ウェブサイト開設10周年記念

11.08.13
私がこのウェブサイト(ホームページ)を作ってから、この14日で丸10年になる。そのことに自分が驚く。10年前にこのウェブサイトを作った時に、これほど長続きするとは思ってもみなかった。
一般的に個人が作ったウェブサイトの寿命ってどのくらいなのだろうか?
ネットを探すと、短いものはもちろん開設しただけで更新もせずに消滅するだろうが、更新しても半年からせいぜい3年とか4年くらいらしい。学生が在学中にウェブサイトを開設したとして、卒業して社会人になれば仕事も付き合いも忙しくなるだろうし、趣味も変わるから3年前後というのはうなづける。あるいは社会人であろうと、同じ趣味とか主張で4年以上書き続けることは困難なのだろう。
また個人的なことでなく、とりまく環境、つまりOSやブラウザなどのソフト、PCなどのハード、あるいはhtmlの文法も平均3年で切り替わっていくので、それ以前の基準で作られたウェブサイトはデザインも陳腐化し飽きられてしまうという。更にはウェブサイトからブログへ、ツィターへ、更にはフェイスブックへとネットでの表現形式もどんどん変わっている。そのサイクルも4年程度なのかもしれない。

さて、このように日進月歩のインターネットの世界であるのに、なぜ私のウェブサイトがかくも長続きしたのかと考えると、いろいろと理由があるのだろう。私自身もその理由を理解しているとは思えないが、考えてみよう。

まず、私は主張したいことがあるからだ。 なにごとにも目的がなければ実行する意欲が沸かないし、しかもその思いが強くなければ長続きしないだろう。このウェブサイトのテーマには愛国とISOがあり、客観的に見れば、まったく無関係でちゃらんぽらんなのだが、私の内部ではそれぞれにおいて心から主張したいという思いがあるので矛盾していない。
もっとも、ISOを知りたいという人がご訪問されても右翼かと引いてしまう恐れもあるし、反面、愛国の方がお見えになってもISOなんておかしなことを語っているから止めたということもありそうだ。そういう危険というか誤解を招くことはしょうがない。
どちらにしても、今はこんな問題がある。改善しないと大変なことになるよ。あるいは大変なことになっているよと、叫ぶことが私の使命だと考えている。

それから私は、ウェブサイトがとても大事だと考えているわけではない。
60歳を過ぎた今でも私は現役の会社員であり、フルタイムで働いている。それにもちろん家庭を持っており、夫として父親としての役割を果たさなければならない。冠婚葬祭があればそれなりに対応しなければならないし、マンションの組合でなにごとかあれば参加しなければならない。このウェブサイトが片手間とか暇つぶしとまではいわないが、私の人生といえばおおげさだが、生活していく上のプライオリティの順位はかなり低いことは事実である。そしてそのことがあまりウェブサイトの運営に無理をしないことにつながり、結果として長続きしているのではないかと思う。

それから日々テーマに関する社会の動きがあり、私自身がいろいろなことで関わっており、常に私は不満、疑問を感じ、その改善提案を考えている。だから言いたいことは決してなくならない。ISOに関する「うそ800」は、ほぼ毎週更新しているが、何を書こうかと悩んだことは一度もない。言いたいことがあふれてくる。キーボードを叩くのがまどろっこしい。
お間違いないように、私はキーボードを叩くのはかなり早い、それ以上に私の思いがわきあがってくるのだ。
ちなみにキーボードは毎年1個つぶれる。今のキーボ−ドも昨年暮れに買ったのだが、8ヶ月でキートップ文字の印刷はかなりはげてしまっている。幸いブラインドタッチができるので困ることはないが、みっともないことはみっともない。

また金儲けとは無縁である。
開設した当初は、当たり前だが訪問者がいない。ネットの知り合いとか、つてを頼んで相互リンクをお願いしました。やがてだんだんとアクセスが増えてくると相互リンクを依頼されるようになる。もちろん武士はあいみたがい、喜んで相互リンクをする。
やがて個人的なものでなく、会社宣伝や商品のバナーを載せてくださいとか、アフィリエイトをはじめませんかというご依頼が来るようになった。申し訳ないが、お金に絡むもの、ビジネスに関係するものは、すべて丁重にお断り申し上げている。
サポーズ、アクセスが月一万程度しかないのだから、そのうちの1%の方が買い物とかされたとして、月の収入が数千円なら評判が悪くならないほうが良いでしょう。バナーを載せて月5000円という申し出もありましたが、同様にお断りしました。
月10万なら気が変わるかもしれませんが・・・たぶん変わらないでしょう。

