レゾンデートル 10.05.05

ISOはすばらしいと語る事務局は多い。ISOでいかに会社が良くなるかと熱く語るコンサルも多い。ISOで会社を救おうと語る宗教家・・いや違った審査員もいる。
ISOとは、正確にはISOマネジメントシステム規格である。より正確に言えばISOマネジメントシステム規格に基づく第三者認証制度である。
しかしその反面、ISOはくだらないと語る事務局は少なく、ISOは会社に貢献しないと語るコンサルはいないし、ISOは会社を助けないと語る審査員はいない。
「ISO崩壊」とか「くたばれISO」と語る人も少しはいるが、その語るところはお題目とは違いISOへの愛、異常なまでの愛情である。異常な愛というべきだろうか?
そのうち、「博士の異常な愛情」ならぬ、「ISOへの異常な愛情」なんて映画が作られるかもしれない。そのときは私はぜひともまっとうな大佐役で出たいと思う。
iloveiso.gif DR.STRANGELOVE Or:How I Learned To Stop Worrying And Love The ISO
博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めてISOを愛するようになったか

この絵を見て笑う人は・・・60歳以上です
しかしこれほどISOに惚れこむとは、いったいどうしてなのだろうか?

振り返って我が同志たちはどうかというと、ISOを愛しているような性格異常者は思い当たらない。彼らはISOを愛情の対象ではなく、仕事のツール、あるいは飯のタネとしかみていない。
そこが大違いなのだが、なぜ違うのか? そう考えていてハタと気が付いた。
レゾンデートルである。
では、はじまりはじまり

我が尊敬する同志ぶらっくたいがぁ氏は某企業の幹部である。まだ若いから・・私から見てだが・・もっと偉くなるだろう。彼にとってISOはメインの仕事どころか主たる業務でさえない。担当しているあまたの仕事のほんの一つに過ぎない。ISO認証で指摘が出されても「そりゃ大変だ、どうしよう!」なんて思うこともなく、それが会社にとって役に立つか否か、意味があるかないかで判断する。ISOが素晴らしいとか認証に価値があるとは思っていないからだろう。
この駄文はご本人と相談して書いているのではないので、その心中は想像である。
そして納得できないときは伝家の宝刀、認証機関を変えてしまうという裏技を使う。うらやましい限りだ。
niwatori.gif
我が同志、名古屋鶏さんの本職は環境管理やエネルギー管理である。ISOはメインではなくサブの仕事である。ISOがなくても仕事に困らない。いやISO審査でアホな指摘がない方が仕事ははかどることは間違いない。指摘どころか審査そのものがなくなったほうが省エネ活動に励む時間がとれて、日本のそして世界の温暖化防止に貢献するかもしれない。
ご本人にインタビューして書いているのではないので、その心中は想像である。

私の場合、本職は環境遵法監査であり、その片手間に環境法規制や法律の読み方を教えたりしている。しかし私は自分の仕事である環境も企業にとってはワンノブゼムだと認識している。
更にISOは仕事とは全然関係なく、ISO規格について質問されたり、ISO審査でのトラブルの相談を受けると、おせっかいな性分だから対応している程度の関わりだ。
私は自分の仕事でなくても、相談を受けたりすると熱を入れて対応する。それが自分の血となり肉となると信じているから・・いや過去からの経験でそうだということを知っているからだ。
契約書の収入印紙金額を質問されて、そんなこと知らないよ、私の仕事じゃないよ、と回答するのは簡単だ。「上越市の廃棄物の分別はどうなってます?」と聞かれて、おれは上越市でゴミを出す予定はないと応えるのも簡単だ。 でもそんなことを聞かれると分かっていれば即答するし、分からなければ国税庁発行の「印紙税法の手引き」 を読んだり税務署に問い合わせたりしている。また上越市の市役所に電話したりもする。
なぜそんなことをするのかと同僚に問われたことがある。彼は私がそんなことをすることが理解できなかったらしい。余計なことをしているとしか思えないという。私がそうする理由は簡単だ、そうすれば私の知識が一つ増すことになり、それは私の商売に役に立つし、そんな打算的なことを言わなくても今まで知らなかったことを知ることは私にとって楽しいことだから。
「おばQは暇だからでしょう」とおっしゃるあなた、半分は正しいし、半分はちょっと違う。常にそういう知識や情報を可能な限り勉強しておくと、日常の仕事が人より早くできるようになる。だから結果として余裕ができるのです。それが実力ってもんです。
というわけで私はISOが本職ではないが、そこらへんの審査員やコンサルよりは詳しいことは間違いない。なにせ人に聞かれて分からなければISO-TC委員やJABに問い合わせて常に正しい答を得ているのだから。中途半端にしたことはない。
ISO審査の大事なルールであるJAB基準類とかCEARの規定にくまなく目を通している審査員ってどれほどいるのだろうか?
まあ、半分もいないことは間違いない。ISO17021さえまともに理解していない審査員が多いのだから。おおっと、ISO17021をしっかりと読んで自家薬籠としているなら、変な審査をするはずがありません。
ISOを語るなら、ISO規格だけでなく第三者認証にからまる基準類をしっかりと把握しておきましょうね〜♪
話がそれた。自分のことになると熱くなってしまう。
ともかく会社のため、社会のため、世界のために真面目に仕事をしている人たちは、ISOをあがめたり、規格文言の言いまわしで神学論争をしたり、ISO道を究めようなんてことをするはずがない。多くの仕事を抱えて忙しいのだからそれこそ無駄なことをしている暇がないはずだ 

