草戸千軒
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生活を物語る道具たち


 草戸千軒町遺跡から出土した遺物は膨大な量に達しますが、現在までにそのうちの五十万点ほどの整理が進んでいます。ここでは、材質ごとにその概略を説明してみました。

常滑の甕

 土器・陶磁器

 最も多く出土しているのが土器・陶磁器です。特に、土師質土器と呼んでいる素焼きの土器の出土量が多く、時代による変化をつかみやすいために、その他の出土資料の年代を決める際の指標として使われています。
 全国各地の中世陶器も出土しており、遠隔地間の交易が活発に行われていたことを示しています。亀山窯備前窯(岡山県)、魚住窯(兵庫県)、信楽窯(滋賀県)、常滑窯・瀬戸窯・渥美窯(愛知県)、美濃窯(岐阜県)などの製品が確認できています。さらに、海外で生産された陶磁器も盛んに輸入されていました。多くは中国産ですが、朝鮮産・ベトナム産の製品も出土し、草戸千軒の人々の生活が、こうした製品を通して東アジア世界と結びついていたことを示しています。(右の写真は常滑の大甕)

 土製品

 粘土を素材として作られたその他の製品も出土しています。中でも多いのが土錘と呼ばれる漁網に付けるおもりです。大小さまざまな形のものがあり、網の形態や漁法などによって使い分けられていたものと考えられます。
 円板状土製品と呼んでいるものも数多く出土しています。これは、土器の椀や皿、あるいは陶器の甕などの破片を円形に打ち欠いたもので、井戸や池を埋め戻した土の中からまとまって出土しています。しかし、どういった用途に用いられたものかは明確になっていません。

 石製品

石鍋

 石で作られた製品としては、石鍋・砥石・硯・石臼の他、石塔なども出土しています。
 石鍋(写真右)は、鎌倉時代から南北朝時代頃まで多く使われており、ほとんどは長崎県の西彼杵半島で生産されたものが持ち込まれていたようです。また、破損した石鍋を硯やおもり、あるいは温石(おんじゃく:暖めた石を懐炉として使ったもの)などに再加工したものも多く見つかっています。
 砥石も数の多い石製品で、金属製の刃物を研ぐための砥石の他にも、漆塗りの下地を整えるために使われた砥石なども存在します。砥石には、京都産や対馬産のものが含まれており、中世の段階で既にこうした砥石が各地の特産品として流通していたことを示しています。

 木製品

漆器椀の出土状況  豊富な木製品が出土していることは、この遺跡の特徴の一つです。その種類もさまざまな範囲におよんでいます。
 食事に関係する道具としては、折敷(おしき)・箸(はし)・じゃもじ・お玉杓子などがあります。漆器の椀や皿の出土量も多く、当時は最も一般的な食器として使われていたものと考えられます。(左の写真は漆器椀の出土状況)
 容器としては曲物桶・結桶・枡などが出土しています。鎌倉時代から南北朝時代にかけては曲物桶の量が圧倒的多いのですが、室町時代になると結桶の量が次第に多くなる様子がわかります。
 装身具類としては、櫛が出土しています。履物の出土も多く、下駄やわらじの他に「板金剛(いたこんごう)」と呼ばれる木の芯を藁で包んだ草履も出土しています。
 生産に関係する道具では、漆塗りのためのへら・刷毛や、漆容器が確認できます。漆工用砥石も出土していますので、この集落内に漆塗りの職人がいたことは間違いありません。また、鋤や鍬などの農具も出土しています。
 信仰や呪術に関係する製品も出土しています。人形・鬼形・舟形・刀形・陽物などの形代(かたしろ)や、まじないを記した呪符などの他、
毬杖(ぎっちょう)や羽子板・独楽(こま)といった遊戯具も、呪術信仰と深い関係があったと考えられます。こうした中世民衆の精神世界をうかがううことのできる資料は、それまでほとんど知られていなかったもので、草戸千軒町遺跡の資料は非常に貴重なものとなっています。
 木の札に墨でメモ書きした木簡は、当時の商業・金融の様子を知るための手がかりを提供してくれます。木簡の記述を分析することによって、この集落が福山湾岸や芦田川下流域の経済拠点であったことも明らかになりました。

壺の中に納められていた銅銭

 金属製品

 金属製品の中で目立つのは貨幣でしょう。中世の日本では、公式の貨幣は発行されていなかったため、ほとんどを中国から輸入した銅銭によってまかなっていました。草戸千軒町遺跡からも、二万枚以上の銅銭が出土しています。特に興味深いのは、保管された状態の銅銭がまとまって出土したものです(写真右:壺の中に保管されていた銅銭の塊)。こうした古銭の塊(かたまり)は、当時の貨幣がどのような形態で流通し、あるいは保管されていたのかを知ることができる貴重な資料です。
 その他の金属製品としては、刀や包丁などの刃物類や武器、木の葉形鋸・鑿(のみ)・手斧(ちょうな)などの大工道具、釘や鎹(かすがい)、飾り金具などの建築用具、鏡・笄(こうがい)といった装身具など、数はそれほど多くはないものの、多種多様な資料があります。

 その他の遺物

 この他に、繊維製品・紙製品といった有機質の遺物も残っていますが、ほとんどは断片で、全体像がまだ明らかになっていません。今後の分析作業が必要です。
 また、植物遺体・動物遺体の出土しており、分析が進められています。これらは、当時の自然環境と人間活動の関係、あるいは人々の食生活などを知る上での重要な資料です。特に印象的だったのは、遺跡から出土している犬の骨の多くに焼いたり、刃物で傷つけたような痕跡があり、当時の人が犬をかなり食べていたことが明らかになったことです。このように、遺跡から出土する資料は、文字に残された記録からは全く取りこぼされてしまった人間の活動を、如実に物語ってくれるのです。

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suzuki-y@mars.dti.ne.jp
1996-1998, Yasuyuki SUZUKI & Hiroshima Prefectural Museum of History, Fukuyama, Japan.
Last updated: June 10, 1998.