何事といっても大したことじゃない。シーケンスを勉強しようとか、NCプログラミングが上手になりたいとか、計測器の校正方法を学ぶとか、そういったことだ。
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もし、今の私があの頃に戻れたらどんなことになるだろうか? まわりから神とあがめられるかもしれない ![]() |
UKAS(ユーカス)とはイギリスの認定機関でISOの認証機関はここから認定(免許のようなもの)を受けて審査ビジネスをしている。
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私はISO-TC委員の語ることは信じる。ISO規格解説として彼らが語ること以上の権威はない。 ただ私は規格の解説として彼らの語ることを信じるが、それが会社にとって適切か否かかはまた別である。 |
オバQさん、私はあなたの隠れファンです。もっとも隠れる必要などはなにもないが、何せ晴耕雨読ジジイなのであまり表には出たくないので悪しからず。さて今回の「鼎の軽重を問う」も楽しく拝見させていただいた。オバQさんの育った環境と私の育った環境はほとんど同じ環境なので少々驚かされた。それはそうと、オバQさんは鼎の軽重を誰に問うたのかが興味津々ですな。 「定王使王孫滿勞楚子。楚子問鼎之大小輕重焉。對曰、在コ不在鼎。今周コ雖衰、天命未改。鼎之輕重、未可問也。 」 さて、「鼎の軽重」と問うたら「易姓革命」になるが、やはり日本人は「萬世一系」ではないのか。 ところで、もうひとつの鼎、「環境側面の決定」の軽重をオバQさんに問いたい。 BS7750時点での有意な環境側面の決定は○×方式が主力だったと認識している。しかし単なる○×方式ではなくマトリックスFEMAに近いものだった。推察するに恐らく日本人の持つ繊細さがISO14001での著しい環境側面の特定を一歩高度化させ、工程FEMAを模したものに変えたのだと考える。とすると労働安全衛生法にも表現をされているALARP原則(As Low As Reasonably Practicable)を環境に置換えたとき、点数評価や段階評価はリスクマネジメントとして至極当たり前のことだと感じている。 大体、このままの経済活動を続けたら経済成長の限界が来ると感じた経済人の危機感が環境マネジメントシステムを生んだのだから、環境側面を手法抜きで決定できる「ベテラン社員」のノウハウを手順にするのは至極当然のこと。成果主義の結果、現場力が落ちている大企業、コストダウンを要求され法規担当など置けない下請け、環境リスクは赤信号ではないのか。手抜きの「環境影響評価」から脱却せよ。と言いたい。 |
晴耕雨読ジジイ様 お便りありがとうございます。 私は晴行車読ジジイということになりますか? なにせ耕す畑もなく、本を読む机もなく、晴れればデモに参加、本を読むのは電車の中と決まっております。 鼎の軽重を誰に問うたか?とは ![]() もっとも私は問われるほどの権威ではないのですが
いちじるしい環境側面の決定方法ということに私はものすごい違和感を感じております。なんで決定せにゃいかんのか? いや、改めて決定する必要性はなにか?ということです。晴耕雨読ジジイ様はそのへんをいかがお考えでしょうか? ○×をつける、点数評価するなどなどの前に、そのような発想が根本的に間違っているのではないか?と思うのです。 考えると表現しないとこが私の譲歩したところです。 工程FEMAもALARP原則も浅学にして存じ上げませんが、現実社会の問題を点数付けて順位をつけるという発想が妥当なのか?私にはわかりませんね。 ちなみに日本で計算方式が流行したのは当時先行していた大手の認証機構が○○流といってはやらせ、それしか知らない審査員がそれ以外の方法だといちゃもんをつけたからにすぎません。B▼社では当時から点数方式に批判的でしたが、多勢に無勢主流になりませんでした。そういう96年から97年のドロドロしたことはそりゃあ知りつくしております。残念ながら、決して日本人の持つ繊細さがどうこうではありません。 ところで本題ですが、住宅ローンを組むのに、どういった組み合わせが支払総額を最小にできるのかという問題は計算できますし、その結果が直観と異なる場合もあるでしょう。 しかし、排水処理施設、廃棄物、エネルギーなどなどの環境側面に点数付けて・・という発想は大きくずれています。 同時に、○×をつけて決めようというのも大外しでしょう。 著しい環境側面なんて、キリスト教で言うありてあるものなのです。過去からその危険性を知り、管理手順を決めていなければ、そりゃ・・・言葉も出ません。 危機感が環境マネジメントシステムを生んだ そうでしょうか? 危機感が環境マネジメントシステム規格を生んだ ならわかります。 環境マネジメントシステムというものも過去から存在しています。ISO14001はそれが具備すべき最低条件をグローバルで決めたにすぎません。 晴耕雨読ジジイ様と私は結論的には似ているかもしれませんが、発想とプロセスは大きく異なるような気がします。 |
