銀座物語 2008.12.13

おお!ひさかたぶりの物語シリーズであります。
以前は物語シリーズを書いたことがあったのです。もう皆さん忘れてしまわれたことでしょう。なにしろ私も忘れておりました。今回タイトルを物語と名付けて、ああ、以前そんなタイトルでバカ話を語ったこともあったと思いだしたところです。 

銀座物語といっても、銀座の老舗とか、銀座にお店を出すまでの苦労とか、銀座のホステスの物語とは・・大きく違います。
../drink2.jpg まず、私は銀座などに縁がない。私が6年前東京に出てきたとき、やがては銀座でお酒を飲むこともあるだろうか? なんて思ったことはあったが、やがてとても庶民が飲みに行けるようなところではないことを認識した。そして酸っぱいブドウではないが、ガード下に比べておいしくなさそうだとわかった。私にとっての銀座は、せいぜいが、マンガ「江戸前の旬」を読んで想像するのが関の山である。

本日の銀座物語とはそういう高尚な(?)ことではない。
少し前、九州の某都市に仕事で行った。年寄りであるからか、いつもとおり朝6時前には目が覚めてしまった。だが、ホテルの朝飯は7時からなので何もすることがない。それで、朝の散歩に出かけた。
九州の夜明けは東京や東北に比べて遅く外はまだ暗い。早朝はネオンもなく街灯だけが灯っている。街灯の下に通りの名前が書いてあるプレートが付いていて、そこには「○○銀座」と書いてあった。○○には都市の名前が書いてある。○○が福岡なのか長崎なのか別府なのか、あるいはその他の都市名なのかはどうでもいい。
前の夜ホテルを探して歩いた時はまわりのネオンがまぶしくて、このプレートもそこに書かれた文字にも気がつかなかったのだ。
「○○銀座」という言葉を聞いて、私の記憶は50年前に戻ったのである。
まさにタイムマシンだね 

昭和20年代、30年代、日本津々浦々に銀座があった。私の住んでいた田舎町は人口3万人くらいで、田んぼと畑が広がるなかに農家や長屋が散在するだけで、市街地といってもお店が数十戸並んでいるだけの本当の田舎町であった。中心地から数分歩くと田畑であった。でも商店が並んでいるところは田舎者の感覚ではそこは街であり、銀座と名乗る資格があった。だから我が田舎の中心街は「○○銀座」と自称しており、周りの住民はその名前がもっともであると認識していた。この場合、○○には私の田舎町の名前が入る。

○○銀座にどんな建物があったかというと
「○○座」という田舎町の名前が付いた映画館があったが、それは木造平屋の汚い建物だった。その昔は芝居小屋であったそうで、だから座という名前なのだそうだった。小学校の時は毎年2回、先生が引率してディズニーとかマナスル登山の映画を見に行った。映画「転校生」をご存じだろうか?古い西部劇のポスターが風にパタパタしている場面があったが、まさにあんなふうな感じだった。私が高校生になった頃には日活ロマンポルノなんてのを上映するようになり、社会人になった頃につぶれた。
歯医者があった。私の田舎町には二三軒しか歯医者がなくて、あそこは腕が悪いとかこっちは口が悪いと言っても他に選択肢がなく、歯が痛い時でも我慢する方が良かったような気がする。
葬儀屋があった。葬儀屋は町に1軒しかなった。人口3万の町で平均寿命が60歳なら毎年なくなる人は500人、毎日1.3件しか葬儀がなければ葬儀屋が二軒もあっても1軒はつぶれてしまうだろう。口の悪いオヤジは「あの葬儀屋は戦争のとき戦死した人で儲けたのだ」といつも言っていた。お金を儲けたかどうかは知らないが、葬儀屋のオヤジは体が虚弱で兵隊になれず、田舎にいて戦死者の葬儀を扱っており、何度も出征した親父から見たら面白くなかったのだろう。
いつか書いたちっぽけな本屋があった。本屋と言ってもお店にはいまどきのコンビニくらいしか本がなかった。とはいえ田舎町の学校の教科書を独占していたので何とか食っていけたのだろう。
そのほか品揃えが悲しくなるような呉服屋があった。写真屋があり、これまた悲しくなるようなほんの少しのカメラが並んでいて、近隣の住民の記念写真や免許写真を撮ってくれた。
種屋があり、農家はここで野菜の種や農薬を買っていた。
数軒の内科・小児科医があった。当時は田舎には内科小児科と産婦人科しかない。外科も眼科も耳鼻咽喉科も肛門科も皮膚科もなーんもない。美容整形とか循環器科なんてあるはずがない。
火の見やぐらがある消防署があり、木造2階の警察署があり、木造2階建ての商工会議所があり、東北電力の会社があり、郵便局があった。
当時は電信電話公社も分離しておらず、一階が郵便局で二階が電報や電話を扱っていた。
それが○○銀座であった。

