システムアプローチ 08.08.23

QMSあるいはEMSのISO規格に基づいて、会社のシステムを構築しようとかISO規格を使って会社を良くしようなんて語る人は多い。
だが私はそんなことはありえないと考えている。QMSとかEMSからのアプローチ、そういったISO規格を利用してマネジメントシステムを構築しようという考えはまっとうじゃない、おかしいと私は何度々々も書いている。マネジメントシステムとはすべての会社が本来具備しているものなのだ。しかし、何度語ってもモグラ叩きであり究極的説得力に欠くと感じている。ではISO関係者の認識を抜本的に変えさせる是正処置・再発防止策としてどんなことを言えばよいのだろうか?
久しぶりの休みにISOの関係者の目を覚まさせるための是正処置を愚考した。

ISO認証機関、コンサルタント、事務局の方々は、ISOマネジメントシステムで会社を良くするとか、経営に寄与するとか、ISOは経営のツールであるとか、まあいろいろなキャッチフレーズ、宣伝文句を語っている。彼らは本当にISO規格とか第三者認証で、会社を良くしようとか会社が良くなるとか考えているのだろうか?
最近はやりの事業継続マネジメントシステムといったところで、事業に関わる全部事項を網羅しているとは思えない。資金計画はどうですか?企業乗っ取り対応は?反社会的勢力対応はどうですか?世界同時不況下で事業をどう推進するのか示してくれるのですか?
事業継続マネジメントシステム規格を満たせば会社の業績が上がるとでもいうのだろうか? そんな審査がマネジメントシステム審査員にできるのだろうか?
事業継続を判定するなど、会計士、税理士、弁護士、経営コンサルだって請け負いかねるだろう。
かのトヨタが2008年に損益予想を何度も下方修正発表する時代に、事業継続を判定しようとか、事業継続を確実にする手法などあればノーベル賞どころか黙っていればビルゲイツを超える金持ちになれるだろう。
さらに重要なことだが、適合・不適合を判定することも困難だろうが、その判定結果にいかなる価値があるのだろうか? QMS認証した企業に不祥事が起きると認証機関は即座に認証を取り消すのが通例だ。
事業継続マネジメントシステム認証した企業が乗っ取られたり倒産したら、日付を戻して認証を取り消すのだろうか? 

では本日の老人の主張である。
会社というのは目的があって設立され、その目的を実現するために事業を推進していく。マネジメントシステムというのはその事業を行っていくための手法に過ぎない。
システムとは何かとはだいぶ前に書いた
昔、講習会で「システムとは、組織、機能、手順である。」と習いました。何事においてもシステムとは目的を達成するための手段、ツールにすぎません。システムがなくても実行でき達成できるならシステムは不要です。テレビを見るのに複雑なオーデオビデオシステムはいりません。
システムが立派であることは目的を達成するために役に立つでしょうが、それだけでは目的が達成できる保証ではありません。あるいはシステムがプアであっても目的に見合っているかもしれません。
そしてISO規格が企業のマネジメントシステムを良くするために役立つのかどうかも定かではないのです。少なくともISO認証がマネジメントシステムを良くしたとは言えないことは間違いない。

ですから私たちは会社の目的、そしてそれを実現するための現実の会社を是としてというか、その実態をあるがままに受け止めることから始まらなければならない。
ところで会社の目的ってなんでしょうか?
「うちの会社の目的って何だろう?」なんて考えては・・あなた大丈夫ですか?
会社の目的とは儲けることとか事業拡大なんて陳腐なことは言いません。会社の目的は明白です。それは定款に書いてあります。(会社法第27条)
ISO事務局風情が「会社のマネジメントシステムを構築するのだ」などと意気がるのはみっともない。(というか無知丸出しで恥ずかしい)会社は定款に基づき目的を実現するために会社の事業を行う。そのために会社の仕組みを作ります。
なにもISO規格などにお世話になることもありません。ISO規格ができる前から定款を作成しなければならなかった。そして定款の目的を実行するために、どのような組織、機能が必要かということが決まり、その結果として会社の組織構造、職制つまりマジメントシステムの構造が決まる。もちろん同じ定款・目的であっても企業の文化、風土、あるいは経営者の思いによってその構造は異なるだろう。

おっとISO規格が無用だとは言いません。もっともISO規格では組織構造を示すものではなく、その要件を記述しているだけですから、ISO規格に基づいてというのは無理のようです。要件に漏れがないかを点検するには使えるでしょう。私はISO9001は品質保証の規格だと考えていますが、品質マネジメントシステムの規格だと考えてもその適用できる範囲は同じです。

