ISO第3世代 72.転勤者探し1

23.05.18

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。

ISO 3Gとは

1週間後、佐久間からメールが来た。もちろん内容は先日お願いした、環境担当者の推薦だろう。佐久間が推薦する候補者が書いてあるはずだ。
メール本文は依頼されたことをまとめたぞという文章だけで、一覧表がエクセルで、また候補者それぞれにA4で1ページほどの概要を記したファイルが添付されている。添付ファイルを開いてみると大作である。
佐久間が推薦してきたのは、定年間近の人が3名、それと若手……といっても概ね30より上の人が4名である。
磯原は、順次見ていく。


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まずはベテランというかロートル勢である。

中村悠平
高崎工場勤務 1975年高卒入社、現在59歳で2年後に定年になる。(物語は今2018年)
中村さん 日本で公害が大問題となったのは1960年代であり、その対策のために各種法律が整備されたのは1960年代末から1970年初期である。大気汚染防止法は1968年、水質汚濁防止法が1970年、それからさまざまな規制基準が設けられてきた。

中村はまさに規制基準に対応するための対策真っ盛りのときに入社して、それからずっと公害防止施設管理を担当してきた。具体的には排水処理施設の導入と運転、ボイラー排煙の除塵や中和装置の導入、各種工作機械の騒音対策などである。当時はまだどのように操業すれば良いか確固たる基準が定まっておらず、試行錯誤をしてきた中村は公害防止装置の運用のパイオニアである。

煤煙 当時環境課というものはなく、工場管理課の中にあり、その課長は環境のほうまで目が届かなかった……というか20世紀末になるまで、公害防止など工場で重要な仕事とは思われていなかった。それで中村は40代になってからは実質的に環境関連の管理者として廃棄物や電気関係も見ており、環境管理全体の知識を持っている。
ISO14001には関わったことはない。佐久間が全社の会合などで会ったとき会話をしたことがあるが、中村はISO14001の意義を認めていない。マネジメントシステムなどより、ひたすら遵法と汚染の予防にまい進すべきと考えている。

保有資格 公害防止管理者(大1、水1、騒音、振動)、ボイラー技士(2級)危険物(甲)
公害防止及びその設備の故障や事故の対策については十分な知識と経験あり
今のところ定年後は、高崎工場で嘱託になる予定である。仕事は今のまま環境の顧問的な仕事だろう。
性格はかなり頑固である。そして教えるのがあまり得意でない。昔流の見て覚えろというタイプ
資料のまとめや報告書の作成など文章作成は得意でない。またパソコン操作も不得手である。この年代なら現場の人でもパソコンくらい使いこなしているだろうが、それだけ古い人間なのだろう。
本社の嘱託といえば食いついてくる可能性大。ただ本社で働くには、ビジネスマナー、言葉使い、指導者としての心構えの教育が必要。文章作成、パソコン操作に習熟できるかが課題である。
事故の対策、特に現場の指揮などは適任である。


田中幹也
宇都宮工場勤務 1980年大卒入社、現在60歳で来春定年予定。
田中幹也 入社してから設計部門にいたが、42歳で製造部門に移り、47歳から環境課長、56歳で役職定年、現在は無冠であるが工場の安全・衛生の担当をしている。
環境に関しての経験は長くなく環境関連の資格もないが、管理者として環境管理の概要は理解している。事故や災害時の対応の経験を積んでいる。
特に2004年の隣接する他社工場で火災発生の際は製造課長であったが、工場の操業停止、 火災発生 従業員の避難、延焼防止の対応を指示し、自ら自衛消防隊を指揮して消火応援に駆け付けて称賛された。後に消防署から表彰を受ける。
環境課長時代は、廃棄物の削減で全社の表彰を受ける。システム化や電子化にも創意を凝らし、PRTRシステムは田中が考案したものが、全社で採用されている。
ISO14001認証のときはまだ環境担当になっておらず。環境課長になってから今まで毎年審査の対面をそつなく務めた。ISO14001は税金というか付き合いという認識である。
人物、力量とも優れており、人格円満、交渉事や企画をまとめるなど得意である。

定年後の嘱託希望を出していない。聞くところでは定年後は働く意思なし。経済的には豊かで悠々自適の老後の予定。
定年後嘱託の話を持っていくには、社会貢献とか新しいチャレンジという方向から攻めて本人の関心を引くことが必要。
宇都宮から新幹線利用なら通勤は可能だが、定年後の転居先は不明。出身は群馬県であるが出身地に戻るかどうかも不明。


