ニイタカヤマノボレ2017

2017.12.08
このウェブサイトを作ったのは、太平洋戦争で戦死した私の叔父たちを永遠に祭ってほしいと願ったからである。祭るとは簡単に言えば、 お線香 毎年お彼岸、お盆には誰かがお墓参りして線香をあげて冥福を祈ってほしいということだ。
というのは、私の叔父たちは結婚前に戦死してしまい子孫がいない。そしてまた親戚も少子化もあり、私たち夫婦も子孫がお墓参りしてくれる見込みはないからだ。
それなら戦争に行けと命じた国が戦死した人たちを祭るのは当然だ。ゆえに天皇陛下を含め政府、国会議員が、国民を代表して靖国参拝するのは当然だという結論になる。
この論理の中に、戦犯とか中国ガーという発想に考慮することはまったくない。戦死者への参拝は日本の象徴である天皇陛下と日本を代表する国会議員の義務なのである。

参考までに: 国民を代表する者は英語で「representative」であり、これはそのまま代議士のことである。
ISOでいう怪しげな管理責任者のことではない。

千鳥ヶ淵なんてアホなことを言わないでくれ。戦争に行くときに戦死したならば靖国に祀ることをときの政府は約束していたのだ。戦争に負けても憲法が変わっても、行政法は死なず、年金その他の制度は戦争前から断絶していないのだ。

参考までに: 千鳥ヶ淵戦没者墓苑とは「戦没者」のための施設である。靖国神社は「戦死者」のための施設である。
この違いは極めて大きい。

できるなら私が戦死した叔父たちの冥福をずっと祈りたい。私は叔父たちに会ったことがないが、オヤジが元気だったときは、オヤジと一緒に、オヤジが死んでからも40年間私は毎年線香をあげ拝んできた。
だが私も既に70近い。いつまでもお祭りすることはできないのだ。
私の兄弟は子供まではいるが、全員が独身か小梨であり、孫はいない。既に私の子供も甥姪たちも40を過ぎており、これから孫の代が生まれる可能性はほぼない。
家内の方も我が家の状況と遠からずで、義弟の娘(姪)の息子が、家内の実家、義弟の嫁さん(姪から見て母)の実家、姪の夫の家のお墓三つを守らなければならないという。姪がハッキリと私と家内に言ってきた。「オバサン家のお墓までは面倒見切れないよ」
少子化とお墓
まあ少子化日本の縮図である。我々は迷惑をかけないよう樹木葬とやらを考えている。
おっと、我々に孫がいないというのは家庭の事情であり国家の事情ではない。しかし戦争に行って戦死した人くらいは、国家が祀ってくれないとかわいそうじゃないか。

そんな戦争は1941年12月8日(アメリカでは12月7日)に、ハワイのオアフ島の真珠湾(パールハーバー)で始まった。
千葉県船橋市行田公園 その時の攻撃命令の暗号文が「ニイタカヤマノボレ」である。それは船橋市行田というところにある無線基地から発信された。ここは無線アンテナの配置から基地内の道路は円形になっていて、80年後の今もその名残で道路は円形である。中に公園があり、ニイタカヤマノボレ発信の記念碑がある。

ということで私はこのウェブサイトを開設してから16年間、毎年12月になると「ニイタカヤマノボレ」というタイトルで一文書いてきた。
しかし17年目は書くのをためらってしまった。というのは私が最初にニイタカヤマノボレを書いたとき、それは真珠湾攻撃から60年目のことであった。しかし2017年となると真珠湾攻撃から76年目になる。

年表
時間の関係を考えてみよう。左の年表を見ながら読んでほしい。
私は1949年生まれで、それは真珠湾攻撃から8年後である。私が生まれたとき日露戦争は45年前、日清戦争は55年前、西南戦争は72年前、明治維新は81年前である。
もし40歳の人から真珠湾攻撃をみれば誕生日の36年前だから、私にとって第一次大戦と同じ時間、離れていることになる。
そして20歳の人なら真珠湾攻撃は生まれるより56年前となり、私にとって日清戦争と同じになる。
私が日清戦争をどう感じているかとなれば、まったく分からないとしか言えない。子供の頃、日露戦争の写真集というのが家にあった。白黒の不鮮明な写真に高級軍人が並んで写っていたり、数え切れない数の兵士が行進している写真が載っていた。それを時々引っ張り出して見た記憶がある。
しかし日清戦争となると全く分からない。写真を見たこともなく、話を聞いたこともない。それは遠い昔の出来事である。

