ISO第3世代 59.閑話 磯原の休日

23.03.20

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。

ISO 3Gとは

小説もどきは何度も書いてきたが、私の書くものでは主人公の家族はまず出てこない。過去に書いたお話で、家族のセリフがある場面は「マネジメントシステム物語」で佐田の帰宅に合わせて妻が子供を連れて公営住宅の入り口まで迎えに来たとき(第1話)と大家さんが来たとき(第79話)、そして「審査員物語」で三木が奥さんとISOの話をしたときくらいである(第2話)

実を言って、私の現役時代に家族(家内と子供たち)との関係は非常に希薄だった。もちろん妻や子をないがしろにしていたわけではないが、結果として人間関係は非常に薄かったのは事実だ。

まず1980年頃まで一般企業では定休日は日曜日だけだった。そして土曜日半休だったのは公務員や三公社五現業だけで、多くの民間企業は8時間労働である。週休二日制というのは1982年頃から広まったと記憶している。

注:昔は土曜日を『ハンドン』と言った。韓国俳優のことではない。語源はオランダ語のzondag(日曜日)からとも、お昼になると時刻を太鼓を叩いて知らせたからともいわれる。

そして今なら社畜と批判されるようだが、当時はモーレツサラリーマンというのが成人男性のあるべき姿だったようで、とにかく家庭は放っても会社でフルパワーで働くのが当たり前というかあるべき姿であった。
「24時間戦えますか」というドリンクのコマーシャルは1989年だから、そういう価値観は1980年代末まで続いていたのは間違いない。
現実に毎日8時間プラス残業、そして帰れば、はっきり言って子供の相手をする時間も体力もない。晩酌して飯食って寝るだけだ。そもそも帰宅は早くて9時、遅い時は11時頃だ。小さな子ならとうに寝ている。

週休二日制になってからも、私は土曜日も会社に行くのが当たり前と考えていたし、仕事量から言っても働かざるを得なかった。当時は管理職ではなかったが、時間外手当は40時間で打ち止めだった。オーバーした分は(以下略)
毎週土曜日には家内に弁当を作ってもらい出勤し仕事をしていた。今でもお昼の温かいなめこ汁を覚えている。サービス出勤なら遅くいって早く帰るのかといえば、平日と変わらず、始業時前から終業時過ぎまで働いた。なぜなら仕事に追いつかないから。

こんなことを言っては何だが、毎月の時間外が40時間でウツになったなんて報道を見ると、不思議でならない。それでウツになるなら、私は殺人鬼になって秋葉で大量殺人でもするのだろうか?
私だけではない。上司はもっと早くから遅くまで働いていた。それどころか、私が若い時は、40歳以上の人は皆戦争経験者で、彼らは「俺たちはヒロポンを打って寝ないで働いた、お前たちはもっと頑張らなくちゃならない」と言われた。
当時人は働くために生きているという認識があったのではなかろうか? もちろんそうでないと暮らしていけないことも事実であった。今とはパラダイムが違う。

土日休みになってからも、土曜日はもちろんときどきは日曜日も会社に行った。出社しないときは疲れ果てて午前中は寝ていた。家内はそんな私をやむを得ないと思って、家事・育児・義理付き合いを一手に引き受けてくれた。感謝しかない。
相撲取り 今家内はこたつに入ってせんべいをかじりながら大相撲春場所を見ているが、当時は家事に育児にパートに行っていた。本当に感謝している。

そんな月月火水木金金げつげつかすいもくきんきんなんて帝国海軍のような生活はずっと続いた。
幼稚園の発表会とか小学校の運動会には行くには行ったが、ほとんど寝ていた。参観日には……行ったことがなかったと思う。
だから子供と、公園で遊んだとか、キャッチボールをしたとか、自転車乗りを教えたとか、一緒に宿題や工作をしたという思い出はない。今考えると家内にも子供たちにも申し訳ないと謝るしかない。時代のせいにする気はないが、今とはパラダイムが違い、当時の社会的規範ではそんなものだった。
ただ純粋に自分の趣味とか遊びで家庭を無視したことは一度もない。私はギャンブルもせず、一人で山にも海にも行かず、一人でうまいものを食ったこともない。家族に貧しい思いをさせないために頑張ったつもりである。

