家庭から出るごみはどんなものがあるのかとか、いかほど出ているのかとか、どうして減らそうかなんてことをだいぶ書いてきた。
本日は家内にごみを出してこいと言われたので、そのついでというわけではないが、燃えるゴミ袋の中は何が入っているか再確認した。そして我が家を例にとり、どうすれば家庭ごみを減らせるのか考えた。答えはタイトル通り減らせないである。どうして減らせないのか、それを考える。
少し前に書いた「エコ生活再考」と同じようなものだが、あれは理屈で今回は現場確認報告である。
我が家から出るごみのほとんどは燃えるゴミであり、それは台所から出るごみと、台所以外からのごみに分けられる。燃えるゴミの合計は毎週45リットル袋でふたつになるが、それぞれ台所とそれ以外はほぼ同じ量である。
なおごみの袋一杯に詰めると破けたりするから、我が家では7分目くらいしか入れない。もしかしたらほかの家庭では一袋に詰め込む量かもしれない。
もちろん燃えないゴミも出るが、刃こぼれがひどい寿命のきた包丁、割れた食器、使用済乾電池などを1年分溜めても、市指定の燃えないゴミ用20リットルポリ袋一杯にはならない。燃えないゴミは腐らないから溜めておき年の暮れに捨てている。
使用済家具や壊れた小型家電品も出ないことはないが、出るのは年に1度あるかないかで、扱いは粗大ごみになる。家電リサイクル法に該当するものやパソコンはそれぞれのリサイクルルートになる。
ということで減らすとなると、燃えるゴミが対象になる。
では具体的にはどんなものがゴミになっているのか? ゴミ袋の中を調べた。
そしてアイテムごとの削減を考えた。
例えばカレーを作るにも今時カレールーを家で作る人はいないだろう。となると冷凍のレトルトカレーを使うのと現実にはあまり違いはない。じゃがいもやニンジンを自分で切るか切らないかの違いくらいだ。
そして一番の要因は、カレー二人分作るのは現実的でない。二人分となると、じゃがいも1.5〜2個、ニンジンと玉ねぎはそれぞれ半分というところか?
数年前までカレーといえばその倍は作っていた。ある程度量を作らないと美味しくないと家内は言う。
当然、二人で一回では食べきれない。だから最初の日はカレーライス、翌日の昼はカレーうどん、残りでは二人分にならないから、具を足すが単なるカレーでは寂しいからカツカレーとかにしておしまいというのがパターンだった。
そんなことをするならレトルトカレーを買ってきて湯煎したほうが早くて簡単だ。そして実は家内は辛いのが好きで、私は辛いのは苦手だ。だから好みに合わせてレトルトカレーを買ってきた方が適切である。レストランに行けば、それぞれ好きな辛さを頼むのと同じだ。わざわざ嫌いなもの苦手なものを食べることはない。
レトルトでなくカレーを作るとなると、余ったニンジンや玉ねぎの残り半分はどうするのか。使い道がなければ捨てるわけにもいかないから、具が多くなっても全部入れてしまうしかない。それっておかしいよね。食べたいだけ食べるというとおかしいけど、体が必要とするだけ食べるのが理想だろう。どう考えても、できた量を全部食べるとなると理屈がおかしい。
また今はニンジンでもジャガイモでも玉ねぎでも、裸というと変だがバラで売っていることはめったにない。売るほうも100円単位とかになるようにジャガイモや玉ねぎやニンジンを数個まとめてポリ袋に入れて売っている。ということはそのポリ袋もゴミになり、ジャガイモの皮もゴミになり、玉ねぎの皮もゴミになる。
60年前の我が家とかサザエさん一家のように、玉ねぎやニンジンの皮などの生ごみを庭に埋めてしまうという生活なら問題ないだろうけど。
結局、ゴミが家庭で出るか冷凍食品メーカーで出るかの違いになるわけだが、ロスを考えると工場のほうが規模が大きいだけに効率も、歩留まりも良いはずだ。
そして昼は家内と私は別々だから、自分の食べたい冷凍食品を温めてというほうが良い。我が家では冷凍食品を使わないことは簡単ではない。
お断り
我が家は無職の夫婦二人という前提条件がある。
共稼ぎあるいは小さな子供のいる家庭などでは条件は全く異なる。だからここで述べていることを一般化するつもりは全くない。
我が家の環境条件において最善を目指しているということだ。
では冷凍食品のポリ袋を減らすにはどうしたらよいのか?
