ゴミは減らせない

22.04.25

家庭から出るごみはどんなものがあるのかとか、いかほど出ているのかとか、どうして減らそうかなんてことをだいぶ書いてきた。

  • 「ゴミは減らすべきか?」
  • 「ゴミが出ないは可能か?」
  • 「ごみ減らしは目的なのか?」
  • 「家庭ごみの処理」
  • 「ごみ分別は何に定めてあるか」

    ゴミ出し 本日は家内にごみを出してこいと言われたので、そのついでというわけではないが、燃えるゴミ袋の中は何が入っているか再確認した。そして我が家を例にとり、どうすれば家庭ごみを減らせるのか考えた。答えはタイトル通り減らせないである。どうして減らせないのか、それを考える。
    少し前に書いた「エコ生活再考」と同じようなものだが、あれは理屈で今回は現場確認報告である。


    我が家から出るごみのほとんどは燃えるゴミであり、それは台所から出るごみと、台所以外からのごみに分けられる。燃えるゴミの合計は毎週45リットル袋でふたつになるが、それぞれ台所とそれ以外はほぼ同じ量である。
    なおごみの袋一杯に詰めると破けたりするから、我が家では7分目くらいしか入れない。もしかしたらほかの家庭では一袋に詰め込む量かもしれない。

    もちろん燃えないゴミも出るが、刃こぼれがひどい寿命のきた包丁、割れた食器、使用済乾電池などを1年分溜めても、市指定の燃えないゴミ用20リットルポリ袋一杯にはならない。燃えないゴミは腐らないから溜めておき年の暮れに捨てている。

    使用済家具や壊れた小型家電品も出ないことはないが、出るのは年に1度あるかないかで、扱いは粗大ごみになる。家電リサイクル法に該当するものやパソコンはそれぞれのリサイクルルートになる。

    ということで減らすとなると、燃えるゴミが対象になる。
    では具体的にはどんなものがゴミになっているのか? ゴミ袋の中を調べた。
    そしてアイテムごとの削減を考えた。


  • いろいろ見てきたが、こうすればゴミの量が減るとかゴミに出すときの容積を減らせるというアイデアは全くない!
    現状が最善だ、解決策はないとは言いたくないが、簡単に重量も容積も減るとは思えない。

    またリサイクルを推進するためといっても、汚れたものを洗浄してリサイクルするのも総合的に考えればマイナスではないかとしか思えない。
    牛乳パックを洗ってリサイクルにと言われても、我が家で飲む量であればわざわざ洗浄して干して乾かし……するまでもないと思う。最低限一日1パック飲むレベルでなければ意味がなさそうだ。


    ゴミ袋の中のものを眺めて、これをなくすことができるだろうか? これを減らすことができるだろうか? と考えてきたが、まずすぐにできそうなことはない。
    そもそもごみは不要だからゴミになるわけで、ごみとなるものを使い続けることはありえないのではないだろうか。
    またゴミにだすものを工夫すれば使えるというなら、そもそも新しいものを買わずに使い続けられたということになる。

    ごみを減らそうというのは、単純に出るごみを出さないようにすることではない。ゴミになるものを作らない、ゴミになるものを買わないというライフスタイルにすることであり、そのためにはゴミになるものを売らないことであり、ゴミになるものを作らないことである。

    そこまでさかのぼらずに、ごみを減らせ、リサイクルしろというのは、考えが浅い。ごみ削減の責任を消費者に転嫁しているだけだ。
    公害対策で汚れた水を使うなとか汚れた空気を呼吸するなと言われても、一般市民は対処できるわけがない。それと同じくごみを減らせと消費者に言うのは筋違い甚だしい。生産者にゴミになるものを作るなというべきだ。
    それは消費者としてのエゴとか我儘ではなく、そうしなければ真のごみ削減はできない。

    非論理的なことを要求されても真の解決策はみえない。

    身近な例だが、ごみステーション(近隣のごみを出す場所)にごみを出すには交代でそこの清掃や立ち合いをしなければならないといわれて、そこにゴミ出しをしないで朝の通勤のときに駅とかコンビニのゴミ箱に出す人もいる。
    はっきり言ってそれは不法投棄だ。車の灰皿のごみをコンビニに捨てる人もいる。そういうことによって自分の家から出るごみを少しでも減らすというのも主客転倒だろう。


    またごみを出すことは倫理上問題であるはずがない。
    もう30年も前だと思うが、スチュワーデス物語の深田祐介が「使い捨ての皿とかコップを使うのは便利だ」ということを雑誌に書いた。
    するとものすごい反響があり、環境意識がない、もったいない精神がないと叩かれた。
    ご本人は無駄が良いとか無駄使いしろと語ったわけではない、状況によっては使い捨ては有効だと述べたのになぜ? という風なことを書いていた。

    私も使い捨てというのは悪くないと考えている。特に衛生を気にするとき使い捨ては最善だ。割り箸が悪いというのはもはや定説のようだ。しかし食べ物屋で割り箸かプラスチックの箸どちらが良いかと問えば、衛生上の観点からは割り箸を選ぶのではないだろうか。
    割り箸悪人説は、ゴミ問題よりも森林保護だったようだが、実はその観点でも勘違いだったようだ。
    あるいはパーティで陶器の皿か使い捨ての皿かとなれば、衛生的な観点もあるだろうし、後始末を考えれば使い捨てがベターだろう。意識高い人が後片付けをするとは思えない。

    要するに言いたいことはごみを出すことが悪ではないし、ゴミそのものが悪でもない。何事でも総合的判断をしなければならない。
    太陽光発電 ハイブリッド車だから燃費が良いといったところで、歩く人にはかなわない。電気自動車はCO2を出さないなんてアホを語る人もいるようだが、都市の中でCO2が出るか、はるか郊外の発電所でCO2が出るかの違いだ。
    エッ太陽光発電ならCO2が出ないのですか
    太陽光パネルは太陽光で作ったのでしょうか? それとも石油で作ったのでしょうか?


    ごみを減らそうというときは、その理由をはっきりさせるべきだろう。
    市に焼却炉がないから燃えるゴミを減らす必要があるなら、市民も家庭で皮むきなど生ごみや燃えるごみを出さないよう協力すべきだ。なによりも市民税軽減につながるのだから。

    もし燃えるゴミの処理能力が十分にあるなら、あるいは最終処分場(要するに埋め立て地だ)を保有しているなら、多少ゴミが増えても食材が安く買える炊事を考えてもよい。いや考えるべきかもしれない。家計が助かるのだから。

    単に多いより少ないほうが聞こえが良いとか、隣の市に負けないようにであれば、減らそうなんて言わないほうが良い。そんなこと言わずとも見えざる手は最善へ導くだろう。


    うそ800 本日のまじめな結論

    結論から言えば「ごみは減らせない」。正確に言えば「家庭ではごみを減らせない」である。家庭から出るごみを減らすには、製品設計の段階で、いや商品企画の段階でゴミにならないようにしなければならない。
    そしてまた家庭ごみを増やすか減らすかは目的ではなく、より上位の目標とか制約条件により変る。

    全工程を眺めれば、出るごみの量は変わらない。産地で出るか、流通過程か、各家庭で出るかの違いでしかない。




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