ウェブサイトは金のかからない趣味だから。
私は開設以来ずっとDTIを利用しているが、サーバー代金は月々5百円である。もっとも今ではサーバーが無料というものもある。しかし広告のバナーが載るからね、 ところで広告のバナーが載る無料のサイトと、人のバナーを有料で載せるのと、違うのかというと違わないような気もする。
ソフトはどうかというと、htmは私がシコシコとメモ帳で書いているのでホームページビルダーさえ不要だ。
もっとも最近では文法がなっていないと検索エンジンに載せてもらえないこともあるらしい。困ったことだが、どうしたらいいのか分からない。調べると、市販されているホームページ作成ソフトでさえ正しい記述をしないものもあり、検索エンジンでエラーとなるケースもある。どうせエラーになるなら金のかからない手書きでいくことにしよう。

そしてあまりにも内容が稚拙であるというのも長続きした原因ではないだろうか?
内容が稚拙というのも、コンテンツと表示のふたつの面がある。
コンテンツというのは、例えばISOについていえばマニアックな細かい解釈とか語義の違いなどの議論はしない。違いが分からないのかもしれない。
あるISOマニアはウェブサイトで文書と記録の違いをながながと熱く語っている。そういうものに価値を見出している方もいるのだろう。あるいは違いを語るのが楽しいのかもしれない。
正直言って、私は文書と記録の違いなど分からない、分かろうとしないというのが本当のところだ。文書と記録など明確に線引きができるわけもなく、分ける意味もない。今ISO規格の改訂作業中であるが、漏れ聞くところでは、今後は文書と記録の違いを論じなくなるらしい。そうすると、今まで熱心に文書と記録の違いを語っていた人は、あれはいったいなんだったのかと困るのではなかろうか?
今そのウェブサイトを探したら見当たらない。私のウェブサイトより短命であった。
ナンマイダブ
憲法についても、法理念とかこむずかしいことを語る人は専門家に多いが、おかしいなあと無邪気に感じたことをそのまんま書いているレベルの低いウェブサイトはここくらいだ。だから レベルの低い人に 一般の方に好まれるのだろう。
htm表示について語れば、私はJAVAもスタイルシートもわからない。フォーム入力とかちょっとした動きをさせるときは、似たようなものを探してきて、そのhtmを真似してカットアンドトライで作り上げている。もっとも最近は、それも面倒なので、もうテキスト勝負に割り切っている。見た目がどうあれ、最終的には文章に値打ちがあるか否かということである。
また、開設当初は働く人々とかいうイラスト集を買って挿絵にしていたが、そのうち面倒になって、ここ数年はテキストだけにしているものが多い。ISOについて論じたいという方が、かわいいイラストがあると喜ぶということはあるまい・・と自分で決め付けている。

ともかく、そんなことのおかげか、このウェブサイトは更新を続けながら10年という歴史を持ちました。栄光ある伝統ではなく、馬齢を重ねたというのでしょう。馬齢であろうと、多くの個人のウェブサイトが4年前後で長寿といわれるなら、このウェブサイトは超長寿と誇ってよいのだろう。

では、ご訪問の方々、このウェブサイトの目的である日本を良くしようという趣旨にご理解をお願いします。
私は日本の国を良くするために・・

もちろん、日本のISOも良くしたい。
そのために行動しましょう。

過去の記念日の駄文であります。

果たして、靖国もISOもジグソーパズルは完成するのでしょうか?
jigsaw.gif


しょうちゃん様からお便りを頂きました(2011.08.13)
10周年 おめでとう
このホームページ、10周年ですか、おめでとうございます。
これもひとえにおばQさまの、ISOや審査制度をナントカしなければとの強い強い「執念」の現れでしょうか。
これからも応援します。

しょうちゃん様、いつもご指導ありがとうございます。
いつの間にか10年というのが実際の感じです。
10年前、ISOの審査に疑問はありましたがISO認証制度は前途洋々と思われました。しかし、今は登録件数も減少しつつ、前途は暗いです。私の問題提起を受け止めて真面目な審査をしていればこのような有様にはならなかったのにと思いますが、そもそもそのような権威もなにもありません。ISO丸が沈み行くのを眺めているしかできないのでしょうか?

ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2011.08.13)
開設10周年、おめでとうございます。
明日、お祝いのメールを入れるつもりだったのですが、先を越されてしまいました。^^)
「ISO」(←規格、制度、似非マネジメントシステムすべて)が右も左もわからない状態でおばQ様のサイトに巡り会い、以来本当にお世話になりました。
もし巡り会わなかったなら、私も「文書と記録の違い」を熱く語る勘違いした人になっていたと思います。
ISOなんて役に立ってナンボ、使って(使えて)ナンボ。どうぞこれからも末永くご指導のほどお願いします。

ぶらっくたいがぁ様 毎度ありがとうございます。
たいがぁ様がそのようなことをおっしゃると、私がたいがぁ様を指導していると勘違いする人が出るじゃありませんか。本当はそうじゃなくて、いつもたいがぁ様のご指導いただき、ありがとうございます。
しかし現実のISOの世界は、USOの世界と思えるように、ばかばかしいことばかりでございますね。文書と記録の違いを議論してもお金になりません。いや「顧客満足」や「遵法や汚染の予防」に寄与するとは思えません。業務遂行において間違いを起こさないために、どのような管理をすべきかを考えることは重要ですが、文書と記録の違いを熱く議論することはなさそうです。
まあ、「外部文書をどう管理しているか」を審査するのではなく、「外部文書の配布を管理する」とマニュアルに書いてないから不適合なんて語る審査員がいまだにいる・・というより多い・・ということは恐るべきことです。
そんな連中を相手にしていると、ISO認証制度は滅ぶべきであるとさえ思います。もし、いや遠からずISO認証制度が立ち行かなくなるでしょうけど、そのとき第三者認証制度の関係者は世の中を恨んじゃいけません。制度のメンバーがあまりにもレベルが低かったことにその原因があったことを反省すべきでしょう。
おっと、反省するなら今でもいいのですし、今ならまだ遅すぎることはないように思います。と言っても対策できないでしょうけど


湾星ファン様からお便りを頂きました(2011.08.14)
佐為さま
いつもお世話になっております。湾星ファンです。
サイト開設10周年おめでとうございます。といっても、自分は弟子入りしてから2年半前の新参者でございます。
たいがぁ様ではありませんが、当時、自分はどちらかと言えば、文書と記録の違いを熱く騙っていたクチです。師匠に蒙を啓いていただき、弊社のEMSは格段に向上したと感謝しております。
これからも、ますますのご活躍を祈念しております。

湾星ファン様 お祝いありがとうございます。
何をおっしゃいますか、私はYosh様やたいがぁ様と同様に、湾星ファン様を師とあがめております。
文書と記録、15年も前ですが、審査員から議論を挑まれたことがあります。
審査員「文書と記録を明確に区分していなければだめです」
私「明確に区分しなければならないという理由が分かりません。あなたが記録だと思うものを規格で記録の管理に求めていることを我々がしていないこと、あるいはあなたが文書だと思うものを規格で文書管理で求めていることを私たちがしていないことを示してくれませんか?問題があれば対応したいと思います。」
審査員「そういう問題じゃないでしょう。このドキュメントは文書なんですか?記録なんですか?」
私「どうなんでしょうねえ? 不適合にするには根拠がいるとおもいますが、文書と記録を定義しろとはありませんが」
そんなふうにジャブの応酬で終わってしまいました。

そういえばその後、有益な側面という新興宗教がありました。今でもまだ下火になっていないようです。
審査員「側面はすべて有害か有益かを明記することが必要です。」
もうその頃は私も古だぬきになっていましたのであまり丁寧には応えませんでした。
私「アハハハハ、そんなものがあるとお思いですか?」
審査員は忘れた振りをして、それ以降有益な側面とは言いませんでした。
翌年、めんどくさいのでその認証機関に「有益な側面なんていう審査員は寄越さないでね」といってからはくだらないは応酬ありません。
おっと、記録と文書、ISOは奥深いですね、


名古屋鶏様からお便りを頂きました(2011.08.14)
10周年おめでとうございます。
そもそも、いま現在のISOの審査に何の疑問も持っていないのであれば誰も「著しい環境側面とは」なんてキーワードでググったりなんかしないんです。それが「何やら妙だ」と直感的に思うためにネットに頼るわけで。
かくいう鶏もそうして「うそ800」に漂着したひとりであります。
「お・・・おぉ、まさにこれだ!」と感動したことを今でもよく覚えております。
また、このサイトを通じて、たいがぁ様を始めとする多くの同志と知り合えたことも深く感謝をしている次第であります。
また、今後共、ご教授を賜りたく、よろしくお願いもうしあげます。