冷凍おにぎりならブリスターにおにぎりが入っているが、レトルトカレーなどは一人分ずつポリ袋に入っている。冷凍ピザなどになるとピザの寸法の正方形の袋に薄いスチロールの皿が入っているから、それもゴミになる。
冷凍食品はほとんど個装されており、開封後は汚れているからまずリサイクルできない。スチロールやポリ袋を洗浄なんてするなら、しないほうが良いのは明白だ。
つまり現状が最善ではなかろうか。
油など入っているペットボトルは自治体により燃えるゴミとしているところと、内部をよく洗ってリサイクルにだせというところがある。よく洗ってと言っても、現実に内部をきれいに洗えるものだろうか? とんかつソースのようなものは水溶性かもしれないが、なたね油などは洗いようがないだろう。
昔工場で油を入れていた容器を他に使うときは、トリクロロエチレンでジャブジャブ洗ったものだ。今はトリクロロエチレンは使用禁止だ。それに洗浄に使ったトリクロロエチレンをどう処理するのか(笑)。だが油をきれいに取り除く方法は他にあるかな?
食用油が入っていたビンを洗ってリサイクルという発想は現実的なのだろうか?
油はともかく、水溶性のスポーツドリンクや甘いソフトドリンクの糖分などを取り除くために洗ってリサイクルに出せといっても、家庭でペットボトルをきれいに洗うとなるとはっきり言って水道代もあるし、汚れを含んだ水は下水処理場で支障ないのか心配する。もちろん洗わないと糖分が腐って悪臭を放ったりスズメバチがやって来ることになる。
ペットボトルのリサイクルはお茶やミネラルウォーター限定で、それ以外は燃えるゴミ扱いのほうが良いと思う。
お茶の味もわからないのかと言われそうだ(笑)。たぶん分からないのだろう。とはいえペットボトルのお茶をいろいろ飲んでいると、美味い不味いは分かるから、次回購入時に商品選択のフィードバックはかかっている。
ともかく現状では帯もキャップも減らす手立てはない。
ではその中身は何があるか?
野菜の虫食い、端材、外側の皮、リンゴの皮、ミカンの皮、バナナの皮などがある。皮を剥く必要のあるものは減らしようがない。
以前も書いたがリンゴは皮を剥かないでも食べられるだろうが、キウイフルーツはトライしたが無理だった。アボカドもミカンも無理だろう。メロンやスイカは皮を剥かないけど皮まで食べる人はいない。
野菜の虫食いは当然捨てる。そうでなくても外側はどうしても傷みやすいから、レタスやキャベツの外側の葉は捨てるようになる。
スーパーでは外側の葉を向いて中身だけ持っていけるように、レタスやキャベツの売り場には剥いた葉を入れるゴミ箱がある。でもスーパーで外側を捨てても、運んだり家で保管すれば、新たに外側になった葉も捨てるようにならないか?