注:月月火水木金金と聞いても意味が分からないだろう。海軍には土日(休日)はないという意味だ。

戦艦大和

そんな生活が終わったのは、1990年を過ぎて会社でチョンボをして品質保証という閑職に移され土日は休むようになってからだ。社会人になって20年以上経ってから初めて残業しない日々を経験した。休日は休み、定時になったら帰る、こんなんで月給をもらってよいのかと驚いた。
そのとき既に上の子は中学生になっていた。もう子供たちに一緒に買い物に行こうなんて声をかけても、お父さんと一緒は嫌と拒否された。悲しいと思う前に、そんなものかと思うしかない。当時私の唯一の趣味である囲碁にハマり、結局家庭サービスをしなかった。

ところが定時で帰れたのは1年もなかった。風が吹けば桶屋が儲かる、北京で蝶々が飛べばと語られるように、世界は因果がつながっている。
EU(欧州連合)が成立したとたん、にわかにISO認証なるものが現れた。閑職だった品質保証は突如として脚光を浴びたのが幸か不幸か、品質保証でも徹夜・残業が常態化した。
上司と一緒に徹夜して、いったん家に帰って風呂に入ってこようなんて5時頃ふたりで会社を出ると、新聞配達に「おはようございます!早くから大変ですね」なんて挨拶された。
そしてお風呂に入って着替えるとまた出社した。

あんな時代もあったねと、きっと笑って話せるわ、
だから今日はくよくよしないで〜
今日の風に吹かれましょう

中島みゆきは女神だ。

引退した今は家内と二人暮らし。私は掃除・洗濯くらいはするが、家内はもう私との結婚はそんなものだろうと諦めているようで何も要求しない。子供たちは一人前にはしたつもりだから、元気にやってほしいと思うしかない。


話が長くなったが、そんな脛に傷持つ身の私が小説を書くにしても、親と子の関りなど分からない。だから登場人物の家族を書こうとしても何も浮かばない。高度成長期の人間は……いや私だけかもしれないが、時代遅れの専用機のようで応用もつぶしもきかず産業廃棄物になるしかない。



そんな私が頭を絞って磯原の休日を考えてみた。

2016年3月、磯原が本社転勤を内示されたとき、彼もその妻も東京というか関東には地縁がなく、どこに住もうかと途方に暮れた。
本社に挨拶に行ったとき、社内を案内してくれた庶務の柳田ユミに、住むならどこがお勧めか聞いた。柳田は結婚してからは川崎に住んでいるそうだが、生まれ育ちは千葉とのこと。そのせいか千葉県が良いという。総武線は3〜5分に一本電車があり、東海道線や常磐線ほどは混まないそうだ。そして千葉県は都内はもちろん埼玉より家賃も手ごろだという。福島の人間は千葉といえば都会というイメージがあるが、関東圏では千葉は田舎のイメージらしい。
柳田の話が本当かどうか分からないが、嘘はつかないだろうと思った。

ということで転勤する2週間前に、妻と娘を連れて総武線沿いを見て歩いた。なにしろ時間的余裕がない。その日に決めたら田舎に帰り、運送屋を手配して市役所、学校、電力会社、ガス会社、新聞、郵便局、電話の手続き、医者の診療情報提供書……引っ越しは大変だ。
通勤するなら遠くても千葉市までと柳田が言ったので、調査対象はそれより手前になる。となると東京に近いほうから浦安市、市川市、船橋市、習志野市、千葉市となる。浦安市は東日本大震災で液状化が起きて被害が出たが、あれから5年たち人気は戻っている。市川なら東京まで快速で20分弱だが、千葉なら45分、短いほうが通勤は楽だが家賃は高い。

