夢は必要なのか? 2007.09.17
「人間は夢を持たなければならない。」といわれる。
「上を見て歩け」とか「人は上を向いて生きなくてはならない」とかともいう。
夢あるいは高い理想を持って生きていくことがあるべき姿なのだろうか?
そんなことを本日は愚考する。

昔、「いつかはクラウン」というトヨタのコマーシャルがあった。いつ頃だったろうかと調べたら1983年のことだそうだ。
車というのがステータスであった時代、値段の高い車を保有するということは人生の成功を意味した。クラウンを所有するということはクラウンを買える所得があり、それはとりもなおさず商売で成功したとか会社で高い地位に就いたということだ。
当時のトヨタのラインナップは安いほうから順に、スターレット カローラ カリーナ コロナ マークU クラウンとハイラルキーがあった。それは値段だけでなく車幅も長さも少しづつ差がつけられていた。
当時はまだレクサス(セルシオ)はない。それは1989年発売である。
ボケ始めた記憶で書いてますので、間違ってたら教えてください。
しかしおかしな話だ。「おれはこの車が好きだ」と安い車に乗っている人もいたに違いない。それを半強制的に小学校・中学校・高校と進級すると同じく、だんだんと高い車に買い替えさせていくという手法はある意味まずいのではなかったのだろうか?
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そうではなかった。当時の日本人は横並び、隣りと同じ、あるいは隣りよりちょっと上というのが好みであり、目標だったから。
「隣の車が小さく見えます」というのは1970年日産サニーの宣伝である。
当時、クラウンに乗ろうと仕事をがんばるのは夢がある人生だったのだろうか? そういう人生が理想だったのだろうか?
実を言って私の知り合いで中古のクラウンに乗っていた人が二人いた。腐っても鯛、中古でもクラウンなのだ。大きい事はいいことだという人はいたのだ。
「大きいことはいいことだ」とは68年頃のチョコレートのコマーシャルである。
田舎では車なしには生きていけず、1983年時点私は初代シビックに乗っていた。家族が4人いて買い物ではハッチバックが便利で私の所得からいってそのクラスが身分相応と考えたからだ。金があったらもっと大きな車を買うという価値観に疑問はなかったと思う。
車は古くなれば買い換えなければならず、私も7年おきくらいに買い換えた。子供たちが大きくなるにつれ後部座席が広いものになってきたが、いつも安い車であったのはいうまでもない。
クラウンは遠すぎた橋である
「遠すぎた橋」とは1977年の戦争映画、目標が大きすぎたという意味である。

話はガラット変る。
私は常に話が変わる。家内と話をしていて「話は変わるけど」というと、いつも「あんたの話は変ってばかりだか断らなくていい」といわれる。 
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あんたの話はしょっ
ちゅう変わんだから
私が高校を卒業して田舎の会社に入ったとき同期入社の者とがんばって将来は工場長になろうと語りあったことを覚えている。その工場は田舎とはいえ従業員は数百人いて工場長など高卒で現場入社の者がなれるはずがなかった。まあ一時とはいえそういう夢みたいなことを語っていたのは事実である。
あれから40年、お互いに職を変わり工場長の夢はとうの昔に霧散、彼は今田舎のもっと小さな会社で働いている。私も働くところを変わっても、工場長どころか部長・課長など拝命したことなく、生涯一平社員である。
生涯一捕手はかっこいいが、生涯一平社員はかっこよくない。
あのような目標を持ったことが良かったのか? 意味があったのか? 定かではない。
ただ、私は工場長になるためではなかったが、会社に入ってからもずっと継続して勉強してきた。通信教育もしたし仕事についても資格をとったりそれ以外についても・・
やはり毎日のルーチン業務と酒とマージャンだけでは人は成長しないとは思う。

話はまた変わる。 老人の頭に浮かぶことは取りとめがないのである。 
私は環境関係の仕事なので、各社の環境レポートなどを読む。省エネの成果とか環境配慮製品などは最後のほうである。どの環境レポートでも冒頭には環境ビジョンなんてのが載っている。20XX年に当社はこのような社会を目ざすとか作りますとか・・
人が夢を見るように、企業も夢を見るのか? と思うのだが、各社のビジョンの背景が異なるのが気になるというか、まあ当然ではあろうけど・・・
企業によってビジョン設定の年代は異なるが、いずれも今からそう遠くなく近くない20年から40年後の未来である。
私が生きていないことは間違いない 
一企業がビジョンを考えるときに、その企業はその時点の日本が世界がどうなっているのかを研究しているのだろうか?
日本が世界がどうなるかを考えずに、あるいはしっかりと定義せずに、一企業の夢をビジョンを描けるのか? 私は不思議でたまらない。
私は30年後の日本がどのような状況か見通せる人はいないだろうと思う。
「20年後日本という国はなくなる」と語った中国外相もいたのである。
この予言が正しければビジョンのほとんどは間違いとなるであろう。
この予言が正しければビジョンの↑すべては間違いとなるであろう。

見方を変えれば今から30年前、1978年に2007年の現在を予想できただろうか? 当時はやっとドルショック、オイルショック、公害を脱したところで、当時の人がそれから10年で日本経済が世界規模にのし上がり、バブルにはしゃぎ、そして没落するかを見切った人はいないと思う。
企業というのは独立変数ではない。従属変数である。社会の、国際政治の、人びとの価値観によって企業のありかた、それどころか存在できるかさえ影響を受ける。