そもそも「環境側面の決定」に軽重ってものがあるのでしょうか。日本語的に意味不明です。複雑かシンプルかとかならわかりますがねえ。 ちなみに当社では、環境側面の評価はFMEAの考え方を一部取り入れています。 ただし、それはTS16949のように対策の優先順位をつけるためではなく、更なる対策の要否を判断するためです。 つまり、もし発生した場合に被るダメージ、それが発生する頻度(可能性)、潜在性の3つから、「現状の対策で十分か否か」を総合的に考えるために用います。 また、シンプルな構造なので、「放置できないのに、点数をどう操作しても○点以上にならない」とか、「無管理でも問題ないのに、計算すると"対策要"になってしまう」などといったおかしな結果に悩むようなことはありません。 |
ぶらっくたいがぁ様 いつもご指導ありがとうございます。 そもそも「環境側面の決定」に軽重ってものがあるのでしょうか。 いや、これは私もうっかりいたしました。晴耕雨読ジジイ様もうっかりしていたのでしょう。あるいは、晴耕雨読ジジイ様もダジャレ好きで鼎の軽重にかけただけでしょう。 どう考えても『「環境側面の決定」の軽重』はなさそうです。 そして環境側面の決定には軽重も順位も不要かと思います。 前世紀に、某審査機関が「上位何位までを著しいと決めなさない」とか、「何点以上が著しいのよ」なんていったものですから、その宗教教義がいまだに残っているのでしょう。 世に恐ろしきは・・刺客を送られるといけないので止めときます。 ISO規格を理解するにはまず序文を読みます。そして全体を読んで規格の流れを理解すべきです。そうしますとISO14001は環境側面の管理が背骨であることがわかります。 言い換えると・・言い換えなくても同じなのですが・・ぶらっくたいがぁ様がおっしゃるように、管理しなければならないことが著しい環境側面ということです。 昔、環境側面なんて言葉がない時代から、管理しなければならない事項はしっかりと管理、つまり、手順を決め、基準を決め、教育し、場合によっては指名業務にし、記録を残し、予防保全をしてきたはずです。私はそういう意味で「ありてあるもの」あらため探すとか決定しなくてもよいはずと表現したのですが・・ 誰が見ても重要な項目なのだが計算結果著しくならないというお悩みをする事務局もいますね ![]() だいぶ前ですが、ネットで議論した環境側面点数派の相手が「計算結果、著しい側面がわかったこともある」なんておっしゃったことがありました。私はその瞬間、議論していたのが無駄であった、相手にした私がばかだったと気付きました。 ![]() |
鼎(かなえ)の軽重を読んで 佐為さま あらまです 「鼎の軽重」の名文を拝読させていただきました。 小生は、「ISO が本当に必要なのか」と問うておられているような印象を受けました。 さて、小生の亡父は、ウインドウズが日の目を見ない前に他界していて、それまで、品質管理に奔走する毎日でした。 徹底的に作業の標準化に努めてきましたので、当時の熟練工の先輩から、そうとうに虐められてきたようです。 そうして、今に至り、工場の中は整然として無駄がなく、全てがコンピューターで管理されています。 パソコンの普及で、亡父の描いていたものが現実となったわけです。 しかし、機械とかシステム中心の組織で働くことは、大量の‘うつ患者’が生まれ、また、作業が標準化されたことで、コア技術が外に流れ、それが日本の「産業の空洞化」を加速させているように思います。 つまり、ISO とは「諸刃の刃」であるということを、最近、強く感じます。 |
あらま様 いつもご指導ありがとうございます。 標準化、ISOは諸刃の剣と言われると返す言葉がありません。 しかし、私はISOが現れる前から標準化を生きがいとしてきました。確かにものすごい腕を持つ技能者はいます。昔堅気の人は、コツや経験を後輩に伝えません。自分の価値が失われると思うんでしょう。私も現場上がりでしたが、監督者になると先輩の技能を後輩に効率的に伝えないとなりません。先輩は無理偏にげんこつと書くなんてのはやはり時代に合いません。 そういう意味で技能を手順や基準に表せるものは標準化すべきです。 しかし自動機やNC機械が技能を不要としてしまったというのは確かにあるレベルまではそうでしょう。しかしより高度な技能は今でも価値はありますし、そういう技能者はかえって減ってしまったのではないでしょうか? 私が監督者になる前、私がNCプログラムが得意になったのを先輩が見て「俺はNCが使えないが、絶対お前に出来ないことができる」と言っていました。その人は県から卓越技能者として表彰されました。 まあ、30年も昔のはなしです。 |