千葉
習志

柳田は本社の人は出張が多い、そして遠隔地の出張は飛行機になり羽田発着が多いから、 出張 そのことも考えないといけないよと言う。朝早くや夜遅く荷物を持って電車を乗り換え、家と空港を移動するのは大変だ。座って移動できるに越したことはない。
羽田からは船橋市、習志野市、千葉市にはリムジンバスが走っている。
また娘ちなみは小学3年、田舎では塾に通うなんて発想もないが、都会ではどうなのだろう。

そんなことをいろいろ悩んだが、妻の直美は悩むことなく市川、船橋、習志野、稲毛の駅前の不動産屋に行って、それぞれ二三か所マンションを見て、稲毛に決めた。
市川だって総武線の駅はふたつ、船橋市なら4つもあるのだが、とても全部見るわけにはいかない。
磯原もちなみも同行したが、磯原は家事も教育も直美しかできないから発言権がない。結婚以来、大きな買い物、決断はすべて直美の決裁だ。余計なことを言わないで家内に決めてもらうのが間違いない。車、住まい、子供の教育、みなお任せだ。
とまあ、そんなわけで稲毛駅から歩いて10分弱のマンションに住んだ。
磯原は東京駅まで40分、娘ちなみの学校まで600m、妻 直美は歩いて10分のところでパートをすることになった。三方よしだろう。


あれから2年、妻も娘も稲毛の暮らしを楽しんでいる。

娘は学習塾には行かず、習い事はスイミングスクールとお習字である。初めの頃、勉強は大丈夫かと直美に聞いたことがあるが、私が責任をもってやるから心配無用と言われた。
直美が言うには、ちなみは大勢友達がいるらしいのだが、ごく少数しか小学校から塾通いしている子はいないそうだ。そしてそんな子たちが、MARCH以上には進学している。時が来れば周りの影響で勉強するから大丈夫だという。

田舎では大学に行く人も少ないし、高いレベルの大学に行こうなんて人は少ない(注1)皆が進学するという環境では、考え方も行動も感化されるのだろう。朱に交われば赤くなるが、麻の中のよもぎとも言う。なぜ朱が悪いことに、麻が良いことの意味に使われるのかは謎だ。
磯原は考えることを放棄した。


福島の田舎でも旧市街地に住居を構えるのは困難で、ある程度離れた造成された住宅地に住みマイカー通勤が多い。だから1970年代のように帰りがけに同僚と一杯なんてことはまずない。その代わり忘年会とか送別会などは、二次会/三次会は普通で、最後は午前様になってタクシーで帰るとか、妻に車で迎えに来てもらうことになる。
新たに造成された住宅地といってもそんな遠くではなく、多くは数キロ以内、遠くても10キロ弱だろう。10キロというと、東京駅から直線で東は新小岩駅、南は羽田空港、西は中野だ。たいして遠くない。

だが都会に来ると、山の手線内なんて住めるわけがない。直線で30キロある稲毛から八重洲まで迎えに来てくれなんて頼めるわけはないし、タクシーならホテル泊のほうが安くなる。
だから本社の忘年会・送別会は一次会でおしまい、しかも8時頃にはお開きになる。それでもドアツードアで1時間以上かかるから、家にたどり着けば10時、翌日6時半に家を出ると思うと大変だ。だから同僚間の関係も希薄だなと磯原は思う。





某月某日

ちなみ 「お母さん、こんどスターバックスに連れて行ってよ」

直美 「へえ、いつも行ってるファミレスではだめなの?」

ちなみ 「あのね、優奈ちゃんがお父さんとスターバックスに行っておいしいコーヒー飲んできたんだって(注2)