例をあげよう。
私が高校を出て就職する頃、専売公社は優良企業だった。専売公社はタバコや塩を作り販売していた。 ajisio.gif 当時タバコは大人の必需品でありかつ明確な消耗品であり、塩といえば「地の塩」というくらい貴重で人間が生きていく上での必須品、後ろには国家権力がついている専売だから競争相手はない。もう怖いものなしである。こんな甘い商売はない。
タバコは苦く塩はしょっぱいなんていってはいけない。
専売公社が揺るぐことはありえないと思われた。
あれから40年、専売公社にドラスティックな出来事がふたつあった。ひとつは民営化であり、もうひとつは世界的な嫌煙の動きである。タバコを吸うことはもはや大人の証明とかかっこいいことではなく、不健康なことでタバコを止めることができないのは精神が弱いとさえ見なされる時代となった。その結果、SRIなどでは評価がマイナスになる。
 SRI;社会的責任投資の略で、CSRに配慮した経営を求めていく投資のことを言う。
40年前の専売公社は21世紀にどのようなビジョンを持っていたのだろうか? 私は知らないが、あったとしても今の姿では決してなかっただろう。

専売公社は別格だとか例外だとおっしゃるかもしれない。もうひとつ例をあげる。
私が高校3年のとき、学校にあちこちの企業から募集に来た。学校では講堂に在校生を集めてそういった企業から来た方の話を聞かせた。卒業生の99%が就職する学校だったから、それは授業などより優先した。60年代半ばはやっと日本経済も活気ついてきた時代である。その直前までは高校を出て就職できたら幸運という状況であった。
ある中企業の社長が講演した。
「日本経済は高度成長している。人はみな我が家を持ちたいと思う。そして家を持ったら次に欲しいものは家具だ。みんな当社に来て家具を作ろう。」
本当の話である。
あれから40年、今日本では高級家具以外木工は全滅である。安物はかっては韓国、台湾であったが、今ではインドネシア、ベトナム、マレーシア、中国その他に移った。
決してあの社長がウソをついたわけではない。40年というのはそれくらいの変化があるのだ。

ISO14001規格で改善の目的目標をたてることを要求している。
そして審査機関の中には短期目標だけでなく、長期目標が必要だというところがある。規格には長期目標がいるなどと書いてない。ISOの権威にお会いしたとき「長期目標がいるのですか?」とお聞きした。
すると権威「なこと規格が要求しているわけがない。この激動の時代3年先5年先が見えるはずがない。」との応えであった。私はこれを根拠に長期目標を求める審査機関とチャンチャンバラバラをしている。
知り合いが勤めている会社のでこと、数年前省エネとしてコジェネを入れる計画だったが、その後の電気料金の低下でポシャッた。立派な長期計画が作られていたが策定した甲斐はあったのだろうか?

3年先・5年先が見えないときに、20年後・40年後が見えるのだろうか?
日本の20年後を考えずに一企業の20年後が見えるのであろうか!
もっとも日本政府だって、2年後の京都議定書の達成がおぼつかないのに、2050年CO2排出量を半分にしますといえるのだろうか?
もちろん2050年に日本の人口が半減する可能性は捨てきれない。

ビジョンがあり、プランを作り、プログラムに展開する。それはいいのだが・・
人知を超える長期展望はあまり意味がないのではないだろうか?


本日のまとめ

夢を持つなとは言わない。
夢を持つことは良いが、それは義務ではない。
私は人は夢を持たなくても、向上心を持って誠実に努力を続ければ必ず道は開けると信じる。
企業も夢のようなビジョンを掲げることではなく、得られる情報の基にしっかりしたビジネスを進めればきっとゴーイングコンサーンとなれるだろうと考えている。


ところで夢ばかり追って、現実を見ない人がいる。
憲法9条はすばらしいと平和主義という夢を見て、世界平和を信じて国連に期待を寄せる。
転ばないようにしてほしい。
更に言わしてもらえば、転んでも周りに迷惑をかけないで欲しいものである。

休日、キーボードを叩いているといつものただの駄文でなく、長い駄文になってしまった。反省
ところで、以前夢を持たないのは悲しいことだと書いていたはずだ。二重人格あるいは口からでまかせかと私の矛盾に気付いた方いらっしゃいますか? そういう方は、このウェブサイトを勉強している方です(ナンノコッチャ)



あらま様からお便りを頂きました(07.09.19)
佐為さま あらまです
「来年のことを言えば鬼が笑う」といいます。この場合の笑いとはおそらく「失笑」でありましょう。
しかし、たとえ叶わぬ夢でも、夢を持ち続けることに意義がありそうです。
たとえば、小生の住む静岡県には、歩兵第34連隊という強力な部隊がありました。彼らは、中国縦断と言う強行軍を課せられながらも、立派に任務を成し遂げようとしていました。ところが終戦。そして、ソ連に連行されてしまいました。
しかし、多くの同僚が次々と倒れるなか、ふるさとの土をもう一度踏みたいという「夢」を持ち続け、なんとか復員した人もいました。
そんなことを考えますと、「夢」をもつことも、いいことではないかと思います。
小生の周りの若者を見ますと、夢を持たない人が多いことに気がつきます。どうしてこんな世の中になってしまったのでしょう。
そういえは、小生の若いころも、「夢もチボーもないね」」「イロイロあらあな」・・・なんて、東京ボン太さんが言っておりました。
あらま様 毎度ありがとうございます。
この拙文は深遠を考えたものではなく、身近にバカな奴がいてね、たいそうなビジョンを打ち上げてたもんですんで・・・ちょっとからかったのですよ

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