ケーススタディ 病院に行く その1

13.06.23
ISOケーススタディシリーズとは

タイトルが病院にいくであるが、別に登場人物が病気や怪我をしたわけではありません。ご安心ください。

山田はここ数日工場の監査で出張していて、今朝は久しぶりの出社だ。山田は関係者に通常用と緊急用のふたつのメールアドレスを伝えておき、緊急用は事故、違反のみとしている。出張中は緊急用だけをチェックしている。それにスマホでは添付ファイルなどがあった場合、処理も楽ではない。ノートパソコンを持ち歩いていたのは1年以上前までだった。軽いと言っても1キロ以上あり、携帯するには重かった。携帯電話をスマートフォンしてからはノートパソコンを持ち歩くのは止めた。スマホは軽く小さくポケットにも入る。しかもGPSがついているので初めて訪問するときも道に迷わない。
私が現役の時は、出張前には必ず地図を印刷して持参した。ところが現地に着けばどちらが北か南かわからないことも多い。サッポロは縦横碁盤の目のようでわかりやすいなんていうけれど、くもり空なら太陽は見えず、通行人がいなければ尋ねることもできず、途方に暮れたこともある。それと東京大田区のように街並みが入り組んでいると道を一筋間違えるともうたどり着けないことも多かった。タクシーの運転手に中小企業の名前を言ってもわかるはずがない。
あんなときスマホがあり、GPSが使えたらよかったのにと思う。
しかしなにしろ能力が限定的なのはしかたがない。
通常用にはメールがさぞかし溜まっていることだろう。いささか暗い気持ちでパソコンが立ち上がるのを待っていると、電話が鳴った。
山田
「おはようございます。環境保護部の山田です」
「人事の湯川です。山田さんに相談があるのです。ご出張と聞いて出社されるのを待っていたのですよ」
山田
「はあ、まだ始業前なのに私が出社したのがよく分りましたね」
「入館するとき社員証をセキュリティチェックに当てるでしょう。それで誰がいつ出入館したかがわかるわけ。山田さんを一刻も早く捕まえようとちょっと細工をしていたわけよ」
山田
「なるほど、その様子ではお急ぎのようですね。それでは今から人事にお邪魔しましょうか?」
「お願いできますか? お宅には個室がないから話が他の人に聞こえてしまいますから」
山田
「わかりました。じゃあ、すぐに行きましょう」


人事部の会議室。
山田
「湯川さん、なにか事件ですか?」
「まあ、事件というほどではないのですが、人助けと思って・・
まず背景から説明しますね。人事部というのはある意味官僚のような世界なのよ。毎年入社して人事に配属されるのは数人いるわけ。よほどのチョンボをしなければ誰でも順調に課長まではなりますね。人事課長というのは各事業所にひとりずついるので、工場や研究所それに支社があるので全部で30数人存在するわけ。毎年5人採用するとして、みな順当に課長になれば6・7年間人事課長をするということがわかるでしょう。
ところが部長クラスになると大きな事業所だけだから数人いれば間に合う。いったん部長になれば数年間部長を勤めるでしょうから、部長になれる人は課長5人の内一人くらいですよね。残り8割の課長は部長になれないわけよ。更に本社人事部長は一人だし、その上の人事担当役員になれるのは更に2人にひとりとかになるわけでしょう。
真剣勝負の椅子取りゲームで座りそこねた人は、当社に平社員で残るわけにはいかないから、子会社や健保組合に出向とかなるわけ。だけどそれでも吸収できないわけよね」

人事担当役員 うれしいな カナシー
出世
人事担当役員の在任期間は部長より長いから、二人に一人くらいしかなれない。
本社人事部長 うれしいな ギャ
出世
工場の人事部長 うれしいな うれしいな カナシー カナシー ギャ カナシー ギャ カナシー
出世
人事課長 うれしいな うれしいな うれしいな うれしいな うれしいな うれしいな うれしいな うれしいな ギャ
出世
入社時 うれしいな うれしいな うれしいな うれしいな うれしいな うれしいな うれしいな うれしいな うれしいな

