ニムの木かげの家日時計 2001. 6月

 
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2001.0630(土)

 『われはフランソワ』で言及されている時祷書の1月(p.165)2月(p.165)、そして8月(p.167)。金の胸元飾りは、拡大しても確認できない。もっと良い画像がどこかにあるだろうか。それとも?

 夕方から池袋・芸術劇場中ホールにて、ロバの音楽座「ジグの空想音楽会」。次男と私だけの予定だったが、雨のためおテニスが中止になった連れ合いも一緒に行く。古楽情報誌などでよく見かけるがどんなものかとあまり期待はしないで行ってみたけれど、いやとっても楽しかった。古楽器のいくつかに加え、ホースやバケツなどを使って作った「空想楽器」、おちゃわんを叩く音、新聞紙をぐしゃぐしゃ、がさがさっとする音、手のひらをすりあわせる音、などを楽器として使った、楽しい音楽劇(のようなもの)。変拍子の多い素朴な感じの古楽のメロディに、時折クラシックやポップスなどの耳なじみのある曲が混じる。オリジナル曲もたくさんある。大きなボロ帆船を模した舞台装置や、舞台が暗転したときに客席のあちこちから鳴らされるチャイムもおとぎ話のようで素敵。客層はもちろん子連れが多いのだが、年輩のご婦人づれや、若い人、音楽関係者だろうかおじさん連れなどもかなりの割合で見られ、なかなかの盛況だ。固定ファンがついている模様。終始踊りたくなるようなリズムが気持ちよい。が、いかんせん、歌が…。7月に超有名番組「おかあさんといっしょ」にゲスト出演する、と言っていたが、そうなんです、歌があのノリなんです。あの楽しさで大人を対象にして成功したら、すごい、と言っても良いのだけれど。終始飽きさせないで1時間半ぶっ続けで観客を引きつける演出、テンポの良さは十分評価できる。予想よりずっと、楽しかった。また行ってもいいかなと思う。親子セット券(大人、子ども各1枚づつ)で5000円ならいいでしょう。

 帰宅後、昼間作って置いたカレーを食べた後、異様に眠く、丸太のように転がって寝る。

2001.0629(金)

 午前中、イタリア・ルネサンス 宮廷と都市の文化展へ行く。9時からかと思いきや9時半からで、ほとんど一番乗りに近かった。きゃー、それがもう目がはあとになってしまうような、それはそれは美しいルネサンスの絵の数々!精緻な写本、受胎告知、天使、争い、装飾、巨大な綴れ織り、うーん、す、素晴らしい!算数の本だの獣医のための本だのの各ページが、なんて精緻な美しいきんきらきんの装飾で飾られていることよ。もうすっかり目には星と花が飛んでしまいましたあ。中世、ルネサンスフリークは必見!

 午後真面目に仕事。終業後、先週に続き、タリススコラーズ(スペインの曲)。何で昔から人はこんなにこんなに祈る祈る祈る歌を歌ってきたのだろう。私がそう言うと連れ合いは、「今だって、仏教だって、坊さんは皆そうでしょ、それが仕事でしょ」と言うのだが、ちがーう、もうちょっと純粋に訊いているのよ私はっ。今日は天上づいた一日。

 今日は移動中に『昔、火星のあった場所』を。いつの間にか2/3ほどにさしかかる。

2001.0628(木)

 次男は無事熱が下がって学校でも元気だった…どころか、帰る前に自宅に電話を入れると、娘が「今日のスイミング、行きたいって言って待ってるよ」と言う。帰宅すると既に玄関にプールバッグをしょった次男がぴょんぴょんして待っている。「どれ、アーン」とのどを見ると赤みもとれている。かな?行きたいってことは回復したってことだ、と「ヨシっ!いってらっしゃい!」。

 しかし、どうも冷房病らしい私は、プールから帰ってきた次男がご飯を食べ終わるのを待てずに、沈没。カレー作る予定だったのに夢の中。

 昼休み『われはフランソワ』では、ややっ、これはっ、ベリー候の華麗なる時祷書のことではないか(<超有名サイト)。わーん山之口さんずるーい。そうそう昔この絵のおかげで豚は森のドングリを餌にするのだと知ったのよね。

2001.0627(水)

 次男が相変わらず朝からぽっぽと熱い。昔読んだ「マコチン」という童話では、主人公の女の子マコチンがはしかにかかってぽっぽと熱を出したとき、マコチンのおばあさまが、熱を出したのは小さいたぬきたちのせいだと言って聞かせ、あずきを入れた布袋をもってきて「たぬきを退治しましょう」と、かゆい発疹をとんとんたたいて看病してくれるのだった。次男ははしかではないけれど、我々も休みがとれないので「おばあさま」=私の母に預け、学校は欠席させる。うーん、この「おばあさま」には一抹、二抹の不安が…。以前寒い頃、やはり風邪で保育園を休んだ次男を預けたとき、何を思ったのか、上着も着せず靴下もはかせずパジャマのまま近所の商店街に買い物に連れて行っちゃったという前科があるのである。風邪引きの子どもをなんで寒空に連れ出した、と問うと「具合が悪いとは気がつきませんでした」と答えたものである。「なんでわざわざ預けたと思ったのよ〜」と嘆いたが、こういうのが痴呆。今日のお昼も「白いご飯だけだったー」と次男は言うが、とりあえず食欲はなかったから実害はない。仕事を持つ我々にとっては母が預かってくれるだけで御の字だし、多少のことなら一年生になったことだから次男が自分で判断できるだろう、と考えるより他ない。

 夕方急ぎ帰宅しだいぶ熱の下がった次男を医者に連れてゆく。職場に『われはフランソワ』を置いてきてしまったので、『昔、火星のあった場所』を読み始める。何だかたぬきづくしの今日である(この本にはたぬきが登場するのだ)。これは『クラゲの海に浮かぶ舟』の兄弟本?書き方も?

