「その2」がつくのは、半年前に「その1」を書いたから。あのとき10日もしたら「その2」を書くといいながら、半年以上経ってしまった。理由は私が怠け者だからだ。
それはともかくテレビに登場する政治家その他のほとんどがSDGsバッジをつけている昨今、連中はSDGsをいかほど理解しているのか、いやSDGsなるものが良いものなのか、実現可能なのか、効果があるのか考えているのか疑問である。
そんなことを書く。
■SDGsを理解しているのか?
バッジの色からSDGsのゴールは複数で17あることがわかる。
1 | 貧困をなくそう | |
2 | 飢餓をゼロに | |
3 | すべての人に健康と福祉を | SDGs ![]() |
4 | 質の高い教育をみんなに | |
5 | ジェンダー平等を実現しよう | |
6 | 安全な水とトイレを世界中に | |
7 | エネルギーをみんなにそしてクリーンに | |
8 | 働きがいも経済成長も | |
9 | 産業と技術革新の基盤を作ろう | |
10 | 人や国の不平等をなくそう | |
11 | 住み続けられるまちづくりを | |
12 | 作る責任使う責任 | |
13 | 気候変動に具体的な対策を | |
14 | 海の豊かさを守ろう | |
15 | 陸の豊かさも守ろう | |
16 | 平和と公正をすべての人に | |
17 | パートナーシップで目標を達成しよう | 国連開発計画より |
理解しているのかといっても、この17個の目標を説明しろなんてことじゃない。この目標が適正と思っているのかということを聞きたい。
■いま日本で問題なのは何だろう?
・まず新型コロナウイルス流行がある。これは3番なのだろうか?
・日本経済の成長が必要だ。それは1なのか、8なのか、9なのか?
・財政再建もある。それは8や9の結果なのだろうか?
・少子化は8なのだろうか?
17のお題目を活用すれば世の中の問題をすべて解決できるものですか?
コロナ流行もSDGsで解決できるのでしょうか?
あっ、説明していただかなくても結構です。「SDGs-危機の時代の羅針盤」の著者がそのp.iv〜vにご大層なダイヤグラムを書いて、17のテーマの合わせ技によってCOVID19の感染症をなくすストーリーを説明しています。
まあそれが本当ならとっくに解決してるよね。その本は2020年に書かれているんだから。
えっ、地球温暖化ですか?
地球温暖化は日本で問題になっているのだろうか?
異常気象と言われても困ったなあ〜、異常気象とは気象庁の定義によると「30年に1回以下の出現確率の現象」なんだそうだ。つまり30年に一度は異常気象が起きて正常なのだ。
そもそも異常気象とは大問題だとか危険だという意味ではない。普段と違うめったに起きない天気という意味しかない。
注:2019年に千葉県に毎週台風が来たのは異常で困ったことだが、2020年は日本に上陸した台風が1個もなかったのは異常だが喜ばしいことだ。
ちなみにIPCCの定義
「特定地域」がミソである。「千葉市では○年ぶり」とあれば、お隣の市原市で昨年あってもカンケーねえ、その地域では○年ぶりなのである。だから天気予報などでは○年ぶりの積雪、あるいは○○年に一度の大雨とかたびたび聞く。そんなにめったにないことが最近しょっちゅう起きるとは大変だと思う。
ちょっと待て! それはちっとも驚くことはないのだ。
それに、しょっちゅう○○年に一度の…と言われたら、おかしいって思うだろう?
■SDGsってなに?
SDGsとローマ字でいうから中身を分かってないのかもしれない。
「ムーディー」というとムードがあるような感じがするってレベルか? moodyって「ムードがある」ことじゃなくて「不機嫌そう、イライラしている、怯えている」ことだよ。
国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」のなかで取り上げられた実施すべき事項(複数)である。SDGsとは「Sustainable Development Goals 」の略、日本語に訳せば「持続可能な開発のための目標(複数)」となる。
上げられた実施すべき事項(複数)である。SDGsとは「Sustainable Development Goals
■そもそも持続可能とはいったいなんだ?