名古屋鶏様、お祝いありがとうございます。
お互いに、会社に役立つISOを目指してがんばりましょう!
そして審査員とのバトルも楽しまなくちゃ・・


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2011.08.14)
たいがぁです。
意外に「文書と記録」が盛り上がっているので、問題提起です。
ある1枚の設備点検表(様式)があり、月初から月末までの点検状況を記入するルールになっているとします。月初の段階では未記入なので、様式、つまり「文書」です。逆に月末時点では全て記入済みなので「記録」です。
では、月の途中(例えば15日の時点)では「文書」か「記録」かどちらでしょうか?
厳格に解釈すれば、上半分(記入済み部分)が「記録」で下半分(未記入部分)が「文書」ということになります。しかし、物理的には1枚の紙ですから分離できません。文書でもあり記録でもあるものが存在するということになります。それでも、この紙が文書か記録かを仕分けすることに何か意味があるのでしょうか。
それよりも、その設備点検表があるお陰でトラブルの未然防止に役立っているのかどうか、もっと点検の方法やタイミングを精査する必要があるかどうか。そうしたことの議論の方にパワーと時間を使いたいと思うのです。だって、実務屋ですから。

ぶらっくたいがぁ様 毎度ありがとうございます。
私は3歳児の知恵しかありませんので、あまり難しいことを言われると知恵熱が出てしまいます。
とはいえ、たいがぁ様からの挑戦状に何とか応えようと考えました。
まず定義を確認しましょう。
document:information and its supporting medium.(ISO9000:2000 3.7.2)
record:document stating results achieved or providing evidence of activities performed.(ISO9000:2000 3.7.6)
上記定義から、広義の文書は、狭義の文書及びと記録及びその他のものから構成されると思われます。広義の文書は、狭義の文書と記録だけではないようです。
さて、狭義の文書とは紙に書かれたものだけではないというのは当たり前なのですが、実は情報そのものも文書と呼ばれるであろうということも上記定義から明らかではないでしょうか?
記録も広義の文書に含まれますから、紙だけでなく達成した結果や活動の証拠である情報そのものも記録であることは自明です。
いや、全然難しくない話です。例えば監査報告書をトップマネジメントに提出して、そこに経営者が赤鉛筆でいろいろと指示事項を書き込んだとしましょう。私は一枚の紙に監査報告が記載されており、そしてまたマネジメントレビューの記録も記載されているのだと思います。あるいは、部下が出張報告や週報を上長に提出し、管理者がそこに「よくやった。こうするともっと良かった」とか「今後は君が一人で判断して決めてよい」とかコメントすることが、育成の記録であり、力量を確認した記録であろうと考えております。お断りしておきますが、10年前からそう考えておりました。そんなことを過去書いたこともあります。
つまり文書というものも、記録というものも、紙そのものではなく、そこに記載された情報を意味すると考えております。(ISOの定義では、オブジェクトと情報の両方を含む概念のようです)ですから計画書を考えた場合、プロジェクトが進行するにつれて文書から記録に変化することはないと思います。紙に書かれた計画はプロジェクトが完了するまで文書(命令書)であることは変わりなく、そこに書き込まれていく進捗状況は進捗を示す記録だと思います。
月の途中(例えば15日の時点)では(中略)上半分(記入済み部分)が「記録」で下半分(未記入部分)が「文書」ということになります。 というのではなく、様式は設備点検を指示する文書(あるいはその一部)であり、そこにボールペンで記述された情報が記録であると考えます。この場合、翌月も点検項目が替わらないのであれば様式そのものは文書という位置づけであるでしょう。
それは、文書は修正してはならないとか、ということとは関係ありません。仮に点検表の許容値が修正されたり点検項目が加除されたら文書を改訂したことになるでしょうが、そこに点検結果を記入することは文書の情報を書き換える行為ではないと思うのです。
とはいえ、そのように考えたところで一文になるわけではなく、私は文書も記録も区別する意味を感じません。私は実務屋というより、意味のないことを考えない怠け者ですから。
やがて、なんで文書と記録の違いを議論したのだろうなんて言われるようになるでしょう。


湾星ファン様からお便りを頂きました(2011.08.15)
いつもお世話になっております。湾星ファンです。
ISOを勝手に解釈してはいけませんが、
 文書=改訂することがある
 記録=修正はあるが、改訂・改竄はしないもの
と理解しております。
おばQ師匠が既に見解を出されていますが、たいがぁ様のお題は、まだ記入を開始していない様式そのものは文書ですが、記入を始めた用紙は記録として扱うべきものと考えます。

湾星ファン様 毎度ありがとうございます。
下のYosh様のコメントを含めて考えます。

Yosh師匠からお便りを頂きました(2011.08.16)
何か変。
とうた様、
まず定義を確認しましょう。
document:information and its supporting medium.(ISO9000:2000 3.7.2)
record:document stating results achieved or providing evidence of activities performed.(ISO9000:2000 3.7.6)


この部分が日本語で書かれたSOの文章が判らないので、このISOの英語の文章を日本語の文字で表記してみます。
ドキュメント:情報とそれを支持する媒体。
レコード:実行した結果のドキュメンとまたは活動したことに関する証拠の提供。
とかになりますから

上記定義から、広義の文書は、狭義の文書及びと記録及びその他のものから構成されると思われます。広義の文書は、狭義の文書と記録だけではないようです。

で思ひますに確かに、辞書にdocumentには文書,書類,記録,文献、そしてrecordには記録する,書き留める等の日本語の意味があります、けど。
この事で、皆さんISOの定義ででなくて、単に英語の単語を日本語にしてのお話になつてるのではと思はれおかしな話の方向に向かふて居るやうに思はれます。私の勘違ひでせうか?

