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後半の3連続区間賞で最終逆転!
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(2007.11.23) |
絵に描いたような逆転劇!
その差はわずか4秒……。
まさか最後の最後まで勝負がもつれようとは誰が予想しえただろうか。5区を終わってトップをゆくケニア、追いかける日本……。過去2回つづけてケニアは長距離王国というべき圧倒的な力をみせつけ男女アベック優勝を果たしている。
男女混合レースとなったとはいえ、メンバーの顔ぶれをみるまでは、ケニアが圧勝だろう……とみていた。だが駅伝は走ってみなければわからない。だから面白い。
4秒先をゆくケニアの最終6区はマラソン世界の女王・C・ヌデレバのランナー、追っかける日本は赤羽有紀子(ホクレン)……。
赤羽にとっては願ってもない檜舞台となった。先の東日本実業団駅伝では最長区間(11.1q)では高橋尚子の区間記録をあっさり更新してしまった。結婚、出産してもなおトップアスリートとして活躍しつづけている希有なランナー、日本では前例がないのである。 赤羽はタスキをもらうとただちに追撃、ヌデレバの背中がどんどんと近づいてくるのがテレビ画面でもよくわかった。
4秒差……というのはおよそ20メートルである。赤羽は800m手前で速くもヌデレバに並びかけた。しばらくは併走してゆくのだろうとみていたが、ついてこられて、もつれては……という思惑があったのか。仕掛けは意外にも速かった。
赤羽がじりじりと前に出て行く。赤羽が意識して仕掛けたのか。それともヌデレバがついてゆけなかったのか。追ってきた側の勢いというものなのか。判断はつきかねたが、その差はみるみるとひろがっていった。
区間の中盤で速くも独走態勢をつくってしまった赤羽有紀子、涼しげな面立ちにときおり笑顔がただよう。
かくして楽々とゴールテープを切った赤羽、本大会は奇しくも日本最強のママさんランナーの存在を全国規模で知らしめる大会となった。
スタートから日本とケニアのマッチレースの様相!
注目の1区(5q)は、10000m今季世界ランク4位のマサイ(ケニア)が予想通りとびだした。日本の上野裕一郎(中央大)が、果敢に追っていった。いかにも上野らしい積極的な走りが結果的に日本チームに勢いをつけたといっていいだろう。
マサイを中心にして、上野とアメリカのE・モーラムがくらいつくという展開、レースが動いたのは3.2qあたりだった。地力にまさるマサイがスパートをかけて、あっさりと結着をつけてしまうのである。
それでも上野は懸命に食らいついていた。その差がひろがりそうでひろがらない。このレースに関するかぎり、上野の粘走はみるべきものがあった。
第一中継所でのタイム差はわずか8秒ならば大健闘といっていいだろう。
1区を終わって3位は11秒差でアメリカ。アメリカは1区・エドワード・モーランは今年のパンナム大会5000mの金メダリストである。男子に関するかぎり、なかなか手強い顔ぶれをそろえてきていた。1区も持てる力どおりの走りをみせたというべきであろう。
後ろはは4位・ロシアで14秒差、千葉選抜は28秒遅れの6位、日本学生選抜は29秒遅れの7位であった。
日本の2区(5q)は福士加代子(ワコール)、日本女子長距離の第一人者、駅伝娘として知られるが、駅伝では今季初のレースとなる。世界陸上のあと故障から立ち上がって最初のレースとなるらしい。
スピードといううか、今ひとつ走りにキレがないように感じたのは、おそらくマラソン練習しているからなのだろう。タスキをもらって前半では、タイム的には格下と思われるケニアのE・チェベトに逆に11秒まで差をひろげられてしまった。
久しぶりの駅伝ゆえのことだったのか。だが後半はリズムをとりもどしたようである。ひたひたとケニアの背後に迫り、トップを奪うまでには至らなかったが、終わってみればトップのケニアとは3秒差まで迫っていた。
区間賞にはわずかにおよばなかったが、本調子ではないにもかかわらず射程距離まで追い上げてくるあたりは、さすが……というべきだろう。
流れを変えた若い力……絹川愛の快走!
2区を終わって日本とケニアのマッチレースの様相がみえてきたが、結果的にみてレースを面白くしたのは3区の攻防であった。
日本の野口憲司(四国電力)とケニアのB・シゲイは10000mの持ちタイムではほとんど互角である。
だがシゲイは1qの入りが2:39、野口は2:47……。トップとの差はじりじりとひろがってゆくばかりだった。駅伝ではよくあることだが、勢いというものがまるでちがっていた。
野口の後ろからは13秒遅れていたロシアのE・ルイバコフが急追、さらにその後ろからアメリカのS・ボウスがやってきて、2位争いがにわかに激しくなってくる。その間にトップのケニアはほとんど背中がみえないほどに先に行ってしまうのである。
残り2.5q、野口は後ろからやってきたロシアとアメリカに捕らえられて、ついに4位まで順位を落としてしまうのである。
ロシアとアメリカが激しく2位を争い、中継所ではロシアが先んじたが、区間賞をもぎとったアメリカのS・ボウスの追走はみごと、7位から一気に3位まで順位を押し上げてきた。
3区を終わってトップから53秒遅れの4位まで順位を落として、前途に暗雲たちこめた日本を再び活気づけてのが4区の高校生ランナー・絹川愛(仙台育英)であった。
唯一、高校生にして日本代表入り、怖いモノ知らずとでもいおうか。トップの選手たちに大いなる刺激を受けたせいもあるだろう。
タスキをもらってからエンジンはフル稼働、1.99qでは前をゆくロシアとアメリカをとらえてしまう。折り返しではトップをゆくケニアとの差を42秒として、中継のときは36秒差まで迫っていた。
絹川の区間賞に快走によって、ケニアに傾きかけていた勝負の流れは、一気にひきもどされ、5区竹沢の驚異的な追い上げにつながってゆくのである。
やわららかくてリズミカル、それでいて大きな走り……。故障さえしなければ、近い将来、まちがいなく日本の女子長距離界を背負うランナーになるだろう。
驚異の爆走、追い上げ急ピッチ!
