8年目 おばQの憂鬱 2009.08.12

私が靖国神社問題でマスコミの報道に反論しようとしてこのウェブを作ったのは2001年8月14日である。あれから8年、いや時の流れは速い。娘も息子も大きくなったなんて言うもんじゃなく、大人になった今はただ歳を重ねるだけだ。
開設時のデザイン
開設時はこんなデザインでした。
私も田舎から都会に来て、今では地下鉄も乗りこなせるようになった。 
そしてあっというまに私も還暦を過ぎ、とうとうというか、ついにというか、間もなく定年である。定年と言えば聞こえが良いが、早い話が失業である。国家天下を論じる前に、我が家の暮らしを考えねばならない。なにせ老人をいたぶり外国人や税金を納めない人に大盤振る舞いする民主党が政権を取りそうだ。

とはいえ今の60歳は私が20歳くらいの時の50歳より若々しいのではないだろうか?
なにしろ私が成人してから還暦になった今までの40年間で日本人の平均寿命は74歳から86歳に12歳も伸びた。だから私はまだ1960年代の48歳なのだ。バカボンのパパなのだ
いや私が生まれた終戦直後は平均寿命が61歳である。私の年齢から平均寿命まで26年あることから考えると、当時ならまだ35歳である。社会人としてやっと一人前になったというところではないか!

日本人の寿命は長くなったものの、インターネットのウェブサイト(ホームページ)なんて寿命が数日ってのもあるし、一般的に数か月続けば良い方だろう。あるいは存在していても、最終更新から何年もたっているサイトなんてざらにある。最近おおはやりのブログを眺めていると、初回のみ、二回目の日記はないというブログも多々ある。
私のウェブサイトがこのように絶えず更新して、定年まで続くなんて思ってもみなかった。いや定年後も続きそうな気配である。
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もちろん、手間も暇もかけず、金もかけていないので、デザインが悪く、古臭く、今時のブログやかっこいいウェブサイトに比べると非常にオソマツで見劣りする。まあ、何事にもめんどうくさがり屋の私だから、建て直しもリフォームも考える気にもなれない。こんなあばら家でも私が発言する舞台としては十分である。

開設当初は「日本人よ!誇りを持て」と力んで書いたのが多かったが、そのうちダジャレとか言葉遊びが多くなり、「日本人よ!ダジャレを語れ」と改名しようかとさえ思った。
あるときオフ会で同志と酒を飲んでいて、仲間から「ISOを知っているなら解説してみろ」と言われてはじまったのが「うそ800」のコーナーである。
ところが3Mの失敗作であった接着剤がポストイットとして大ヒットとなったように、この「うそ800」が本来の目的をしのいでしまい、いまやこのウェブサイト全体のアクセスの過半を占めるようになってしまった。
そうなるといよいよISOの解説と糾弾を語るようになり、正のフィードバックに陥り、日本人よアイデンティティをしっかりしろなんて語ることより、ISO審査員よしっかりしろと叫ぶことになり、ますます・・負のスパイラルならぬ正のスパイラル状態にある。

昨年2008年にはアイソス誌から取材を受け、そんなことからなんと2009年は毎月、認証機関の大物である星野様とのカラムまで書かせていただいている。ありがたいことです。
有名なったからうれしいということではありません。それから原稿料なんて頂かなくてもいいんです。
私が発言する場をいただいたということはものすごいことです。そして私の発言を世の中の人に聞いていただいて、ISO審査がもう少しまっとうになり、ISO認証の価値が上がり、世の中から信頼されれば、それは組織(企業)の不満解消だけでなく、認証機関にとっても認定機関にとってもものすごく良いことだと思います。
08年12月のアイソス誌に載ってから私にメールをいただくことが多くなった。そして地方にお住まいの方から「出張で上京するのでお会いしたい」なんてメールが来ると、いそいそと(ISOISO?)待ち合わせして、リアルにお会いすることが多くなった。もちろん私が地方に出張するときは、その地方にお住まいの方にお会いませんかと声をかけている。
いろいろな人と知り合い、お会いして語りあう。
人が人と知り合うために生まれてくるならば、なんというすばらしいことでしょうか。これもアイソス誌に載せていただいたおかげと感謝していております。

さて、本来の目的であった日本正常化はどうなったかといえば、みなさんご存じのように、敗色濃くただいま昭和20年の春というところでしょう。サヨク戦線にだいぶ押されております。

