ケーススタディ 規格解釈

12.07.05
ISOケーススタディシリーズとは

夏真っ盛りである。横山はハワイに行くと言って今週一杯休暇を取っている。まもなく日経環境経営度調査があるから、まとまった休みを取るなら、その前にと中野が言ったらしい。
../sunbath.jpg 森本は監査で出張だ。彼もここに来て1年半になる。最近は森本もしっかりした考えをするようになって、なんとか一人前になったようだと山田は思っている。おかげで山田は以前ほど森本の監督に気を使っていない。

そして現在の仕事の負荷と在籍人数をみるにつけ、このままでは人を減らさなくてはならないと考えている。以前廣井部長は、森本は2年間だけ預かるということであったが、その約束がまだ生きているならあと半年で千葉工場に戻すわけだ。しかしその後なんの話もない。このまま森本が居ついてしまうなら、環境保護部は一人余剰になる。管理職の仕事とは、簡単に言えば人件費管理だ。不要な人件費を減らすことを考えるのは仕事そのものである。そのとき減らす人間が自分であってもおかしくない。
今年度の大きな仕事として工場の環境担当者教育があり、下期から始める予定だ。これもフレームワークを作ったら自分がいなくても進んでいくだろう。いやそういうふうに計画を立てなければ職務を全うしたことにならない。
次年度ここを去ることになったとしても、山田がしたという実績を残したいと思う。だからこそ下期の課題をしっかりやろうと、そんなことを最近考えている。

