ニイタカヤマノボレ 2012

12.12.06
三笠 もう7年ほど前になるが、2005年5月27日に横須賀の戦艦三笠で行われた日露戦争の日本海海戦100周年記念行事に行ったことがある。参列者には、中曽根もいたし、石破もいた。ロシアをはじめ多くの諸外国の武官たちもいた。もちろん私は一般人だから会場の外から式典を見ていた。
戦争も100年経てば歴史だ。敵も味方も憎しみもないように思う。
私にとって、それは遠い昔の日本の歴史に過ぎなかった。
歴史となってしまえば、たとえば日本人がモンゴルや中国や朝鮮に対して元寇を非難することはないだろう。
日本に攻めてきた元寇の兵士はほとんどが中国人と朝鮮人だったそうだ。
またアメリカに対して北米における権益をイギリスやフランスは主張しないだろう。そういう過去になることが歴史だとしよう。
もっとも中国人は、嘘の歴史を作っても尖閣どころか沖縄の領有を主張し、韓国は対馬や福岡の領有を主張する。彼らには倫理観も論理性もないらしい。あるのは、欲望だけか?

「海軍兵学校物語 あゝ江田島」という映画があった。本郷功次郎が出ていた。昭和34年である。その冒頭のセリフが「あれから14年」であった。ある出来事が起きてから14年後というのは、まだ関係者のほとんどが生存しており、そしてまた14年経てば事件が起きたときと違っておちついた暮らしをしているだろうから、そのときの出来事を振り返る余裕があるという時期だろう。「あれから14年」とは当時を記憶している人の語る言葉である。知らない人がそう言っても意味がないように思う。

いつまでが同時代なのか、あるいは身近に感じるのかはわからない。何年めが同時代と歴史のわかれめになるのだろう?
ともかく、ある出来事が起きてから71年となると、71年前の出来事に関わった人はまず生きていないだろうし、そのときものごころついた人もほとんどご存命ではないだろうと思う。すると「あれから71年」という言葉は感情的には意味を持たず、論理的にも特殊な場合以外は意味を持たないだろう。

真珠湾攻撃 さて真珠湾攻撃から既に71年になる。日本でもアメリカでも、当時士官や兵として真珠湾で戦った人のほとんどは鬼籍に入られたことだろう。真珠湾も歴史になりつつある。いや、現在の若い人にとっては関ヶ原や明治維新と同じく既に歴史となっていることは間違いない。

私にとって第二次大戦は自分の体験ではないが、身近にその名残はあった。両親も先生も親戚もなにかにつけて戦争の話をした。
道を歩いていて母が「この家に住んでいた人は艦載機の機銃掃射で死んだ」とか、学校で校庭の仕事などしてつらいとか喉が渇いたというと、「戦争のときは学徒動員でもっとつらかった」と先生に言われたし、英語の先生は戦争中、捕虜と英語で話したとか、近所のおじさんがシベリア抑留はつらかったとか、まあそんな話は日常茶飯事だった。
私が子供の頃は、塀とかに銃弾の跡がまだ残っていた時代だ。私自身も艦載機が銃撃と共にばらまいていった空薬きょうをみつけたりした。

このように太平洋戦争は身近な存在だったが、しかし私が20歳の時、70年前といえば、ちょうど日清戦争と日露戦争の間である。当時の私にとって、日清戦争や日露戦争となるとはるか遠い昔であった。当時であっても日露戦争の従軍者あるいは同時代に生きていた人の話を聞いたことはない。私が13くらいまで生きていた祖母は、日露戦争のとき二十歳くらいだったはずだが、田舎に住んでいた人にとっては遠い世界のことだったらしく、日露戦争についての話を聞かせられたことはなかった。
そんなわけで私にとって、日清戦争や日露戦争は関ヶ原と同じく過去の歴史に過ぎなかった。石田光成や徳川家康と、乃木将軍や東郷平八郎の自分からの遠さは同じである。

70年も時が経つと、すべては風化して、細かな手ですくえないような細かい砂に化して風と共に彼方に消えていくのだろう。
「ニイタカヤマノボレ」も今に「賽は投げられた」とか「敵は本能寺にあり」あるいは「大垣、わが手に入る」というような過去の戦いの名セリフのひとつに過ぎなくなってしまうのだろう。いや、既にそうなっているのかもしれない。