山田
「営業の場合はちょっと様相が違いますね。私たちは売ってナンボという世界ですから、数字を出せない人は課長にもなれません。あなたの目の前にいる人も営業で課長になれませんでした。
反対に新しいビジネスを起こせば職位がどんどん増えていきます。自分で新しい部や課を作って、その部長・課長になるのは最高の栄誉です。それに役職定年になっても、その人のノウハウや人脈を買われて残る人もいますし・・」
「そうなのよ。そこが人事と他の部門との違いよね。人事部門は売上とか開発というのがないから、生き残るためには、成果を出すよりも、ミスをしないことが最重要ね。
幸い当社のような会社に入って人事課長とかになる人は、世の中の水準から見て能力があるわけ。それで資本関係のない会社や教育機関などから人材を求められることも多いのよ。どこにいっても人事とか総務という業務は共通なこともあるのね」
山田
「そりゃうらやましい。私の場合はそういうケースはなさそうです」
「ま、ご高名な山田さんともあろう方がご冗談を
それはともかく私と同期入社で太田さんという方が工場の人事課長をしていたのですが、昨年、某県の市立病院の事務長として出向したの。出向といってもほぼ戻ることのない片道切符なんですけどね。それは人事部門の宿命だからしょうがないとして・・


山田は湯川の話がどうなるのか見当もつかない。
「その病院では数年前にISO4001を認証していて、太田さんはISOの管理責任者でしたっけ? それも担当しているのよ。ところがそこのEMSの仕組みが複雑極まりなく、ISOの資料や記録作成の仕事が煩雑で・・
そしてそんな仕事をする部下もおらず、正直言ってノイローゼになりかかりなの」
山田
「なるほど、よくあるケースですね」
「そういうことってよくあるのですか・・。
ともかくそうなっては太田さんご本人としても深刻な問題だし、当社としても送り込んだ人が先方に役に立たないと困るわけ。ということで山田さんに支援をお願いしたいの」
山田は頭の中でどうしようかと数瞬考えた。
山田
「確認したいのですが、それは湯川さん個人の要請ですか、それとも人事部としての要請でしょうか?」
「うーん、ホンネは人事部の意向ではあるけど、タテマエは私個人のお願いと理解してくれないかしら」
山田
「人事の内部事情はあるのでしょうが・・・・ 出張してお手伝いするには、お金も時間もかかります。私の裁量範囲には限界があります。何度も行くようになれば、私の上長である廣井さんの了解をとっておかないとなりません」
「あまり大げさにすると、太田さんの力量の問題にもなってしまうので・・・人事部としては正式にはお願いしたくないのよ」
なるほど、それはわかる。とはいえ、あいまいなままに請け負うのもあとで問題になりそうだ。
山田
「それじゃ、お宅の部長から廣井さんに立ち話でいいですから、『うちの者がお宅の山田課長になにごとかお願いしているそうだがよろしく』程度のことを言っておいてもらえませんか」
湯川は数秒考えていった。
「わかりました。そうしましょう。
では詳細の話ですが・・」

湯川の話を要約すると次のようになる。
半年ほど前、太田は人口10万ほどの地方都市の市立病院の事務長として出向した。そして通常の仕事のほかに、ISOの管理責任者の役目を仰せつかった。太田はそれまでISOにはまったく関わりがなかった。そして今、太田はいろいろ勉強しているものの、なにがなんだかわからず悩んでいるということだ。