Yosh師匠 まいどありがとうございます。
まず、ちょっとお許しをいただきたいこととして、文書の定義のところにもう一行ありまして、常連には当たり前かと思いまして省略していました。
Exsample: Record, specification, procedure document, drawing,report, standard.
これにより記録も文書に含まれることが分かります。
ところでISO規格には文書の管理という項目がありまして、そこでは「品質マネジメントシステムで必要とされる文書は管理すること、但し、記録は文書の一種ではあるが、記録の管理の項によって管理すること」と書いてあります。そして文書として管理しなければならないことと、記録として管理しなければならないことはISO規格では異なっているのです。
そこで問題です。
会社の規則のようなものは誰が見ても記録ではないので文書として管理しなければならないでしょう。そしてまた機械の点検結果などは誰が見ても記録でしょうから記録として管理しなければならないと思います。ここまではあまり騒ぎになりません。
しかし、ぶらっくたいがぁ氏が例に挙げた、
1枚の設備点検表(様式)があり、月初から月末までの点検状況を記入するルールになっているとします。月初の段階では未記入なので、様式、つまり「文書」です。逆に月末時点では全て記入済みなので「記録」です。
では、月の途中(例えば15日の時点)では「文書」か「記録」かどちらでしょうか?

といったケースでは、文書とみるか、記録と見るかによって、管理すべき項目が変わってくるのです。そしてISO審査では審査員が「これはいったい文書なのか?記録なのか?お前はどう考えておるんや!」と詰問するわけです。
会社側としては、「これは文書です」と回答するか、「これは記録です」と回答するのか、「そんなこと気にすると若はげするぞ」と応えるべきか悩むことになります。
私の場合は上に書いたように、「明確に区分しなければならないという理由が分かりません。あなたが記録だと思うものを規格で記録の管理に求めていることを我々がしていないこと、あるいはあなたが文書だと思うものを規格で文書管理で求めていることを私たちがしていないことを示してくれませんか?問題があれば対応したいと思います。」というものです。
Yosh様のおっしゃっていることが私が理解しているか自信がありませんが、英語・日本語ということではなく、あるものを示されて、「記録か?文書か?」と問われたとき、割り切れないものもあるということです。
湾星ファン様の回答は広く行われている解釈ですが、はたしてそうなのか私は疑問です。私は1枚のシートであっても、文書の部分もあるだろうし、記録の部分もあるだろうと考えています。更には複数の人が書き込んだ場合、複数のカテゴリーの記録に該当することもあります。
例えば「法で定める排水測定報告書」は「監視測定」の記録でしょう。そこに上長がコメントを追加すれば「遵守評価の記録」になるかも知れず、あるいは「改善提案」の記録かもしれません。そしてトップがそれに判子を押したりコメントを記載すれば「マネジメントレビュー」の記録になるかもしれません。そのとき記録とは媒体とイコールではなく、媒体はひとつしか存在しないけれど、情報としては複数の文書と記録が存在しているのではないかと思います。
とはいえ、そのように考えたとしても、頭の体操にはなっても、会社とか仕事に貢献するとは思えません。だから私の考えは文書とか記録とか分けて考えてもしょうがない。ちゃんと管理していれば、いいじゃないかというだけです。


ぶるむん姫様からお便りを頂きました(2011.08.16)
おばQさま
ウェブサイト開設10周年、まことに、お目出度うございます。
よくぞ、生き延びてくださいました。 オオゲサ?(*^_^*)
「いざ征け兵 日本男児」
憂国戦士だからこその10年ですね。
そして、仕事への熱意の賜と拝察いたします。

このウェブサイトの目的である日本を良くしようという趣旨にご理解をお願いします。
もちろん日本人なら・・・日本人であるなら・・・当たり前のことです。
日本人じゃない人が国政を担っているのは日本国の崩壊に繋がります。
もちろん、日本人とは、単に、表面上の国籍のことだけを、いうものではありません。
石原都知事も、「あいつら日本人じゃない」と。