藤本が山田の席に歩いてきた。
藤本
「山田さん、ちょっと話しかけていいかな?」
山田
「はい、なんでしょう?」
藤本
「ISO規格というものは、そのままスット理解できるというか、そのまま会社に適用できることって少ないよね。そこで解釈というか、規格に書いてあることは、どのように社内に具体的化するか考える必要がある」
山田
「はあ、それで」
藤本
「山田さんが、規格項番ごとに、どのように解釈して実際の展開につなげているのか、その一般的な考えというか手法があるのかを知りたいと思ってね」
山田
「うーん、私の考えというかアプローチというのは、藤本さんがおっしゃったようなイメージではありません。もっと自分本位というか、規格からスタートするのではなく、現状からスタートにするという発想ですね」
藤本
「山田さんのいうのがよくわからんが、私の考えを聞いてくれ。
規格には要求事項が記述されている。その要求事項をひとつずつ具体化というか、会社の仕組みや文化に合わせて対応することが必要だよね」
山田
「うーん、どう言ったらよろしいでしょうか。まずスタンスから違うという気がします。規格があってそのためにという発想を私はしていません」
藤本
「はあ、それはどういうことかな? ちょっとわからないが?」
山田
「私は元々営業マンですから、営業マン的発想という前提で考えてくださいね。別に私の考えを押し付けるつもりはありません。 例えば営業の場合、お客様から、これこれこういう品物がほしいと言われたとき、どう対応しますか? アプローチと言ってもいいかもしれません」
藤本
「そりゃ、示された仕様に合わせて作るということじゃないのかね? 営業担当者の立場としては、工場に仕様書を示して見積もり依頼することになるだろう」
山田
「もちろん特注品とか高くても良いというなら、そういうアプローチもあるでしょう。しかし普通の場合、そういう話を聞けば現在手持ちの商品でそれを満たすものはないだろうと考えますね。まず標準仕様のもので相手の要求を満たしているものはないか、それがだめなら現行品を最小のアレンジで対応する方法を考えます。そうじゃありませんか?」
藤本
「そりゃそうだね」
山田
「そして、それでもうまい具合にいかなければ、相手が示した仕様がどうして決められたのか、そのなぜその仕様が必要か、用途、使用条件、必要な性能などを伺うと思います。そしてお客様が求めているものを、その目的にさかのぼって、提示された仕様を変えることも含めて、当社にとってもお客様にとっても最小の手間と費用で実現することを考えます。営業ってお客様の声を工場に伝えるだけなら存在価値がありません。お客様にも、会社にも利益にもなることを考えていたつもりです」
藤本
「うーん、山田さんの思考過程がわかってきたよ。でもそれをISO規格に適用するとどうなるんだろう?」
山田
「何も変わりませんよ。そもそもISO規格では要求事項と言ってるわけですから、それは仕様であり結果を求めているだけです。実現するための基準や方法を決めているわけではありません。営業をしていた立場から考えると、ISO規格の要求事項がありきとは思いません。手持ちのものがそれを満たしているかを考えます」
藤本
「だけどISO規格では、なにをしろ、かにをしろと言っているのだが、それらをちゃんとしなければならない。果たして、どういう対応をするのかね?」
山田
「まず発想というか規格要求への対応のもっとも初歩的なものとして、言われたことをするというものがあります。
例えば『是正処置の記録の結果を記録する(4.5.3 d))』なんてのがありましたね。それを読んで『是正処置として何をするのか』を決めて、次に『どのような記録を作成するのか』を考えて実行することです」
藤本
「そりゃ、私が考えていることそのものズバリだから、私はもっとも初歩的なレベルらしい」
山田
「しかしそれではISOに振り回されていることになります。会社のためにISOを使うのか、ISOに使われるのかは、それこそ天動説と地動説の分かれ目です」
藤本
「わかった。では初歩的を卒業したレベルとはどうなるのかな?」
山田
「少し考えれば、当社に限らずどの会社も、曲がりなりにも過去よりビジネスをしてきたわけです。そういう会社がISO規格を満たしていないはずはありません」
藤本
「おいおい、かなり強気だね」
山田
「私はまじめに言いますが、自分の仕事に自信がなければお金をもらえません。私はお情けで生きているつもりはありません」
藤本
「参った、山田さん、君はプロサラリーマンだ」
山田
「それは会社の立場で考えても同じです。当社に限らずどの会社も、法を守りまっとうなビジネスをして利益をだし、株主に配当を払い、従業員に賃金を払い、税金を払い、有形無形の社会貢献をして、そして社会から存続を認められているのです。
つまり長年事業をしてきた会社は、社会的に求められる条件を満たしていると考えるべきです」
藤本
「論理学的には逆は真ではない」
山田
「論理学的には逆は真ではありませんが、経験的には真と考えてよいでしょう。
ところで藤本さん、まだまだ本題にたどり着いていません。ともかく存在している会社はすべからくQMSもEMSもエネルギー管理もその他ISOが最近になって語っているような仕組みを、元々組織の本質として具備しているはずです」
藤本
「そりゃ、言い過ぎでないのかい?」
山田
「もちろん品質システムがプアだとか、環境管理において欠落している要素があるということは多々あるでしょう。しかしマネジメントの仕組みそのものは、組織の性質として必ず備わっているはずです。
という前提で考えた時、ISOの規格要求事項ごとに、過去よりしている企業の手順や文書や記録をみて、該当するものをひも付けして引用する、ISO的に言えばリファレンスすればよいということになります(ISO9001:2008 4.2.2b/ISO14001:2004 4.4.4c)
先ほどの是正処置を例にとれば、『過去からしていることで是正処置と言えるものは何か』を考えて『そのときに作成している文書を是正処置の記録にあてはめる』ということになります」
藤本
「山田さんの語る意味が分かった。そういうのが上級者なのか・・」
山田
「いや、それは私が以前考えていた方法なのです。今では中級者の手法だと思っています」
藤本
「おいおい、それでも中級者なのか。では上級者の奥義を伝授してほしい」
山田
「実を言って上級はテクニックが上級というより、考え方が上級ということなのかもしれませんが・・
まず初級者の方法は『規格要求A→Aを行う』というふうに書くとします。
次に、中級者の方法は『 規格要求A→Aに見合ったものを見せる』ということです。
しかしなぜ組織はわざわざ、そのような手間ひまをかけて規格要求に見合ったものを探して見せなければならないのでしょうか?
そもそも認証機関の審査員は組織が規格適合か否かを調べに来ているわけです。それならば組織側はなにもしないで、先方に調べてもらえばいいじゃありませんか。
そこで上級者の方法は『規格要求A→Aに見合ったものを見つけてもらう』ことになります」
藤本
「はあ! そんなことが審査で通用するのだろうか?」
山田
「あの〜ですね、ISO審査はプロセスアプローチという方法で審査をしなければならないことになっています。これはJABがもう何年も前にから認証機関に指導していることです(2007/4/13「マネジメントシステムに係る認証審査のあり方」)
藤本
「つまり規格項番順ではなくプロセスに沿って審査することだね?」
山田
「そうです。仕事の流れ、品物の流れ、工程順、トラブルの対策などの流れを追いかけて行って、その結果として規格要求を満たしているかを確認するのが当たり前のレベルの審査のはずです。
プロセスを追いかけていく審査方法ですと、『規格のこのshallに該当することはなにか?』という演繹的なアプローチではなく、さまざまな証拠、情報を入手した結果、『規格のこのshallは満たされているか否か?』という帰納的なアプローチになることはお分かりでしょう。
そうしますと、組織側が規格適合であることを説明することが、そもそも困難というか不可能じゃありませんか?」
藤本
「ちょっと待てよ、ISO17021には、適合を立証するのは組織の責任とあったのではないか?
ええと・・・藤本は山田の机にあったISO17021の規格票を手に取りページをめくった
『4.4.1 認証の要求事項への適合の責任をもつのは,認証機関ではなく,依頼組織である。
4.4.2 認証機関は,認証の決定の根拠となる,十分な客観的証拠を評価する責任をもつ』