そう考えてきますと
 ■ISO規格に基づいてマネジメントシステムを構築しようなんてのはウソ
 ■経営に寄与するISO審査なんて無理
 ■ISOは経営のツールなんてのは大言壮語
会社のマネジメントシステムをISO規格に基づいて構築しようというのは、アプローチがさかさまなのである。会社のマネジメントシステムは上位から構造化してこなければならない。機械の設計をするのに部品図から書き始める設計者はいない。どんな設計者だって組立図から書き始めるのだ。
経営に寄与すると大言壮語を語るなら、QMSとかEMSとかちっちゃいことから始めてもしょうがない。
しっかりしたビジョンがなく行き当たりばったりで仕事をしているのでは体系的で整合した仕組みができるわけがない。
鳥瞰的視点なくがむしゃらに煉瓦を積んでバベルの塔を築こうとしても、崩れるのは自明である。
ちゃんとした設計をして、それに基づいて工程を決めて、粛々と工事を行わなければならないのだ。
おお!それってマネジメントシステムそのものじゃないか 

会社を良くするとか、経営に寄与するというなら、規格対応のアプローチは間違い
業務に沿ったプロセスアプローチも見当違い
定款から降りてきたシステムアプローチでなくちゃいけません。
もしISO規格はマネジメントシステム構築の規格であるというなら、ISO9001なら「5.経営者の責任」、ISO14001なら「4.4.1資源、役割、責任及び権限」あたりでバシッと上位からの展開を明示しなくてはなりません。
そうなると品質方針とか環境方針と言っちゃいけなくなる。
方針は一つしかない。トップ経営者の方針の中に、品質も環境も財務も人事も技術も遵法も社会貢献もゼーンブ入っているはずだ
今のEMSとかQMSだってそういう考えを持った上でしなくてはいけないのだがそういう会社も少ないだろうし、そしてそういう審査ができる審査員も少ないだろう。
現時点のISO規格がそんな包括的な規格でないにも関わらず、あたかもISO規格に基づいて会社のシステムを作りましたなどと表記するのは嘘付きの奴隷根性です。
もちろん品質マニュアルも環境マニュアルも最上位の文書であるはずがない。マニュアルとは会社の仕組みはコンフィデンシャルなので審査員に見せるためのサマリーであるとはっきりと書きましょうね!


本日の予防処置(誤解を防ぐために)
「品質マネジメントの原則の5番目にシステムアプローチという言葉がありますよ」なんておっしゃる方がいそうだ。 勘違いしちゃ困る
ここでいうシステムアプローチとはISO9001の付属書にあるような、そんなちゃちい思想ではないよ 

本日の予防処置 その2
おばQは、ISO9001やISO14001は役に立たないと考えているのか? そういう質問があるだろうと予測する。
私はいずれも非常に有効なツールだと考えている。しかしそれは経営のツールではなく、管理のツールなのだ。道具はその用途に使うのが一番であり、用途以外に使って効果を期待するのは買いかぶりという。
経営に一番重要なのは戦略であり、ISO9001もISO14001も戦略を示すものではない。そして戦略なんてものが規格化、標準化などできるわけがない。仮に規格化できたならその瞬間に戦術に身分を落とし、更に上位の戦略が価値を持つだろう。

えー今日のお題はノリが悪く、何度も中断し表を散歩したり家内の買い物に付き合ったりして一日かかりました。その理由として、具体的な審査員とのやりとりから書いたのではないために、怒りというエネルギーが足りなかったのでしょう。



ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(08.12.23)
そうなると品質方針とか環境方針と言っちゃいけなくなる。
方針は一つしかない。トップ経営者の方針の中に、品質も環境も財務も人事も技術も遵法も社会貢献もゼーンブ入っているはずだ

あのー、当たり前じゃないですか?
少なくともウチの会社には方針は一つしかありません。もちろん「経営方針」です。
ちなみに、そこには「法令を順守する」なんて当然のことは書かれていませんし、「この方針を外部に公開する」なんてフザけたことも書いてありません。

マネジメントシステムなんてカッコイイ言葉を使わずとも、経営の仕組みは認証取得以前からもともとあるわけで、認証取得のために品質方針や環境方針なるものを無理やりひねくり出し、それに沿って仰々しい文書をたくさんこしらえるなんてアホなことを始めたのが全ての間違いの元であると思います。
審査に通るために○○をしなくちゃならないという考え方をいつまでも持っているから、こんな茶番に気づかないのだと思います。
ISO9001が改正された今、間違いを改めるチャンスでは?

ぶらっくたいがぁ様
当たり前が通じないのがISOの世界ですよ
ISO関係者がみな常識を持っていたならば、今のような状態にはならなかったでしょう

といっても今まで間違えていた人が悔い改める可能性は限りなく小さいと思います
毒を食わば皿まで・・ISOとともに消え去るのを選ぶのでは
まあ、もう少し様子を見てみましょう(我は水戸黄門なるぞよ)


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