山田と湯川と話し合って、山田が病院の近くの子会社に行ったついでに、病院のEMSを拝見するという理由をつけてお邪魔することにした。



太田が出向した病院はJRも私鉄も鉄道が通っていない町にあった。普通、都市というものは鉄道線路沿いにあって駅があるものだが、栃木県や群馬県には鉄道が通っていない市町村は珍しくない。だから群馬県は日本一の車社会である。
山田は湯川から依頼されてすぐに、太田に環境保護部の者だが、病院の環境ISOについて勉強のために見学したいとお願いした。そして太田からはぜひ来てくださいとの返事をもらっていた。
バス 山田は1週間後、その病院を訪問した。最寄駅といっても10キロくらい離れていて、バスを乗りついでたどり着いた。その市立病院はベッド数250床の、田舎としてはけっこうな規模の病院である。この地域は車社会だから、病院の前に車がは200台は置けるような校庭のように広い駐車場がある。
山田は受付で太田を訪ねてきたことを告げた。
すぐに太田は現れた。40歳くらいでまじめそうな感じのいい男だ。山田は、自分がこのくらいの時は、営業で目が出ず落ち込んでいたことを思い出した。
簡単な挨拶をしてから太田は自分の事務室に案内した。
太田
「山田さん、山田さんがお見えになったわけはだいたい想像つきますよ」
山田
「はあ、なんでしょうか?」
太田
「いやね、2週間くらい前になるかな、人事部次長が私の様子を見にここに来たんですよ。そのときISOの事務局を仰せつかったんだけど、なにがなんだかわからないんですわとこぼしたことがあるんです。それで人事部の方で心配して環境保護部に頼んでプロを送り込んできたのでしょう。
山田さんのお名前でググるとたくさん見つかりました。社外の講演会、大学での講演、環境事故防止の新聞記事もありましたね、それに環境月刊誌に寄稿・・
今更ISO認証した病院を見学する必要はないじゃないですか」
山田
「アハハハハ、そうですか。それなら話は早い。人事の方では太田さんがノイローゼになっているんじゃないかって心配しているんですよ。それで私に話があったのです」
太田
「ノイローゼですか、そりゃ大げさですよ。私だって人事屋稼業が長いですから、多少は鍛えられています」
山田
「太田さんが元気なのは確認しましたが、これも何かの縁、お困りのことがありましたらお手伝いしたいと思います」
太田
「人事の面々も私を心配しているのでしょう。山田さん、せっかくだからご指導をお願いします。
ともかくISOというのは初めての経験ですが、不思議というかわけのわからないものですね」
山田
「わけが分からないとおっしゃいますと・・・」
太田
「ISO規格は何度も読みました。『なになにすること』ってたくさん書いてあります。実を言って人事屋というのは、労働三法とか安全衛生とか保険関係とか結構法規制に関わるのです。それで法律を読むことには慣れているつもりです。
そんな経験から、ISO規格で『なになにすること』と書いてあることにはこういうことをすれば良いのだなと見当が付きます。ところが・・・」
山田
「ところが?」
太田
「ここのコンサル、黒部さんというのですが、彼が言うにはISO規格で『なになにすること』と書いてあることは、私が考えたこととは全く違い、それに対応して行うことは決まっているというんです。
うーん、ちょっと例が浮かびませんが・・・・そうです、そうです。教育訓練という項目がありましたね。あれってタイトルには教育訓練と書いてありますが、本文には教育訓練をすることと書いてありません。だから教育訓練はしなくて良いと思いました。ところが黒部さんは全員に教育訓練をしなくてはならない。その記録を残してと・・・ドンドン仕事が増えていくのです。
私が規格のどこに書いてあるのか? なにに決まっているのか? と何度も質問したのですが、黒部さんはそうしなければ不適合になるというだけでどこに書いてあるのかは知らないのです」
山田
「黒部さんとはどんな方ですか?」
太田
「ここの病院のISOコンサルをしている方です。この病院のISOの仕組みは、黒部さんの指導で作ったもので、認証機関も黒部さんが決めたところなんです。
黒部さんはこの病院の企業長の古い友人とかで、数年前に大手企業を定年退職してからISOコンサルをしている方です。実を言って、この病院のほかに市内の中小企業一二社のコンサルをしているだけと聞いてます。プロフェッショナルなコンサルではないようです」
山田
「するとISOの仕組みは、元からある病院本来の環境管理の仕組みとは別個のものということですか?」
太田
「環境管理という言葉と環境マネジメントシステムという言葉が同じなのか違うのかわかりませんが・・
病院ですから医療廃棄物、法律では感染性というんでしたっけ? その他に食べ物から自販機の缶やペットボトル、紙類など大量の廃棄物が出ます。その他、空調には軽油を使いますので消防法にも関わります。電力も大変です。省エネルギー法の規制はうけませんが、公立の機関は省エネに厳しいですからね、過去ずっと省エネがテーマになっています。
そういったこと、つまり防火、防災、省エネ、廃棄物管理や削減のルールは過去からあります。市立病院ですからそういうルールは細かく決めてあるのです。
ところがISOのためのルールというか、省エネとか廃棄物その他のルール、ISOでは手順書と呼んでいるのですが、そういったものがまったく別にあるのですよ」
山田
「なるほど」
太田
「先ほど言いましたように、人事屋は法律を読むことが多く、私だって読み慣れているつもりです。法律で手順書というと社内文書のことを意味するのですが、ISOで手順書というと『手順書』という名前の文書を意味するようですね」
山田
「アハハハハ、そんなことありませんよ。ISOの手順書の意味と法律の手順書の意味は同じですよ」
太田
「えっ、そうなんですか、そうですよねえ〜、違う理由はなさそうです。
ともかく現状は病院を動かす実務のルールと、ISO審査のための手順書があります。
私は両方のルールをお守りしているわけですよ。自虐を感じますよ、アハハハハ」
山田
「ルールが二つあると大変ですね」
太田
「そうなんです。この病院ではISO14001を認証しているとは言っても、医師や看護師その他ここで働いている人たちは『ISOってなに?』って状態ですよ。ISO審査の時は審査員の質問に答える人は決めておいて、その人だけが対応するようにしています。
そしてISOのための記録や文書ってありますよね。前任者の事務長は私に引き継ぐと定年で退職しましたが、ISOのことは何もしていなかったそうです。前任者の時は、すべてコンサルの黒部さんが作文していたそうです。
今は、記録の作成や文書の維持は私がしています。はっきりいって作文ですよ。総務のメンバーは全員はなからISOなんてばかにしていますからね、
議事録なんて会議していないのに作成するのです。安全衛生委員会を開催せずに議事録をねつ造したなら安衛法違反で罰金刑ですよ。ISOには罰則はないようです。アハハハハ
その他に、内部監査やマネジメントレビューなども、私が作文していますよ」

