ウェブサイト開設15周年

2016.08.11

ウェブ開設は正確には8月13日ですが、お盆に帰省するので数日早く記します。

個人が作っているウェブサイトの平均寿命は非常に短く、3・4年も続けば長いほうだと聞く。私の知り合いの多くもウェブサイトを作っているが、極端な人は開設して一度も更新せずにおしまいとか、せいぜい数か月で飽きたとか忙しくてそのままとか、何年か放置していたらいつのまにかプロバイダが削除していたとか、まあそんなケースが多い。
もっともウェブサイトをhtmlでシコシコ書いていたのはもう10年も昔で、その後ブログになり、ツィターになりフェイスブックになりと変遷はあるが、やはり何年も継続しているものは少ないだろう。
そんな中でこのウェブサイトは開設から15周年を迎え、いまだに毎週複数回更新し、累計アクセス250万となれば立派なものだと思う。とはいえ、私は単に長く続けることが目的でもなくアクセス数を稼ぐことが狙いでもない。私がこのウェブサイトを作ったのはそれなりの願いというものがある。

私がウェブサイトを作ろうと思い立ったのは今から15年前のことだった。そのいきさつは過去に何度も書いた。簡単に言えば閣僚の靖国参拝が問題になったとき、世の中に私の思いを発言したかったからだ。

開設時のデザイン
15年前に作ったときのデザインはこんなものでした。
作るぞと決心して数日で作りましたんで簡単なものです。そのときはまさか15年も続くとは思ってませんでしたし。
とはいえ1年くらいは続けたいとは思っておりました。

私の思いとはかいつまんで言えばこういうことだ。私の叔父二人が戦死している。戦争が終わってから町村合併する前の小さな田舎の村がその村出身の戦死者の墓を作った。とはいえお金がないから一人一人ではなく連続したコンクリートの上に、一人一人の名前が彫られた小さな石が置かれた粗末なお墓である。数えたことはないが20個くらい並んでいる。だから2000人くらいの村から相当な戦死者が出たわけだ。
実は日清・日露はもちろん支那事変くらいまでは、戦死者には村が立派な墓を作ったのだが戦争が激しくなるとそんな立派な墓を作ることができなくなりそのままであったが、戦争が終わってからいくら何でもとこのような簡単な墓を作ったと聞く。普通は家ごとの代々の墓しかないわけだが、やはり戦死者にはそれなりの墓を作ろうという気持ちはあったのだろう。































実際には20人くらいひとつの土台の上に載っている。
階級はほとんど戦死して二階級特進したものだから、軍曹は兵長、中尉は曹長クラスだろうと思う。村出身者で階級が上の人は少なかったのがわかる。

戦後ずっと、そのお墓に私の父が父から見た弟である二人の命日、お盆、お彼岸に私を連れて線香上げに行った。私は総領だから親父が死んでから二人を祭るのだと言いきかされたものだ。父には戦死した他に兄弟4人(私から見て伯父、叔父、叔母)いたが東京に出て行ったり転勤族だったりして、ほかの兄弟がお盆お彼岸に来ることはめったになかった。長男が東京に行ってしまい田舎に帰ることもなかったので、親父は戦死した弟のことを私に託そうとしたのだろう。長男(私から見た伯父)は親父より長生きしたが、弟の墓は頭になかったようで、本人もその息子も孫も田舎に墓参りに来たことがない。
父は1980年に死に、叔父叔母も年の順に死んだ。そして私も仕事のために都会に2002年に流れてきて、それ以来 年に一度お盆に線香上げに行くだけだ。お彼岸だ命日だとイベントごとに行けるわけではない。
線香 叔父叔母はその子供たちあるいは孫たちが家で線香をあげているだろうし法要もしているだろう。しかし若くして戦死した叔父二人は結婚もしておらず子孫はいない。だから法要をする人もなく命日と言ってもお墓に花を上げる人もいない。それどころか田舎の村が作ったお墓の土台のコンクリートが長い年月で劣化しボロボロと崩壊しつつある。
悲しいじゃないですか。国のために戦争に行って、戦死して、粗末なお墓に入って、そのお墓に花を上げてくれる人もいないって、
国家が戦死者を弔うのは必然です。だって国のために戦って死んだのです。もちろん一人一人のお墓参りすることはできない。だからこそ戦没者を祭る靖国神社に国家を代表する首相以下代表者が参拝するのは当然だと私は思う。本当は天皇陛下も参拝しなければおかしい。昭和天皇は東条英機が嫌いだったから参拝しなかったとか聞くが、そんな重大なこと天皇の好みでどうこうできることじゃないだろう。少なくても天皇は私の叔父への義務を果たしてほしいものだ。