日本解体に向けて、次々と真の日本人を苦しめる法案が出されてきます。
日本人の、日本人による、日本人のための政治を希求します。
日本列島は日本人のものです。
竹島も、尖閣も、北方領土も、南樺太も日本人のものです
反天連も来年は粉砕してやりたいものです。

おばQさまも、まだまだ、戦士の休息はとれない状況ですが、どうか、ご自愛の上、「おばQは、死んでもマウスを離しませんでした」ということで、少なくとも90歳まで、できれば、100歳目指して戦い続けてくださいませm(_ _)m

70歳で20年、100歳で50年ですが・・・ごく普通の、当たり前の国になるまでまだまだ歩みは止められませんね。
今後とも、宜しくお願い申し上げます。

blue moon 拝

ぶるむん姫様 お祝いありがとうございます。
いつの間にか10年というのがほんとの感じですが、10年後の今、国賊菅直人が首相になっているようでは死んでもしに切れません。
日本がこんな悪人を追放するまでガンバラなくてはなりません。
ところで、菅直人が政権にしがみついているのは、起訴されるのを避けるためなんでしょうか?


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2011.08.17)
私の真意は、
「上半分が記入済みの点検簿が文書か記録かなんてことはどっちでもいいし、それが仕分けできなくとも実務上何ら困ることなどない。それよりも、その点検簿が有効に機能しているかどうかの方がはるかに興味があるし、その吟味に時間を割きたい」
ということにあります。

ところが、私がまだウブで審査員の言いなりになっていた頃、これは大問題でした。
当時、文書ファイルの背表紙は青色で記録ファイルの背表紙は黄色というアホみたいなルールがあり、点検簿の背表紙は黄色でした。そしてこのファイルには、前月以前の記入済み記録はもちろんのこと、来月以降に使う未記入の用紙もいっしょに綴じてありました。
ところが、審査員はこれを問題にしたのです。

審「このファイルは記録用だぞよ。未記入の点検簿は文書であるから、文書を記録用のファイルにいっしょに綴じてあるのは不適合であ〜る」
た「いや、しかし、いちいち現場の人が事務局まで出向いて点検簿の原紙をコピーしてこれに綴じ込むのは面倒ですし、これぐらいどこの会社だってやっていることでしょう」
審「何をぬかす。おたくの文書管理規定には、台帳などの文書ファイルの背表紙は青で、記録ファイルの背表紙は黄色と書いてあるではないか。明確な違反である」
た「それは、かつてあなた様が『文書と記録は識別しなければならん』と仰せになったから、わざわざ規定を改訂して必要もないのにファイルも色分けしたわけで。。」
審「言い訳は聞かん。ルールはルールであ〜る。むむ、よく見ると来月使うのであろう点検簿にはもう早々と日付の横に曜日が鉛筆で書き加えてあるではないか。これは文書の改訂ぢゃな。いつレビューして誰が再承認したのか?」
た「再承認って、あんた。曜日なんてキリストが生まれたときから未来永劫決まってるでしょうが。あらかじめ書いちゃダメなんで?」
審「そんなことはワシの知ったことではない。文書管理規定に定められた様式の曜日欄は空白になっておる。様式を少しでも変更する以上、ここに書いてある手順に従わねばならん」
た「じゃあお聞きしますが、今月の点検簿はまだ半分ほど空白です。これはどっちのファイルに綴じておけばいいんで?」
審「文書は文書用ファイル、記録は記録用ファイルぢゃ」
た「だから、これはどっちですか?」
審「逆にこっちが聞きたいわ。おたくがそれを判別して正しく運用しているかどうかを調べるのがワシの仕事であ〜る。それに、答えるとコンサル行為になるからのう。さあ、月の途中の点検簿は文書なのか記録なのか、どっちぢゃ?」
た「・・・わかりません」
審「仕方がないのう。本来であれば軽微な不適合ぢゃが、今回は特別にオマケして観察事項にしておいてやろう。次回までに解決していない場合は是正処置ぢゃぞ」
た「ははぁ。ありがたき幸せ」

とまあ、まるでコントのようなやり取りが現実の審査で行われていたのです。
今思えば、本当にカネと時間のムダでした。
以後、王の圧政に苦しむ民衆が蜂起するかのような反動期を迎え、ついには次の考え方を持つに至った次第です。
・規格は組織自身が解釈し適用するものであり、審査員はこれを尊重し、その適切性を判断すること。
・規格に適合していることの根拠と証拠は、組織側ではなく審査員自らが探し出して示すこと。組織はそのために審査させているのである。
・これに異を唱える審査員は忌避する。また、もし認証機関自体が同意しない場合は契約を結ばない。