12月2日に、ニイタカヤマノボレを発信した船橋市行田公園に行ってきた。ここには以前も行ったことがある
その日は霜が降りたほど寒く日中でも6℃か7℃しかなく、休日の昼であったが公園に人影はなかった。記念碑の台座にニイタカヤマノボレの信号を発信したことを書いた名板がついていたはずだが、行ってみると「ここにあった銅名板は現在修理中です」と看板が付いていて取り外してあった。
ニイタカヤマノボレを発信してから、戦争がはげしくなり、敗戦となり、無線塔跡地をアメリカ軍が使い、やがて返還されその記念碑がたてられ、その記念碑も傷むほどの時が経ったのだ。
無線塔のあった所



名板がとりはずされていた →
銅板がとりはずされた箇所に「ここにあった銅名板は現在修理中です」と看板がかけてある。(2012.12.02撮影)
無線塔の記念碑
このウェブサイトを開設した12年前は、今より少しはニイタカヤマノボレに時間が近かったが、時は歩み続け、段々と遠ざかってしまった。そしてすべての出来事は色が薄れ、セピアどころかもう写真の影が薄くなってきている。そしてやがては印画紙に何も残らないのだろう。
いずれは日本という形も失われてしまうのだろうか。
死んだ人には勝てないように、人は時間に勝てない。
いつか真珠湾攻撃は、トロイ戦争やヤマトタケルのような神話に残るだけなのかもしれない。
私は疲れたのだろう。老人になったというのかもしれない。

これがほんとうにニイタカヤマノボレの最終回で、来年はもう書くことはないだろうと思う。

過去のニイタカヤマノボレの駄文でございます。
 ・2012年
 ・2011年
 ・2010年
 ・2009年
 ・2008年
 ・2007年
 ・2006年
 ・2005年
 ・2004年
 ・2003年
 ・2002年
 ・2001年


ニイタカヤマノボレ 2013

13.12.08
1941年12月2日に大東亜戦争は始まった。嚆矢となった真珠湾攻撃から72年経つ
、真珠湾攻撃を知らないですか?
真珠湾は有名だろうと思ったが、ハワイ観光名所とか何々スポットというリストには載っていない。
知らない人が多くなるのは当然です。時代ですね・・・
私もそう思うんですよ。このウェブサイトを作って早12年、真珠湾はどんどんと遠くなっています。ハッブルの法則みたいで、時と共に遠くなっているようです。
でも日本人なら、決して真珠湾攻撃を忘れないでほしいですね。
そして「ニイタカヤマノボレ」と「トラトラトラ」を忘れないでほしい。
おっと、忘れる前にそれがなにかを知ってほしいのです。
私たちの先達がどれほど苦しみ戦ったのかも知ってほしい、そして忘れないでほしい。
実を言いまして、昨年、もうニイタカヤマノボレについては書かないと書いたのですが、ネットの友人あらま様から今年もニイタカヤマノボレを書けというメールを頂いたので書いたのです。

昨年まで毎年書いた駄文はこちらを参照願います。

飛び立つゼロ戦
航空母艦「赤城」艦上から飛び立つ零戦


真珠湾攻撃73周年

14.12.07
真珠湾攻撃から73年もたつ。今の日本人1億2千万のうち、真珠湾攻撃と聞いてすぐにわかる人はいかほどいるものだろうか?
真珠湾奇襲を振り返ったSF映画「パールハーバー」なんていうアメリカ映画もあったが、それからももう13年経つのだ。
最初に真珠湾攻撃を書いてから本日で13年目になる。そんなふうに誰からも忘れらているようなことを、よくも飽きずに毎年書き続けているものだと自分自身呆れている。
だが虚仮の一念という言葉もあるし、継続は力とも言う。普通の人がしないことをひたすら頑張るのも意味があるかもしれない。もちろん意味がないかもしれない。
果し合い
人から聞いた話だが、昔侍が刀を抜いて切り合うと、切り合うなんてよりもお互いにへっぴり腰で腰が引けて誰かが止めてくれるのを待っていたという。池田屋事件も人を切るという覚悟の有り無しでキルレシオ(切るレシオ?)が違ったのだろうか。
キルレシオとは「kill ratio」、撃墜対被撃墜比率のことで、空中戦の結果の撃墜した数とされた数の比のことです。
自分の命をかけて闘うというのは、ものすごい勇気が必要だと思う。それは現代でも同じで、イラクであろうとウクライナであろうと、主義主張に関わらずどちらの兵士もものすごい勇気があると思う。
73年前、空母を飛び立った日本人の飛行機乗りも、またパレンバンに飛び降りた落下傘兵も、勇気があったと思う。もちろんそれ以前の支那事変からそれ以降の硫黄島、沖縄まで、どこであろうと日本のために戦った人たちの勇気も尊敬する。