5区の竹沢健介は学生にして、いまやすっかり日本のエースの風格が出てきた。大阪の世界選手権出場でひとまわり大きくなったようである。
前をゆくJ・ビンチは2007年の10000mケニアチャンピオン、世界陸上では順位を争った相手である。竹沢は猛然と追っかけ、コーナーをまがるごとにその差は縮まったいった。2qの通過が5分30秒、4qすぎでは36秒あったさが20秒に詰まっていた。5qは14:09秒で通過、6.3キロでは14秒差、7.3qでは10秒差……。
8q過ぎの坂の手前では6秒差、とうとうビンチの後ろにピタとつけてしまったのでから驚異的な追い上げである。 トラックならばともかくロードでは竹沢の経験が生きたというべきだろう。
だが相手もケニアの今年覇者である。やすやすと抜かせはしない。残り400mで竹沢は5秒差まで詰めたが、5区での逆転はならなかった。
だが、日本は3区、4区、5区と3区間つづけて区間賞を獲得、勝負の流れは一気に日本に傾いてゆくのである。
4区の若い絹川のつけた追撃の火種を、5区の竹沢がめらめらと燃えさかる熱い炎にして、6区・赤羽の逆転への布石をつくった。時の勢いとはそういうものだろう。
男女のバランスが絶妙!
日本の勝因は男女のバランスが絶妙であったこと。そして3区の野口憲司をのぞいて、5人がほぼベストに近い力を発揮したことであろうか。男子は上野裕一郎、竹沢健介という若い力でチームそのものに勢いをつけた。
女子はジュニアのNo.1というべき絹川愛、日本長距離の第一人者である福士加代子、今シーズンの駅伝では絶好調の赤羽有紀子……とくれば、現状ではほとんどベストに近い日本代表だといってもいい。
しかも女性3人のうち2人が区間賞、福士も区間賞こそ逃したが、駅伝ランナーとしては完璧に走りだったから、まさに鉄壁の布陣であった。今回に関するかぎり、日本チームは勝つべくして勝ったといえよう。
ケニアは男子の3人は強かったが、女子の3人は今ひとつ……だった。例年は日本にやってきて実業団チームに所属している、いわば在日ケニア人選手でチームを組んでくる。そうなればほとんど勝ち目がないが、今回はそうではなくプロパーのチーム構成だったから、駅伝巧者の日本選手には遅れをとってしまったようだえる。
男子も女子も、助っ人として日本の実業団チームに在籍しているケニア選手ばかりで6人を選んでくれば、日本チームはとても歯が立たなかっただろう。
女性ランナーに新しい未来?
今大会で話題を集めたのは、なんといってもアンカーで逆転トップを奪った赤羽有紀子だろう。ある意味で、今大会は赤羽のためにあったといってもいい。
赤羽は、城西大出身だが、在学時には全国大学女子駅伝で4年連続区間賞を獲得、女子大学駅伝のエース的存在だった。
1999年にはパルマ・マヨルカ(スペイン)で行われたユニバーシアードではハーフマラソンに出場、銀メダルに輝いている。
卒業後は実業団のホクレンに入社、その後、大学時代の同級生で、男子陸上部マネジャーだった周平氏と結婚している。当人は結婚を機に引退するつもりだったらしいが、会社かのほうからやってみたどうかと進められて翻意した。ホクレンはそのうえ夫の周平氏を専任コーチにするという念に入れようである。
赤羽は結婚した年の11月、5000mで世界陸上大阪大会の参加標準記録B(15:24)を上回る、日本歴代4位の15分11秒17をマークした。自身にとっては7年ぶりに自己記録を更新、結婚してさらに強くなってもどってきたのである。。
妊娠中も練習を休むことなく、出産の2日前までジョギングを休まなかった。そして出産して3ヶ月にレースへの復帰を果たした。
家族あげての協力態勢はもとより、ホクレンという会社のフトコロの深さがあればこそだが、何よりも赤羽の走りつづけようとする強い執念が周囲を巻き込んだのだろう。
世界では女性選手が出産後も競技をつづけ例はめずらしくない。ママさんランナーで世界のトップクラスに君臨する選手はたくさんいる。けれども日本では出産後、カムバックした例はない。
赤羽有紀子のケースはまだまだ特異な現象かもしれないが、少なくとも女子選手にとっては新しい未来のカタチがみえてきたといえるだろう。
レースを終えたあと、赤羽は笑顔満面で愛娘を抱き上げて姿、そして走り終えたヌデレバも駆け寄ってきて白い歯をみせ、何やら話しかけていた。なんともほほえましい1シーンというべきで、時代は確実に変わりつつある。
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出場チーム&過去の記録 |
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