その他カツやステーキの際は、家内は結構神経質に脂身を取り除く。そうでないと私が食べて太るからという。
コーヒーフィルターは毎日3枚くらい出る。家内も私もコーヒーが好きなのでこれはしかたがない。
インスタントコーヒーなら飲まないほうがいい。結婚したころはサイホンで飲んでいたが、扱いが面倒ですぐに止めた。
デスポーザーまで落ちてしまった野菜はデスポーザーをかけて下水に流してしまうが、デスポーザーの上の排水溝の網に引っかかった野菜屑は手で取ってゴミ袋に入れる。なぜかと問われると習慣だからとしか言いようがない。
私の住んでいるマンションは新築時からデスポーザーがついていたが、常時使う家庭もあり、我が家のようにあまり使わない家庭もある。常時使う人の話では、故障というか寿命というか6年程度で更新しており、その際10万程度かかるという。
現時点では下水処理費用は浄水使用量にリンクしていて、デスポーザーに無関係だが、単純にデスポーザーの費用だけでも必要以上にデスポーザーを使わないほうがメリットがあるように思う。
買い物のレシートは、万引き冤罪防止と家計費計算のためにもらう。処理が終われば使い道はせいぜいメモ紙とか本の栞くらいしかない。買い物の回数だけゴミになる。
缶ビールの周囲のボール紙。段ボールに合わせて出せばリサイクルだが、大きさが違うから数を溜めてひもでくくるとかしなければならない。いくら私でも、ひと夏で6本入りを20ケースは飲まないだろう。ひもでくくるほどにならないから燃えるゴミに出している。
よく見ればそれぞれ紙とかポリエチレンとか表記されている。まあ材質表示はメーカーの責任、リサイクルは家庭の責任ということになっている。他の家庭は知らないが我が家では一切合切燃えるゴミとしている。
理由として、まず絶対量が少ないこと。1週間分集めても両手で包める程度でしかない。それに食品が付着しているものも多く、悪臭や虫対策には洗浄しなければならない。それほどまでしてリサイクルする必要はないだろうと考えている。
箱ティッシュの箱の材料は1種類ではなく、テッシュを取り出すところにポリシートが張り付けてある。箱には「箱をつぶしてリサイクル」と書いてあるが、市の分別要領には「必ずポリシートを取り除き、ポリシートは燃えるゴミ、ボール紙部分のみをリサイクルに出す」とある。
そんな面倒なことできるか。そもそも月に2個とか3個しか使わないから、ひもでくくる程の量になるには1年かかる。1年間使用済みの空箱を家庭で保管しておくわけがない。
似たようなものにキズバン(バンドエイド)がある。実を言って結構私はけがをする。怪我までではないが、年寄りは冬季スイミングすると爪が割れやすい。そういうときは割れが進行しないように爪にキズバンを貼る。衛生上のものはゴミにするしかない。
月の使用量や料金の通知は多々ある。健康保険関係、水道代、電気代、電話代など毎月はがきでくる。そういったものは内容確認後に、最低限氏名と住所を切り離すだけでなく、できるだけみじん切りにしている。これはどの家庭でも同じだろう。
一定期間は保管する家庭もあるだろうが、いずれにしても最終的には燃えるゴミに出すことになる。
最近は商品保護の方法も進化しているが、その反面廃棄するのに手がかかるものも多い。ポリシートの間に空気を入れて溶着するエアピロとか、繭のようなワンダークッションとかエコプラスなど多種ある。
いずれも捨てるときは途方に暮れる。エアピロははさみで空気抜けを作り中の空気を出すとかするしかないし、発泡させて作ったクッション類は大きな袋に入れるしか手がない。
いろいろ見てきたが、こうすればゴミの量が減るとかゴミに出すときの容積を減らせるというアイデアは全くない!