しかし勇気が必要なのは戦場だけではない。今現在の日本でだって勇気が求められている。
世の中には韓国によるジャパンバッシング、ジャパンディスカウントがあふれ、在日韓国人の特権がはびこっている。中国によるちょっかい、尖閣侵犯、小笠原の強奪、対馬が韓国領土だといい、だから対馬の仏像など文化財は韓国の物だという論理、北朝鮮による誘拐事件(拉致)はいまだ解決していない。
このように特定アジアによる理不尽はし放題だ。そういうことにオカシイゾと声を上げると、それはヘイトスピーチだと、かえって批判される事態である。有名俳優が日本を貶める発言をし、新聞社がねつ造報道をし、サヨクが韓国を持ち上げありもしないことをでっちあげて日本が悪いと騒ぐ。サヨク政治家がヘイトスピーチを規制する法律を作ろうとし、在日の暴力事件やヘイトスピーチは良いという。
サヨク映画監督やサヨク歌手、サヨク評論家、サヨク漫画家、サヨク大学教授、サヨク芸能人、そういった連中は、中国韓国に謝るべきだと講演し、マスコミはそれを大々的に報道している。
それって、おかしいじゃないか?
サヨク 悪いことをしていないのに謝ることは、悪いことをして謝らないのと同じ間違いである。だけど、今の日本ではそんなおかしな考えがはびこっているのが実情だ。
そういう状況だけど、そんなことに対しては黙って大人しく生きていくのがあるべき姿だというようなお方も多い。ネットで床の間に飾っておくような日本人論を上品に語る人もいる。ネット右翼を叩くことが生きがいのような人もいる。八方美人で無難なことしか語らない人もいる。
そうじゃないだろう! そんなバカバカしいことに私は納得できない。
そんな人たちは己の生き方、行動に誇りが持てるのか? 行動するのが怖いのか?
つまり勇気がないのだろう。

日本人が悪いことをしたなら謝るのは当然だ。だが特定アジアによる捏造、なすりつけ、うそ800ならば、断固反論し、間違えた人、ねつ造した人を糾弾するのは正しいことじゃないのか?
それこそが勇気ある人のとるべき道ではないのか?
私はヘイトスピーチと言われても、ネットで叫ぶ、政党や官公庁や新聞社に意見メールをじゃんじゃん送る、そして機会あるかぎり同意するデモに参加してきた。特に今年はデモ参加も数えきれない。
私の行動を批判することはたやすい。だがなにもしなければ何も変わらない。特定アジアやサヨクの言いたい放題にされていていいのか?  読まない買わない朝日新聞 在日特権に押しつぶされ日本人は奴隷のように貢ぐしかないのか? 「この国を日本人のものにしてはいけない」と語る在日をどう思うのか?
私は立ち上がれなんては言わない。後に続くを信ずとも言わない。ただ私は考え、そして行動しているのだと言いたい。仮定形とか未来形ではない。現在完了進行形である。
私はバカなんだろう。しかし少しは勇気があることを認めてほしい。
戦場で戦った先人ほどの勇気はないが、なにもせずに私を批判している人よりは少しは勇気があるだろう。
願わくは、少しでも成果がありますように。いや、少しでも戦果がありますように。
来年も戦います。