 ああ、たぬきと言えば昨日の某委員会にもたぬきがいっぱいいたっけなあ。バッサバッサとさばいてたぬき汁にしてくれたいよ全く。

2001.0626(火)
購入本
井上直久/『めげゾウのいた日』/サンリオ

 昨晩もまた、次男とともに正体なく寝入ってしまった。早くも冷房病か。といっているまに、今週で6月も終わってしまうことに気付く。あじさいもそろそろ盛りを過ぎて色も褪せ気味。くちなしの濃い香りが、湿気とともにまとわりつくようだ。決して嫌いな匂いではないのだが、こうひどく蒸し暑いと、ときに胸が悪くなるように感じられる。

 次男、夜になって発熱する。食後38.2度、確かに今日は大人も熱出そうな暑さだ。帰宅してしばし旧交を温めたとき(へへー、抱き合ったんだ)には全然平気だったのに。困った。

 『めげゾウのいた日』素敵なのでせっかくamazonで書影を紹介しようと思ったのに、そういう時に限って書影が出ていない。がつかり。

2001.0625(月)

 次男が朝から「なんか頭がいたい」と言うので、「今日はプールなのにぃ」と言いつつ熱を計ると、まあ微熱かな。入りたいと言ったら入らせてくださいと書いて持たせるが、やっぱり見学にしたという。娘がそれを聞いて「えー、プールなんて無理しても入りたいものなのに!」と驚く。ちょっと引っ込み思案なのと、どうも気が乗らなかったのと、両方ってところらしい。でももう少し暴れる子でもいいのに>次男

 何かとってもいいヤツって感じの『われはフランソワ』。

2001.0624(日)

 朝から映画「ハムナプトラ2」を見に行く。池袋に行こうと言っていたのだが、大して遠くなくて多分空いている、東武練馬のサティにあるワーナーマイカルシネマに行ってみることに。きゃー、空いてる!ガラガラ。なんていい席にゆったりと…。画面もそこそこ大きいし、音もいいし、第一劇場がきれいなのがいい。銀座の真ん中でも映画館というと何となくうらぶれた、饐えた匂いがするような気がするのだが、ここはそれがなくて、テーマパークのノリだ。でもって映画本体は、おもしろい!美男美女だし、1930年代だし、エジプトだしロンドンだしカーチェイス(バスチェイス?)だし。おまけにスターウォーズだしETだし。砂漠の民との伝令係である鷹は、『青い鷹』そのままだ。途中で出てくる飛行船のシーンが素敵!星空のナイル上空を飛ぶあぶなっかしげな飛行船のシーンは『オリオンミステリー』を思い出すし、満月を横切る飛行船はETの自転車のシーンそのままだ。おまけにイムホテプの巨大な水の顔が迫ってくるとこのおんぼろ飛行船はジェット噴射でマンガチックにぴゅーっと逃げてゆくのだ。拍手しちゃいましたよ。最後にスコーピオン・キングが甦った所なんて、そのあまりのかわいさに笑っちゃって涙出そう。いやー、楽しかった!よし、また映画見に行くぞ!そのあとサティ近所の「ル・モンド」にて、スパゲティなど。ここは娘&カレシのお薦めだが、確かになるほどであった。
 草臥れちゃって、池袋へ行くつもりだったのをやめて帰宅、夕方3時間ほど昼寝。

2001.0623(土)
購入本
稲垣足穂/『稲垣足穂全集9 宇治桃山はわたしの里』/筑摩書房

 復刊ドットコムからメイルが参りました。
復刊ドットコム、『オレンジ党と黒い釜』

===引用はじめ========================

下記の書物に対して投票数が規定数に達しましたことを
ご連絡いたします。

==(中略)==

登録No.83    登録日時 2001/06/23 22:26:48
----------------------------------------------------------
 ジャンル   : 児童
 書名     : オレンジ党と黒い釜
 著者名    : 天沢退二郎
 出版社    : 筑摩書房
 本の内容   :  現在の得票数 : 100
----------------------------------------------------------

===引用終わり========================

 わーい、復刊交渉に進めますように。

 一日何をやっていたのかよくわからない日。本も一行も読めなかったし。今思うとむなしいが、ちょっと疲れちゃったというところらしい。

2001.0622(金)

 午後から、次回の職場主催のイベントの準備として、某区役所、公会堂へ下見・挨拶に行く。緑濃い地域に隣接しているので、いい眺めだー。今回はまだ私は新米として着いてゆくだけなので気楽だ。ホールの舞台うらって、いつでも何だかワクワクして面白い!