後世に遺すもの 佐為さま あらまです 技術とはカンとかコツを体得するものなので、自分からすすんで先輩のモノを盗むことだと思っています。 ですから、熟練工がマニュアルに沿って若い人に懇切丁寧に教育している今の姿をみていると、「果たしてこんなんでよいものなのか ?」と、思う事があります。 ところで、作業内容にも、人でなければ出来ない分野、機械でないと出来ない分野などに区分けができると思います。 つまり、マニュアル化できるものと出来ないものがあり、それを一律、標準化、規格化することは、そもそもムリなことだと思います。 従って、評価の仕方についても、○×式が良いとか悪いの問題ではなく、それ相応の評価の仕方があってよいと思います。 夜や休日に、QCコンサルタントとして全国に飛び回っていた亡父は、膨大な「京大式カード」を残していました。(父が亡くなった直後に、フロッピーが普及した時代の話です) そのなかに、昔の言葉で「有機的な評価」と記したファイルがあります。 亡父もそのことに、非常に悩んでいたことが偲ばれます。 「後世に遺すものとは、‘シート’なのか‘魂’なのか」と、記された箇所が印象的でした。 その時代の時計は、まだ、ゆっくりと動いていたようです。 |
現代の名工のあらま様からのお言葉には反論できません。 私は人に誇れる技能はありませんが自分が置かれた時代と環境において標準化とか文書への定着化などを通して品質とか生産性などを良くしようと努力してきました。 でも、ISOばかりじゃありませんが、30年前に戻って自分を見れば「おまえ、そんなことも分からないのか!」と怒鳴りたくなるでしょうね。 おっと、そう思うと後輩を未熟だとか鍛えがいがないなんて言えた義理ではありません。 ちょっと待てよ、 そうすると、10年後の私は今の私をみて「おまえ、そんなことも分からないのか!」怒鳴るのでしょうか? うーん、一層の努力をせねば |
鼎の軽重を問う オバQ様 私も団塊の世代、懐かしく昔を思い出しました。昭和40年代にはまだ日本海沿線に長距離夜行列車が走っていましたね。3月、卒業式が終わると、列車が海沿いの寒村に停車するたびに、中学校を卒業したばかりと思えるような少年が乗り込んでくるのです。駅では小さな子供たちから老人たちまで村人が集まって手を振って見送っているのです。小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」を思い出します。入り江に集まった島人が岬を廻る船に手を振って花嫁に別れを告げる・・・。かって、日本中で見られた情景ではなかったと思います。私も思い出しては涙が出ます。私は大学入学で大阪に出たのですが、夜行列車が福知山線の山間から宝塚を抜け、大阪の平野部に入ったとき、こんなに平らで広い土地があるんだ、と感動したことを思い出します。 |
のんきなとうさん様 お便りありがとうございます。 半世紀前は日本は貧しかったのです。私たちはそれを忘れてはいけません。貧しいことは恥ではなく、そういった逆境から現在の豊かさを築いてきたことを忘れてしまったことを恥ずべきです。 三丁目の夕日のような暮らしが現実の私たち暮らしでした。もっと良い暮らしをしたいと思ってモーレツサラリーマンしていたのです。そして今の豊かさが私たち世代の功績です。 何も知らない若けーもんがネチクチ文句いーんじゃねと言いましょう。 |
オバQさん、いや佐為さん、ご回答有難う。親愛なる佐為さんから目指すところは同じと言われ嬉しく思っていますよ。書きました内容はあくまでも私見ですので悪しからず。また、ぶらっくたいがぁさんからのご指摘は弁解の余地はありません。まじめなWebサイトの書き込みには不適切だとお詫びします。 しかし、あらまさんの「ISO とは諸刃の刃」には心を打たれます。この点では私も佐為さんと結論を同じにするものですが、一面の真理だと思わざるを得ない状況にあると思います。 経済産業省から「マネジメントシステム規格認証制度の信頼性確保のためのガイドライン」なんてものが出たのは、企業の品質管理能力が問われているからに他ならない?(見つけない認証機関が悪いのか、違反する企業が悪いのか。)サテサテ、幡ガ動クノカ、風ガ動クノカ、ハタマタ仁者ノ心動クノカ。(無門關弐拾九からいいとこ取り) クワバラ、クワバラ・。 今ヤ △ノコ衰へ、天命既ニ改レリ。鼎之輕重、モハヤ問フ価値モナシ。か?(^_-)-☆(軽口をお許しください。) |
晴耕雨読ジジイ様 毎度ありがとうございます。 品質管理いえ品質保証となりますと、数学とか物理とは違いますので、これが正解だとか、これ以外は間違いだということはないと思います。また、ある場合は正解あるいは最適解であっても別の場合は不適当なこともあるでしょう。 それに私も一家言はありますが、アマチュアです。ですから私の論が正しいとはいえません。それどころかメジャーでもありません。 しかしアマチュアだからこそアマチュアの立場で日本のISOを良くしたいと念じております。 またのご訪問をお待ちしております。 |