戦争の経過とか当時どうしていたとか親や周りの大人から聞いたことがあるのは、せいぜい支那事変までだ。もっとも今は支那事変と言っちゃいけないそうで、日中戦争と呼ぶらしい。残念ながら、当時は中国という国はなかったこと、そして戦争とは宣戦布告したものをいうのである。成り行きから始まった戦いは事変という。支那が嫌いなら日中事変と言わねばならない。
ともかく支那事変は1937年勃発だから、私が生まれる12年前だ。つまり自分が幼い時にまわりから教えられることは、生まれたときよりもせいぜい干支が一回りくらいにとどまるのだろう。だから今40歳の人なら1965年ベトナム戦争、今20歳ならば1985年ソ連のアフガン侵攻が限度となる。
そう考えると、私が真珠湾攻撃に持つ心情を今の40歳の人に継承することは不可能であり、20歳の人に伝えようと考えることは間違っている。
ニイタカヤマノボレとは何か、当時の日本国民はみな決死の覚悟だったとか、これを忘れてはいけないとか言っても無意味なのだ。そして妻も子もなく戦死した人たちを祀ってほしいなんてことも意味のないことなのだろう。
すべての出来事は時と共に砂のように崩れていき、忘れ去られるのは定めなのだろう。

であれば、私はひとり、これからは戦争が起きないようにと祈るしかできないのかもしれない。しかし日本が武装を放棄すれば戦争が起きないとか、奴隷になってもいいというような教えをする政党、教師、団体をのさばらせるわけにはいかない。
私はあと15年は生きるだろう。その15年間を無為に生きるのではなく、サヨク政党、そして俗にリベラルなどと美称しているが中身は反日主義者たち、日本を貶め、日本を中国や韓国に売り渡そうとしている輩を、撲滅したい。そのために私の残りの人生を頑張ろう。それは日本の子孫への贈り物である。
以上が、このウェブサイトのニイタカヤマ最後の誓いである。

忘れてはいけない。時代は決して止まらない。
今まさに北朝鮮危機である。この危機が危機で終わるか、戦争になるのか、日本壊滅になるのか、定かではない。
そして、大事なことを忘れてはいけない。
年表をもう一度見てほしい。
戦争がなかった時期は本当に短い。この年表には日本が関わったものと、主な戦争だけ載せたが、もう少し対象を広げると、世界中で絶え間なく戦争が起きているのが現実である。

参考までに: 第二次大戦後の戦争だけでもたくさんある。次のいくつをご存じだろうか?
 ・1945年〜1954年 第一次インドシナ戦争(私が子供の頃、戦争と言えば東南アジアだった)
 ・1948年〜1971年 - 印パ戦争 実質今も続いている
 ・1948年 - 第一次中東戦争
 ・1956年 - 第二次中東戦争
 ・1967年 - 第三次中東戦争
戦車  ・1973年 - 第四次中東戦争
 ・1948年〜(継続) - パレスチナ紛争
 ・1950年〜1951年 - チベット紛争
 ・1954年〜1962年 - アルジェリア戦争
 ・1959年〜1962年 - 中印国境紛争
 ・1959年〜1975年 - ラオス内戦
 ・1960年〜1965年 - コンゴ動乱
 ・1960年〜1996年 - グアテマラ内戦
 ・1961年 - キューバ危機
 ・1969年 - 中ソ国境紛争(アジアで一番戦争をしているのは中国だよ)
 ・1974年 - キプロス紛争
 ・1979年 - 中越戦争
 ・1979年〜1989年 - ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻
 ・1982年 - フォークランド紛争(マルビーナス戦争)
まあ、大変だ!

平和とは「戦争と戦争の間」とも言われる。それどころか平和の英語Peaceとは元々は「次の戦争のための準備期間」という意味であったという。
だから永遠の平和なんて語義矛盾であるし、そんなものが存在するはずがない。国家も国民も、戦争にならないように常に努めることが必要であり、常に戦争に備えておくのは当然なのである。
自分が始めなければ戦争は起きないとか、「平和を愛する諸国民の公正と信義(憲法前文)」なんてのはアホの妄想である。アホの妄想を信じるのはバカであろう。
いやしくも国会議員とか子供たちを教える教師が考えることではあるまい。

旭日旗日章旗本日これだけは言いたい
忘れるな、日々の暮らしを守るのはあなた自身である。憲法9条は守ってくれない。
あなたの勇気だけがあなたとあなたの家族を守るだろう。
そして今私たちが生きているのは過去にこの日本を守ってくれた人のおかげであり、その人たちを忘れてはならないのである。

もしお暇なら過去に書いたニイタカヤマノボレをご覧ください。
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外資社員様からお便りを頂きました(2017.12.08)
おばQさま
毎年の読み物有難うございます。