坂本勇人
静岡工場勤務 1978年高卒入社、現在58歳
坂本勇人 入社時から公害防止、特に排水処理施設の運転に関わってきた。1991年タイの工場設立に参加し、当社からの支援が全くないところで、現地の業者を探したり行政機関と打ち合わたりするなど積極的かつ工夫を凝らして排水処理施設をはじめ付帯設備を完成させた。
工場完成後はそのまま現地会社に出向となり、新設した工場で環境管理のみならずインフラ部門の管理者として5年間勤めた。その後も当社の他工場がタイやインドネシアなど東南アジアに工場を立ち上げるときは、応援にあたっていた。

建設工事

タイだけでなく東南アジアの建設工事でクレーンというと、ジブが水平な「つち形クレーン」がほぼ100%である。
日本のようなジブが上下・左右に回転する「ジブクレーン」は見たことがない。
どうしてだろうかと不思議に思いまして調べました。
日本では狭い敷地での作業、風や地震に強い、複数のクレーンでの合吊作業ができるなどの理由でジブクレーンが使われ、外国では安価、構造簡単などの理由で槌形クレーンが多く使われているそうです。

海外工場がタイや東南アジアから中国に移ってからは、現地支援に参画していない。言葉の問題もあるが、国民性に合わないと語っている。なお今現在も東南アジアの現地工場での環境施設の更新などでは支援要請を受けて出張している。
既に後任者も育ち、環境管理課でも責任ある地位になく、ほされた状態である。本人としては現状が不満であり、地域の環境担当者のつながりで定年後の職を探している気配あり。まだ定年まで2年あり、表立っていない。本社で呼ぶなら早めに声をかけておくべき。

静岡から今年環境課に転勤した女性は通勤していると聞くが、彼の住所は静岡駅から遠く、通勤は難しそうだ。既に子供たちが巣立っており、転勤となれば夫婦で引っ越すかもしれない。


以下は若手である。

福田康夫
岡山工場勤務 2010年大卒 現在31歳
福田康夫 入社時から環境課に配属されて、建屋と植栽を担当してきた。公害防止管理者の全資格取得。危険物(甲)
エネルギー管理関係の資格はなし。
入社してから環境管理の専門家になろうと鋭意努力してきたが、担当職務があまり環境と関係ないため、いささか腐っている。
特に昨年の監査部の環境監査は福田が主体となって環境監査を受けたが、不具合が多々発覚して(第50話)、工場内での評価を落とし、本人のモチベーションが低下している。

福田の場合、即戦力にならないが、次の理由で推薦する。
ひとつは前記した通り、このところ成果がなくファイトを失っていること。10年間植栽と建屋の管理(建築ではなく)を担当しており、新しい職務に就きたいという希望を出していること。転職先を探しているという情報もある。
ひとつは保有資格もいろいろあるから、岡山工場で余っているなら他に転勤させたい。ただすぐに良いところを斡旋できないだろうから、半年でも1年でも本社で引き取って良いところがあれば世話してほしい。せっかくの若者を失意のまま放流したくない。

転勤には抵抗はない模様。まだ独身で、出身は岡山でなく新潟である。


大山悠輔
浜松工場勤務 2000年大卒 現在37歳
大山悠輔 入社時は生産管理に配属された。入社して数年後にISO認証が始まり、本人希望によりISO事務局に移った。異動の際はあまりにも我儘ではないかともめたらしい。
そういう経過からISO14001認証については第一人者であるという自負を強く持っている。

現在、本社の指導により、ISO審査はあるがままを見せる、審査員に迎合しない、無用なことをしないという方針に変わったことに、本人は非常に強い不満を持っている。そして今までの仕事を否定されたためISO事務局からの異動を希望して環境課の庶務をしている。
保有資格はISO14001審査員補を持つ。公害防止やその他の環境関連の資格保有はない。
どのような関係でも資料作成は得意であるが、形はきれいにまとめるが、仕事の本質を理解していないきらいがある。
昨年の監査員教育の際に教育内容に同意できないとして途中退席するなどオサワガセな男である(第47話)。

上記の通り問題児であるにも関わらず、推薦した理由を述べる。
現時点、浜松工場では正直持て余している。生産管理からISO担当になった時も、ISO担当を止めるときも職場でトラブルがあったとか。
ISO事務局時代も、審査で不適合を出さないことを優先するスタイルで、各職場との軋轢のエピソードは事欠かない。ご存じの通りISO規格の理解も怪しく現状では使い道がない。

とはいえまだ若いのに、つまらない仕事で飼い殺しするのもどうかと思う。なんとか一人前にしたい。本社で使ってもらえるなら転勤は浜松の環境課長とはツーカーの仲だから、話はつける。