ぶらっくたいがぁ様 まいどありがとうございます。
いやあ、その様子が目に浮かび、まさに、いかりや長介と加藤茶の掛け合いのようであります。
もちろん当人にとってはバカばかしをとおりこし、怒り爆発でありましょう。
私たちを審査員に召さなかった神に感謝を・・いや紙様かもしれませんが
しかし、もう記録も文書もいいでしょう。記録だとか文書だとかいう議論は、私にとっては針の先に何人の天使が立てるかという神学論争にしか思えません。
いかに顧客満足を向上させるか、遵法と汚染の予防を図るかという、いやいや、もっと儲けるにはどうするかを考えたほうが有効のようです。


那須山のアオバズク様からお便りを頂きました(2011.08.21)
○○記念日について。
ご無沙汰してしまいました。アクセス150万、ウェブ開設10年ですか…。本当にお疲れさまです。

今年も8/15九段へ行ってまいりました。確かに8/15敗戦記念日、そして9/2は降伏記念日と言うほうがしっくりくるようです。なかには「よくない日なのに記念日とは何事か」と息巻く方も時折お見かけしますが。

震災、侵略…この国難に臨んで相変わらずの勢力争いに終始するお上「鼠投忌器(ねずみにとうずるにきをいむ)」の例えの如く、厄介なことです。PC監視法ならぬミンス監視法を設立させたいものです(こんな稚拙な書込みかんかも監視されているのでしょうか)。

8/12の独り言について、オバQ様って結構ラディカル?なお人なのでしょうか。
ここ1〜2日は天気が崩れて涼しいですがまだ暑い日が予想されます。どうかお達者で。

アオバズク様 ご無沙汰しております。
馬齢を重ね、老醜をさらしているだけかもしれません。
ところでおばQが歳をとると、おば旧にでもなるのでしょうか?
8/12の独り言ですが、これからは死に場所を探さなくてはならないと考えております。
といっても、この命を無駄にするのではなく、より価値あるものに使いたいということです。


すぐり様からお便りを頂きました(2011.08.26)
私は思うのです
管さんが政権を退く。今話題は次を担うのは誰か?
でも、私は思うのです。子供手当なんてものがあるから駄目なんだ・・そんな民主党で誰が政権を取ったって世の中変わるわけないじゃないかって。私は母子家庭で子供を育てた、自立したくて頑張って頑張って働いた。そしたら、母子手当てももらえなかった。それが自立したって事だと理解した。
今の子供手当は50万の月給をもらっている人ももらえる。なんで・・?あんなに苦労して生きてきたのに、なんで50万ももらえる人ももらえるの?働いた・・昼間働いて、子供が寝るのを待って深夜働いた。子供に何もない事を祈りながら来る日も来る日も働いた。それが子供に対する責任だと思って・・。子供が成長して大学へ行った。私は働いた。熱があっても苦しい体を引きずって働いたんだ。そんなちっぽけな人生を歩んでいる人達がいた事を知っているのか?子供手当てを全面的に否定するんじゃない、だけど・・・。子供がふえればいい?単純すぎないか?その政策のおかげで、楽チンしてる親が増えてはいないか?都会と地方では保育園のありようだって違うじゃないか。私は思う、子育ては苦労してこぁw)サ子育てだって。民主党は根本から考え直さなきゃ今の震災の危機だって乗り越えられっこないさ。

すぐり様 お便りありがとうございます。
同感です。私もビンボーな家に生まれました。うまいものを食べたかったけど、食べられない。おもちゃがほしいとか、ラジオが聞きたいとかおもってもない。大学に行きたかったけど、もちろんいけるはずがありません。しょうがないと思うしかないことだったのです。
民主党ってバラマキで人気をとって、さあやるぞって思っても、できるわけないでしょう。
国民が早く民主党は無力だと気がついてほしいですね

日本武尊様からお便りを頂きました(2011.08.26)
10周年おめでとうございます
お久しぶりです。
長らくご無沙汰しておりました。
10年はそうそう出来ないもので、驚愕しております。
先日携帯を紛失しまして、アドレスその他すべて深遠の彼方へ飛んで行ってしまいまして。
そこでこちらから失礼させていただきました。

日本武尊様 ご祝辞ありがとうございます。
10年続けることがすばらしいのか、10年間もサヨクを叩かなければならないのが悲しいのか、どちらなのでしょうか?
今、民主党というサヨク政権が日本を破滅に導こうとしていますが、私は何の力もありません。
せめて反対だと叫ぶこと、デモに参加すること、反対党に投票することくらいは続けたいと思います。
一刻も早く、日本国民が覚醒することを願いつつ

