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タナゴの稚魚 (2007/07/14)
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タナゴの赤ちゃんがうまれました。
7月初旬、イケスを覗くと、小さな生き物が動いていました。よく見るとタナゴの稚魚。さらに探すと、水草のあたりを10匹以上の稚魚が一生懸命に泳いでいました。
飼育を初めてから3年。やっと待望の稚魚の誕生です。
タナゴは、繁殖時期になると、オスは綺麗な婚姻色となり、メスには長い産卵管が出てきます。タナゴは、この産卵管を使って、ドブ貝などの二枚貝に卵を産み付ける、とても神秘的な魚です。多分、オシャレで、平べったい魚という意味でしょうか、子供の頃は「シャレビタ」と呼んでいました。。
二枚貝を覗くヤリタナゴ
外来種のタイリクバラタナゴを始め、ゼニタナゴ、子供の頃捕まえたヤリタナゴ、比較的大型のカネヒラと、タナゴにはいろいろな種類がいます。しかし、日本古来種のタナゴは絶滅の危機に瀕しています。
ここ、3年間、タナゴ(ヤリタナゴ)を飼育するため、井戸を復活させ、ポンプも新たに購入し、庭先に池も作りました。そのほか、小型水槽、大型水槽、角槽(イケス)といろいろな飼育方法も試みました。でもタナゴの稚魚は、なかなか生まれません。
庭に作った池
毎日、朝と晩に餌をやり、ポリボックスに水を汲み置きしては、これを使って2週間おきに、水槽や池の水をすこしずつ交換をしました。雨が降れば、洗濯物を取り込むより先に、池に蓋をしました。ヒキガエルが池に入らないように、1時間おきに池を見張ったこともあります。夏の熱い日には、スダレをかけて、池の水温が上がらないように注意しました。
実を言うと、水の交換以外は、ヒキガエルの見張りを含めすべて女房がやっています。女房にとっては非常に迷惑な話と反省しています。でも、ここ3年間は、家族から馬鹿にされる程タナゴにエネルギーを注ぎこんできました。完全にオタクの世界に入っています。
今回、イケスで、10匹以上の稚魚を発見した時は、子供と大騒ぎをして抱き合って喜びました。何故か、女房だけは冷めた目で見ていました。コップに稚魚をいれて何枚も写真をとりました。長女、長男が生まれたとき以来の感動です。
稚魚が生まれたイケス
下の写真で、親のタナゴと比較するとわかりますが、生まれたばかりの稚魚は本当に小さく、髪の毛と間違える位です。
なぜこれほどタナゴにエネルギーを注ぐのか自分でもよくわかりません。
稚魚が生まれたことを契機に、その理由を自分なりに考えてみました。

左 見えない位小さいタナゴの稚魚 右 大人のタナゴ
3年前に、息子と小川でタナゴを捕まえたことをきっかけに、タナゴの飼育を始めました。とっかかりは、子供の社会勉強のためでした。子供はいつものように途中で面倒を見なくなり、以後は、私が我家のタナゴ担当となりました。
タナゴの捕獲
でも、日本の四季は変化に富んでいます。都心でタナゴが生きていく生態系を維持することは、非常に難しく、暑い夏や厳しい冬を乗り越えられないタナゴが何匹もいました。
小川で元気に泳いでいたタナゴを捕まえ、そして死なせてしまったことに、何か、後ろめたい気持ちを感じています。稚魚を増やせば、その罪滅ぼしができると考え、必死にタナゴを育てました。
また、子供の頃、千葉の小川には、タナゴが捨てるほどいました。小学校の帰りに、近所の悪ガキと一緒になって、ドジョウ、フナ、タナゴをとったことを思い出します。タナゴは、トンボ、蝉などと同じく、子供の頃の大切な登場人物なのです。
でも、昔遊んだ小川は、コンクリートの川に代わり、農薬汚染も加わって、二枚貝(ドブガイ、イシガイ等)が死滅してしまったため、タナゴは子孫を残すことが出来なくなってしまいました。
かろじて生き残ったタナゴも、繁殖力旺盛な外来魚に駆逐され、あれほどいたタナゴは、現在では、一部地域を除き、壊滅状態になっています。
滅び行くタナゴの話を聞くと、あたかも、学んだ小学校が取り壊され、或いは、子供の頃の懐かしい写真が捨てられてしまったような、とても哀しく寂しい気持ちになります。
私の訪れたい遺跡の一つに、南米のマチュピチュがあります。マチュピチュは、スペイン人によって滅ぼされたインカ民族が残した壮大な遺産です。滅んだ文明、滅ぼされた民族には、何故か引きつけてやまない哀愁を感じます。タナゴとインカ帝国。共通するのは滅びゆくことの哀しい運命です。
滅びゆくタナゴを、稚魚を増やすことで少しでも救ってやりたい。大げさですが、そんな気持ちもタナゴを飼育している理由の一つです。稚魚が生育したら、生態系を壊さないように注意して、捕獲したふるさとの小川に戻してやる予定です。
しかし、今の環境破壊がこのまま進めば、遅かれ早かれタナゴは全滅してしまうでしょう。環境破壊の例として、よく氷山の氷解があげられますが、タナゴは、身近にいる環境破壊の被害者であり、警告者であると思います。こんなか弱い魚さえ守ることが出来ない人間に、本当に環境問題を解決する力があるのかと、疑問を感じてしまいます。
崩壊するアラスカの氷山
タナゴが安心して住める環境が、一日でも早く実現することを望まずにはいられません。
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