この二つのセンテンスが関係するようだな
4.4.1では組織は『適合を立証しなければならない』とあるようだが・・」
山田
「藤本さん、よく読んでください。4.4.1の文章は適合しているか否かを立証する責任が組織にあるとは書いてありません。適合させる責任があると言っているだけです。
それは当たり前のことですよね、認証を受けようとする組織は適合である仕組みにする責任はあります。誰も審査員に適合にしてくれと頼んでいませんもの。しかし組織は適合していることの立証責任を負いません」

ここは重要である。私は改めてISO17021を全文読み通したし、また電子データをwordで全文検索して見逃しがないか確認したが、組織に適合していることを立証せよという文言はない。
但しE塚先生は「組織が適合を立証する責任がある」と語っていることを申し添えておく。もっとも彼が何を根拠にそう主張したのかは定かではない。


藤本
「そう読んでよいのだろうか? いちゃもんがつきそうなところだなあ」
山田
「先ほども申しましたが、項番順審査なら組織側が、規格項番の『shall』ごとに、対応するエビデンスを提示することも可能かもしれませんが、プロセスアプローチになるとそれはできません。
というか、私は思うのですが、項番順審査を行ったとして、組織側が提示したエビデンスを見ただけで適合判定はできないと思います。いや即物的な意味ではなく、マニュアルにある項番についての文書や記録が書いてあったとしても、そこに書かれていない文書や記録もたくさんあるでしょうし、エビデンスの固有名詞が確定しているものをとりあげても、そのエビデンスの数は無数にあるでしょう」
藤本
「すまん、意味が分からないが・・・」
山田
「規格の頭から環境方針を取り上げましょう。4.2fで『組織で働く人または組織のために働くすべての人に周知する』とあります。これを組織が適合を示そうとしたとき、周知した記録を提示することになるでしょう。しかし周知する手段すべてがマニュアルに書いてあるとは思えないし、また各部門において周知した記録を示したとしても、すべての証拠を出すことも見ることもできないでしょう。言いたいことは、提示されるエビデンスは必要条件であっても十分条件では決してないということです」
藤本
「山田さんが言いたいことは、そもそも項番順審査において組織が適合を立証しようとしても、必要条件でしかなく、審査側は十分条件を確認していないということだね?」
山田
「私の意図が通じてよかったです。プロセスアプローチになっても審査側は必要条件について質問や確認はできるでしょうけど、十分条件であることの確証は絶対に得られない」
藤本
「おっと、そりゃ当然だよね。ISO17021 4.4.2に『サンプリングであるから要求事項に100 %適合していることを保証しない』とある」
山田
「要するに項番順審査で組織側が、規格対応のエビデンスを提示しようと、プロセスアプローチで審査側が見たいエビデンスをみても、どちらにしてもサンプリングなのだから100%確実はありえない」
藤本
「というと、どうなるんだ?」
山田
「つまり『規格要求A→Aに見合ったものを示す』ことも『規格要求A→Aに見合ったものを見つけてもらう』ことも実質的に同じだということになります」
藤本
「えー、なんか独断の暴論に聞こえるがなあ〜。それで論理は間違いないのだろうか?」
山田
「それこそがプロセスアプローチを採用する理由です。審査員は現実を見る、つまり経営者の方針が展開され実行されているかをみて、方針が周知されているかを判定しなければなりません。
もちろんそれであっても必要条件はみても十分条件ではない。それはやむをえません。
今までの話の根拠を一言で言ってしまえば、組織が規格適合であることを立証することは、悪魔の証明なのです。そんなことができるはずありません。ですから審査員が不適合を立証する責任があるということです。これを理解していない審査員は多いと思いますね。審査員だけでなく飯塚さんというISOの指導的な立場(だった)人もそんなことを言ってます。
論理的に考えたら、それは明白な間違いです。
組織は被告人、審査員は検事と考えれば、立証責任は検事にあるのは明白で、組織は不適合と提示された証拠を否定するだけでよいのです。その意味で『不適合がなければ認証して良いのか』と飯塚先生は語っていますが、それは明らかな間違いです」
藤本
「さきほど、山田さんが論理的には真ではなくても、経験上は真だと言ったが」
山田
「この場合については経験上も真だとは立証されていませんね。だっていくらエビデンスを積み上げても、まだでてくる可能性を否定できないんですから」
藤本
「山田さんがそう言うと、正しいように聞こえるが・・・どうなんだろう?」
山田
「実はそれで上級者方式は採用できるとは簡単にはいかないのです。
問題のひとつに、マニュアルという難題があります。今議論の対象はISO9001ではありませんが、9001ではマニュアル作成とそこで規格要求事項の文書記録のリファレンスを求めています。上級者方式ではこれは満たしません。