直美 「おいしいコーヒー? ちなみは苦いからってコーヒー嫌いじゃなかったの?」

ちなみ 「そうなんだけど〜、今、クラスの男の子でブラックコーヒーが流行っているの」

直美 「なるほど、それで話を合わせるにはブラックコーヒーを飲まないとならないのね」

ちなみ 「そんなじゃないけど〜」

直美 「それじゃ、何を頼むのか調べていく? それとも行ってから考える?」

ちなみ 「連れて行ってくれるの? それじゃタブレット貸して、調べるね」





磯原は今でも土曜日は会社に行く。本来はまずいのだろうが行けば仕事は山ほどある。月曜日に借金を残すなら土曜日に出て片付けたほうが精神衛生上ベターだと考えている。それが家庭的にはワースかもしれないとは磯原は考えつかない。
裁量何とかで時間外をしても残業代はつかない。もっとも土曜日はつかないが日曜日はつくとか聞いた。だが工場時代から休日の半分は会社で仕事していた磯原にとって、そんなことは眼中にない。

ここふた月くらい前から娘のちなみが変わった。どんなふうに変わったかというと、磯原にどこそこに連れて行ってほしいと言ってくるのだ。行先はいろいろだ。ディズニーランドはもう10辺は行ったが、その他フジテレビ、竹下通り、亀戸天神、百花園、いろいろである。直美に聞くと直美はときどきバーガーキング、モスバーガー、スターバックス、タリーズ、ミスドなどなどに連れて行っているそうだ。

とりとめがないようなので一体どういうことなのかと聞くと、友達とお話しするとき行ったことがないと困るという。田舎ではスタバもバーガーキングもなく、あったのはマクドナルド、サイゼリアだったから話に入っていけないという。
それにボーイフレンドとデートするときの練習なのよという。

なるほど、所要時間が2時間程度のところは母親に頼み、東京とか埼玉になると父親に頼むのかと磯原は納得した。


今日は日曜日である。数日前にちなみが江ノ島に行きたいという。江の島まで行くならその周辺を歩いて来ようと思い、ちなみに行きたいところルートを考えろと言う。それを聞いた直美が私も行きたいと言い出した。じゃみんなで行こうとなって、それぞれ行きたいところやしたいことを上げる。
鶴岡八幡宮、鎌倉大仏、稲村ケ崎、江ノ島展望台、江ノ島水族館、江ノ電、しらす丼、
横須賀線で北鎌倉から一周して……と磯原は久しぶりの家族旅行を楽しんだ。





ちなみが通っているスイミングスクールは将来の選手を育てるなんてモーレツなところではなく、泳げない子を泳げるようにと指導するところだ。ちなみは田舎にいたときは全然泳げなかった。4月に転校し連休が過ぎると、周りの子が夏休みは海とかプールに行く話で盛り上がっている。リッチな子はホテルのプールで泳ぐという。みな一応泳げるのだ。ちなみは焦った。これはまずい。

おかあさん、お願いがあるのと言われた直美は、なにごとかとギョッとした。話を聞くと泳げるようになりたい、ついてはスイミングスクールに通いたいという。
マンションの顔見知りに聞くと、どのフィットネスクラブも小学生のスイミングスクールを開設しているそうだ。マンションから歩いて10分以内でも2つあるし、バスの送迎もある。直美とちなみが友達の口コミを聞き、二人で見学に行って決めた。
磯原と直美がどれくらいで泳げるようになるのかしらなんて話していたのが6月初めだった。最初の二三度は直美も一緒に行ってプールサイドの上に張り出した見学席から練習を見ていた。ちなみが泳げないといっても、泳げない子ばかりで劣等感を感じることはない。

夏休みが終わると、ちなみが「お父さん昇級試験だから見に来て」と誘う。大人と違い子供は週1回でもふた月もすれば、クロールと平泳ぎくらいできるようになる。25mを何秒で泳ぐと何級とかあるらしい。月に1回昇級試験があるが、二三か月おきくらいに昇級試験に合格しているらしい。
目標が明確で小刻みであれば、自分の能力がビジブルに分かり向上心、競争心をくすぐられるわけだ。