「忘れるな、日々の暮らしを守るのはあなた自身である。憲法9条は守ってくれない。
あなたの勇気だけがあなたとあなたの家族を守るだろう。
そして今私たちが生きているのは過去にこの日本を守ってくれた人のおかげであり、その人たちを忘れてはならないのである。」

まさに仰る通りで大賛成です。 私が、このHPに出入りしているのも、そのお考えに共感しているからです。
そして、国家に殉じた人へのお参りは、国民の象徴である天皇陛下と国民の代表である国会議員の義務だとご遺族が思うのも全くその通りなのだと思います。

歴史を紐解けば、「戦前の靖国神社」は、そのような存在だったのです。
なぜ、それが戦後もできないのかを、私なりに調べた結果をご報告します。
戦後の靖国神社は、宗教法人法に基づく宗教法人です。
政治原則から言えば、特定の宗教法人の活動に、政府が関与することはできません。
敗戦後、GHQが日本を占領した時に、「国家神道」は、日本の軍国主義への関与大として解散するか、宗教法人になるかの二択を迫りました。
私は、このGHQの判断は正しいとは思いませんが、敗戦国の悲しさで従うしかありません。
この時に靖国神社は宗教法人としての選択をしました。
その後、GHQが去って、日本が主権を取り戻したときに、必要があれば宗教法人ではなくて、国家施設として見直すべきだったのだと思います。
理由の詳細は、まだ調査中ですが、靖国神社はその後も宗教法人として継続しました。
ですから、特定宗教に関与できないので、政府や天皇陛下が公式に参拝することは憲法解釈上でも、国際慣例上でも難しいのだと思います。
ちなみに、戦前はどうだったといえば、戦前の憲法でも、国家が特定の宗教を支援することはできませんでした。 ならば国家神道は何だといえば、法的には非宗教でした(神社非宗教論)
靖国神社は、国家神道の官幣大社として位置づけられ、各地にある護国神社の本社という位置づけでした。
ですから、靖国神社の国家祭礼を望むならば、各地に残った護国神社の位置づけも見直す必要もあるかもしれません。
非宗教な神社は、官幣大社として内務省が管理した神社のみで、近所のお稲荷さんや八幡社など宗教としてお祭りされている神社は「教派神道社」としての宗教施設です。
当然に、天理教、金光教など、神道系の新興宗教も、宗教団体です。
ですから、同じ「神社」という名でありながら、国家が管理する非宗教な拝礼施設が「戦前の靖国神社」なのです。
祭神としてお祭りする場合には、陸海軍が調査を行い国に準じた方を推薦し内務省が認定し、ご祭神とするという手続きが厳格に行われていました。つまり、お役人による祭神=殉職者の判定がされていました。
そして、これならば、戦後憲法でも大きな問題なく、国会議員や天皇陛下もお参りができるのだと思います。

戦後の靖国神社を考えるときに、国会議員や天皇陛下がお参りできるために、いったんリセットしてその状態に戻ることは簡単にできないと思います。
なぜならば、実在の靖国神社は、継続して存在していますから。
国会議員や天皇陛下が公式にお参りするには、国家による審査を受けた殉職者を祭る非宗教施設でないと法的な問題になるというのは、戦前から判っていたことですし、戦後でも同じです。
私のような素人が調べても判ったことなので、神社関係者や遺族会の役員などなら、判っているのだと思います。
元神職だった方に話を聞いたことがありますが、敗戦下の宗教法人の選択は、国民全体が貧しさの中にあり、ここで解散してしまうと立ち直れない危惧があったとおっしゃっていました。 豊かな現代の私たちがこのときの判断の是非を問うことはできません。
しかし、GHQが去り、日本が主権を取り戻した今、靖国神社の問題を考えるならば、それは非宗教の施設として復活できるのか、それとも宗教法人であるべきかを含めて議論をしなければ、真の解決には向かないと思います。
この部分の議論を避けて、単に国会議員や天皇陛下が参拝するべきという議論は、アンバランスなのだと思いました。
12月8日の開戦の日を振り返りつつ    外資社員

