違憲訴訟 2004.03.04
先日、首相靖国参拝違憲訴訟の一審判決がありました。発端からここまで1年半、確定するまでにあと何年かかかりそうです。
一審判決は合憲であったわけですが、合憲のまま確定すれば、違憲だと主張した人々はそれで諦めなければならないのでしょうか?
「そんなことはない!」というのが本日の主張です。
私は右翼の味方でも、サヨクの味方でもありません。もちろん弱いものの味方でもありません。
正義の味方です。 

憲法違反とはなんだろうか? いえまじめに考えます。
言葉の意味は「ある行為またはある法律が憲法に定めることに反している」ということです。
憲法違反であるかを審議する仕組み、手順は国により違います。日本では憲法違反とは個人が言ってもダメ、弁護士が言っても国会が議決してもだめ、ただ裁判所が判決としてだせます。(憲法第81条
現実には誰かが原告となって「特定の行為あるいは特定の法律」を具体的にあげて訴訟を起こし、裁判所が現行憲法に沿っているか否かを決定するわけです。
日本ではそういう手順であるというだけで、これが正しい方法だとか優れているという理屈はありません。
大昔、ただそう決めたということです。
10年一昔といいます。50年前は大昔と言えるでしょう。
しかもこのとき裁判所の審議は憲法が正しいか否かは関係ありません。ただ単に憲法というものさしで「ある行為またはある法律」を測るだけのことです。ものさしが狂っていてもその狂っているものさしで測るというだけです。
更にいえばこの測る行為は人が行うわけですからその測定方法が不適切であるか、あるいは測定値の読み取りが正しいのかも定かではありません。
もちろん私が申し上げているのは理屈ですから、過去の違憲訴訟での判決が不適切であったという意味は「まったくありません」。もちろん適切であったという意味でもありません。 
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「更に」が続きますが憲法違反と決定されても憲法を変えれば「憲法違反でなくなる」ことは当然です。
憲法とは基本的に国家と国民の契約ですから、当然「契約更改」ということが発生しますし、社会の変化でそれに対応することも必要でもありましょう。親が土地を貸していたが子供の代になって自分の家を建てるから返して欲しいなんてことはよくあります。そんな時に「一旦契約したんだから未来永劫変更はない!」なんてことはありませんよね?
ところでプロ野球の選手あるいはF1レーサーの契約更改というのは毎年そのシーズンの成績で見直すわけですが、憲法については見直しということがされません。
ISO9001やISO14001では「定期的見直しをしない」というだけでもう立派な「不適合」になります。もちろんJIS規格でも同じです。
規格とは定期的にその適切性が再検討され、継続するか、改定するか、廃止するか決定されるのです。
「なにもなければ自動継続!」という仕組みはそれ自体が不適合!なのです。
もちろん規格により見直し期間は異なり、3年とか5年とか決まっています。ISO規格はすべて5年ごとにレビューしなければならないのですが、審議検討がまとまらず6年とか7年になることもあります。マアそれはやむを得ないでしょう。
憲法を変えてもそれ以前の行為については違憲なのだから正すことが必要だとか、補償が必要だと語る人もいそうです。
実は日本国憲法では事後法禁止ということは、刑法についてのみ言及しているのであって、民事や行政に関しては語っていません。そして現実に事後法と考えられるものはたくさんあります。 womankomatta.gif
事後法とは過去にさかのぼって処置を決めた法律のことです。
「おい、これは脱税行為だよ。過去2年分さかのぼって罰金を払いなさい。」
「エッ!そんな法律があったのですか?」
「昨日制定されたのだ」
というようなものをいいます。
中国ではそのような行政手続きが雨後の竹の子のようにあるそうです。
時効を延長するのも事後法のひとつだと思います。廃棄物の違反に対する処置にはそのように思えることがあります。
quest.gif 本当を言えば刑事に関しても被告人な有利な事後法は存在します。また法律が憲法違反だとして法律に反する判決もあります。例えば尊属殺人などがそうです。しかしそのような判決が可能な理由とか、被告人に不利な事後法はだめで有利な事後法がよいという理由はなぞです。
法律レベルでそんなわけですから、憲法改正してそれまでを否定した法律が制定されても事後法禁止にはあたらないような気がします。
話を戻しますが要するに違憲判決がでても、その後憲法を改正すれば過去のその行為は「違憲ではなくなる」ということです。
21世紀の日本において「悪法も法なり」などとソクラテスを見習うことはなさそうです。
私は日本国憲法を信奉して状態を悪化させたり、侵略者にムザムザ殺されるような21世紀のソクラテスを気取るつもりはさらさらありません。
そういったことを考えますと、たとえ憲法違反であるという判決を受けても、その違反とされた行為が罪でも犯罪でもなく、間違ってさえいないことが理解できたでしょうか?
もちろん合憲とされた行為が正しいとかあるべき姿であるとか、見習うべきことだなんて決め付けることはできないことも正しいことなのです。
まだ敗者復活戦は残っているのです。
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違憲判決はその行為が悪だとか許せないということではなく、単にその時点の国家と国民の契約に適合していないということなのです。
とすれば現在憲法違反だと訴訟を起こしている事案というのは「憲法違反であるかどうかを審議しているのではない」と考えるのは間違っているでしょうか?
見方を変えれば「違憲訴訟というのは憲法に沿っているか否かを判定することではなく、憲法が現実に沿っているかいないかを審議することでもある」のです。
よって、違憲訴訟というのは、同時に憲法が適正か否かということと抱き合わせで行わないとならないと私は考えます。
もちろん「憲法を直すべきだ」あるいは「憲法は現状でいいよ」などという判決を出されては困ります。
現憲法が適正か否かという高度な判断を裁判所などにお願いする気はさらさらありません。
そのようなことをたかが裁判所の15名の判事に任せることはできません。最後の審判者は有権者でしかないのです。だって憲法は国家と裁判所の契約でなく、国家と国民の契約なのですから署名するのは有権者であることは間違いありません。
結果責任を負うのは裁判官ではなく全国民なのですからね
裁判所の判決が合憲でも違憲でもそれに異議ある者は、該当する憲法の条項の見直しについて国民審査を請求できる権利を持つのは当然です。
しかし、残念ながら日本国憲法には国民が憲法改正を申し立てる手順がありません。憲法改正はただ国会が発議できることになっています。(第96条)
へんですね