ダストコマンダー様からお便りを頂きました(2011.08.27)
おばQ様 こんにちは。
私とて右でも左でもありませんが、家族や親類の命日に思い出したり、懐かしんだり、遺志を尊ぶといった人間としての素朴な感情は誰にも阻害されるはずのないものだと思います。
もしそういうものがあるならば、なぜそうなったのか原因を追及し次世代へ継承する必要と責任があるでしょう。

ダストコマンダー様 毎度ありがとうございます。
お断りしておきますが、私も右翼じゃありませんよ
ネットの世界では、日の丸を掲げると右翼と思われるようですが、日本人が開設しているウェブサイトなら日の丸を掲げるのは当たり前のように思います。
ハワイでもどこでも行けば、民家で祝祭日でなくても星条旗を掲げているところがあります。官公庁や郵便局なら当たり前ですよね
おっと、私は一人では生きていけませんし、生まれてきたわけではありません。父母、祖父母、そのまた曽祖父母、高祖母、高祖父ずっと続いているわけです。おかげさまで今生きているし、そしてまた子孫があると思います。
そんなことを思うと人間に生まれてきたことってすごいことだなと思います。
感謝の心が自然とわいてきますよね。
そうでないなら、きっと人間ではないのでしょう。


相方のたぬきからお便りを頂きました(2011.08.30)
遅ればせながら・・・
相方!サイト開設10周年、おめでとうございます。ばたばたしてて、お祝いのご挨拶が遅くなりました。
思えば10年前、11月に私がサイトを開設し、相方にご挨拶してから10年も経つのですね・・・
あのとき相方に虐められた後遺症で体調が悪くなり、病の床につき再起不能?の状態に追い込まれました。
お互いにまだまだくたばれませんね!誇りある日本国のため、先ずは相方が捨て石になって下さい。10年もやってればもう思い残すことないでしょ?(笑)
本当におめでとうございました。

(*゜▽゜)/゜・:*【祝10周年】*:・゜\(゜▽゜*)

相方 お元気ですか?
相方の文章を読んだ人は、私がたぬき虐待をしているように思うじゃありませんか!
本当は悪いたぬきが善良なおばQを泥舟に乗せようとしているのですよ!
でも大丈夫、おばQは空を飛べるからネ

ダストコマンダー様からお便りを頂きました(2011.08.31)
おばQ様、こんにちは。
2つの大事なことがあると思います。
今の日本人はいわば手品を見せられているようなものだと思います。
ですから、
1つは、手品の種を解明し、なるべく多くの人に明かして見せること
2つ目は、自分の自由な心のままに感じたり行動して良いんだと再確認することだと思います。

ダストコマンダー様 毎度ありがとうございます。
おっしゃるとおりでしょう、しかし手品師もこずるくなっておりまして、マニフェストなんて反故にするのかしないのか? もう手品ではなく詐欺師のレベルのようです。
そして多くの人がだまされていて、自由な心というか視点を持っていないようです。
さてさて、どうなるのでしょうか?


popuri様からお便りを頂きました(2011.12.06)
10年ひと昔
佐為さま HP10周年、10年ひと昔と申しますが、あの頃、佐為さまのHPで元気を頂いておりました。
 私のHP「ふたたびの輝き」を立ち上げたのもあの頃です。
「拉致 解決なくして明るい日本はない」でした。

明るい希望

日本再生は大阪から・・・?
大阪府と大阪市 二重行政無駄
「大阪市役所を変えるのは私しかいない」
橋下徹氏 府知事から大阪市長へ
W選挙 圧勝

橋下氏曰く
4年前府知事に当選時、自民党に選挙に勝ちたければ投票率を上げれば勝てる簡単な事と自民党本部で演説した。
今回の大阪W選挙は40年ぶりの投票率60%達成。
「議員も公務員も多すぎ高給すぎる」
自民 民主 共産 マスコミ 高給市職員は対抗平松支持

選挙運動最終日、石原都知事来阪応援」
国民も大阪市民も暗雲たる日本を変えてほしい願望」

大阪に注目 大阪に注目 大阪に注目・・・してね。

佐為さま思い出せば佐為さまのHPで元気をいただける幸せ
続ける事は大変な事感謝。

popuri様 お便りありがとうございます。
前回お便りをいただいたのはいつかとみましたら1年前でした。
お互いに熱かったのは2003年ごろではなかったでしょうか?
私はその後、ドンドン左傾化ならぬ、ISOに凝ってしまって今では右翼とは間違われるおそれはなさそうです。笑
いろいろな大事件が続きますが、一生懸命生きていくだけとしかいいようがありません。
私ももう引退の身、影響力などは元々ありませんが、できる範囲でがんばります。
popuri様もお元気に


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