外資社員様
毎度コメントありがとうございます。
靖国は宗教の神社なのか否かとか、戦犯とは何ぞやと一般解を求めようとすると、どこにもたどり着けないと思います。
そうではなく今現在の靖国問題とは何かと考えると、そもそもそのような形而上なる高尚な問題ではありません。
靖国神社が宗教施設だからダメとか、戦犯が〜ということは終戦後から問題になっていたわけではありません。(もっとも戦犯とされた人たちが祀られたのは1978年でしたけど)
占領軍の統治から独立すると、日本の首相は参拝を再開しました。この時点では国内的に首相や国会議員の靖国参拝が問題とされたことはありません。出典をたどれませんでしたが、当時は社会党の国会議員も参拝していたという記述を読んだことがあります。
その頃、キリスト教の自衛隊員が殉職した際に、遺族が靖国に祀られることは望まないといったこと(裁判になったかどうかわかりません)はありましたが、政党や新聞社が大々的に反対活動をした記録はありません。
事の起こりは1975年に三木首相の参拝後に記者が「公人としてか? それとも私人としてか?」と質問した際に「私人として」と答えたことが、公人ではダメではないかという発想が起きたと言われています。
そして今の靖国神社問題が、いつ発祥(発症?)したのかは明確です。
1985年朝日新聞が「戦前回帰」「軍国主義」といったヒステリックな表現で「反・靖国キャンペーン」を展開し始めました。不思議なことに同月、中国(本当は中共と書きたいです)副首相が靖国参拝にイチャモンをつけてきました。中国共産党・政府の要人が靖国参拝を批判したのはこのときが初めてです。戦犯とされた人たちが合祀された1978年からではないのです。
1985年同時に朝日と中国が首相靖国参拝に抗議したことは、中国と朝日はつながりがあったと思います。朝日新聞が大好きな忖度なのかもしれません。
靖国に戦犯が祀られているとか、軍国主義がという問題は、私が知る限りこのときからです。このあたりの時間的関係をはっきりさせるべきだと思います。

宗教施設だからという意見については、そもそも宗教と無関係に人を弔うことができるのでしょうか。千鳥ヶ淵は無宗教であるなら、何をよりどころに弔うのか、理解困難です。かってのソ連でお墓に弔うとき共産主義を持ち出したなら、それは共産党or共産主義という宗教です。実は1972年頃私はソ連旅行に行って集団埋葬のお墓を見てきました。通訳によると共産党に殉じたとか書いてあるそうです。無宗教とは一般的な宗教ではなく、オーソドックスな宗教でなく、主義思想とかパーソナルな宗教であると私は考えます。
  注:マックス・ウェーバーによると宗教とは「行動様式」であるという。
基本的に「誓う」とは宗教がなければ成り立たない行為・あるいは意思ではないでしょうか。アメリカでも同じようで、アメリカ大統領就任時の「宣誓」は下記のようにアメリカ憲法で定められている。
"I do solemnly swear(or affirm)that I will faithfully execute the Office of President of the United States,"
「第2章第1条第8項 私は、合衆国大統領の職務を忠実に執行し、全力を尽して合衆国憲法を維持し、保護し、擁護することを厳粛に誓います(確約します
)」
この文言自体もアメリカで宗教との関連で裁判になったことが何度もあるそうですが、そんなの当たり前だろうというのが現実のようです。
「誓う」代わりのカッコ内の「affirm」は公式訳では「確約する」ですが、「affirm」を英英辞典でみると、to state publicly that something is true 真実となると宗教と無縁ではなさそうです。

以上まとめると、宗教法人が問題とか、戦犯が問題というのは後付けであって、元々誰も問題にしていなかった、中国も問題にしていなかったことが、ある時一転して問題になったということが目の付け所でしょう。

旭日旗 蛇足ですが、韓国人が旭日旗を嫌うのはいつからかとなると、これに歴史はありません。
2011年のサッカー日韓戦で日本人を侮辱するパフォーマンスを行って批判を受けた韓国代表・奇誠庸選手が「観客席にあった旭日旗への報復」が理由だと弁解したことが始まりだといわれています。
つまりそれ以前、戦前、戦後を通じて旭日旗が悪いと韓国が抗議したことはありません!
韓国の選手が悪さして観客からバッシングを受けて、こりゃ困ったぞとなり、そうだあの旗が悪いことにしようと思い付いた結果が今なのです。まさに嘘を100辺言えば事実になると考えているのでしょう。
靖国問題もそんなものかと思っているのです。