国民の権利として「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。(第16条)」とあるのですが、憲法改正を請願する権利がないのです。
これは断じて改正し追加なければなりません。



本日の結論

日本国民は主権者として、ある行為や法律が憲法に適合しているか否かをお伺いするというようなつましいことだけではなく、積極的に憲法が適正か否かを判定する権利を有します。

憲法16条 改正案
何人も、損害の救済、公務員の罷免、憲法、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

憲法第81条の2 追加案
国民は裁判所で下された法律、命令、規則などが憲法に適合するかしないかの判決・決定に異議あるときは、憲法改正を請願する権利を有する。

首相の靖国参拝違憲訴訟で敗れた方々のために提案します。


もっとも、日本国憲法は改正ができず修正のみというのが不肖おばQの持論ですから、上記は『修正第1条』『修正第2条』になるのかもしれません。
しかし検討を進めていくと修正条項は99条すべてにわたり、制定時の条文はすべて後法優位の原則で無効になってしまうのかしら?
そのときは修正条項以外をバッサリと捨てちゃいましょう 



ちなみにアメリカ憲法は制定時の23節の内、現時点までに修正により無効になったのは4節です。 アメリカ憲法は日本の章立てにあたるのを「条」(article)、日本の条にあたるのを「節」(section)と称しています。

きっと丸暴さんやKABU先生から突っ込みがあることでしょう。期待しております。 


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