さゆみ様よりお便りを頂いた。 2006.10.06
危険ですね。
はじめまして。少しだけ書かせてください。
もうご存知かもしれませんが、憲法は、国が守るべき規範です。ですから、私たちを憲法が守ってくれているのですよね。
例えば、9条を改正する事を賛成の方は、約八割と他のHPで見ました。
しかし、私たちにとっては、9条を改正すればそれで終わるものではありません。かり出されるのは私たち市民であり、阿部さんたちではありませんよね。
それによって、税金などもどんどん上がるかもしれません。
安部新総裁が研究課題にあげました集団的自衛権なるものが憲法に盛り込まれたりすれば、当然、予算も膨らむでしょう。明治憲法下では、予算にある継続費が、軍事施設などのために濫用されたという歴史がありますよね。
命も、お金も、払うのは私たち市民です。
国側は、自分たちのいいように改正して、のうのうとするでしょうね。今すぐ戦争にはならないとは思いますが、この後、どのような人が首相になって行くかは誰にもわかりませんもの。私たちの選挙を見ていても、人気投票になってしまっていますもの・・・。
憲法は、今まで私たちを守ってくれた事実だけは変わらないのに・・・。
改正の意見が、守るべき側から出ているのは、9条を見るだけでもちょっと危険ですね。もしかしたら、『あの時、親たちが反対してくれていたら・・・』と、子供たちが思うときが来るかもしれませんね。

oldman1.gif 私のホームページはマイナーである。お便りも日々数件しかない。それも同志からの書き込みがほとんどであり、いちげんさんからはめったに書き込みがない。ときたまりょーたろー様からお便りを頂く程度である。
せっかくのお便りなので、以下、さゆみ様の文の各センテンスに従い考えていきます。

さゆみ様 本当にお便りありがとうございました。
さゆみ様のおかげで、本日改めて日本のためにこの五尺六寸の身命を捧げる覚悟を確認いたしました。
この日本のどこかで、再びあいまみえたいと願います。




Yosh様からお便りを頂きました(06.10.06)
さゆみ様 乞うご教授。
「憲法は国が守るべき規範である」とありますが、憲法は国民がまもる基本ではないか?
「国即ち国民、国民即ち国、国民が最低限その国で生きていくための補償、国民がお互いに守る約束(規範)」ではないのか?
違う?

Yosh様 毎度ありがとうございます。
さゆみ様に代わりましてお答えいたします。
憲法は国家の形を示すもの(コンスティチューション)とか、国民と国家の契約とか、いろいろな言い方があります。
「憲法は国が守るべき規範である」とはちょっとニュアンスが違いますが、「憲法は国民が国家(機関)に示した枷である」という表現もあります。
貴国の憲法も、国家のできることを書き並べたものです。
    例えば
  • 連邦議会は、いかなる源泉から生ずる所得に対しても、各州の問に配分することなく、また国勢調査あるいは人口算定に準拠することなしに、所得税を賦課徴収する権限を有する。
  • 連邦議会と各州とは、適当な法律の制定によって、本条を施行する権限を共に有する。
  • 合衆国は貴族の称号を授与してはならない。
  • 国庫からの支出は、法律で定める歳出予算に従う以外は一切行われてはならない。
など文章の言い回しは、国ができること、してはいけないことのリストアップです。
この点、日本国憲法は国民の権利義務などごちゃごちゃ書かれていて、憲法本来の国家機関の規制が明確ではありません。
それに対してアメリカ憲法の記述方法が本来の憲法の文章といえると思います。
ということで、「憲法は国民がまもる基本」であると同様に「憲法は国が守るべき規範である」と表現しても間違いではないでしょう。


Yosh様からお便りを頂きました(06.10.08)
とうた様、
ご説明ありがとうございます。
しかしながら、私は「国即ち国民、国民即ち国、」の観念から申しているわけです。
連邦議会も大統領も単なる国民全体の代表している国民なのです。
国民を代表している人がしなければならないのとしてはいけないことは憲法にしてあります。
代表している人が国とは思ふておられらばさうなるでせう。
Yosh