アジェンダ2030では定義されておらず、そこで引用している「○○サミット」とか「国連○○会議」などの宣言でも定義がない。
いったい何だろうと必死で調べた。唯一見つかったのはは「SDGs-危機の時代の避雷針」のp.24で『持続可能な開発とはどういう意味か(中略)例えばブルントラント委員会(国連「環境と開発に関する世界委員会の1987年の報告「我ら共有の未来」は「将来世代のニーズを損なうことなく現在の世代のニーズを満たす開発」と定義している』だけだ。
注:ブルントラント報告書外務省訳では「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発」となっている。
まあ翻訳者によって多少の揺らぎはあるのだろう。
とりあえずそれを「持続可能」に代入すると、「将来世代のニーズを損なうことなく現在の世代のニーズを満たす経済発展のための目標(複数)」となる。
ここまでよろしいか?
平たく言えば、「我々の子孫が困らない暮らしができることを前提に、我々が不自由なく暮らせるようにする発展目標」となる。
例を挙げると「魚を取りすぎると子供たちが食えなくなるから、魚が減らないだけ獲ろう」とか「木を伐りすぎると将来困るから切ったら植林しよう」とか「石油は有限だから大事に使おう」ということになる。
■SDGsって実現できるの?
SDGsについて語るテレビ、新聞、巷で語る人はみな、努力すればSDGsが叶うと思っているようだ。
それってほんとう?
前述した例で考えてみよう。
魚を取りすぎると子供たちが食えなくなるから、魚が減らないだけ獲ったら、我々が飢餓になった。将来世代のニーズと現在の世代のニーズを満足できないときどうします?
「木を切ると常に植林していたが、子孫の代にはまだ成木になってない」となると、そもそも不可能だってことだ。
「石油を大事に使ったけれど、とうとう枯渇した」なら「お手上げ」です。
17の目標は139のターゲットに展開されているが、それらはそもそも達成可能なのか?
いやこれはいちゃもんではない。実現可能であれば努力する意味があるが、実現不可能なら努力してもしょうがない。それはスッパリ諦めて別のことに注力すべきだ。
お父さんが家を買うのは無理だと、やけくそにパチンコに狂ったら悲しいよね。それなら家を持つのは諦めて、別の目標を考えるとかあるでしょう?
しかし不思議に思うのだが……気候変動で人類が滅ぶようなことを語っているが、それなら「質の高い教育」とか「ジェンダー平等」とか、「働きがい」、「不平等撲滅」などをオミットして、すべてのリソースを気候変動対策に投入すべきではないのだろうか?
それとも「働きがい」や「街づくり」まで心配しても、悠々と「地球温暖化」に対処できるのだろうか? 私は「再生エネルギーを○○年までに○○パーセントに」なんて話を聞いても与太話としか聞こえない。
世界各国が温暖化を止めろー! SDGsを実現しよう〜!と叫んでいるが、実現性もプライオリティも矛盾しているように感じるのは私だけだろうか?
ともかくバッジを胸に付けて、皆で実現しようと叫ぼうと実現できるはずがない。あのバカでかいバッジはSDGsバッジというらしいが、登場した時は1個3千円とかしたらしい。それを聞いたとき、さすが国連商法って思ったよ。
国連商法ってあれですよ、アレ。寄付金集めて私腹を肥やす。お前も悪じゃのう〜
新型コロナウイルス流行で各県の知事もテレビに出ることが多いが、みな県章のバッジやピンクリボン(乳がん対策)、ブルーリボン(北朝鮮拉致被害者救済)、オレンジリボン(児童虐待防止)などを勲章のようにつけている。中でもひときわ大きなSDGsバッジが目立つ。
新型コロナウイルス感染者に対する中傷防止としてシトラスリボンプロジェクトがあり、シトラスリボンバッジもある。これをつけた県知事はテレビで見たことがない。すでに中傷など心配することがないほど、蔓延したからかもしれない。
バッジはどうでもいいが、SDGsがどんな意味なのか、実現可能なのか、そんなことを考えているのかどうか問い詰めたい。そんな実現可能性なんて考えてないのか? 持続可能性の意味さえ考えてないのかもしれん。
最近読んだ記事に「SDGsは縄文文明に学べ」というのがあった。
簡単に言えば、縄文時代は1万年以上続いた。長続きしたことは、すなわち持続可能である。我々は祖先の知恵を学び持続可能社会を作るべきだという発想だ。
まあ素朴で純真で大変素直でよろしい……なんて思うはずがない。
そもそも縄文文明というのがあったのだろうか?