 帰宅が遅くなり草臥れ〜。でっち上げた食事のあと、ぱそ子の近くに積んであった『ロストハウス』を手に取ったのが運の尽き、不安定な格好で椅子にかけたまま、一気に全部読む。既に初出時に読んだものばかりなんだけど、数年たって詳細は忘れている。読み終えてぱったり閉じた本を胸にあてたままぼーっと遠い目。驚いたことに、大島弓子と切っても切れなかった井の頭公園の木立にに面した自宅マンションを、今頃は引き払って引っ越してしまったらしい。えぇぇぇぇ、ショック。

復刊ドットコム、『オレンジ党と黒い釜』もう少しで交渉開始の100票だ!

2001.0621(木)

 終業後、紀尾井ホールにてタリススコラーズ。満員に近い客の入りで人気の高さを感じる。それもそのはず、1曲目からむんずとはあとをつかまれ、あとはもうひたすらうっとりびっくり。ソプラノの「天使の歌声」は今日も健在で、プログラム最後の曲の終わりにfffで歌われるハイトーンの「アーメン」のものすごいこと!声楽アンサンブルは数あれど、声質とそのアンサンブルの美しさで言ったらピカイチだろう。いやー、聴く度に驚きを新たにする。タヴァナー、タリス、ホワイトなどイギリスの曲。29日にスペインの曲のプロがあるが、それも行こうかなあ。あー素晴らしかったあ!

 『われはフランソワ』続き。こういうレトリックは大好き。『オルガニスト』にあった力みが抜けて、楽しんで書いたように感じられる。

復刊ドットコムでは天沢退二郎特集が。
もう少しで復刊交渉開始条件の100票に達するものも出てきている。投票、よろしくお願いします。
取り上げられているのは次の7冊。

No.82 光車よ、まわれ!
No.83 オレンジ党と黒い釜
No.84 魔の沼
No.85 オレンジ党、海へ
No.1785 闇の中のオレンジ
No.3989 夢でない夢
No.3990 水族譚 動物童話集

2001.0620(水)

 『』読了。いやはや途中はものすごいぞ。「ヘァ!」だの「シュワ!」だの。(「ジュワッキ!」がないぞ>「受話器」ね…(^^;;)でも「ブモー」があったような…。げちょげちょでぐちゃぐちゃで、でも、ガと諸星隼人がたどりつく美しい最後のシーンが好き。で、「ガ」は実は……えっ、何じゃそりゃ!(意味不明)

 『われはフランソワ』、早く読まなくちゃ!と、取り出す。あらっ、面白い!山之口さんのは読んでいて一種心地よいですね、どれも。どう展開してゆくのか楽しみだ。

2001.0619(火)

 某委員会の攻防戦にて、私の部署の主張が負ける。攻防戦と思っていたのはこっちサイドだけで、向こう(委員長とかタヌキとか)は旧態依然を続けたいだけのこと。感じないヤツには負けるよなぁ。よぉーし次回はしっかり作戦を練って行くべいベキベキ。

 『』にお目々ぱちくり。これってー。いえ楽しいんですとっても!

2001.0618(月)

 昨晩より小林泰三『(アルファ・オメガ)』を読む。ホラーとSFの合体というところのようだ。実はこれまでは小林泰三はホラーしか読んだことがない。うー、あいかわらず小林泰三全開。

 土曜に、『ルイス・キャロル詩集』が目に付いたのでつい買ってしまった。実家のどこかにあるのは確かなのに…「スナーク狩り」ほかが英文対訳になっているのだ。でもって、記憶にあったスナークの絵は、じつはジャバーウォックだったと言うことが判明。記憶に裏切られることの多いこの頃である。

2001.0617(日)
購入本
長野まゆみ/『千年王子』/河出書房新社 >長野まゆみ自身のbk1「書評」

 昨日のMZTさんの壮行会では、参加者ひとりひとりがMZTさんとのなれそめを熱く語った。私とカレとのなれそめは、3年前の5月、私がサンリオ版『パヴァーヌ』の情報を求めるメイルをカレに出したことからはじまるが、それはそもそも有里さんに「ここに訊ねてみたら」とMZTさんの「書物の帝国」を教わったことに始まる。だから結びの神は『パヴァーヌ』と有里さんなのだ。ありがとう〜。

 なんだか細切れに用事、電話、などが入る日。午後遅くなって、父の日のプレゼントを買いに子どもたちと池袋へ。出先から合流した連れ合いと、パルコ8Fの無国籍料理「ガネーシャ」に行く。アジアンキッチンの割高版てところかな?味はアジキチより複雑。席はどうやら「瞑想の祠」のエリアだったみたい。一体なんのこっちゃ。

2001.0616(土)
購入本
タッド・ウィリアムズ/『黄金の幻影都市 1』/ハヤカワ文庫SF
小林泰三/『密室・殺人』/角川ホラー文庫
ルイス・キャロル/『ルイス・キャロル詩集』/ちくま文庫

 午前中、次男の学校で1年生の「親子お楽しみ学習会」。3、4時間目をこれにあてる。頼まれて受付を務めるが、お父さんが結構多いと感じた。しかも、親が来ない家は百十数人中ほんの数人。プレッシャーあるよなー。学習会と言っても実体は「じゃんけんゲーム」「人間壁」「玉入れ」をして遊んだのだ。お茶、ジュース、お菓子をもらって子どもと一緒に帰る。

