福本 武久
ESSAY
Part 4
 福本武久によるエッセイ、随筆、雑文などをWEB版に再編集して載録しました。発表した時期や媒体にとらわれることなく、テーマ別のブロックにまとめてあります。
 新聞、雑誌などの媒体に発表したエッセイ作品は、ほかにも、たくさんありますが、散逸しているものも多く、とりあえず掲載紙が手もとにあるもの、さらにはパソコンのファイルにのこっているものから、順次にアップロードしてゆきます。
ビジネスマンの風景……会社人間の未来
初出:雑誌「商工にっぽん」(日本商工振興会)通巻499号  (1989.05.15)

 机 と 椅 子



 サラリーマンになって間もないある日だった。外人バイヤーを迎えることになり、役員会議室に商品サンプルをならべるよう指示された。なにせ若葉マークの新入社員である。ダンボール箱をかついで営業部をとびだしたものの、まだフロアーの配置図すら頭にはいってはいなかった。ここだろう・・・…と、目星をつけてドアーをひらいて、思わずくあッ〉と短い声をあげた。レザー張りの肘かけ椅子に深ぶかと腰をおろした男が、窓を背にして机に向かっている。虚をつかれたように顔をあげたその男と一瞬、みつめあう格好になった。どうやら会議室のとなりにある専務室に、ノックもせずにとびこんでしまったらしい。専務は椅子に背をあずけたまま、眼鏡の奥から鋭い眼つきで闖入者をにらみつけていた。
「……失礼しました」
 相手の顔をまともにみることもできなかった。ただ木目模様が浮き立つ大きな机に視線をそそぎ、しどろもどろになっていた。
 大型のどっしりした椅子にはまりこんだ専務の姿は、威圧感にみちていた。新入社員の自分にあてがわれたのは、スチール製の机と肘かけのない椅子だった。その差は歴然としていた。
 あれが重役の椅子というものか……。いかにも貧相な一般社員用の椅子にすわりながら、おりにふれ苦い記憶とともに焼きついた役員用の椅子を思い起こした。
 ビジネスマンにとって机と椅子は、いわば社内における実在証明というべきだろう。社員であるかぎりフロアーのどこかに机が与えられる。もし、なくなれば……。退職、解雇のいずれかである。
 社内組織が改定されれば、自分の机がどこに配置されるのかやたらと気にかかる。配置をめぐって課長同士がいがみあうケースもある。子会社へ出向となっても、 〈机だけは、ここに残しておいてくれないか〉と懇願する者もいる。
 オフィスの机だけが、心のよりどころというビジネスマン氏も多い。帰宅してもマイホームはせまい。どの部屋もこどもたちに占領されている。もはや自分のポジションというものがない。会社の机だけが、心おきなくくつろげる場所だというわけなのである。
 椅子は机の付属品でしかない。けれどもイメージのひろがりは机の比ではない。く社長の椅子を争って……〉 〈取締役の椅子がほしい〉 などというように、役職や地位を暗喩する小道具にもなる。現実に 〈役職者〉 と 〈一般社員〉 とでは、あてがわれる椅子そのものもちがう。役つきの椅子には肘かけがある。課長用、部長用、役員用……と、さかのぽるほどに底面はひろくなり、材質もよくなってゆく。体格に関係なく、役職者には大型の椅子があてがわれるのである。どうやら椅子は職務権限の大小を象徴するものらしい。
 若葉マーク社員でなくなって5、6年後だったろうか。ある企画をめぐって、部長とはげしく対立、最後は業務命令で押しきられた。やたらと腹が立った。席を外した部長の椅子にむかって、「なにを考えてるんだ! ふとってもいないのに、バカデカイ椅子にすわりやがって……」と、思わず憤りをぶつけていた。
 ちょうどそのころだった。偶然に黒井千次の『椅子』という小説を読んだ。販売企画をボツにされた主人公は、腹いせに部長と同じ椅子を購入してオフィスに運ばせる。部長はとまどい、課長はおろおろするばかり。同僚たちはおもしろがって、主人公を部長と呼ぶようになる。新しい椅子がもたらした波紋は、やがてオフィス全体をまきこんで、一種の椅子詣でという珍現象にまで発展してゆく。目障りな部長用の椅子を、なんとか持ち帰らせることができないか‥・…。総務課長や人事課長が規則集をめくりながら困惑するというストーリーだった。自分の情況とオーバーラップして、おもしろかった。
 なるほど、こういう手があったのか……。私物なら誰も文句をつけられないだろう。オレも部長用の椅子を買ってやろうか。大真面目で考えた。総務課から事務用品のカタログを借りてきて、まる一日ながめていた。部長用の椅子と自分の椅子が価格にして、どれほどの開きがあるのか。課長用の椅子との価格差はどれほどか。給料の差と比例しているだろうか……などと、ひとり楽しんでいるうちに、妙に元気がでてきた。
 はじめて役つきになったとき、椅子だけが取り替えられた。仕事がきつくなったわりに給料は比例せず、〈いままでと、ちがうのは椅子だけじゃないか〉 と苦笑いした。
 あれは課長用の椅子をもらってまもないころだったろう。かつての専務がふらりとデスクのかたわらにやってきた。
「ちょっと、おねがいがありましてねえ」
 遠慮がちに口をひらき、周囲の眼をはばかるようにおどおどしている。
 そのころ、かつての専務もすでに退任して顧問になっていた。どういう経緯があったのかは知らないが、応接室を改造した小室に一般社員用の机と椅子をあてがわれていた。
 かんたんな事務処理を依頼され、二つ返事で了解すると、気はずかしそうに「お手数でしょうが、よろしくおねがいします」
 あまりにも丁重な物言いにとまどってしまった。もはや遠い記憶のなかに棲みついている専務とは別人だった。相手を見すくめるような威圧感はなかった。どこにでもいる人のよさそうな老人にしかみえなかった。〈机〉と 〈椅子〉 というものは、顔つきまでも変えてしまうのか。複雑な思いだった。
 たしかに課長の椅子に座れば課長の顔になり、部長の椅子を与えられれば、部長らしい顔つきになる。不思議な小道具である。しかし……である。役つきの 〈椅子〉 そのものはもちろん、それに象徴される地位や権限も、あくまで一時の借物でしかないようである。


目次
海の魚と川の魚
雑誌「経済往来」(経済往来社)1978年 9月号 (1978.08)
机と椅子
雑誌「商工にっぽん」(日本商工振興会)通巻499号 (1989.05.15)
ロクでなし″とワカラズヤ″
NOMAプレスサービス」 No.449 (社団法人 日本経営協会) (1986.06)
Eやんの見事な年金生活
雑誌「年金時代」2004年4月1日号(社会保険研究所) (2004.04.04)
運転しながら化粧をしないで!
雑誌「Forbes」2004年11月号(ぎょうせい) (2004.11)
会社人間、「勉強会」に走る
雑誌「プレジデント」(プレジデント社)1987年10月号 (1987.09.10)
「出世レース」を疾走する「不惑」の男たち
雑誌「プレジデント」(プレジデント社)1988年5月号 (1988.04.10)
相続をめぐる「悲しき骨肉の争い」
雑誌「プレジデント」(プレジデント社)1988年9月号 (1988.08.10)
「遺書」が浮き彫りにする男の生き様
雑誌「プレジデント」(プレジデント社)1989年4月号  (1989,3.10)
23年ぶりの民間選出の理事長となった「北浜の風雲児」
雑誌「プレジデント」(プレジデント社)2001年2月11日号 (2001,1.20)
西堀流部下活性法
講座「ビジネスリーダー活学塾」(プレジデント社)

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