論文を読む 11.04.10

私が書くのは駄文であることは間違いないが、いくら駄文と言えども、手がひとりでにキーボードを叩くわけではなく、何も考えずとも文章が頭に浮かんでくることもない。あるいは実際に見聞したISO審査や審査報告書についてだけ書いているわけでもない。
もちろん実際にはトンチンカンな審査に怒り狂って書いたものも多い。発言した審査員には自分のことだとすぐにわかるだろう。もちろん、わかっても困らないし、抗議は望むところである。私の本音は、ぜひとも反省してほしいということです。
名前と場所は伏してはいるが過去たくさん書いた実例に、一度もいちゃもんがついたことはない。トンデモ審査員の方々は、私のウェブサイトをご覧になっておられないのか、それとも私ごときを相手にする気がないのか、あるいは私の駄文を読んで反省しているのかは定かでない。
もっとも最近私とチャンチャンバラバラした審査員がその後引退したと聞いた。私との論戦を反省したためかはわからない。単に歳だからという可能性が高い。
おっと、話がそれた。何事もアウトプットするにはインプットが必要だ。ISOについて書くにも、ISO規格を読んでいるだけでは、ネタが尽きて限界が来る。私はISOに関わるいろいろなものを読む。そして経験したことや知ったことについて、発言したいから書いているというのが本当のところだ。単に文章(ネットでも同じだが)を書くことが生きがいというなら、ほとんど病気ではないか。

さてどんなものを読んでいるといえば、以前、裁判の判決を読む話を書いたこともある。裁判は面白いと言ってはいけないだろうか。とにかく10件くらいお読みになることを勧める。面白さがわかるでしょう。
官報も毎日読んでいるし、環境省や東京都環境局のウェブサイトは毎日眺めている。自治体のウェブサイトはランダム(気の向くまま)にあちこちを見ている。もっとも最近は地震や津波の被害を受けた自治体の広報を見ている・・環境とは関係ないが。
法令改正の前にはパブコメがあるので、経産省や環境省でそういった広報があれば必ず読み、考えるところがあれば応募する。もっとも私の意見に限らないが、パブコメで応募された意見が取り入れられることはめったにない。パブリックコメントとは単なる我々下々の意見を聞いたという証拠つくりではなかろうか?

最近面白いと思っているのがISOに関する論文である。とはいえ、研究者とかISO制度側の方が書いている論文はほとんどない。研究者にとってISO規格とか認証制度というものは俗世間のできごとで、学問とは遠いのかもしれない。
もっとも大学の先生でISO審査員をしている方もいるし、ISO審査員が本を書いて有名になり大学教授になった例もある。
ただ、最近はISOそのものの流行が過ぎてしまった感はある。そう考えて振り返ると2000年頃には大学教員がISOについて書いた論文はけっこう見つかる。

ISO関係者が書いているのには論文といえるものは少ない。ISO-TC委員が書いているものは規格解説やISOでの審議報告がほとんどである。また第三者認証制度関係者はアンケート調査報告とか新しい制度の広報などが多い。そして審査員が書くものはエッセイの類がほとんどである。
論文というなら、それまでに発表されていないアイデアを、証拠によって正当化したものでなければならない。
「まちがいだらけ」なんて本を書いている方がいるが、単に間違いだらけといっては論文の作法に反する。論文であるというなら、ご本人より先に同じアイデアが論じられていないことの確認、間違いが事実であるという証明、間違いの発生率がなにかに比較して多く「だらけ」といえるほどである証明、そして己の論が正しいという証拠がなければ「間違いだらけの○○」は論文ではない。
おっと間違いだらけという本が間違いと言っているのではなく、論文ではないということを申し上げているのである。とはいえ、間違いだらけという本に間違いがないということでもない。
アパ論文というのを覚えておいででしょうか? 2008年に当時の田母神幕僚長が書かれたものですが、あれは論文ではありません。確かに文字の連なりで文章ではありますが、論文ではないのです。あれは個人の思いを書いたものであって、エッセイとか檄(げき)というべきでしょうか?
檄とは
  • 古代中国で、召集または説諭の文書。
  • 自分の考えや主張を述べて大衆に行動を促す文書。
  • 誤用であるが、励ますこと、励ましの言葉や文書。

  • そんなわけでISOに関する論文を書いているのは、大学生の卒論とか修士論文がほとんどで、博士課程後期の方がISOについて書いたものは少ない。博士課程後期になるとISOには関心がなくなるのでしょうか?
    まあ、そのレベルの方が書くのですから、論文といっても真理を探究しようとか、認証制度を改革し向上させようなんて理想に燃えたものはない。とにかく大学の卒論を書かなくてはならないのよとか、修士になるためにはアホでないことを証明しなくてはならないというものがほとんどです。だから、書くことに意義があるとか、文字制限があるので最低文字数は書かなくちゃなんてのがミエミエなものなどいろいろある。
    だからその主張(命題とは思えない)は、ISOはすばらしい!、ISO認証した企業はこんな成果をあげている!、なんてものがほとんどを占める。中には陳腐な規格解釈を延々と書いたものもある。ISOを経営に取り入れて成果をあげている事例、環境教育の方法論など、どっかのISO雑誌が書いた記事の焼き直しのようなものも多く見かける。
    「ようなもの」ではなく、実際に焼き直しかもしれない。
    そんな論文を読んでまったく新しいアイデアとか、革新的事例などおみかけしたことはない。しかしやはり一般市民がはじめてISOに接して持った印象とか、ISOに期待していること、極端に言えばISOに対する畏怖とか願望・妄想などがわかる。
    ISOに入り浸って、純真さを失い、すれてしまった私のような人間に、そんなことを気づかせてくれることは間違いない。

    ところで、どんなふうにして論文を見つけるのか?とおっしゃいますか。何も苦労することはありません。パソコンがありインターネットにつながれば十分です。もっとも私の場合は、モニターで長い文章を読むのは苦痛なので、プリントアウトして通勤電車で読んでます。そして読み終わったら駅のゴミ箱にポイです。とっておきたいと思うような論文は、めったにありません。
    ところで、論文を探す方法もいろいろある。グーグルでキーワードを入力してもよいが、論文検索という独特の検索エンジンがある。論文検索エンジンにも多々ある。グーグルで論文検索と入力して一番初めに出てくるのが、CINII(サイニィ)というものだ。国立情報学研究所というところが多様な論文を集めて検索できるようにしたもの。
    そのほかに国会図書館とかgoogleそのものにも論文検索がついている。いろいろあるが、とりあえずCINIIについて話を進める。
    例えばISO14001を入力すると1702件とでてくる。(2011.04.09時点)もちろんこの中にはネットで読めるものと読めないものがあり、読めるという条件をつけると150件となる。
    読めるものはそのままクリックすると、pdfファイルを読むこともダウンロードすることもできる。
    これはいい!
    もちろん読めないものは雑誌に掲載されたものとか非公開のものであり、パソコンに座ったままでは読めない。それを読みたければ大きな図書館か、可能なら国会図書館に行けば読める。ものによってはお金を払うとネットからダウンロードできるものもある。
    まあ、そのくらいは行動力がなくてはならない。

    本日のまとめ
    感心するような論文はありませんが、初心に帰る機会を与えれくれたことに感謝



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