町家と職人たち
草戸千軒
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町家と職人たち


鍛冶屋

 町家は石敷道路の両側に広がっています。ここには、鍛冶・塗師・足駄づくりの職人たちの住まいがあります。

 鍛冶屋の建物は掘立柱建物ですが、柱等の部材も自然木ではなく、また建具にも加工を加えるなど、ある程度番匠(大工)の技術が見られます。屋根は板葺で、棟は一木割材で押さえ、上に石を置いています。壁は土壁塗りです。入口には疫病除けの茅の輪が掛けられています。内部は仕事場の土間と生活空間の板の間とに分かれ、仕事場が神聖なことを意味するために、境にはしめ縄が張ってあります。ここに復原した鍛冶屋は、鎌・鍬・鋤などの農具を主に作っているという想定です。親方夫婦・子どもと3人の通いの職人という構成で、親方と職人1人が依頼された品物を製作しています。2人の職人は炭きりと刃研ぎを行っています。おめでたいことがあるのでしょうか、ハレの食膳が用意されています。子どもはつい今し方まで独楽(こま)遊びをしていたらしく、無造作に独楽が置かれています。鍛冶屋の外には、近所の子どもが忘れていった毬杖(ぎっちょう)があります。


共同井戸

 鍛冶屋の向かいは二軒長屋です。足駄づくりと塗師が住んでいます。同じ棟ですが、塗師屋はほこりを嫌うため土壁造りとし、足駄屋は板壁で窓扉は網代造りです。屋根は鍛冶屋と同様に板葺で、棟を杉皮で押さえて石を置いています。塗師屋は夫婦という設定で、夫は漆椀の絵付けをしているところです。塗り終わった漆器を乾かす穴蔵である風呂の入り口は開放され、内部には製作途中の漆椀や漆皿が見えます。このころから民衆の間でも食べられ始めた精進料理が並べられています。疫病除けのため入り口には茅の輪が、内部には呪符が掛けられています。一方、足駄づくりは夫婦と息子という設定です。父親は下駄の鼻緒に穴をあけており、息子は下駄の台を製作しています。母親は夕食の用意をしているところです。内部には古びた病除けの大般若経の転読札も見えます。

 なお、足駄屋の傍には菜園があり、ウリやヒョウタンが植えられています。鍛冶屋の傍の空き地にあるのは共同井戸です。洗濯もここで行われ、日々の生活に忙しい主婦の語らいの場にもなっています


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suzuki-y@mars.dti.ne.jp
1998, Yasuyuki SUZUKI & Hiroshima Prefectural Museum of History, Fukuyama, Japan.
Last updated: June 10, 1998.