 伊藤遊『えんの松原』読了。前作『鬼の橋』(>感想)が大変面白く読み応えがあったのでこれも書店で目にしてすぐ購入したもの。期待に違わず良い出来で、終盤では涙してしまった。帯(裏表紙側)には「栄華を極める花の都のまん中に、怨霊たちのすみかがあった。何者かに祟られた若き皇子・憲平と女装の少年・音羽は真実を求めて世の闇、人の心の闇へと深く分け入ってゆく。絶望をこえる勇気、結び合う絆の力、魂の再生の物語。」とあるのだけれど、まるでやおい小説のように見える。ちがーう!「若き皇子」というよりまだ幼さを残す11歳のひよわな東宮だし、「女装の少年・音羽」は訳あって少女の姿をせざるを得ないだけで実際は行儀の悪い男の子らしい少年なのだ。まあ『さよならダイノサウルス』とか『薔薇の荘園』をやおいということができるならこの作品もそうかもしれないけど(*^_^*)。
 また、この作品のbk1の読者書評のひとつはやっぱりネタばれに抵触していると感じた。読んでゆけば容易に想像がつくこととは言え、主人公にとってはちゃんとした謎解き、大きな課題であって、そこにたどり着く課程自体が作品に他ならないのだから、結論を書評でいきなり言っちゃダメでしょう。bk1側もいちいち作品を読まなければどこがネタばれかも判断できない訳だから、チェック機能を働かせるという事は難しいだろうが、なんとかならないものかと思う。

 MZT氏のカナダ留学壮行会に参加。

2001.0615(金)
購入本
日下三蔵編/『海野十三集 三人の双生児』/ちくま文庫
佐藤亜紀/『バルタザールの遍歴』/文春文庫
田口ランディ/『スカートの下の秘密の生活』/幻冬舎文庫
大島弓子/『ロストハウス』/白泉社文庫

 『フロン』読了。昨日も書いたように、おおよそに於いて彼の論は私自身や私が私の回りで見聞きし感じている現状の追認であって、彼の論は、それらのぼやーっとしているイメージをきっちり言葉にしてくれたと感じた(誤解のないように言えば、具体的事例が一つ一つ当てはまる、と言う意味ではない)。たいていの既婚女性、ことに有職子どもありなら多かれ少なかれ同様に感じるだろうと思う。
 リストラ(restructuring)とはもともと「再構築する」という意味だから、「夫をリストラせよ」と言っても岡田斗司夫が単純に夫をクビにすると言う意味でこの言葉を用いているとは想定しなかった。しかし終盤になってはっきり岡田は「リストラ=夫との別居」と限定的に言っているのでやや驚く。意識の中での「家族のありかたの再構築」を具体的な形にしたときに、彼のリストラ(再構築)は、別居であったと言うことで、リストラと言う方法自体にはそれぞれのケースによって他のやり方も考えられるだろう。ただ「意識の中でのリストラ」は、現実的にはあまり有効には機能しないであろうから、有効なリストラを考えると、「別居」という言ってみればドラスティックな形になってゆくのかもしれない。それぞれの家族のなかで、決定権を持つ構成員(夫と妻)がメリットとデメリットのバランスを考えて、どのようなリストラクチャリングがもっとも有効かを考案すればよいのであって、「リストラ=別居」と言う図式のみを鵜呑みにするのは馬鹿丸出しだと思う。岡田斗司夫なら、夫抜きで妻がひとりで考案せよ、と言うかもね(*^_^*)
 ル=グウィンの『所有せざる人々』の中で、主人公の老女が、「自分はこれまで社会改革に身を捧げてきたけれど、その自分自身は古い習慣で育って来たので、改革が成し遂げられた現在のような条件で暮らすのは正直しんどい」と、新しい社会システムの中で幼い頃から共同生活で育ってきた若者たちを横目に、自らは優遇されて静かな個室でゆっくりくつろごうとするシーン(だったとおもう)が当時から印象に残っているのだが、『フロン』を読んでまたそれを思い出したのであった。信念とは別に、それで育ってきた価値感や習慣は、抜きがたいものがある。

 終業後次男の歯医者。しみる、と言うのでそれっと連れて行ったのだが、虫歯は一本もなくて、単に象牙質が摩耗して神経が感じやすくなっているとのこと。簡単に言えば歯ぎしり体質ということらしい。歯医者は割にすいている感じだったのに、思ったより遅くなってしまい、帰宅したら7時半を回っている、ご飯どうしよ。ところが一足先に7時頃帰っていたらしい連れ合いは、「誰も帰っていないよ」と言うばかりで、ご飯炊くでもなく夕刊かなんか読んでいるだけ。『フロン』読んだばっかりの私は、岡田斗司夫描き出すところの「家族」そのままのような成り行きに、さすがにぷちっと切れた。今日は怒りもしない代わりにほとんど無視作戦でいったのである。ほとんど、と言うところがミソ。圧力鍋でご飯が炊けたころにグッドタイミングで(と言うか何というか…)帰ってきた長男に専ら手伝いを命じて(ほれ、私は「リーダー」だからね)食事をでっち上げる。「アンタはいてもいなくても毎日は過ぎてゆくのよ」オーラ全開である。その間に娘も帰宅して加勢してくれ、割合短時間で食事が出来た。で、おなかがふさがれば文字通り腹の虫も収まるというのも現実で、なんとなく和気藹々になっちゃったりして。食後、ゴミ捨てに連れ合いを動員しておしまい。あーとりあえず別居とか離婚とかするだけのエネルギーはないわな、私の場合。食後FMから流れてくる曲はゴスペラーズの「ひとり」だったというのは出来すぎか<歌詞を聴いてみたまえ