文明とは文化的で明るいことではない。文明とはもとからある熟語で、学問や教養があって人格的にも優れ、世の中が開けて精神的・物質的に生活が豊かなことを意味する。
しかし今使われている文明とは明治時代にcivilizationの訳語として使われたものである。
civilizationとは英英辞典によると
civilizationとはcivil化すること、civilつまり「都市化」あるいは「未開地から国家に住む」あるいは「軍隊や政府のある国になる」あるいは「法が整備されること」なのだ。
国家(社会)がなく当然法もない、いくつかの家族が小規模なムラをつくり、狩猟採集生活をしていた縄文時代は、漢語の文明かもしれないけど英語のcivilizationではない。
言葉の綾だけでなく、彼らは己の衣食住すべてにおいてニーズさえ限界状態だった。
「将来世代のニーズを損なう」ことはなかったかもしれないが、「そのときの世代のニーズを満たす経済」ではなかった。つまり持続可能ではなかったのだ。もちろん漢語の持続可能ではあったのだろうけど。
まあその記事では
ともかく縄文時代と同じ暮らしをすることは「持続可能性」の定義から外れる。「現在の世代のニーズを満たす経済」を継続しなければならないのだ。
だって今の人たちに縄文時代と同じ暮らしをして欲しいと言ったら、反対されるだろう。
縄文時代の暮らし……それは平均寿命30歳前後
まさに「7歳までは神のうち」。そういう社会がよろしければどうぞ、
反論があるかもしれない。
縄文時代に生きていた人たちは、水洗便所も知らず、エアコンも知らず、おいしい食べ物も知らず、病気になっても仕方ないと思っていたはずだ。だから「そのとき生きている人たちのニーズを満たしていた」というかもしれない。
それは論点ずらしだ。その論法ならいつの世でもどんな状況でも持続可能性であることになる。レトリックは無用だ。
そしてなぜ縄文時代が終わったのか?
それは気候変動で、農耕をしなければ生きていけなくなったからという事実
もっとも大気の温度上昇が人間起因でなければ地球温暖化と言わないように、縄文人の暮らしが成り立たなくなった原因が自然現象なら持続可能というのかもしれない。
縄文は文明かどうか?だが、インカ帝国は間違いなく文明だ。インカ帝国もスペイン人が来なければ持続可能であったというのだろう。まあ意味のない話だ。
つらつら考えると、SDGsなんて欺瞞としか思えない。まあそこまで言うのは控えるとしても、うそをつくにしても地球温暖化(気候変動)と持続可能性に矛盾がないように話そうよ。
それから地球温暖化には必ずその定義「人間活動に伴って発生する温室効果ガス濃度増加による」を付記すること。
「あなたが子供のころより暖かくなったでしょう。地球は温暖化しているのです」なんて詐欺師の言葉です。そういうのを止めてほしい。
「あなたが子供のころより暖かくなったでしょう。そのうち○℃は自然現象ですが、差の○℃はCO2増加によるもので、それを地球温暖化といいます」くらい言ってほしいね。
えっ、知らなかったですか!
持続可能性を語るときは、常に「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させること」ですと付記することを義務付けてほしい。「持続可能とはずっと子孫の時代まで続くことです」そんなウソ言わないでください。
今からちょうど50年前、メドウズ夫婦が「成長の限界
持続可能を語るにはまずそれを否定することから初めてほしい。
否定できないなら、あなたの考える持続可能社会の、定義を、暮らしを、思想を、提案しなければならない。そう考える。
その持続可能社会を実現する方法論であるSDGsを語るのは、そのあとです!
本日の疑問
地球温暖化は以前から不思議だったが、SDGsも信用ならねえ〜
持続可能性であろうとSDGsであろうと、まずはメドウズから始めてほしい。そうでなきゃ聞くまでないウソだ。
お暇ならこちらもお読みください。
私は頑固なのか学習能力がないのか、20年も前から語ることが変わっておりません。
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注3 |
「SDGs−危機の時代の羅針盤」、南 博 他、岩波新書、2020 この本にアジェンダ2030作成の舞台裏が記してある。 ![]() | |
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注6 |
「成長の限界」、ドネラ・メドウズ、ダイヤモンド社、1972 ![]() |
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