福本 武久
ESSAY
Part 4
 福本武久によるエッセイ、随筆、雑文などをWEB版に再編集して載録しました。発表した時期や媒体にとらわれることなく、テーマ別のブロックにまとめてあります。
 新聞、雑誌などの媒体に発表したエッセイ作品は、ほかにも、たくさんありますが、散逸しているものも多く、とりあえず掲載紙が手もとにあるもの、さらにはパソコンのファイルにのこっているものから、順次にアップロードしてゆきます。
ビジネスマンの風景……会社人間の未来
初出:雑誌「経済往来」(経済往来社)1978年 9月号  (1978.08)

 海 の 魚 と 川 の 魚



 会社勤めをしながらモノを書いているぼくは、この春入社以来初めて人事異動の当事者になった。勤め人(あえてサラリーマンとは言わない)が、いかに変化に弱い人種であるかということを身をもって体験する結果になってしまった。
 辞令はいきなり口頭で真正面からやってきた。書面で肩口からやってくるものとばかり思っていたので少しばかり面食らった。そればかりか、翌日から新たな職場に就くことになった。書面による辞令が新たな上司かの手から届けられたのは二週間後であった。全くみごとな斬られ方をしたものである。
 企業に身を置く人間にとって人事異動は日常であるといわれる。だが、それは渦中にいない他人の眼からの発想であろうと思う。人事異動には通常次の三つのケースがある。
(1)勤務地はそのままで所属、職務内容が変わる。
(2)所属、職務内容はそのままで、勤務地のみが変わる。
(3)勤務地、職務内容、双方ともに変わる。
 ぼくの場合は(3)で、最も分が悪いケースであった。
 人間に体温があるように、生きものである企業にも、その各組織には特有の温度があるように思う。適切なことばではないが仮に、組織温とでも呼んでおこう。同一企業であるにもかかわらず各セクションには固有の組織温が形成され、それぞれどこか徽妙に違っている。他の組織から新たに組み入れられた者はそのセクションの組織温に自己の体温を適応させなければならない。
 十三年もの間、同じセクションに居つづけたぼくは転任当初、何故か肌寒く感じた。たえず躰が小刻みに震えていたように思う。そんな時、帰宅したぼくを視た家人は「死んだような顔してる」と言った。まるで形相まで変っていたという。なんともみっともない話である。
 勤め人を魚にたとえるなら淡水魚ではなかろうか。しかも渓谷の清流にしか棲めないたぐいの魚である。枝川にしか棲まないこの種の魚は企業の一組織に生きる勤め人と似かよっている。それに対し企業は海に棲む魚である。淡水と海水に両棲しうる魚は海の魚に多いように思う。自身を取り巻く社会、経済環境に敏感に即応し存続する企業は、まさに海の魚のイメージである。
 異動の辞令を拒否して脱サラを敢行した人達を何人か身近に見て来ている。「辞めることはないのに」と誰もが言う。けれども彼らは新たなセクションの組織温に自己の体温を順応させることが我慢ならなかったのであろう。さしずめ渓流に棲む山女とでもいおうか。
 企集を取り巻く環境は依然として厳しい。高度成長の終焉とともに訪れた混迷期か続いている。低成長時代といわれるがそれに続く新たな経済路線を摸索しているのが実態であろう。それほ何であるか定かではない。けれども、これまでのように、ひたすら利潤の追求のみに走る姿勢では存続は危くなるのではないか。自身を取り巻く社会環境との調和、あるいは、そこに働く従業員との調和なしには生きて行けないのではないかと思う。
 海の魚、企業は現在、体質改善、贅肉落としに懸命である。合理化が進められ、そてに働く従業鼻は多様で広範な能力が要求されようとしている。いわば従業員の量的確保の時代から、質的確保の時代になっている。どのようにして優れた人材を結集するか、またそうした人材を逃がさないようにほどうするかは深刻で重要なテーマのはずである。
 だとするなら企業の従業員に対する態度、処遇はもっと熟慮されてしかるべきである。
 いきなり無計画に肩口から辞令を突きつけるやり方はもう過去のものである。
 従業員を生身の人間と見ること、そしてその人間に対する真摯な対応こそ今は必要なのではなかろうか。そうして初めて企業とそこに働く者の新たな連帯のパターンが生まれてくるように思える。 


目次
海の魚と川の魚
雑誌「経済往来」(経済往来社)1978年 9月号 (1978.08)
机と椅子
雑誌「商工にっぽん」(日本商工振興会)通巻499号 (1989.05.15)
ロクでなし″とワカラズヤ″
NOMAプレスサービス」 No.449 (社団法人 日本経営協会) (1986.06)
Eやんの見事な年金生活
雑誌「年金時代」2004年4月1日号(社会保険研究所) (2004.04.04)
運転しながら化粧をしないで!
雑誌「Forbes」2004年11月号(ぎょうせい) (2004.11)
会社人間、「勉強会」に走る
雑誌「プレジデント」(プレジデント社)1987年10月号 (1987.09.10)
「出世レース」を疾走する「不惑」の男たち
雑誌「プレジデント」(プレジデント社)1988年5月号 (1988.04.10)
相続をめぐる「悲しき骨肉の争い」
雑誌「プレジデント」(プレジデント社)1988年9月号 (1988.08.10)
「遺書」が浮き彫りにする男の生き様
雑誌「プレジデント」(プレジデント社)1989年4月号  (1989,3.10)
23年ぶりの民間選出の理事長となった「北浜の風雲児」
雑誌「プレジデント」(プレジデント社)2001年2月11日号 (2001,1.20)
西堀流部下活性法
講座「ビジネスリーダー活学塾」(プレジデント社)

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