 伊藤遊『えんの松原』を昼に読み始めて、半分くらいのところ。いや面白いぞよ。安部清明は出てこないがそれと同時代の話。

2001.0614(木)

 瀬田貞二調の訳文(浅倉久志訳)の『ノービットの冒険』読了。訳者ご本人の推薦帯つきなのである。ホビットを下敷きにしているのだけれど、もう一つのネタ本『スナーク狩り』をいつ読んだのかちっとも覚えていないのよう。おっかないスナークの絵とおかしな意味不明の詩の断片は覚えているけど。スナークとはスネイルとシャークのかばん語で、スナーク狩りのメンバーはBで始まる名前を持っている。で、最後に、スナークはブージャムだった(<Bで始まる)、で終わるのだが、ブージャムって何じゃい。ノービットでは、ホビットの龍にあたるのがこの(どの?)ブージャム。そういえばゴトリはどこへ?気に入ったのはやはりフラッフィ、考古学者、<ベルマンの愚行>の司書。ベルマンというのもスナーク狩りの一行の一人だったね?うう『スナーク狩り』よ、いずこ。左利きの食べ物(左旋性の物質)というのが出てくるのも楽しい。下敷きの話を知らなくても面白いが、知っているともっと面白いと思う(うう〜、『スナーク狩り』!)。そう言えば山本史郎訳の『ホビット』は、巷の評判はどうだったのだろう。私は買うことは買って、拾い読みしただけなのだが。終盤で主人公のベイリーがメビウスの輪を覗くシーンに思わずどっきりしてしまった。ガンダルフが指輪を覗くシーンを想起したのである。いや馳夫さんだったかな?いやはや、読み終わった今になってまた読み返したい思いがする作品だ。『スタープレックス』を思い出したりもして。マックス・メリウェルの本も訳出希望!

 続いて『フロン』3/5位まで。可笑しいのは、この本の小見出しが渦巻きマークであること。だって、ついその前まで読んでいた『ノービットの冒険』にも、全く同じといってよい渦巻きマークが頻繁に出てきたからだ。こんな所に不思議な暗合が…うーん、いみしん。岡田斗司夫とは年齢的に近いので、私にとっては彼の結婚・家庭等に関する分析は現状の追認と言った感じがする。ああ私はやっぱりもろ職人でしたわよ>有里さん

2001.0613(水)

 娘の誕生日。でも何回も乾杯をしたので平日の今日は何もしない。きょうから法的には車の免許を取ってもいいのだ(学校では禁止だけど)。

 アトリー『氷の花たば』読了。うーん、どうしてこの人のは読んでいると涙が出ちゃうかなあ。石井桃子の解説の「アリソン・アトリーの作品を読んでいると、児童文学というものが、伝承文学から独立して、自我を持つ個人の創作となっていく道すじを目の前にさし示されたような思いがします」という指摘はまさにその通りで、いかにもこの分野に生きてきた石井桃子の実感がこもっていると思う。

 並行読みの『ノービットの冒険』もわずかな読書時間ながら着実に消化中。読みたい本がありすぎで収拾がつかない。みんな待ってぇ〜、という感じ。

2001.0612(火)

 せっかく昼休みの読書タイムを楽しみに午前の部を真面目にこなしていたのに、お昼になったら「組合の集会です。お集まりください」という無情なアナウンスが流れる。予算削減の折から職場が色々と揺れているので、組合や当局の動きはある程度追っておかないといけないのである。かなしい。

 図書館からアリソン・アトリー『氷の花たば』が入ったという電話があった。『西風のくれた鍵』が新版で出たからこれも出ないのかなあ。このところ図書館にもすっかりご無沙汰していたが、その間に年度替わりがあって、顔見知りの職員さんが何人かいなくなっている模様。もっと司書を大事にしないといけないんでないかい>東京都も国も。

 あじさいがいよいよ花盛りで、微妙な色変わりが美しい。白い夾竹桃もどんよりした空のもと、そこだけくっきりと目を惹く。気付かぬうちに泰山木の花も散り始めている。次男の送り迎えがなくなって、通勤の際に泰山木の下を通らなくなってしまったのである。

 次男の小学校から、先日の池田の小学校の事件がらみでプリントが回ってきた。通常開いている二つの校門のうち一つは、登下校時のみ開門しそれ以外は施錠、正門も通用門(小門)のみ開ける、また保護者などの出入りの際は必ず受け付けで記名し名札をもらう、等の対応が書かれていた。この学校は昇降口に面して受付を備えた事務室(主事室)があるが、ここには誰も常駐していない。主な事務室は2階の職員室の隣にあるからだ。私が通った小中学校では、受付は事務室に繋がっていて、そこには基本的に職員がいたように記憶する。父母を含め外来者は、防犯上と言うより、当然の礼儀として、受け付けに声をかけて出入りしたものである。職員が見あたらないときはしばらく待ってみたり、用務員さんに声をかけてみたりして、一種遠慮しつつ校舎に入ったものだ。子どもが通っている学校に大手を振って出入りするというのは、学校に対して保護者が権利を主張するようになったという意識の現れだろうが、こういった礼儀の欠如も今回の事件を含む様々な事件、風潮の遠因だろう。あるいは結果なのか。

2001.0611(月)

 次男を寝かしつけようと先に横になっていたら、次に気がついたのは朝だった。と言う文句を言っていたら、長男が、自分もそうだと言う。長男のベッドに次男が来て「今日はこっちで寝ようかなあ」と言うので、しょうがないなあ、次男が寝るまで待っていようか、と目をつぶったら、朝だった、とぼやく(道理で朝から勉強していると思った、宿題だったのね)。次男は、長男が眠ったのを見届けて、一丁あがり、て感じで私の所へ来たと言うわけだ。こいつめ〜!