結婚して子供が二人いる。現在社宅住まいで、本人は大阪府、奥さんは兵庫県出身である。浜松に永住するつもりはない模様。本社で使えないなら関西に戻してやりたい。関西ならいくつも当社の工場がある。本社で環境担当者として鍛えてくれてからなら引く手あまただろう。

希望として本社で次のように使えないか、
まずISO規格や認証の意味を教えること。洗脳を解くのは大変かもしれないが。
環境管理の基本から法規制などを教える必要がある。それは法規制対応のマニュアルの作成とメンテや監査に参加させて見聞させたい。
環境事故など起きたときに本社から派遣して経験を積ませたい。


岡山一成
宇部工場勤務 2001年修士 現在36歳
岡山一成 農学部出身で研究所に配属されたが、排水処理施設の運転改善のために宇部工場に長期出張で来て環境管理に興味を持ち、異動を希望して宇部工場に2003年転勤。異動の際は研究所内でもめたらしい。
排水処理施設の問題を解決すると、植栽の検討による省エネ推進とか廃棄物の発生要因を研究して歩留まり向上やリサイクル率改善を図るなど、活動的なアイデアマンで有名な男。
手当たり次第に環境関連資格を取っている。環境計量士、作業環境測定士、エネルギー管理士など。いずれもペーパー試験に合格しただけで、実務経験もなく講習も受けていない。

注:環境計量士/作業環境測定士はペーパー試験合格後に、1週間の講習会受講後試験に合格しないと資格を取れない。またエネルギー管理士はペーパー試験だけでなく、定められた実務経験がないと資格を取れない。

社外でもたびたび環境活動の発表などをしており、テレビのローカル局や地方紙からたびたびインタビューを受けている。地元では有名人である。

難点は興味を持つとすごい力を発揮するが、興味のない仕事はやる気がしない。また熱しやすく冷めやすい。上昇志向ゼロで、管理職に就く意思なし。定常業務で使うのは難しい。宇部工場の環境課長がいつも愚痴っている。
とはいえ本人は研究者になるつもりはなし。大学院で同期の人たちがドクターになっても、30代で職探しをしているのを見て、会社員は辞めたくないもよう。またテレビに出た程度ではその方面では飯が食えないのも理解している。

本社なら解決困難な問題解決など、彼の性格や能力に見合った仕事があると思う。あるいは広報部あたりで環境担当の広報者として使えないか。
結婚して子供あり。本人と奥様の出身は東京であるが、彼の性格では人生いたるところ青山ありだろう。


石川リカルド
高崎工場勤務 2006年高卒入社、28歳 日系ブラジル人で出稼ぎに来日した人の子女。
石川リカルド 高校の成績は超優秀。経済的事情により大学進学せず。現場採用だったが採用試験で成績良好だったので環境課に配属、廃棄物や公害防止の現場作業から始まり、現在は廃棄物管理の主担当を任されている。

保有資格 公害防止管理者(水1)、特管産廃

本社で環境管理について指導監督する仕事に就くには、広い知識や考え方の教育が必要だろう。もちろん彼はそれを消化することができるだろう。

スペック的には、性格温厚、常識的な人間で優秀、貴方の要望にかなう人である。言い換えると、高崎工場では出したくないだろう。
石川と同じ立場の人が高崎工場や近隣には多い。そういう人の希望の星として本社に引っ張ってもらえないか。本社で活躍すれば喜ぶ人は多いだろう。

日本人と職場結婚しており子供はまだいない。結婚と同時に日本に帰化した。石川は奥さんの姓である。
高崎から本社まで新幹線通勤は可能だが、本人は元々地縁があるわけでなく転勤に抵抗はない。奥さんも東北出身で転勤に抵抗ないと思える。

高崎工場の環境課長とは縁があり、以前から彼を広い世界に出してやりたいといわれている。工場長や部長クラスは転勤の話が出れば猛反対するだろうが、課長は賛成してくれるだろう。


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磯原は佐久間からのメールを読んで、さすが仕事が早いと思ったが、同時にやれやれとも思う。
だって、佐久間が推薦する候補者を見れば、即戦力となるのはロートルの面々だけで、それもいろいろ問題含みですんなりとはいきそうない。
若手のほうは一人を除き、問題児ばかり。そして即戦力どころか教育訓練が必要なのが多い。早い話が2年くらい本社で教育して、使えるようになったら工場に戻せ言っているようだ。

しかしと磯原は思う。そういう人の流れがあっても良いのかもしれない。環境担当者教育というと、新入社員を集めて研修するとか、一定年齢とか一定経験を積んだ時に集めて研修というシステムをイメージするが、工場の担当者を一定期間本社で仕事をさせて研鑽を積ませ、また工場に戻すというシステムでも良い。そのほうが工場の担当者イコール本社の担当者であり意思疎通もよくなるだろうし、全体のレベルアップもできるだろう。少なくても元居た奥井のようなトンチンカンはいなくなるだろう。