さあこいモンキー野郎ども、人間一度は死ぬもんだ
「宇宙の戦士」から引用)
と中指を挙げて最期の闘いに臨む雰囲気であります。

戦死したら骨を拾っていただくことは無用。生き残ったあなたは哀れな勝者に同情をかけてください。彼らは目も見えず耳も聞こえずにみずからレミングのように崩壊に突き進んでいるのです。
おっと、戦いで死するのも地獄なら、左翼政権下で生きていくのも地獄でありましょう。

とまあ、とりとめのない話を書いてきたが、今私は非常に日本の行く末を懸念している。民主党が政権を取り、中国への属国的政策、韓国への支援強化などを行うことによって、日本という国家が衰弱し、我々日本人の暮らしが窮乏していくのではないかと考えている。
もちろん、その裏には中国に貢いで、韓国に貢いで得をする日本人と政治家がいるということなのだろう。
まあ、日本人を止めることができない私としては、定年になろうと、退職しようと、命ある限りこの日本を正常化するように発言し、行動していくしかない。

本日の別れの言葉
9年目があるかどうかわからない。私が斃れても後に続くを信ず 



しょうちゃん様からお便りを頂きました(09.08.13)
バカボンのパパの年齢
おばQさま、いつもお世話になります。しょうちゃんです。
バカボンのパパが48歳との仰せですが、一般的には41歳と考えられているのではないでしょうか?
http://www.fukuchan.ac/music/anime/bakabonnoharu.html
http://img.d777.jp/machine/pachinko/bakabon41/
など、いくつかの41歳の根拠はあります。
http://www.koredeiinoda.net/b_syokai.html
によると、「成人はしているだろう。たぶん。」ということです。
また、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%83%90%E3%82%AB%E3%83%9C%E3%83%B3
によると誕生日は
「昭和元年12月元日のクリスマスの夜」
だそうで、今は結構年寄りになったかもしれません。

で、やっぱり48歳?
うむ、これでいいのだ。

ぎょえーーー
しょうちゃん様 そのような裏付けまで・・・さすがISOに関わる人は違う!
実を言いまして、私はそのような深ーーーい考えではありませんで、これからはバカボンのパパのように生きていくのだ!と言いたかっただけであります。スマソ
ともかくもご教示ありがとうございます。

無才様からお便りを頂きました(09.08.13)
継続は力
佐為さま
まさに継続は力なり、どうか今後も末永く息の、“自らの心”の続きますように。寿命から逆算して考える、いや実に発想の転換、まだあるという楽天の世界、実に嬉しいです。
今まで脳の神経細胞は一日10万個20万個と脱落していく、二日酔いの朝には100万個も少なくなっていて252歳くらいで人間の頭の中は空っぽになる計算だ、なんていうことばかり吹聴してきた私としてはなんとも元気付けられる話でした。空っぽはともかく、数だけあればいいというもんじゃなくてそのネットワークによって知恵が生まれるといわれる巧妙な脳のしくみに期待しながら、まずはおめでとうございます。
無才

無才様 毎度ありがとうございます。
えっと!神経細胞が脱落とは専門的なことを・・無才様はお医者様でありましたか!?
私は人を食って生きておりますので、ひとさまの神経細胞が補充されているのかもしれません。
しかし長生きすることがすばらしいかどうか、偉人といわれる人を思うと、考えてしまいます。
ケネディが大統領に立候補した時、若すぎると批判されたそうです。そのとき、ケネディはワシントンが独立戦争を率いたのは30代であったと言い返したそうです。
近藤 勇が新撰組を率いたのは20代後半、新撰組は大半がはたちそこそこ、対する坂本竜馬も当時20代、伊藤博文が総理大臣になったのは43歳、アインシュタインがノーベル賞をもらったのは42歳・・還暦まで馬齢を重ねてきたのが恥ずかしい思いです。
私の父は尋常小学校を出て丁稚奉公に行き、その後海軍工廠で働き、中国に二度従軍し、太平洋戦争に従軍し、戦後はいろいろな仕事について家族を養ってきて、私が29歳の時67歳で亡くりました。私もほとんど同じ年齢になりましたが、その経験の量は私の何倍もであったろうと思います。
年齢と経験は比例しないと思いますね。私はこれから新たなチャレンジで世の中に貢献しなければと思います。

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