2001.0610(日)
購入本
武井武雄/『思い出の名作絵本 武井武雄』/河出書房新社
伊藤遊/『えんの松原』/福音館書店
斎藤文一/『アインシュタインと銀河鉄道の夜』/新潮選書

 昼頃また裏の公園にドドメや木いちごを求めてゆく。ここにはちょっとしたハーブガーデンもあって、ラベンダーが見事に茂って蕾が開き始めている。やっぱり高温多湿の東京ではラベンダーの鉢植えは難しい、露地でないと、と、ちょっとくやしい。我が家のラズベリー今日は2個収穫。

 夕方、来週の娘の誕生日のお祝いに、なぜかサンシャインのロシア料理を食べに行く。我々はちょうど建物の中で大丈夫だったが、出先から合流した連れ合いは、いっとき激しく降った夕立にあってズボンびしょびしょ。この豪雨はもう夏の東京の風物詩になってしまったのか。

 帰宅するとちょうどサッカーの決勝は後半あと25分くらいの所で、さすがに見れば血が騒ぐ。カワグチ〜を連呼。素人目にもよく1点で終わったと思うが、ともかくご苦労さまでした。カワグチ君かっこいいー。

 今日は『ノービットの冒険』はほとんど読めなかったが、この中ではホビットに出てくるガンダルフやドワーフたちはクローン一族の女性たちに置き換わっている。ビルボに相当するノービットのベイリー君はトンネルだらけの小惑星に住むがこれはもうホビット族だし、ゴクリとビルボの出会い=指輪をビルボがなぞなぞで手に入れるくだりはほぼ同じ作りになっている。思わずわははと笑ってしまう部分もあり、次男に怪訝な顔をされてしまった。ホビットも指輪も読んだのは遠い昔のことになってしまったので、いつの間にかビルボの旅とフロドの旅が記憶の中でごっちゃになっているようで、たとえば「大好きなトム・ボンバディルはどうした?」と思ってよく考えてみたらあれは指輪の方だった。

2001.0609(土)

 新聞を見るにつけ、涙が流れる。記事があっという間に興味本位に流れているので、もう読みたくない。

 今日は第二土曜なので子どもたちも全員学校休みで寝坊が出来る、なのに朝からアルミ缶つぶしの当番なのよ〜。年間予定を改めて見ると、うちの班はずーっと第二土曜に当たっているではないか。陰謀だぁ。

 昼過ぎから久しぶりに髪を切りに行く。娘にやいのやいの言われたこともあり、何年来ほとんど変わらずロングのソバージュだったのを、ストレートパーマをかけ、段々をつけて軽くした。そもそもは大島弓子の漫画だったのに〜(実物を知る人笑うべからず)。でも実を言うと見た目もさることながらこのところ物理的に髪の重さを感じていたので、あーとってもすっきりした。次回は染めようかな。

 髪をカットしている間は、手元に髪がばらばら落ちてくるのでグラビア雑誌を一通り見ていたが、パーマの段階になっていよいよお楽しみの『ノービットの冒険』を読み始める。今のところ、そんなにホビットをなぞっているというほどでもないわよ。ゴトリ(*^_^*)が出てきたところまで。

2001.0608(金)
購入本
谷村志穂/『アボリジナル・ランド』/幻冬舎文庫
恩田陸/『上と外 5 楔が抜けるとき』/ 〃
パット・マーフィ/『ノービットの冒険ーゆきて帰りし物語ー』/ハヤカワ文庫SF
東雅夫・企画監修/『ムー7月号別冊 伝奇Mモンストルム Vol.01』/学研

 ほぼ一日、部屋のメンバーそれぞれに自分の仕事を粛々とこなし、ほんとに静かな一日。さて帰るとするか、というとき、たまたま池田の小学校での事件を知る。血の気がひく、と言うか、はたまた血が上るというか、ただ驚きうろたえ、怒りと悲しみに力を失う。帰宅してさっそくTVを見るが、次男も事件を学校で知ったらしく、「おんなじくらいの子がたくさん死んだんだって」と言っている。あまりにもお気の毒で、涙するのみ。心から哀悼の意を表する。
 読売夕刊一面の写真は、ほとんど扇情的と言ってもいいのではないか。報道の姿勢に疑問を抱く。また相も変わらず小さな子にマイクを突きつける報道陣は良識や感情というものを持ち合わせないのか。怒りを禁じ得ない。

2001.0607(木)