靖国神社

日本には、靖国には戦犯が!とか軍国主義が!とか言う人やマスコミがあること自体異常である。私はそう思う。サヨクであろうと共産党であろうと、日本のために戦い亡くなった人への感謝の心を持たないのは人間じゃない。私はそういう輩が理解できない。
国家は戦死者への義務を果たすべきだ、私の思いはただそれだけだ。

だから今から15年前に私の思いを首相官邸や各政党にメールを出したが継続的に見てほしいと思ったからウェブサイトにそれをアップした。もちろんウェブサイトを作ったからと言って見てもらえるあてがあるわけではないが、何もせずにはおられないという心境だった。

そのとき私はhtmlの書き方も分からないし、ウェブをどんなふうに運営したらよいかも分からない。敵対勢力に絡まれたことも多々あったし、同志であってもお便りをされた方と会うべきか会わざるべきかなども考えてしまった。だってハンドルネームしか知らないのだから、まっとうな方なのか、敵対勢力なのかわからない。そんなこともウェブの先輩諸氏からアドバイスをいただいて対処してきた。
お会いした同志の多くもその後ウェブサイトを廃止していて、今どうしているかわからない。まあ15年もたてば普通の人は住むところも変わるだろうし、勤め先も変わるだろうし、引退した方もいるだろう、家族も独立したり増えたり減ったりするだろう。病気になったりお亡くなりになった方もいるに違いない。いまだにウェブサイトを維持しているほうが希少だろうとは思う。
しかし私は老醜を晒そうと頑張るつもりだし、頑張っているつもりだ。従軍慰安婦の嘘、百人切りの嘘、南京虐殺の嘘を広めた新聞を撲滅するまで、韓国の反日を止めるまで、中国の覇権を止めるまで、日本国内のサヨク、反日勢力と戦うことを止めない。

過去15年間、日本はまっとうになったのかと振り返れば全然変わっていない。私の願いである閣僚の靖国参拝もかなわない。一部の閣僚が参拝するとサヨクは大騒ぎ、マスコミは犯罪者であるかのように報道し、外国から内政干渉が入る。そして一般国民はそういう扇動に流される。

今年もまた終戦記念日となるが、日本国民の意識が変わらないことが非常に悲しい。叔父たちは私が死ぬともう誰からも花も線香も上げてもらえないだろう。
とはいえ、サヨクに白旗を上げる気はない。生きている限り年に一度であっても叔父の墓には線香上げに行くつもりだし、ウェブには靖国参拝をしようと書き続けよう。そしてサヨク撲滅のためには体のきく限りデモその他の具体的行動をしようと思う。従軍慰安婦捏造の朝日新聞が崩壊するまで抗議行動をしよう。慰安婦にしても南京虐殺にしても、朝日新聞をはじめとした日本のサヨクが作り相手国にそして世界に広めた問題であるのだから、日本国内のサヨクを叩くことがまず基本だろう。そのために本当に微力ではあるが私たち一人一人が行動しなければならない。まずは自分が動かなければならない。毎年セミの声を聴き汗が流れるたびにそう誓う。今年も本日ここに改めて誓う。

少しだけ良くなったかと思うことがある。
都会に来てから毎年何度も靖国参拝をしているが、そのたびに若い参拝者が増えているように思う。心強い。

落ち葉 過去の駄文もお読みいただければ幸いです。
なぜ書かないときがあるのかと言えば、正直忘れてしまったときもあるのだが、自分の心を奮い立たせる必要があるときは書いている。
今年は中国が尖閣諸島をとろうと何百隻という漁船と中国の巡視船を繰り出してきたし、韓国は従軍慰安婦増を世界中に建てると宣言したし、北朝鮮が核ミサイル開発を進めている今、自分ができることを少しでもしようと改めて自分に言い聞かせたということだ。


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