もちろん隣町にも隣町の名を冠した「□□銀座」があった。隣町は私の生まれた町より少し大きく、鉄筋コンクリートの銀行があり、3階建てのデパートがあり、□□銀座は○○銀座より立派であった。
当時、一般人は東京へ行くなんて機会はほとんどなく、またテレビもなかったので銀座そのものを見た人も行った人も少なかったに違いない。私自身、東京の銀座を見たのは中学校の修学旅行で行ったときだ。銀座通りの両側に7階とか8階建てのビルが並んでいてさすがに大都会だと驚いたことを覚えっている
今なら恥ずかしくて銀座などと名乗るはずがない。
あるいは銀座などと名乗る気にもならないだろう。

似たようなものだが、お伊勢様もある。
本物のお伊勢様は三重県にあるのだが、東北には東北のお伊勢様があった。そして九州には熊本のお伊勢様とか、日向のお伊勢様とか、福岡のお伊勢様がある。
茨木にもお伊勢様があり、東京にもお伊勢様がある。
日本人なら一生に一度はお伊勢様をお参りする、お参りしたいという気持ちが昔はあったのだあろう。それがかなわなければ、近くの代用品でもお伊勢様をお参りしたいと思うのも人情であったのだろう。
健気というか律儀というべきか。

街灯の「○○銀座」というネームプレートを見た瞬間にそんなことが頭をよぎった。
私は還暦になるがいまだお伊勢様をお参りしたことがない。来年は家内と一緒にお伊勢様をお参りしたい。
そんなことを考えた。


過去の物語をご存じない方はぜひお読みいただきたく
メダカ物語 ピアノ物語 ボールペン物語 パイナップル物語 年金物語 成功物語 イソップ物語




木下様からお便りを頂きました(08.12.14)
ぬ、ぬぬ!?!
本物のお伊勢様は三重県にあるのだが、東北には東北のお伊勢様があった。そして九州には熊本のお伊勢様とか、日向のお伊勢様とか、福岡のお伊勢様がある。
茨木にもお伊勢様があり、東京にもお伊勢様がある。
日本人なら一生に一度はお伊勢様をお参りする、お参りしたいという気持ちが昔はあったのだあろう。それがかなわなければ、近くの代用品でもお伊勢様をお参りしたいと思うのも人情であったのだろう。


えええええ???  初耳ですぞ!  ううむ、喜ぶべきか怒るべきか悲しむべきか・・・ まあ日本の神様は同じ方があちらこちらに居られるものですから普通の事と考えるべきでしょうか・・・

木下様 毎度ありがとうございます。
世の中にはすばらしいものがたくさんあります。しかしそれに手が届かない人もたくさんいます。
そういう人のために代用品、偽物、うそものがあるようです。
ロレックスが買えない人のための偽物は罪悪ですが、四国お遍路さん巡りに行けない人のため、富士山を見に行けない人のため、お伊勢参りに行けない人のため、そういうのは許してやってください。


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