 先日連れ合いの恩師が亡くなって四十九日がすぎ、香典返しが届いた。最近はやりのas you likeというもので(つまりカタログから選ぶ方式の)、これと言って欲しいものないよなぁ、と漫然と見ていたが、なんと、娘がこの前から欲しがっていた、特大サイズのプーさんのぬいぐるみがあるではないか。これにしていいよ!と言ったら娘の喜ぶこと。6月が誕生日なので「じゃあこれが誕生祝いね」と言ったらさすがにふくれた。そのプーさんが、昨日届いた。ハチミツ色したディズニーの一抱えもあるプーさん、どれどれとだっこして頬ずりすると「化粧が付くっ」と取り返された。そう言う娘もしっかり目にはマスカラ、母より化粧濃いぞ。彼女にはこれで三つ目のプーさんで、既に大・小がベッドに鎮座している。春休みに行ったディズニーランドで「プーさんのハニーハント」が可愛い、と騒ぎ出したのがきっかけだったようだ。私は、このディズニーのプーさんはダメだ。あくまでもシェパードの描くプークマでなくてはならない。キャラクターが好き、と言うよりあの世界全部と、言葉遊びの楽しさが好きだ。プーは実に私の愛読書だったのだ。

 『農場に暮らして』のスーザンは再び春を迎える。

2001.0606(水)

 とうとうことしも梅雨に入ってしまった。雨足が昼前から激しい。昼休み『ラムラム王』読了。これまで、拾い読みで飛び飛びにしか読んでいなかったがやはり通読すると面白さ倍増である。こういう肌合いのユーモアはしゃれていて大好き。どこともしれない舞台だったのが突然日本郵船の船なんぞが出てきて笑っちゃう。カバー絵もクラシカル・モダンといったふうで素敵だが、カバーをはずしたところがまたいい。思わず声をあげてしまった。

 夕方別な部署の女性と椅子にかけて打ち合わせをしているとき、くらぁ〜とめまいを感じたので知らん顔してやり過ごそうと思ったが、なおも世界はぐい〜んと回りそうになる。ぐっとこらえて相づちを打ちつつ、目玉が回らないようにと力を込めるが、まだ回り続けそうで一瞬机に突っ伏すか、と言う感じ。その間おそらくほんの15秒ほどだろう、世界は3/4回転くらいでとりあえず止まった。このところの猛烈な眠さの仕上げがこれかい。うう思い出すと酔いそう。小児用センパアがあるから用意しておくか。回転性のめまいは気持ち悪いのよね。

 『農場に暮らして』はクリスマスのお祝い。寒い外でキャロルの一隊が賛美歌を歌うシーンは、『たのしい川べ』のモグラ屋敷のシーンとおんなじ!

 今年も、ベランダのささやかなラズベリーの実がなり始めた。美味。このごろ、朝ご飯を食べながらベランダに動く影があるので動かないようにして見ていると、雀がセージの細い茎にとまって葉っぱをついばんでいるのだった。どこからかぎつけて飛んでくるのだろう。

2001.0605(火)
購入本
武井武雄/『ラムラム王』/銀貨社
小林泰三/『AΩ』/角川書店

 武井武雄とか初山滋とか茂田井武とかは子どもの時から大好きである。有里さんの所でこのところ『ラムラム王』がお薦めなので、それに背中を押されて、以前からさんざん本屋では眺め回しているこの本をようやく自分用に買う。今朝bk1に注文して帰宅するともう届いていたのであった。

 『農場に暮らして』は、筋があるというタイプの話ではなく、おおよそ季節を追ってスーザンという作者と表裏一体の少女が山の上の農場に暮らしている有様が描かれている。しかも作者の筆の運びは非常に自由で、まるで思いつくままに語るという具合にかかれているので、とてもさっさと読んでしまえるものではない。山深い農場の自然と暮らしの描写の中に、繰り返し出てくるのが、地球の大いなる動きである。荘厳にたゆみなく自らの軌道をゆっくり回転してゆく地球を、9歳のスーザンは日暮れから夜に滑り込んでゆく壮大な景色の中で深く感じ、体で聞く。暗いダークウッドを抜けて学校から帰る道々、空にかかる月と交感し地球の回転を感じつつ木々の中を走り抜ける。これほど豊かな経験こそないけれど、この同じ感覚は子どもの頃から私も抱いてきたものだ。これはしかし、地動説というものを知って、はじめて抱く感覚なのだろうか?ずっと昔の、天動説時代の人は、こんな感じを抱いたことがなかったのだろうか(反語)。

 夜になって、窓から流れ込んでくる風が冷たく、気持ちよい。じっとしていると足が冷えて、時たまブルッとするくらいだ。日中いかに暑いと言ってもまだ今はこれだから耐えられる。梅雨あけ後の熱帯夜なんて悲惨だ。なんでも、ある計算によると、今から100年間で日本は南に300km移動する(と同じ)ことになるのだそうだ。温暖化によって気温が上昇し、山形が今の東京の、東京が今の八丈島の気候になると言う。関東地方にケヤキが棲息できなくなるのだとも。ケヤキのない武蔵野なんて!どうなってしまうんですか地球は。

2001.0604(月)
購入本
エルサ・ベスコフ/『ぼうしのおうち』/福音館書店
東京人 特集:絵本の世界』/都市出版株式会社

 ベスコフの絵本『ぼうしのおうち』を、先日からにらんでいたが、発作的に買う。これは新刊だが、以下の3冊は福音館書店からの復刊である。こっちも、欲しくなっちゃうなァ。>『おりこうなアニカ』 『もりのこびとたち』 『ブルーベリーもりでのプッテのぼうけん