それに本社が双六の上がりではなく、双六の振り出しであっても、あるいは途中経過でも良いのだ。今は一時凌ぎのために工場で使えそうな者を本社に来てもらおうと考えているが、今回来てもらう若手を5年後に工場に戻し、また新たな工場の担当者に来てもらうという技術技能の伝承の制度があっても良い。

自分も本社で上がりとは思っていない。たぶんあと数年すれば工場に課長級で戻してくれると期待している。
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果たしてどうなる?
とはいえ、山内参与が定年になれば、先は不透明だ。本社でいらなくなったからと工場の課長になっても、行き先が出身工場でなく九州や四国の工場では、娘の教育とかどうしたらいいのか? 単身赴任としてもこれから20年以上……それじゃ家庭崩壊だ!
それは自分だけでなく、今回本社に来てもらう人たちにとっても同じことだ。

いろいろ考えると、会社にとって最善策を考えるべきではあるが、家庭的にも最善となるように考えないと家庭的には不幸せになるかもしれない。


それはともかく佐久間が出してくれた顔ぶれで、面識があるのは大山と福田の二人だけだ。電話でもしてみようかという気もしたが、余計なことをするのはまずいかとも思う。
そして思いついた。影の環境部長だ。
顔を上げると向かいの席で、柳田がすまし顔でキーボードを叩いている。


磯原 「柳田さん、ちょっと相談があるのだけど、時間取れないかい?」

柳田ユミ 「ハイハイ、そいじゃ、コーヒーでも飲みながらいかがですか?」

磯原 「いいね、では打ち合わせ場で」

コーヒー ミルク ミルク

コーヒー

最近、生産技術本部のコーヒーは粉にお湯を注ぐタイプから、1杯ごとにコーヒー豆を挽いて入れるものに変わった。旨くなったという人もいるし、変わらないという人もいる。ただ香りが強くなったのは皆が認めるところだ。
柳田はフンフンと声を出すような感じでコーヒーを味わう。新しい給茶機がお気に入りなのだ。
ハッと気が付いて磯原に声をかけた。

柳田ユミ 「何か深刻なこと?」

磯原 「アハハ、そんなことではないです。実は先日の課内の打ち合わせで、環境管理課で人を増やそうって話になりましたね。私がその候補者を探すように言われて悩んでいたのを見て、柳田さんに全社の工場の環境担当者のリストを差し入れしていただきました」

柳田ユミ 「ああそれね、なにか進展がありましたの?」

磯原 「昨年、応援に来てくれた佐久間さんを覚えているでしょう? 彼は社内の環境担当者には顔が広いので、あのリストから候補を渡して候補者を選ぶのを頼んだのです。それで彼が何人か推薦してくれたってわけです」

柳田ユミ 「ああ、確かに佐久間さんなら適任ね。彼はそういうこと詳しいから。
それでそのメンツの経歴とか評価を知りたいということですね?」

磯原 「そういうことです。まだ決まったわけでなく、直接本人とか上司に話を持っていく前に、佐久間さんが挙げた候補者の経歴などを見たいのです。どうしたら良いのかと……」

柳田ユミ 「人事異動のとき、候補者がどんな経歴、賞罰、査定がどうだったかなどを知るのは必要です。ただ磯原さんは管理職でないので、その権限がありません。筋として上西課長から人事に関係資料を要求することになります。
だから、まず佐久間さんの案を参考に磯原さんの案を作り、課長に提案することでしょう」

磯原 「分かりました。それじゃ……」

柳田ユミ 「まだ終わりじゃありません、まだ続くのです……今お話ししたのはルールですが、ここは若干職制通りに動いてもいないので、山内さんと上西課長と磯原さんで話しあったらいかがでしょう。その結果、候補が絞られたらその方々の資料を人事からもらうことになりますね」

磯原 「なるほど、それじゃ上西課長と山内さんに私が候補者を提案することでよろしいですね」

柳田ユミ 「そうですね。その時点ではまだ候補者は未定ですから、お三方の打ち合わせで候補者が絞られたら先ほどの資料を人事に依頼しましょう」




うそ800  本日の不思議

今回の回は書いた後、文字数を数えると(と言ってもWordで右クリックするだけだけど)……13,000字を超えた。この物語を始めたときに、1話6,000字に抑えるなんて語った人がいた(第1話)。あの人は大うそつきだね。
嘘つきにならないために半分にして2話に分けた。約束は守られた(キリッ
とはいえ半分にしてもそれぞれ7,000字を超えている。13,000を2で割って6,500にならず計算が合わないけど、どうして?



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