異常か異常でないかは比較の問題だ。大多数の方を正常といい、少数を異常という。私の仲間たちのような考えは少数派で異常なのだろうか?
そうでもなさそうだ。
ISOの権威と思われているISO14001のTC委員の方々には、ISO規格が生きがいという方はいらっしゃらないようです。幾人かの方に直接お会いして話をお聞きしたことがありますが、環境教育が生きがいとか企業のEMSをよくしたいということをおっしゃってました。その方たちは、ISOを目的じゃなくて手段、ツールとみなしていることは間違いありません。
ISO9001のTC委員には知り合いがいない。「企業が虚偽の説明をしている」なんて騙っている方とはお知り合いになりたくない。

ところで冒頭に上げたようにISOを熱く語る人たち・・つまりISOはすばらしいとか、ISOは会社を救うとか、ISO審査で会社を助けるなんて語る人ってどんな人なんだろうと考えると・・そういう方たちは、ISOそのものが本業なんでしょうねえ〜
ISO以外に重大なお仕事なんてお持ちじゃないのではないのでしょうか?
日常のお仕事で他の方から頼られたりしないのではないのでしょうか?
おい、この仕事を早くやってくれ、あなたがいなければ仕事が進まないよ、あなたがいなければ口づけができない・・なんていう日常を過ごしているとは思えない。
ただひたすらISOを己の仕事として、世の中の動きとは切り離された世界で・・
そんなことを想像すると、私は自分自身の過去を思い出しちゃうんですよね 
私自身そういう企業内失業者・落ちこぼれだったからそんなことは良く存じあげております。
そうするってえと、そういう方々はISOがすばらしいものと信じたいと思い、そう信じることによって己の存在意義を再確認できるということになるのではないだろうか?
だからISO規格がすばらしいと語る老人を見ると、ああこの人はこれ以外にすがるものを持っていないのだろうと・・

本日の仮説
ISOがスバラシイと語っている人は、品質や環境が企業の全てだと思っているのではないだろうか?
そしてそう語る人たちにとって、ISOが全てなのではないだろうか?

本日のお願い
ISOはすばらしいとおっしゃるあなた、ぜひともそのご説明をお願いします。

本日の最後っ屁
お前こそISOを愛しているのか?という問いにはだいぶ昔回答している。



ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(10.05.06)
あいにく私は幹部などではありませんが、「ISOが素晴らしいとか認証に価値があるとは思っていない」というのはその通りです。
儲かる仕組み・体質作りのためにISO規格をツールとして用いるという観点で見れば、規格は役に立つこともあるし役に立たないこともあるでしょう。でも、認証審査についてはほとんどその役には立っていないのが実態ではないでしょうか。一度JABあたりが音頭を取って登録組織にアンケートをとってみれば明らかになると思います。
(ま、自分で自分の首を絞めるようなことは金輪際しないでしょうけど)
得意先に登録証のコピーを提出することで監査が免除されるとか、サプライヤー審査の提出書類が少なくてすむとか、認証のメリットなんてせいぜいそんなものです。それで浮いた人的負荷と認証維持費用を天秤にかければ、返上した方がお得かもしれませんね。

それであるのに、ISO規格は森羅万象に作用する根本原理、絶対無二の宇宙的真理、環境経営のためのスーパー万能ツールであるかのごとく崇め奉る人が、組織側にもいるのはなぜか。
おそらく次のような事情がおありなのでしょう。

@本気でそう思っている。(推定5%)
 → お気の毒としかいいようがありません。
Aホンネは違うけれど、そう装うことで社内的地位を得てメシを食っている。(推定95%)
 → まあホドホドに。

なんだか、まるで宗教みたいですね。

ぶらっくたいがぁ様 毎度ありがとうございます。
私も過去19年もISO認証に関わって遍歴というかさ迷っておりました。ISOが真理なのか? それとも現実が正しいのか? そんなことを迷うことさえおかしな話ですが、それが現実です。
悪い心を持っている人にはISOの値打が分からないのか、それともやっぱり裸の王様だったのか? 自分がどちらなのか悩まざるをえません。
答えは私にはわかりません。しかし経験則からいってISO認証は全く無意味であるというのが私の結論です。しかしISO規格は価値があと確信しています。
もっともISOのために何かしようとは思いません。既にしていることが規格のどこにあてはまるのか?と考えるのみです。
そんなものではないのでしょうか?


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