坂本さん一家の素顔
このページでは、坂本堤さん、都子さん、龍彦ちゃんがどんな人物であったか、ご紹介したいと思います。
ご意見ご感想をお寄せ下さい
最後の年賀状(1998/5/1)
坂本さんから1989年のお正月に来た年賀状です。
「親となってみて子供たちの明日を思わない日はありません。大人として”現在できる一歩”を確実に踏み出して、子供らの瞳が曇ることのないような社会にしていきたいと思っています」
実に坂本さんらしい、いいメッセージです。
ちなみに、添え書きは都子さん。流産の経験があり龍彦ちゃんの時もとても心配していたので、私が安産のお守りを差し上げました。
龍ぼうが元気に生まれて、夫婦で本当に喜んでいました。坂本さんが肌身はなさずもっている写真を見せられた人も少なくないでしょう。
都子さんへの追悼文集(1997/7/13)
都子さんの大学時代のお友達を中心として、追悼文集が制作されました。ご無理をお願いして、その一部を当ホームページ掲載させていただくことになりました。人見さんを始めスタッフの皆さん、掲載をご快諾いただいた執筆者の皆さん。本当にありがとうございます。
一つ一つを読んでいると、私たちの知らなかった都子さんのあたたかい人柄、真摯な生き様、そしてすばらしい交友関係がくっきりと浮かび上がってきます。あらためて、悲しみと憤りがこみ上げてきます。本当に残念でなりません。
武井弁護士の陳述書
坂本弁護士の同僚であった武井共夫弁護士が、民事訴訟のために陳述書を作り裁判所に提出いたしました。坂本弁護士の仕事ぶりが伝わります。
坂本さん一家の人物像 - 準備書面(96/12/6)
民事損害賠償請求訴訟における準備書面として、弁護団がご両親の陳述書などを基に、一家の人物像をまとめ、口頭弁論期日において陳述いたしました。
大山友之さんの陳述書(96/11/18)
都子さんのお父さん大山友之さんが、実行犯らに対する民事訴訟の証拠として提出する「陳述書」を書かれました。すべてご自身でワープロを打たれたものです。愛娘都子さんの出生から成長の過程、結婚から龍彦君の誕生までを父親として暖かく見守った日々、事件発生の驚愕から救出運動への取り組み、遺体発見、警察の問題、マスコミの問題等々、どんな言葉を持ってしても言い尽くせない断腸の思いがにじみ出た渾身の文章です。
坂本さちよさんの陳述書(96/11/22)
坂本堤弁護士のお母さん、坂本さちよさんが、民事損害賠償請求訴訟の証拠として提出するため書かれた「陳述書」です。山崎弁護士がまとめてくれました。さちよさんがどんな気持ちで堤さんを育て、そして一家三人を見つめてきたかがよくわかります。「あなたへ」は読むたびに胸がつまります。
大山やいさんの陳述書(96/11/18)
坂本都子さんのお母さん、大山やいさんが、民事損害賠償請求訴訟の証拠として提出するため「陳述書」を作成されました。小島周一弁護士が丹念にお話をうががい、文書にまとめてくれたものです。少し長いですが、お母さんの思いが痛いほど伝わってきます。