Yosh様 私がYosh様のご質問(ご意見?)の趣旨を早とちりしたようです。
この件につきましては下のGくん様への回答をご参照ください。
この件につきましては
Gくん様からお便りを頂きました(06.10.08)
さゆみ様の件
憲法があるから、自由や平和があるとして、国家(の役割)を否定する言説をよく耳にします。
国家が先ずあって、その国の憲法があるのであって、国家がなければ憲法もありません。
国家(日本国)がなくなれば、さゆみ様は、日本国憲法を守りたくても守れません。決して「ニワトリが先かタマゴが先かの問題」ではありません。
どうして、こんな簡単な事がわからないのですかね! 思想的なものでしょうか! 私には謎です。

Gくん様、毎度ありがとうございます。
Yosh様からも類似というか本質的には同じご質問を頂きました。
護憲という方がいます。護憲とは憲法改正に反対することを普通思われていますが、実はそうではないようなのです。
憲法改正反対!人権!平和!と叫ぶ人たちは、憲法なぞ読んでいません。憲法とは何かということも理解していません。いやそれ以前の、権利と義務という基本原則を理解していないのです。
権利と義務とは、憲法9条とか憲法などに無関係な、人間社会の基本原則です。人は何事においても主張するためにはその根拠がいります。根拠とは義務を果たしているということです。根拠なき主張を「駄々をこねる」といいます。
権利と義務がいかに普遍的かという例をあげましょう。
一夫多妻というのは奥さんがたくさんいても養えるという条件でのみ許されるそうです。決して髪結いの亭主では許されないのです。
子供はなぜ少年法で保護されているのか? といえば簡単です。大人の権利を持っていないからです。酒もタバコも結婚も契約行為などなど・・。18歳から兵隊に行くのであれば、大人の権利が持て、そして大人として処罰されるのは当然です。
契約するときの手付金を放棄すれば契約を解除でき、手付金の倍返せば解約できるというのも権利と義務という観点からみればきわめて妥当なことです。
現実には普遍的なこの人間社会の基本原則を知らずにわがままな日本人がいる、だから護憲とか怪しげな平和主義が大手を振って歩いているのです。
おっと、大新聞にも権利と義務を理解していないところがあります。
womankomatta.gif 駄々をこねるというのは、子供だから許されるというか、仕方がないとみなされているのです。
いい年になった青年が、国が行ってはいけないよ危ないよといっているイラクに出かけ、テロリストに捕まると「助けて」といい、家族が金切り声を上げて政府を非難するのはご本人も、ご家族も、もう人間として知るべきこと、しなければならないことをご理解されていないのです。
じゃあ、なぜこんな簡単な基本的なことを理解していない大人が日本にはたくさんいるのでしょうか?
それはやはり教育が悪く、マスコミが誤った、いや偏った報道をしているからでしょう。

権利と義務を理解しているならば「憲法を変えるな」と主張するならそれなりにまともなことを言うべきです。
「私は憲法を変えない。敵が攻めてきたら死ぬことをいとわない」という理屈なら、それが国民に支持されるか否かはともかくまっとうな理屈でしょう。
現実には護憲主義者は「私は憲法を変えない。敵が攻めてくるはずがない。」といいます。もう現実を認識していないのです。
私はそのような現実を知らずに、ボケまくっている人と一緒に死にたくはありません。
神よ、救いたまえ

Yosh様からお便りを頂きました(06.10.10)
とうた様、私の質問をご理解していただき感謝します。
これは私がとうた様の仰せのことで、重箱の隅をほじくることをいたします、がご容赦を。
“それはやはり教育が悪く、マスコミが誤った、いや偏った報道をしているからでしょう。”
教育そのものが悪いのでなくそれに携わっている者達が為すべきことをしていない、彼らが悪いのでせう。
マスコミがそのやうなことをするのはそれを容認する状況があるからなのではないでしょうか。
とうた様はケネディーのスピーチを引用為されています、あれはアメリカだけでなく日本の国にも当てはまります。
しかしながら、日本国では国民一人一人が国民(国)の為になさねばならないことがあるのにそれを示すものがないと言うふか、有っても自分の勝手に解釈して勝手に出来る状態にあるからでせう。
現憲法の不備点や、占領軍の押し付け憲法などと批判することは単なる他に指を向ける行為に過ぎないのです。
とうた様が為されている、現憲法の問題点提起で啓蒙は十分にその成果をあげていくことになります。
今は、日本の実情に合う自主独立の憲法を持つことへの道を切り開くことをせないといけないのではないでせうか。
再度、あのやうな意見は「国と国民の関係」が支配者と支配される者と別けて、所謂旧態依然の「主従関係」を打破すると思はせる謀略を計りて国民の意思の分裂、行く行くは亡国への道を選ばせる策略であることを知るべきです。
国民即国、国即国民との意識を持たねばならない、いつまでも、自分でなにもしなくても親がしてくれる、親戚がしてくれる、自分の属する組織がしてくれる、国に文句言えへば国がしてくれる。
こんな馬鹿なことがまかり通る国なら、それこそそんな国なら国をツブシテしまへとなるわけです。
国破れて山河あり、と言ふ漢詩がありますが、其の国は支配者(独裁者)の崩壊だけなんでせう。
現在の日本と言ふ名の国は国民全てのものです。日本の国が破れることは四つの大きな島と他の小さな島からなる地域に住む国民が無くなることです。
  Yosh
Yosh様 毎度ご指導ありがとうございます。
おっしゃるとおりです。
一足す一は二と同じように、きわめて初歩的な道理を知らないというか、ウソをついて平和だ、人権だ、平等だと叫んでいる人々が、平和から遠ざかり戦争を起こし、人権を踏みにじり、差別を生んでいるというこの現実・・
なんということでしょうか?
Yosh様 ひとつ苦情を申し上げます。
アメリカ国籍のダグラス・ラミスさんという方が、日本の憲法はすばらしいなどとアジテーション、デマゴーグを撒き散らして困っております。FBIにでもお伝えくださいね。