 体調不良。どう不良かというと、夜になるやいなや、猛烈に眠くなる。昼間は大丈夫。夕ご飯を食べ終わると、俄然、口が利けないくらい眠くなるのだ。なので今日もこれで、バタ。ああ本が本が。

2001.0603(日)

 まもなく梅雨入りだという。貴重な好天の日曜日、それっとばかりに布団や枕を干し、洗濯機を数回まわす。午前中、あまりのいい天気に、暑くならないうちに、と、ウォーキングを兼ねて小一の次男と裏のエアポケットのような公園に行って来たら、全く予想もしていなかったことに、ドドメがたくさん赤黒く熟して垂れ下がっていた。5月に行ったときにはまだどれも青かったのと、葉が、私の知っていた桑よりずっと小振りで切れ目もそれほど深くなかったのとで、桑の木かどうかはっきりわからなかったのだ。背伸びして枝を引き寄せて、良く熟したのを取り、次男の手に載せてやる。しばらくして見ると、彼の指や口の周りはすっかり濃紫いろに染まっている。Tシャツも…。こんな所に自然の恵みがあろうとは思わなかった。もう一種類、なにやら木イチゴの類のまだ青い実がたくさんなっていたので、これは次回のお楽しみに…!

 『農場に暮らして』を手に、目を開けるとすでに深夜。だあっ!

2001.0602(土)

 小学校の学校解放の日。簡単に言えば授業参観である。最近流行の、保護者のみならず地域の人に学校を開放し、授業をみてもらい、また講演会も行う、という趣向だ。先生方も胸に「当校教諭:誰々」という名札をつけている。2時間の授業のあと、全校の子どもたちも一緒に、在校生の父親である、ある歌舞伎役者の講演会を聞いた。これが、OHPやビデオ、あるいはお弟子さんとの立ち回りなどを多用して、面白かった。京劇のおもしろさを知った次は、やっぱり歌舞伎かしら。

 終わって次男と一緒に帰宅し、お昼もそこそこに次は長男の保護者会へ向かう。忙しい〜。機嫌良くしゃべり続ける担任…はやく帰りたい…おかげでまたもや電車が池袋に滑り込む頃夕立が降ってきて、傘がなかったので雨が止むまで用のあるヤマハに行けず、いらない買い物をして雨が上がるのを待ち、帰宅が遅くなる。って、もう夏物セールしていたのに引っかかったのよ〜。

2001.0601(金)
購入本
乙一/『きみにしか聞こえない』/角川スニーカー文庫
 〃/『天帝妖狐』/ジャンプジェイブックス
岡田斗司夫/『フロン』/海拓舎
巽孝之/『『2001年宇宙の旅』講義』/平凡社新書

 昨日bk1に注文した本が届く。『天帝妖狐』は、以前ずっと絶版状態だったが、『きみにしか聞こえない』を注文する際、著者名「乙一」で検索したところ、24時間以内配送ステータスになっているのを見て注文した。乙一が順調に新刊を出しているのでこれも増刷したのだと思ったが、じつは届いた本の奥付は98年4月の初版。このへんのことはどうなってるんだか、さっぱりわからない。岡田斗司夫『フロン』は今更「21世紀的結婚生活の指南書」でもあるまい、と思っていたが、いくつかのサイトで話題になっているのを見ていると興味がわいてきたので購入。タイトルの『フロン』とは「婦論」「夫論」「父論」であって、冷蔵庫のフロンではないのであった、なあんだ(*^_^*)

 終業後お茶の水カザルスホールにてヴィオラスペース。病気療養で昨年欠場した中心人物・今井信子が、ブランクをまったく感じさせない姿と演奏で登場した。ことしは10周年ということで、開演前にプレコンサートが約30分行われた。と言っても立派なプログラムで、本日のヴィオリスト4人によるヴァインツェル(はじめて聞いた)の「夜想曲」であった。オリジナルのヴィオラ4本の曲で、しっとりとした美しい響きにうっとり。プレの存在が意識になく普通の開演時間のつもりで来たひとが多かったらしい、お気の毒さま。豊嶋泰嗣によるヒンデミット:無伴奏ソナタ、今井信子・店村眞積・川崎雅夫によるベート−ヴェン/ターティス編曲:3本のヴィオラによるトリオ、川崎雅夫によるウォルトン:ヴィオラ協奏曲(バックは原田幸一郎指揮桐朋学園オケ)、今井信子によるヒンデミット:室内音楽第6番(バックおなじ)であったが、今日は今井、川崎が素晴らしく、ヴィオラの音色の特色にすっかり頼りがちなヴィオリストの中にあって、楽器としてのヴィオラの響きの美しさを本当に引き出していること、表現に多彩な陰影と色彩があることで、格段の演奏家だと感じた。退屈かと予想したベートーヴェンが、とんでもない、この二人のおかげで安心して堪能できた。最後の曲では今井が、今日のお目当てヴィオラ・ダ・モーレを演奏し、ヒンデミットの楽器使いの抜群のうまさを堪能した。後半2曲のオケが非常に上手く、なかでも個人技の光る最後の曲はききものであった。とても充実したプロで、ある意味とても疲れたが、もしかしてこれは融通無碍の、というかこういう指揮法ありか、というような原田の指揮を見ていたためかもしれない。

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最終更新
2001.12.31 01:11:37