ISO14001ならどうかと言いますと、ISO規格文言にはマニュアル作成要求はありません。しかし多くの認証機関は審査契約の中で環境マニュアルを作成し提出することを求めています。それだけではなく普通の認証機関は・・並みレベルのという意味ですが・・審査前に環境側面や法規制一覧表の提出を求めます。もちろんそういうものの事前提出は不要としている認証機関もあります。提出不要とする大人の認証機関なら、今申しました上級者のアプローチでもまったく問題ありません。
しかし、事前にマニュアルやその他の資料がほしいという子供レベルの認証機関の場合、マニュアルの記述をどのくらい細かく書かないと納得してもらえないかという問題があります。言い換えれば細かく書いてやらないと理解できないレベルの認証機関というべきかもしれませんが。
藤本さんもご存じと思いますが、規格にある文言すべてがマニュアルに網羅されていないと不適合になるということが現実です。おっと、そんなことを言うのは、アホな認証機関限定ですけどね」
藤本
「オイオイ、かなり危ない言い方だな。
だが、そのような不適合は審査報告書をめくっていてたくさん見かけたね。『環境方針をすべての従業員に周知すると記述していない』とか、『規格では手順を確立し、実施し、維持することとあるが、手順を確立し、実施するとしか書いていない』なんてのが不適合になっていた。ISO17021をみても、不適合にする根拠が見当たらなかったね」
山田
「正直言えば、ISO17021には、そのへんは細かく書いてないようにも思えます。事前の確認は第一段階審査で行うことになっていますが、その記載内容はアバウトですから・・。
しかしそもそも、よそ様に行って審査してあげましょうというからには、監査性が低い組織の規格適合性審査ができる力量が必要です。組織に規格を理解してほしいとか、審査員に分りやすく説明してほしいなどというのは、責任転嫁と言えます。監査性が低ければ審査できない力量しかない人や機関は、第三者認証事業などに関わってはいけないのです」
藤本
「いつもと違い、今日の山田さんの話は熱がこもっているね」
山田
「ISO9000sの黎明期はともかく、ISO14001に関しては国内で先走った某大手認証機関が規格解釈を教条化して、それを押し付けるということをしました。それ以外の解釈はすべて悪魔の教えというわけです。そのとき外資系の認証機関(s)はその某大手認証機関の解釈を笑っていましたが、他の国内の認証機関にはその解釈が浸透していったように見えます。そして今でもその汚染は広まったままです。何事においてもエントロピ増大の法則は真理なのです。
しかしそこには間違いが多々あります。おかしな考えそのものも間違いなのですが、認証機関の解釈が唯一のものであって、それ以外はだめという発想がまずおかしいですね。失礼ながら藤本さんが冒頭におっしゃった規格の理解という発想は、その某大手認証機関の延長と思えるのです」
藤本
「ちょっと待ってくれよ・・・山田さんの発想はISO認証することが目的ということになる。そのアプローチでは、ISO認証することによって会社を良くするという効果は期待できないね?」
山田
「そのとおりです。先ほど申しましたが、そもそもどの会社もひとつのマネジメントシステムが組織の属性として、具備しているのが必然です。認証とは、そのシステムが規格適合であることを外部に確認してもらうことの意味しかありません。
とはいえ、審査の結果、必要条件が漏れている、不十分なこともあるでしょう。それは堂々と指摘してもらい改善することによって、それが会社を良くすることになるでしょう。もっともそれは1回限りかもしれませんが」
藤本
「うーん、ますます混沌としてきたな・・・いや私の頭の中が・・
いずれにしても組織側が上級者のスタンスで来ると、審査員はそうとうの力量が必要になる」
山田
「認証を受ける会社の立場では、初級者方式であろうと中級者、上級者でも構わないでしょう。単に社内のアプローチが異なるだけです。
しかし審査をする立場では、常に組織の状況を見て、それがISO規格を満たしているかを確認するというアプローチでなければなりません。でも考えてみれば組織が提出した環境側面や法規制をみてスタートするという発想はおかしいです。審査員がその組織の現実を見て環境側面や関係する法規制を推し量り、それと組織自身の認識をコンペアし評価するのではないでしょうか。
要するに、組織に初級者方式を要求するのは初級者審査員なのです。日本はもう20年もそういう審査員によってダメにされてきたのです。本来はそういう審査員は淘汰されるべきでしょう」
藤本
「うーん、ISO規格を理解するという以前に、ISO規格とはなにか、認証とは何かをもう一度考えないといけないな。山田さんの考えを理解したのかしていないのかわからないが、すこし考えてみる。また相談させてくれ」