Yosh様からお便りを頂きました(06.10.11)
とうた様、
>Yosh様 ひとつ苦情を申し上げます。...

日本では、交通事故や火災などは起きる確率はいかがなものでせうか?
Yoshspace.gif
Yosh様 すばらしい!
とうとうダジャレとツッコミの極意に至り、解脱しましたか。
剣道で言えば免許皆伝です。
よって免状を差し上げます。




ダジャレ講座修了証


Yosh 殿

あなたはダジャレ講座において所定の課程を修了し、終了試験に合格しましたのでこれを証します。
これからもダジャレの修行に努め、オヤジギャク普及に努めることを期待します。


平成18年10月11日
日本人よ誇りを持て
代表 任田 佐為




Yosh様からお便りを頂きました(06.10.11)
とうた様、
しかし本当にそれらの確率はいかがなものかと。
Yosh様、追及が厳しいですね 
05年の日本の年間交通事故は 933,828件・・130人に一人が事故に合い
同じく交通事故による死者は 6871人・・1万8千人に一人が死亡
 警察庁による
05年の日本の火災発生件数は 57,487件・・2100人に一人が焼け出され
同じく火災による死者数は 2,197人・・56000人に一人が焼死
 (財)全国安全会議による。

では我らがダグラス・ラミスさんのやさしい言葉で日本国憲法の出版数はとなりますが、正確なところは分かりません。私が持っているのが第二刷ですが、一刷せいぜい5000部から7000部でしょう。まあ、多く見積もって2万部というところでしょうか?
とすると、やさしいことばで日本国憲法の感化力は、少なければ交通事故死者程度、多ければ暴行事件程度ということでしょうか?
あまり確率は高くなさそうです。 
それなら あまりなやまなくてもよいですね。
Yosh様
そりゃ、まあ、そうかもしれませんが、外国にまで来てデマを飛ばすこともありますまい。


KK様からお便りを頂きました(06.10.08)
何かこう組み立て順序が間違っている人が多いなあと想いましたよ。
「憲法に護ってもらっている」というのは、他の方も良く言いますが、「自分を護るのは自分である」という生物としての最低限度の道徳(?)の欠落を感じますね。
あと、「国側は、自分たちのいいように改正して...」
はあ〜〜...国側の構成員も同じ日本国民ですよね。
国家が言いようにルールを決めて公務員の給与を上げようというのを阻止しようというのなら判るが、、、(羨ましい、いまから公務員になろう<笑>)。
自分と他人の区別のつけ方が欠落するとこうなるんでしょうかねえ。