太田は普段の不満を吐き出すように語った。
確かにこの病院にはISOのためのEMSと実際のEMSがあるようだ。話を聞いていると、内部監査やマネジメントレビューだけでなく、環境目的や目標もバーチャルのようである。
山田は女子事務員が持ってきたコーヒーをすすりながらどうしたものかと考えた。とはいえ、山田は絶対にペンディングを残さない。

山田
「太田さん、今後の話ですが、人事から言われていることもありますし、太田さんのお立場もお悩みも分りますし、必要ならこれから支援しましょう。時々来ることもできますが、どうしましょうか?」
太田
「正直言いましてこのままでは破局に向かうだけで、なんとかせねばならないという状況なのですが、どうすればよいかが全然わからないのです。できれば今後の具体的対策についてアドバイスを頂けたらと思います」
山田
「抽象論ではなく、どうでしょうか、次回はコンサルの黒部さんとお会いしてお話しする機会を作ってくれませんか。
私自身、当社グループ企業のコンサルのようなことをしています。しかしこの病院で既にコンサルを依頼しているのであれば、その方を活用するのが筋でしょう。また過去のいきさつの話も聞きたいですし」
太田
「わかりました。ちょっと待ってください」
太田は病院内で使うPHSを取り出してメモリーされた番号をプッシュした。
太田
「あ、黒部先生ですか。市立病院の太田でございます。いつもお世話になっております。
最近お顔を見てませんねえ〜、いろいろと打ち合わせをしたいことがありますので、来週あたり2時間ほど来ていただけないでしょうか・・
そうですか、じゃあ来週の水曜日午後1時からということで、ではよろしくお願いします」
山田
「では次回またお邪魔します」


うそ800 本日のお断り
この話は実話かと問われると、まじめにノーコメント。肯定はしないが否定もしない。

うそ800 本日のお断り その2
だいぶ前にケーススタディシリーズを終了する予定と書きましたが、書くことがドンドン湧き出てきて、なかなか終わりそうありません。少し前、「もうケーススタディは終わる」と書いたのは虚偽の説明とか問い詰められそうですが・・
エイリアンもダイハードもスターウオーズも延々と続いているので、これもまあよしとするか
でも、JABや飯塚教授が「ISO審査で企業が虚偽の説明をしている」と語ったことを私も批判できないか 




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