日本国憲法は論じるに足るものか? 2004.02.28
数日前に首相靖国参拝違憲訴訟の判決が出た。
結果はご存知のとおりだが、私にとってはまったく無意味としか思えない。
この訴訟の根源は、日本国憲法のあいまいさ・いい加減さにあり、まともな教育を受けていない自虐史観の連中が自分たちの主張を通そうと手当たり次第に行っている悪あがきとしか思えない。
いったいこの原告団は、今現在、靖国参拝違憲であると訴えることができるという幸運な条件はどのような過去の上に成り立ち、かつ今現在の日本が何者によって支えられているかを知っているのであろうか?
原告には外国人もいるそうだ。
それなら私は韓国の8月15日の祝祭典に対して、精神的苦痛を受けたと訴えるべきなのだろうか?
駅前で自衛隊違憲とか靖国参拝をヤメロというビラ配りしている人々をひっくるめて再教育したいところである。
お断りしておくが、私はこれらの純情な人々に出会うと事後の研究のためにビラをもらうことはしても署名なんてもちろんしない。大声で反対を表明することにしている。
こんな憲法はゴミの日に出そう と、いつものごとくおばQじじいがカッカと熱くなっても仕方がない。
きゅうりのごとくクールに行こう。・・・・何分持つか自信はないが

最近、日本国憲法に関する更新がない。
まだ書いていない条項は多々あり、もっとも大物である「前文」と「第2章」があるというのに・・・
実を言いまして、最近日本国憲法の条項について語る気がしないのです。
なぜ憲法を論じる気がおきないか?といいますと、たとえ話の意味が伝わるかどうか自信がありませんが、
へぼ碁(まあ級位者としましょう)の棋譜をとり、碁を打ち終わった後にその一手一手を評価・検討しても意味がありません。へぼ手をいちいち考えても指導しようがないはずです。
私といっしょに碁に励んでいた方が1級くらいのとき、棋譜をとって事後検討していました。それを見た高段の方が「自分の棋譜を検討するよりプロの棋譜を検討したほうが上達するよ」とアドバイスしてました。
その時の級位者も今では四段、努力は報われます。
日本国憲法の条項の一語一句考えて、欠点を数え上げていくとあまりにも瑕疵が多くて数え切れないのです。もはや、何箇所直す必要があるというレベルではありません。
結局、この憲法は考えるに値しない、検討する意味がないという結論を出さざるを得ない。厳しい言い方かもしれませんが、「全面見直し」が必要です。
『巨人の星』の星一徹にちゃぶ台代わりに憲法をひっくり返してほしいものです。
もし、日本国憲法のみをひたすら読み理解しようとしている人がいればそのような結論には至らないかもしれません。その方は「憲法に書かれた理念はすばらしい、人類の英知である」と信じる可能性は否定できません。

しかし、幸か不幸か私たちは外国の憲法を読むことができ、日本国憲法の英訳文、更には英語原文(残念ながら真実のようです)も読むことができるのです。
いえ、そのようなものまで読んで考えることもないのです。憲法よりももっと身近な法律、施行令、省令という参考資料があります。私たちは社会生活とくに会社でさまざまな規制や届出をする必要が生じます。そんなときはこれら法令(法律、施行令、省令の総称)を読み、どうするのかを調べて行動しなければなりません。
そんなときに条文の解釈で裁判所に解釈を伺い出なければならないことがありましょうか?
私の経験では99%は小学校から中学校でならった国語の力で読んで理解することができます。難しい漢字は民法なんていう明治の御世からの古い法律以外使われていません。常用漢字で十分間に合います。最近の法律では、私の世代にとっては漢字のほうが分かりやすい単語もかな書きとなっている場合があります。
残りの1%ですが、確かにその条文を読んだだけでは分かりにくい場合もあります。そんなときは行政窓口あるいは所轄官庁に電話して「すみません、○○法何条に書いてある、△△と○○はアンドなのですか、それともオアなのですか?」というふうに問い合わせなければなりません。

