと言ってはいけない。 

まず私は、この条文が受身の表現であることが気に入りません。受身の文章は文の意味をあいまいにします。特にこの文章のように本当の主語がない場合は。
もちろんこの文章では「刑罰」とあります。通常「刑罰」とは「犯罪を行なった者に国家権力が科する制裁」という意味で使われていますので、『生命若しくは自由を奪い、あるいはその他の刑罰を科してはいけない』主体は国家機関であろう・・と想像するのであります。
もっとも「刑罰」といっても、リンチ(私刑)もありますから、刑罰を与える機関が国家機関に限定されるとも思えませんが・・
ちなみにアメリカ憲法で相当する憲法条文は次の通り
修正第五条 何人も、大陪審の告発または起訴によるのでなければ、死刑または自由刑を科せられる犯罪の責を負わされることはない。(アメリカ大使館公式訳)
同じく受身の文章ですが「誰が」するかが記述してあるので意味明瞭です。
私は思うんですが、憲法が国家に与えた枷(かせ)であるなら、憲法の条文はすべからく「国家は・・・すること」あるいは「国は・・・してはならない」という文章にすべきかと思います。
この条文ならたとえば、
「国及びその機関は、法律の定める手続によらなければ、何人に対してもその生命若しくは自由を奪い、又はその他の刑罰を科してはならない。」
man2.gif と表現した方が主語、目的語がはっきりして誤解を招かないだろう。
そして現行の言い回しが受身の表現であることの理由はなにもないと思うのです。
以前、主語は何かなんて書きましたが、受身・能動と入り混じっているのは、日本国憲法が法律でなく文学だからでしょうか?

まあ、受身なんてことは柔道少年に任せておくとして、護憲主義者が言うように、大日本帝国憲法に比べてこの条文はいかほど進化したのだろうか?
なお、マッカーサー憲法を原文から和文に翻訳したときに誤訳している条文もあるので、一応英語原文も当たっておこう。
日本国憲法英文では
No person shall be deprived of life or liberty, nor shall any other criminal penalty be imposed, except according to procedure established by law.
私のつたない英語力で訳すと、
「誰も、法律によって定められた手順に基づかずに、命あるいは自由を奪われたり、あるいはその他の刑事罰を科せられることはない。」
まあ、簡単な文章ですから言い回しが良い悪いは別として、大幅な違いはないでしょう。

ということを確認したところで、大日本帝国憲法からいかなる進歩があったのか考えたい。
大日本帝国憲法で対応する条文は下記のとおり
「第二十三条 日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ」

新旧憲法条文の比較対照表でございます。
大日本帝国憲法 第二十三条日本国憲法 第31条
日本臣民ハ何人も、
法律ニ依ルニ非スシテ法律の定める手続によらなければ、
逮捕監禁審問その生命若しくは自由を奪はれ、
処罰ヲ又はその他の刑罰を
受クルコトナシ科せられない。

ええと・・・・どこが違うんでしょうか?
カタカナとひらがなの違い、文語調か口語調かの違い、句読点の有無、まあそんなことは時代の違いでしょうからここでは取り上げません。
比べてみると、この二つの文章は私の頭では同一としか思えません。

っと、大きな違いがありました。
大日本帝国憲法では「日本臣民」についてのみ保証していたのです。だから外国人に対しては法に基づかない逮捕・監禁・審問・処罰はありえます。
その点、日本国憲法では「何人(否定文としてNo person)」ですから、外国人も対象です。
でも、戦前は外国人 だけ がひどい目にあったというわけでもなさそうです。

こう見てみると、『大日本帝国憲法は悪逆非道!日本国民は権利を認められず虐げられていた。それに対して日本国憲法は平和、民主主義、人権を尊ぶサイコーの憲法である』という説は間違いかなあ〜という気がしてきました。
いえ、読み返すたびに、間違いだったという感じが強まります。
もちろん、戦後民主主義者に多い共産主義者の記憶に刻まれた「戦前は非合法であった共産主義」に対する弾圧はひどかったでしょうが、それは大日本帝国憲法のせいにするのは間違いであり、日本国憲法になったからすてきな日本になったというのも間違いのような気がします。

cos.bmp 今でも、共産主義を非合法としている国はたくさんあります。平和主義者の大好きなコスタリカもちょっと前まで共産主義は非合法でした。

日本国憲法にまつわる神話というべきものがたくさんあります。
☆☆☆三権分立というのもそのひとつ
☆☆☆衆議院優先というのもありました
この条文も神話のひとつなのかもしれません。

こうしてみると、この条文については大日本帝国憲法も日本国憲法もほとんど何も変わっていないようです。
ということは戦前においては大日本帝国憲法の運用が悪かったのか?
あるいは過去の歴史をウソをついている可能性もある。
私の愛読書『ハワイ』の中に「悪事をしたときの裁きは実際以上に悪く言われることだ」という言葉がある。(若干の言い回しの違いはご容赦願う)
woman6.gif 二つの条文がほとんど相似であって、かつ現実の人権保護に違いがあったということから考えられることは、日本国憲法はすばらしい、平和憲法を守れ!と語るのは意味のないことなのだろうか?
いくら改憲を阻止しても、日本国憲法の運用次第ではどうにでもなるということではないか? 


本日のまとめ

憲法の文言でなく運用で決まるなら、
改正について議論することはないようです。
声をからして政策論争をしましょう。





ノリ様からお便りを頂きました(07.01.19)
お願いします。
憲法31条の適正手続きの具体的内容を4つ教えてください。それぞれの意味も教えてください。

ノリ様 いらっしゃい
ええと、まずはじめにをお読みになられたと思いますが、私は法律の専門家じゃありません。素人が好き勝手なことを語っているだけです。
というわけで、正直な回答としてはあなた様のご期待に応える力量はありません。

とはいうものの、一応憲法をたて・よこ・斜め・裏からも読んでいるのですが、適正手続きの具体的要件として3つとか7つとかあるようですが、4つというのが思い当たりません。
分類方法によっては4つに分けているのでしょうか?


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