おお、KK様 コメントありがとうございます。
サヨクもウヨクもありません。常識でどうか?を考えればいいのです。
太田光が9条を世界遺産にと語っていますが、彼は9条は現実的でないことを認識し、解釈改憲を進めていけという思想のようです。それはひとつの考えとして成り立つと思います。もちろん同意するか否かは別ですが
九条は、九条で価値はあるのだけど、、、今の日本人には判らないだろうなあ。。。過去、戦略的九条を採用した民族が2つある。つまり、ユダヤ人とロマ族(ジプシー)。ユダヤ人は国家をなくし奴隷になり流浪で生きてきたが民族のアイデンティティを2000年近く守り続けてきたらから世界史の中で長寿を保った。ロマ族はもともとそういう生き方が好きだったのだと思う。日本にも昔いたけど、養蜂業、あと山の民。
彼らに言える事は徹底した遁走戦略とペアになっていることだね。戦わないのだから逃げる。ゆえに不動産は持たない。
とまあ、ここまで徹すれば九条も美しいのだが、、、不動産(地下資源)も欲しいは成立しないでしょうか。
なんてったって、近代戦争とは常に資源(もしくはマーケット)の収奪を目的としていて、戦争は手段ですからね。

日本人の九条観は、妄想的ですかね。
イスラエル王国が南北に分裂し、鉄器を持った強大なヒッタイト帝国(アッチラだったかな)が襲来した時に、周辺諸国は同盟防衛線を張ろうとしたのだけど、イスラエル王国だけは参加せず、戦わず支配される道を選んだ。
九条的とも言えるし、「戦って負けるよりも、戦わないで従属し復興の時期を待つ」というしたたかなヨミがあったとも言える。たぶん、後者だったんだろう。。。九条とはここまで、ハラが座っていないと遂行できない過酷な選択とも言えそうです。

戦わなければあざけられる弱者となり、戦えば嫌われる強者となる。
どちらの選択もユダヤ人にとって他者から尊敬され好かれることはなさそうです。
おおっと、好かれる強者というのはあるのだろうか?
好かれる金持ちもなく、好かれる優等生もないのではないか?
日本人は好かれる金持ちで優等生であろうとするから問題が起きるのでしょうか?
日本人は嫌われたくない症候群という不治の病に冒されてる人が多すぎます。
中国に妬まれても気にしない、韓国に嫌われてもかまいません、と言い切れれば人生が開けるような気がします。


佐田様からお便りを頂きました(07.02.08)
佐為様佐田です。
先日家内と喧嘩してしまいました。昨年の10月7日『さゆみ様からのお便り』を拝見してから、憲法について考えてみたところ、30年前の小生の考えに近いと思えました。25歳くらいまでの私は、本はあまり読まず、新聞は中国共産党日本支社朝日新聞支局をありがたく読んでいた程度でしたので、日本国憲法の出来上がった背景、太平洋戦争に突入して行かなければならなかった背景、その他世間の事柄など、ほとんど知らなかったために、考え方がややサヨク的であったと思います。それ以後毎日新聞日本経済新聞と変化していったためかどうか知らないが、30年後の現在は極めて普通の考え方と思っています。
喧嘩の原因ですが、妻に、日本国憲法の出来た背景を知っているかとか、これは(憲法)誰が作ったのかとか、中国人朝鮮人は今までどのようなことをしてきたのか、いろいろ質問した結果、返ってきた答えがあまりにも無知というか、左翼的なマスコミ世論の受け売りばかりで、頭に来てしまい喧嘩になってしまいました。
しかし考えてみたら、30年前のお前はどうだったのかと自分に反復したら、あまり偉そうなことは言えないなと思い直して、矛を収めてしまいました。佐為様どうしたらこのような人間(私の妻を含めて)を正常な思考に導くことが出来るでしょうか。ただただ過去のいきさつとか背景とか繰り返し分かるまで説明してやら無ければならないものでしょうか。
佐為さまのご意見をお聞かせください。

佐田様、毎度ありがとうございます。
実を言いまして私の家内もニュートラルといいますか、私と同じ考えではありません。
ただ久米宏とく古舘の考えをそのまま信じているわけでもありません。要するに個々の案件についての証拠次第ということです。それでよいのではないでしょうか。
仮に、夫婦揃ってまったく同じ考えではフィードバックがかからず発散、暴走してしまう可能性もあります。
30年も前のことですが、近くに社会党左派に属していた夫婦がいまして、これが二人とももう染まっちゃってるんですよ、真っ赤に・・・ビラ配りとかいろいろな集会に夫婦揃って参加していました。もう運動一筋という人生でした。
私は危ないなあと思ってみておりました。実はその夫婦引っ越してしまってその後を知りません。その後どうなったのでしょうか?
あれから30年も経っていますので、まっとうな考えになったという可能性もありますが、今でも社民党の活動に関わっているのかもしれません。


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