公共サービスはこうでなくちゃ 現在の行政窓口は親切であることは言っておかなくてはなりません。このような質問をしてぞんざいに扱われた経験はありません。特に東京都の環境局は親切で、待たせるとか電話を転送するということはありません。

問い合わせますとちゃんと法律の解釈を教えてくれます。いえ正確に言えば「解釈」ではなく「正しい読み方」なのでしょう。
その結果に対して私はなるほどとは思っても、そりゃおかしいと感じたことはありません。要するに日本の法令レベルは論理的であり、関係する法令はすべて整合しているのです。矛盾もないし、書き方が間違っていることもありません。 間違っているよ!
法律の内容とか規制していることが正しいかどうかは別ですよ、
ダイオキシン特措法なんて私は法律の存在自体が間違っているような気がします。
環境経営促進法なんていったい存在意義はなんなのでしょうか?
先日notti師匠から「日本国憲法は内部に矛盾があるのではないか、と思ってしまいました。いえ、言葉の枝葉末節とかのことではなく、もっと根本的なことです。」なんてお便りをいただきました。
日本国憲法を読んで正しく理解しようとすると、通常の頭脳の持ち主ならノイローゼとなる方もお悩みになる方もでてくるという罪作りなものなのです。
私が思うに「日本国憲法は内部に矛盾がある」のではなく、その「すべてが矛盾」ではないのかと思います。
おっと、「日本国憲法は存在することが矛盾である」と論じている大学教授もいるのですから何を言おうとまったく見当違いとは言われませんでしょう。

元々、この憲法のコーナー設立の目的は護憲を語る人々の論理の欠陥を突くことでした。そして櫻井よしこさんとか読売新聞のようにまじめに憲法を考えようとしている動きをメジャーにしよう、広めようとすることでした。
しかし、このように憲法を読むにつれ、はじめに考えていた以上にメチャメチャであることが分かってきますと、欠陥を一つ一つあげつらっているのも疲れてしまいます。
車に傷がつけば塗料を塗り、へこめば板金、壁にこすったらドア交換ができますが、まともにぶつければ「全損だね、廃車!」ということになります。
マージャンだって配牌が悪ければ全とっかえだし、ゲームならばリセットです。
日本国憲法の条項の半数を見た結果は・・全交換あるいはリセット・・・しかなさそうです。
読売新聞社が作った憲法改正試案(1994)提案理由にも「一部改正ではなく全面改正しかない」とあったような気がします。
最近は野党でも憲法改正が禁制ではなくなってきたようですが、まだ加憲とか一部条項の加除を語っている段階です。
私からのアドバイスです。
もっとよく日本国憲法を読んでください。新しい地平が開けますよ。(ゲーテ曰く)
分からなければおばQの憲法論をお読みください。(おばQ曰く)
おっと、そう言うからには私は残りを片付けないとならないか? 
まあ、そんなことの積み重ねで、このウェブサイトでいくら現憲法の整合性のなさや欠陥を見つけ考え、瑕疵を挙げ連ねていても、もはやどうしようもないと感じてきたのです。


しかしなんですね、
このどうしようもない日本国憲法を『護憲』と語ることは『私は憲法を読んでません、読んでも考えていません』ということであると気付いて欲しいものです。

ダグラス・ラミスさん、
ザケンジャネ 他国の憲法にうそを語らないでください。
あなたがすべきことは、貴国の憲法をあなたの理想にすることでしょう。
日本人として忠告します。いえ警告します。

土井たか子さん、
憲法学者でらっしゃるそうですね?
そして護憲を訴えておられますね?
ぜひ愚かな私の迷いを解いて、正しい日本国憲法の理解の道にお導きください。

久米 宏さん、
憲法改正反対と叫ぶ前に一度憲法をお読みになることをお勧めします。
エッツ、読んでいるのですか?
では幼稚園からやり直すことをお勧めします。

小田 実さん
日本国憲法を変えちゃいけないということは、中国や北朝鮮が日本に攻めてくることを困難にしないためでしょうか?
ベトナムに平和求め、中国の覇権を求め、日本の平和はいらないのでしょうか?
みんな嘘つきよね


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