磯原がフィットネスクラブに行くのは初めてだ。上から見下ろすと泳ぎが良く見える。級の低いほうは腰にフロートのようなものを付けて泳ぐ。泳げるようになると、それが取れて速さで昇級していく。幸いその日ちなみは見事合格して昇級した。
帰る途中、ソフトクリームをねだられて親子して食べながら帰った。磯原は娘と一緒に歩くことがうれしかった。





ある日のこと磯原が帰宅すると、珍しくちなみが玄関までやってきて、磯原に飛びつく。

ちなみ 「ねえ、お父さん、今度の休みハートの滝に連れて行って」

ハートの滝
磯原の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
二人が居間に入ると直美が話す。

直美 「ちなみがハートの滝に行きたいんですって」

磯原 「ハートの滝と言われても、聞いたことがない」

直美のうみぞの滝がほんとの名前らしい。人工的に作られた用水路なんだそうですけど、その半円形の洞窟に斜めから光が差すと、水面に反対側の半円が写ってちょうどハートになるんですって。
なんだか2015年頃SNSに投稿された写真で、爆発的な人気スポットになったんですって(この物語は今2018年である)」

磯原 「どこにあるの? 近くじゃないよね? 泊りがけなの?」

直美 「君津市だそうよ。行くならバスか電車を使って1時間少々、問題は最後のバス停から歩いて30分くらいかかるかなあ〜」

ちなみ 「大丈夫、歩く、歩く🦶

磯原 「ちなみに歩けるか? レンタカーにしようか。駐車場くらいあるだろう?
ちょっと待てよ、ちなみのお友達でそこに行った人いるでしょう。どんな方法で行ったのかな?」

ちなみ 「葵ちゃんは家族と車で行ったって、それからね、さくらちゃんは東京駅からはとバスで行ったんだって(注3)

磯原 「ええ!すると君津市までの距離の半分以上反対方向の東京まで行って、そこからバスでのうみぞの滝に行き、東京まで戻ってって!」

直美 「さくらちゃんちは車がないから、そうしたのかしら」

ちなみ 「でもマザー牧場とかアウトレットにも行ったし、海ほたるとか通ったんだって。バス旅行も楽しいって言ってたよ」

磯原 「なるほど、いろいろな行き方があるもんだ。じゃあ夕ご飯食べたらみんなでどう行くか考えようか」


うそ800  本日の懺悔

本日の駄文を書きながら、いかに私は家庭サービスをしてこなかったかを改めて認識した。 花吹雪
私が家族とこんな会話をしたことはなかった●●●●。個人的には子供と遊べなかったことが非常に残念であるが、放っておかれた家内や子供たちには大変申し訳ない。
今更何をするにも既に手遅れ、このまま死ぬしかない。
といいつつ、週末には家内と靖国か新宿御苑に桜を見に行く予定である。もっとも日頃の行いが悪いから天気予報は雨 だ。


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注1
県別大学進学率を見ると驚く。1位京都府と最下位沖縄県では1.7倍も違うのだ。朱に交われば赤くなるというが、周りがみな進学する環境ではおのずから勉強するようになり、大学に行くのが当たり前と思うようになるようだ。
都道府県別大学進学率ランキング(2020)
なお県別所得ランキングでは1位東京都、最下位沖縄県で1.6倍の格差である。
都道府県平均年収ランキング(2022)
大学進学率と県民一人当たり所得の相関係数はなんと0.82となる。通常相関係数が0.8位以上なら強い相関とみなされる。
大学に行けば高所得になるのか、高所得だから大学に行けるのか、因果関係はどうなのだろうか?

注2
このお話では磯原の娘ちなみは2018年時点11歳であるから、2007年生まれになる。
2007年の女児名前ベストテンは
葵、さくら、優奈、由衣、陽菜、七海、美咲、美優、ひなた、美羽、優衣であった。
生まれ年別名前ベスト10

注3
2017年、のうみぞの滝ブームの時は家内と一緒にバスツアーでいったのだが、2023年現在は千葉県内発の「のうみぞの滝」バスツアーは見当たらなかった。コロナ流行のせいかもしれない。





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