佐為様 早速、返信ありがとうございます。
連合国(マッカーサー)は、日本国憲法制定時、日本を極東のスイスにする(マッカーサーの)ヴィジョン―非武装のままでアメリカ軍主体の占領を継続し(第一次大戦ドイツの轍を踏まず、復讐の目を摘むことが主眼です)戦争遂行能力を有しない“農業国化”―農地解放は農民の自立を達成した唯一のメリット?―を想定していたのではないでしょうか。
※フランシス・コッポラの“地獄の黙示録”のカーツ大佐は日本占領軍のマッカーサーがモデルです。原作は19世紀アフリカを舞台にした『闇の奥』ですが、あの映画はベトナムを舞台にしていますが、カーツ大佐はまぎれもなく“マッカーサー”に他なりません。
ポツダム宣言受諾の日本側の条件―「国体護持」と天皇の戦争責任を棚上げするために、立憲君主としての天皇の行政権、統治権は行政府、内閣に置き換え、象徴として国事行為のみとする。
また、統帥権は日本軍無条件降伏・解体によって消滅させた(後の「東京裁判」を予想した?戦争責任を問えないようにする“取り引き”かもしれません。)ことが、第9条の主語が日本国民(Japanese peaple)である理由ではな いか…と勝手に想像します。
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財閥の解体を始め、戦争を二度と起こさせないためには工業復興、経済振興などは二の次、三の次でした。
ところが、戦争終結後の日本軍の無条件降伏が進む中、旧満州、中国各地(台湾を含む)、朝鮮では、東西両陣営の直接的な対峙が顕在化します。
※朝鮮の分断には、旧軍の作戦区域が影響していました。38度線以北は関東軍の管轄地域で、南は本土直隷軍管轄地域になっていたようです。関東軍はソ連軍に降伏し、ソ連軍は38線まで侵攻・占領。38度線以南はアメリカ軍に対して、日本軍が降伏しました(確か8月29or30日まで朝鮮にはアメリカ軍は進出していません)。
1945年9月2日付東京湾ミズーリ号上での、『世界史の中での本当の終戦記念日』(8月15日は天皇によってポツダム宣言受諾の表明が帝国陸海軍軍人・軍属及び臣民になされた日―前日14日に中立国スイス経由でポツダム宣言受諾は連合国伝えられました。「15日には戦争は終わっていません。撃ち方止めが発せられただけです」。)の大日本帝国政府の降伏、日本軍の無条件降伏…の調印をもって、東西冷戦、朝鮮でのHOT WARが準備されたわけですね。
この新たな火種が準備されたことで、朝鮮戦争の兵站基地、武器・弾薬の生産開始に繋がり、憲法にある『その他の戦力』はアメリ軍主体の国連軍の要請で(『警察予備隊』という名の武装集団も)復活し、後の工業国・貿易立国として経済大国への道を日本が歩むことになりました。マッカーサーの幕僚の中のニューディーラー(アメリカ軍人・軍属の中の隠れ左翼、共産党シンパ)たちの目指した農業国日本は潰えました。皮肉なことと言わざるを得ません。
ちなみに、朝鮮戦争では、仁川上陸作戦のアルミ製梯子から(韓国陸軍向けに旧陸軍九九式小銃弾を始め)小銃弾、機関銃弾、迫撃砲弾、油脂焼夷弾(ナパーム弾)、各種軍用車両、国連軍兵装などを日本国内で供給し、特需で日本経済が浮上、工業国の基礎を回復を果たしました。
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憲法に対して、改正or護憲のいずれの立場でも原理主義に陥ると論議停止、思考停止となるのは困ったことです。まず、憲法は近代国民国家―ultima ratio、常備軍、軍隊という暴力装置を有する無敵の国家――リバイアサンを鎖で縛り付けるものです。この点では日本国憲法は条文上、火を吹かない(無敵ではない)リバイアサンですが。
決して近代国民国家の憲法は、聖徳太子の“十七条憲法”の意味の憲法ではありません。自民党の議員の中には、国民に対する義務を盛り込んで国民のあるべき姿を“十七条憲法”のように示すべきだ…という唖然とする言葉を吐く者がいたり、言葉は“憲法”ですがまったく概念が異なります。
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さて、憲法第9条について以下私の理解です。戦争の放棄、軍隊の不保持、交戦権の否定について述べていますが、
『1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』
★ポツダム宣言を受諾し、1945年9月2日に連合国に対し日本政府は降伏し、日本軍は無条件降伏しました。この主要な連合国<米・英・支・ソ>戦勝国の占領に歯向かうことなく、受容するしかできませんでした。その占領軍への武力抵抗を含めて、理念では「第一次大戦後のドイツのようにさらなる戦争と再軍備を放棄する」ことを述べています。アメリカ軍は安心して占領を続けることができます。
占領下の日本がどうやって国際紛争当事国になれるのでしょうか。外交自主権はアメリカに預託し、講和以前この時点では独自外交はありません。従って、講和調印と同時に安保条約がありましたね。「永久に」は国際法の慣例では最長99年です。
占領状態から脱却した時点での憲法改正があれば、その後の日本は別の歴史を歩んだ可能性もなきにしも…日本降伏後によって東アジア地域に空白と東西両陣営の対立が生じたためアメリカの国益のために今に繋がるものになりました。
しかしながら、連合国以外の国々、例えば日本が韓国との戦争が発生しても、アメリカは干渉しない可能性があります。勿論、韓国国内の米軍(国連軍)基地は攻撃対象から、日本国内の米軍基地―沖縄にある米軍(国連軍)基地も除外しなければなりませんが。
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『2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』
1946年11月の時点では、日本陸海軍は無条件降伏・武装解除・組織解体・将兵、軍属の復員が進み、各種軍需工廠は接収されていました。ここで言う一切の軍事力、軍隊と作戦能力、継戦能力はもはや存在しません。占領軍があるだけです。占領軍に対して丸腰で日本国は交戦権があると…。
吉田茂首相が一貫して集団安全保障に反対して、ヨーロッパのNATOのアジア地域版―アメリカ、中華民国、韓国ほかの集団安全保障機構の成立を妨げた…このことが日本国憲法と日米安保条約、自衛隊の存在という矛盾を60年間抱え続けた原因であろう、と想像しています。日本軍部が復活しなければ、アメリカの占領を甘んじて受容することを選んだ、吉田茂の呪縛が60年たった今も生き続けています。
戦前GNP?(国家予算)の20パーセントを植民地(朝鮮・台湾など)につぎ込み、30パーセントを軍備につぎ込んだ日本、この二つの支出をなくしたお蔭で、戦後の繁栄をもたらした吉田茂の功績は認めていますが。