外資社員様からお便りを頂きました(2017.12.11)
書き方が悪かったので誤解を招いたかもしれません。
宗教や信仰と切り離した施設という意味ではなくて、国家元首や政府関係者が公式に参拝するならば、特定の宗教に肩入れしない形式が重要なのだと思います。
少なくとも、現代の靖国神社が宗教法人である限り、そこへの国家元首や国会議員の公式な参拝は、海外だけでなく国内でも問題になると思います。
この問題は、戦後に始まったのでもなくて、戦前からキリスト教系、仏教系の団体から指摘されており、その結果 政府は「非宗教の施設」という見解を示しました。
そして、宗教団体としての神道を「教派神道」、国家が管理するものを「国家神道」として政府の予算をつけたのです。 これがGHQ指令で解散されるまでの靖国神社です。
もちろん、戦前の靖国神社でも、遺族や関係者は、それぞれの信仰をもって参拝していたのだと思います。
その大多数は、神道という形式(神社のデザインや神職の服装)を問題にしませんでした。
つまり、見えない名目(法的地位)は変えておいて、形態は神道でした。
しかし、法的には、そこにいるのは国家公務員や政府から委託を受けた人々だったのです。
だから、戦前は国会議員も、政党を問わず公式な参拝をしました。
これは信仰ではなく、政治的な儀礼なのだと思います。
戦後の靖国神社は宗教法人であり、安倍首相は参拝は「個人の信仰の問題」と言っています。
そして、個人の信仰ならば、何ら問題はないのです。
周囲に強制されるものでなくて、自発的な信仰ならば、自由にされるべきなのです。
政治家は、参拝行動も、それへの反対行動も、政治的アピールに利用すべきでないのです。
もちろん、個人の信仰ならば、海外から批判をされる云われもありません。
だから、結論は「右も左も、外国も、マスコミも、境内に政治の問題を持ち込むな!」なのです。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
私の表現もかなり攻撃的で申し訳ありません。
論点は二つあると思います。ひとつはおっしゃるように国家と宗教の関わりという問題、ひとつは現実の靖国問題とは何かということです。
  • まず前者についてですが、
    そもそも天皇陛下の存在とは大嘗祭からして宗教的行為で、それを否定(排除)したら日本、日本人というものを無視すると同様です。だからそれは非宗教的なことと割り切るしかなく、判例でも自治体の地方祭への支援は慣習とか一般常識ということでOKというのが大半です。
    それに宗教を言い出したら、日本の祝日で宗教が由来のものは、成人の日、建国記念の日、春分の日、こどもの日、秋分の日、勤労感謝の日とたくさんあります。でもだれも文句を言いません。
    更に内閣首脳が新春に伊勢神宮参拝は恒例となっていますが、これを違憲だと語るブログなどはいくつかありますが、違憲訴訟までいったのはありません(判例を調べました)。
    伊勢神宮や祝日について違憲訴訟がなく、靖国神社では違憲訴訟があるというのも不思議なことで研究課題になりそうです。
  • 次に後者ですが、
    靖国参拝大反対が起きた1985年に、突如として朝日新聞と中国の日本国憲法の解釈が進んだのか、日本叩きを始めることにしたのか、あるいはそれ以外なのか分かりません。
    ただ朝日新聞が従軍慰安婦問題を1991年から大々的に始めたのは、ソ連崩壊後のサヨクの精神的バックボーンにするためと思いますし、南京虐殺は1996年の原爆ドーム世界遺産登録へのアメリカの反発なのだろうと「レイプオブ南京」が1997年だったことから思います。
    前回申しましたように、旭日旗問題もきっかけがはっきりしていると同じく、靖国問題が1985年に起きたトリガーもきっとあるはずです。そしてそれから30年、朝日新聞も中国もついでに韓国も、これは叩き甲斐があると認識して継続しているのだろうと思います。

ちょっと邪道かもしれませんが、憲法の解釈となると我が愛しき(皮肉です)日本国憲法は英語を基に考えないとなりません。なにしろマッカーサー憲法というくらいで、制定からしばらくの間六法全書には英文が併記されていて、日本文に疑義ある時は英文を基に判断したといいます。
該当条項は第20条第3項で、
The State and its organs shall refrain from religious education or any other religious activity.
私の訳ですが「国家とその機関は、宗教教育と宗教活動をしないこと」です。
では「宗教的活動」とはなんぞやとなりますが、マッカーサー(とその子分)がアメリカ憲法を基にしたのは明確です。
アメリカ憲法では修正第1条(1791)が該当します。
Congress shall make no law respecting an establishment of religion, or prohibiting the free exercise thereof; or abridging the freedom of speech, or of the press; or the right of the people peaceably to assemble, and to petition the Government for a redress of grievances.
連邦議会は、国教を定めまたは自由な宗教活動を禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、ならびに国民が平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請願する権利を制限する法律は、これを制定してはならない。(公式訳)

要するに大統領であろうと議員であろうと、宗教施設を参拝することを規制していません。マッカーサー憲法がアメリカ憲法以上に無宗教(という概念が不明確ですが)を目指したとも思えません。
アメリカ憲法の精神に則れば、首相が靖国を参拝しようがしまいが無問題です。

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