現状が最善だ、解決策はないとは言いたくないが、簡単に重量も容積も減るとは思えない。
またリサイクルを推進するためといっても、汚れたものを洗浄してリサイクルするのも総合的に考えればマイナスではないかとしか思えない。
牛乳パックを洗ってリサイクルにと言われても、我が家で飲む量であればわざわざ洗浄して干して乾かし……するまでもないと思う。最低限一日1パック飲むレベルでなければ意味がなさそうだ。
ゴミ袋の中のものを眺めて、これをなくすことができるだろうか? これを減らすことができるだろうか? と考えてきたが、まずすぐにできそうなことはない。
そもそもごみは不要だからゴミになるわけで、ごみとなるものを使い続けることはありえないのではないだろうか。
またゴミにだすものを工夫すれば使えるというなら、そもそも新しいものを買わずに使い続けられたということになる。
ごみを減らそうというのは、単純に出るごみを出さないようにすることではない。ゴミになるものを作らない、ゴミになるものを買わないというライフスタイルにすることであり、そのためにはゴミになるものを売らないことであり、ゴミになるものを作らないことである。
そこまでさかのぼらずに、ごみを減らせ、リサイクルしろというのは、考えが浅い。ごみ削減の責任を消費者に転嫁しているだけだ。
公害対策で汚れた水を使うなとか汚れた空気を呼吸するなと言われても、一般市民は対処できるわけがない。それと同じくごみを減らせと消費者に言うのは筋違い甚だしい。生産者にゴミになるものを作るなというべきだ。
それは消費者としてのエゴとか我儘ではなく、そうしなければ真のごみ削減はできない。
非論理的なことを要求されても真の解決策はみえない。
身近な例だが、ごみステーション(近隣のごみを出す場所)にごみを出すには交代でそこの清掃や立ち合いをしなければならないといわれて、そこにゴミ出しをしないで朝の通勤のときに駅とかコンビニのゴミ箱に出す人もいる。
はっきり言ってそれは不法投棄だ。車の灰皿のごみをコンビニに捨てる人もいる。そういうことによって自分の家から出るごみを少しでも減らすというのも主客転倒だろう。
またごみを出すことは倫理上問題であるはずがない。
もう30年も前だと思うが、スチュワーデス物語の深田祐介が「使い捨ての皿とかコップを使うのは便利だ」ということを雑誌に書いた。
するとものすごい反響があり、環境意識がない、もったいない精神がないと叩かれた。
ご本人は無駄が良いとか無駄使いしろと語ったわけではない、状況によっては使い捨ては有効だと述べたのになぜ? という風なことを書いていた。
私も使い捨てというのは悪くないと考えている。特に衛生を気にするとき使い捨ては最善だ。割り箸が悪いというのはもはや定説のようだ。しかし食べ物屋で割り箸かプラスチックの箸どちらが良いかと問えば、衛生上の観点からは割り箸を選ぶのではないだろうか。
割り箸悪人説は、ゴミ問題よりも森林保護だったようだが、実はその観点でも勘違いだったようだ。
あるいはパーティで陶器の皿か使い捨ての皿かとなれば、衛生的な観点もあるだろうし、後始末を考えれば使い捨てがベターだろう。意識高い人が後片付けをするとは思えない。
要するに言いたいことはごみを出すことが悪ではないし、ゴミそのものが悪でもない。何事でも総合的判断をしなければならない。
ハイブリッド車だから燃費が良いといったところで、歩く人にはかなわない。電気自動車はCO2を出さないなんてアホを語る人もいるようだが、都市の中でCO2が出るか、はるか郊外の発電所でCO2が出るかの違いだ。
エッ!太陽光発電ならCO2が出ないのですか?
太陽光パネルは太陽光で作ったのでしょうか? それとも石油で作ったのでしょうか?
ごみを減らそうというときは、その理由をはっきりさせるべきだろう。
市に焼却炉がないから燃えるゴミを減らす必要があるなら、市民も家庭で皮むきなど生ごみや燃えるごみを出さないよう協力すべきだ。なによりも市民税軽減につながるのだから。
もし燃えるゴミの処理能力が十分にあるなら、あるいは最終処分場(要するに埋め立て地だ)を保有しているなら、多少ゴミが増えても食材が安く買える炊事を考えてもよい。いや考えるべきかもしれない。家計が助かるのだから。
単に多いより少ないほうが聞こえが良いとか、隣の市に負けないようにであれば、減らそうなんて言わないほうが良い。そんなこと言わずとも見えざる手は最善へ導くだろう。
本日のまじめな結論
結論から言えば「ごみは減らせない」。正確に言えば「家庭ではごみを減らせない」である。家庭から出るごみを減らすには、製品設計の段階で、いや商品企画の段階でゴミにならないようにしなければならない。
そしてまた家庭ごみを増やすか減らすかは目的ではなく、より上位の目標とか制約条件により変る。
全工程を眺めれば、出るごみの量は変わらない。産地で出るか、流通過程か、各家庭で出るかの違いでしかない。
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