「常識として知っておきたい世界の中の日本」 三浦 朱門 goodbetter

出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
海竜社2007.08.15978-4-7593-0985-01500円全1巻

私は電車の中吊広告、書店の店頭に積んである新刊、あるいはネットでの宣伝などをみて、おもしろそうだとか関心があるテーマの本はほとんど買う。ではすぐ読むのかといえば、そうでもない。
なにしろ会社への通勤の電車の中では毎日ファイナンシャルタイムズから記事をひとつプリントアウトして読むことにしているし、会社の昼休みは仕事をしていて休んではいない。
家では、ネット中毒であるので飯を食い、酒を飲むとき以外はパソコンにかじりついている。
ではいつ本を読むのか? よくぞ聞いてくれました。
私は出張のときに本を読む。飛行機の中、電車の中、待合室の中、なにしろ片道4時間、5時間というのが普通だから読む時間には事欠かない。
以前、国家試験を受けたとき家の中ではどうも集中できず、休日一日中電車に乗って本を読んでいたことがあった。
だから買ったその日あるいは翌日読むということはない。何しろジャストインタイムのトヨタ生産方式と違って大量の在庫があり、買ったもののその後関心が薄れるということもある。それに出張によって荷物の量も違う。バッグが一杯のときは厚めの本は持っていきたくない。そんなわけでそのときの出張ではどれをもって行くかはサイコロを振るようなものである。
ランダム抜き取りこれに尽きる 

とくだらない話が続いたが、この「常識として知っておきたい世界の中の日本」は8月に買ったもので、一ヵ月半ベンチを暖めていたが今回やっと出番になったということだ。

この人の本は平明である。まず難しい漢字が少ない。漢字の割合も少ない。言い回しが難しくない。我が同志KABU先生もこのような文章を書けば読者が3倍に増えることをうけあうのだが・・・
miurashumon.jpg おっと、私も自慢できない。私はダジャレ流オヤジギャク派の文章である。以前ある人からフザケテイルと批判されたこともあり、そういった感覚の人からは以降読んでもらえないことになる。
正論派もサヨクもそれぞれの主張を読んでいただき考えを広めるにはいろいろな文章スタイル、メディア、さらには文章だけでなく絵、アニメでの作戦展開が必要だということだ。
KABU先生の文章スタイルを変えて、単純に今風の読者が3倍になったとしても、知識層読者を失ってしまっては正論派として部分最適、全体不適となるのかもしれない。
いずれ、文章のスタイルは人それぞれであり、それを変えることは非常に困難なようだ。

さて、この本の話に戻る。
ここに書いてあるのは私にとって知らなかったということはなかった。これは自慢することでもない。三浦朱門さんも私も常識的日本人であるということに過ぎない。
サヨクや憲法9条主義者が常識的日本人ではないということは間違いない。

では本を買って得た知識がなければ損をしたのか?という問いには効果があったと答えよう。
どのような効果か?
それはいろいろあると思う。
まず売り上げに寄与し、このような本が売れるのだということを出版社などにメッセージを伝えることができたということ。たった1冊とばかにしてはいけない。宝くじは買っても当たらないかもしれないが、買わなければ絶対あたらないのだ。少なくとも1冊売れたという事実は事実である。
もちろん私に金があるなら、この本を1000冊くらい買って学校や図書館に寄付したいところである。
同じ理由でサヨクの本はなるべく買いたくない。買った本を失くした場合、正論派の本は2冊目を買うこともあるが、サヨクの本は二冊目を買わないことにしている。小林よしのりの戦争論第一巻は人に貸したら戻ってこず、都合三冊買ってしまった。同じ理由で嫌韓論は二冊買った。

二番目の理由は私の考えは間違っていないと確信したこと。
狂信的な人以外、誰でも常に自分の考えは間違っていないなどとは思わない。三浦さんも考えているということは私の考えはおかしくないだろうと判断することは許されるだろう。
小田実と同じだとか、井上ひさしと同じ考えだとなると人間辞めるしかない。

三番目の理由は言い回し、表現を学んだこと
いろいろサヨクが捏造主張している問題、具体的には従軍慰安婦、南京虐殺などについて三浦朱門さんが否定されているが、やはり私などと違い、熱くならず、懇切丁寧、平明に説明している。そんなところが三浦さんたるところなのだろう。
大声で叫ぶだけなら声のでかいのにかなわない。コピペをするなら日長一日パソコンにひっついているプロ市民にかなわない。そうじゃなく、おだやかな言葉でわかりやすく説明すること・そんなことが一番大事なことと改めて感じた。

四番目の理由は・・理由でもないのだが
本のタイトルそのものである。つまり「常識として知っておきたい世界の中の日本」ということ。この考え方を持たないといけないということだ。いや以前から同意見である私にとってはその考えをいっそう主張していかなくてはならないと感じたことである。
平和主義、憲法9条主義というのは内向きといういか、井の中の蛙で外の世界を見ようとしない子供の考えである。まさに江戸時代末期の攘夷である。自分が願えば外の国は私を無視してくれるなんてことが通用したなら、アヘン戦争もアフリカの奴隷狩りも、そして日本の開国もなかったろう。
この考え方は金 美齢さんの「日本は世界で一番夢も希望もある国です」とまったく同じである。

その他雑感である。
中国に関する記述は「歴史とは何か」の方が詳しい。
移民(不法入国を含めて)が多い国では国民国家という概念は崩れつつあるのではないかと語る。ヨーロッパ諸国のイスラム、東ヨーロッパの他民族を束ねていた共産主義崩壊をあげている。それは新しい時代を意味しない。家族、親族、部族の助け合いに基づく大きな退化であろう。

私の書籍紹介の基本スタンスを大きく逸脱して今回はこの本の一節を引用させていただく。
三浦さん決して訴えないでくださいね。
『囲碁は「烏鷺(うろ)の争い」と言うように、白と黒の石しかないが、世界は白黒の石だけではなく、勝負に参加する国がそれぞれに自分の色の石を持って戦う。つまり参加国の数だけ指し手のいる碁盤のような状態になっている。その錯綜した碁盤の状況に対処するには、従来の内向き志向では何ともならない。』(p300)
烏鷺(うろ)とは「からす」と「さぎ」のことで、黒石と白い貝を使う囲碁のことをいう。

本日の悲憤慷慨

外交は国連中心主義、全方位外交などという、オメデタイことでやっていけるはずがない

p302より

しかし大正生まれの三浦朱門さんにいまだがんばらせるとはひどい国だ。
若手で愛国の書を出そうという者はいないのか!?
私のような無学の者だってネットで愛国を叫んでいるのに 
その点サヨクは再生産がじょうずなことは認めざるを得ない。




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