うそ800 本日の裏話1
先日、ぶらっくたいがぁさんと規格解釈で若干意見交換をした
そのいきさつが面白いと思ったので、藤本と山田に思考実験をしてもらった。
タイトルが規格解釈であるが、決して外しているとは思わない。いや、そのものズバリだと思う。

うそ800 本日の裏話2
実を言って、これと同じモチーフでだいぶ前に書いたことがある。日付をみたらもう6年も経っている。あのとき既に私は解脱していたのか、それとも進歩がないのか、いずれなのだろう?



名古屋鶏様からお便りを頂きました(2012/7/6)
とりあえず、途中まで読んだところで鶏頭はオーバーヒートを起こしました。あいすいません・・・・


鶏様
毎度ありがとうございます
ご冗談を

湾星ファン様からお便りを頂きました(2012/7/6)
第三者審査が第二者審査の代替として生まれた経緯からすると、師匠の仰る上級者というのも違和感を感じます。現実は、第二者審査の代替として役に立っていないので、違和感はあまり無いのですが。というか、児戯に等しい審査しか受ける機会の無い組織に属しているモノとしては、中級ですら絵に描いたモチです。

湾星ファン様 毎度ありがとうございます
おっしゃるように、バーチャルの世界ですから、なんでもありかと 笑

ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2012/7/7)
そこで上級者の方法は『規格要求A→Aに見合ったものを見つけてもらう』ことになります」

自分が上級者だなんて思ったことは金輪際ないですが、このような考え方が至ってマトモだと思います。そして、現実にこの考え方で認証維持してきました。
にもかかわらず、そうでない組織、審査員、認証機関がうじゃうじゃいることを、とても奇異に思います。
『規格要求A→Aを行う』と『 規格要求A→Aに見合ったものを見せる』は天動説で、『規格要求A→Aに見合ったものを見つけてもらう』は地動説と位置づけられるのではないでしょうか。

たいがぁ様
それはちょっと厳しい見方じゃないですか?
私は『規格要求A→Aを行う』は天動説で、『 規格要求A→Aに見合ったものを見せる』と『規格要求A→Aに見合ったものを見つけてもらう』が地動説と思いますが・・・
それと第三の方法は、たいがぁさんの会社が依頼している認証機関はオッケーですが、そのへんの認証機関では対応できません。
それが現実です。そこんところを忘れてはいけませんよ

ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2012/7/7)
天動説か地動説かを抜きにして、カネを払う側(つまり、客)が労力をかけて『 規格要求A→Aに見合ったものを見せる』というのが、私はビジネス感覚として腑に落ちないのです。
「お金をいただいたからには、当方が責任を持って適合の証拠を探させていただきます。御社はラクになさっていてください」というのが業者側(認証機関)のとるべき姿勢ではないでしょうか。(もちろんこれは、甘い審査でホイホイ通すという意味ではありません)

たいがぁ様
まいどありがとうございます
おっしゃるとおり、そういう顧客満足の対極にいる認証機関と審査員が現在の認証制度の惨状を招いたってわけですよ
ただ一挙にそこまで行くのは小学生に微積を教えるようなもので不可能ですから、私は中級クラスから歩み寄っているってわけです
困ったものです


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