一日早いのはあらま様から催促がありましたので、気がせいてアップしてしまったというわけです。
昨年まで毎年書いた駄文はこちらを参照願います。



あらま様からお便りを頂きました(2014.12.07)
おばQさま、
 「ニイタカヤマ・・・」の連載を、毎年、楽しみにしているひとりです。
日を待たずに急遽 UP させてしまったようで恐縮ですが、おばQさまの連載と、「忠臣蔵」がくれば、ようやく この一年が終わると言うものです。
当時の日米開戦の覚悟を知ることは、日本人として当然なことと思います。
開戦に至った決意と勇気、その軌跡を知ることは、これからの日本人のあり方を考える上で重要であることは おばQさまが仰るとおりだと思います。
そして、現今の海外の不正や圧力に屈せず、それに正しく反応することが、今の日本人に大切なことだと思います。
そういった気持ちを新たにして新春を迎えることができることは、幸せなことである・・・ということで、おばQさまにおかれましては、ますます元気に活躍されることを願うしだいです。
小生も、有害なサヨク思想を一掃するために蜂起を呼び続けたいと思っています。
どうぞ、ご老体をいたわりつつも、頑張ってください。
( 「ご老体」は、余計でしたか・・・。失礼しました。)

あらま様 毎度ありがとうございます。
今日の午後は地区の囲碁クラブに行ってきました。メンバーは10人もいません。最高齢は90何歳とかで、80代、70代がそれぞれ数人、一番若手が私です。
コップ酒片手に、病気で入院するとか、血液検査でPSAが高いとか、そんな話ばかりです。しかし年配者は戦争に行ってますし、若い方でも戦後復興のとき頑張ってきた方ばかりです。不肖私もこの日本に少しは貢献してきたかという自負もあります。
しかし現時点、日本の立ち位置はだいぶ不透明となってきましたし、中国や韓国が暴走するとどうなるかわかりません。明日にでも暴走しそうな雰囲気です。あげくに国内にはとんでもない連中が大勢いるわけです。
老人や若い人が安心して住める国、それは安全保障が第一でしょう。国防は最大の福祉とも言います。そういう日本にするために、なにをどうするのか、これは悩みがいがあります。
まあ、熱くならず、しかし冷え切らず、実行していくつもりです。
まずは衆院選でサヨク撲滅ですね、よろしくお願いします。


R2様からお便りを頂きました(2014.12.15)
真珠湾攻撃73周年 について
ただヘイトスピーチに関してはもはや法規制もやむなしの段階まで来たでしょう。
なぜなら私も外参権や人権擁護法案の反対に同意してはいました。その手の多文化多民族共生なんてちと受け入れがたいものですもの。
ですが在特会をはじめとする彼らはもはや異民族への憎悪と侮蔑にのみ進展している。ようは単なる自己の不遇感とコンプレックスを根底にもつ憂さ晴らしの場でしかない。在日特権だってもはや根拠のないデマだとだんだんわかってきている。そこにはすでに政治的主張といったものはなく民族に対する憎悪でしかなくなってしまった。こんなものを正当性があるなんて言うのはKKKにも正義があるなんて言うようなもの、あるいはネオナチの言い分に理解を示すと言ってるのも同じです。

そういえばアメリカは門戸開放の名のもとに日本の満州権益を放棄しろと迫りましたよね。そして今日TPPを押し付け日本の関税などの障壁撤廃を強要している。中韓ばかりに怒りを覚えるのに、なぜ保守は日本の主権を踏みにじるアメリカへの不信と怒りが湧かないのでしょう。

R2様 毎度ありがとうございます。
正直言いまして、R2様がなにを主張したいのか私は分りません。あなたの主張に反対だとか同意できないという以前に、あなたは誰の行為なり発言なりの何を問題として、その根拠なりあなたの主張なりがはっきりしていないからです。
私への批判であれば具体的に記述してください。あなたがご自身がまっとうだと思うように、私は自分がまっとうだと思ってそれなりに活動しているわけです。
あなたが世の中一般に対する不満を述べているなら、あなたのウェブサイトなりブログなりで頑張ってほしいと思います。私はあなたの不満のはけ口ではありません。

このウェブサイト開設以来14年間、反対勢力であろうと、いかなる批判であろうと掲示することをモットーとして運営してきました。その方針により今回はあなたのメールをここにアップしました。
しかしながらこのウェブサイトの管理責任は私にあり、掲載したコンテンツあるいはコメントにより問題がおきた場合の責任は投稿者ではなく私にあります。よって以降私が掲示に値しないと考える場合はアップしないかもしれません。



ひとりごとの目次にもどる