福本 武久
ESSAY
Part 1
 福本武久によるエッセイ、随筆、雑文などをWEB版に再編集して載録しました。発表した時期や媒体にとらわれることなく、テーマ別のブロックにまとめてあります。
 新聞、雑誌などの媒体に発表したエッセイ作品は、ほかにも、たくさんありますが、散逸しているものも多く、とりあえず掲載紙が手もとにあるもの、さらにはパソコンのファイルにのこっているものから、順次にアップロードしてゆきます。
わが小説の舞台裏……さまざまな出会い
初出:朝日新聞  1979.03.10

ことばの知らぬ子を持って
       模索する父親の位置



 こどもの生命と健康が著しくむしばまれている時代である。情緒障害児、自閉症児、心身障害児も年々増えているという。
 私もことばの世界を知らなぬこどもの父親の一人として、不条理な日常を余儀なくされている。そしてこどもに対する父親である私のかかわり方は、母親である妻に対してどこか逃げ腰だ。
 こどもに四六時中寄り添っている母親の日常生活は、とてもことばで言い表せないほど重い。瞬間、瞬間生きることをつなぎながら、かろうじて一日を生き延びている。特に幼児期においてのこどもとのかかわりは、父親よりもはるかに深い。しかもなりふりかまわずに接している。意識的にも無意識的にもその関係は深められてゆく。


母親同士はすぐに連帯

 母親たちは躯を寄せ合い口角に泡をとばして話し合っており、父親たちはその円陣を遠巻きにして薄ら寒そうに体を揺すっている……私たちがこどもを伴って病院や教育機関を訪れたときにみかけるありふれた光景だ。だが、この構図こそが父親と母親の、こどもへのかかわりの差異をつきつけているのではないだろうか。
 母親同士はすぐにうちとけて、まるで何十年来の間柄であるかのように一日で親しくなってしまう。それにくらべ父親のさまは滑稽だ。新聞、雑誌に顔を埋めたり、たばこをやたらとふかしたり、無表情で窓の外に視線をやったりして、たがいに顔を合わせることを避けている。私もまたそうした一人なのである。母親同士の連帯はできても、父親同士の連帯はとてもできそうには思われない。
 こんな言い方をすれば異論が出よう。父親も障害児問題のために闘っていると。その戦列に連なる一人として、そのことはむろん承知している。それでもなお父親の胸の底にあって、母親には及びもつかない薄ら寒いものについて述べているのだ。


能力中心の人間評価

 父親の多くは家庭経済を支えるために仕事を持っている。こどもとの時間的なかかわりは、どうしても希薄にならざるを得ない。それは障害児を持ったことは仕方がないとしても、なおうとましいとして現実から目を背けようとする意識のぬぎいきれないところに問題があるのだ。
 これは父親のすむ日常生活に問題があるように思える。
 勤め人であり、あるいはそうでなくてもなんらかの形で働きに出る男の世界は、できる$l間だけが社会的にも経済的にも評価されるところである。つまり労働を核にしてできる$l間ができない人間を揶揄し差別する世界である。そういう意識が染みついた一歩家庭に踏み込むとき、健常でないわが子をも、つい同じ意識で見てしまう。私の妻やこどもに向ける視線も、きっと時に無機質で冷酷なものだろう。
 こどもの側にしてみれば、他人から見られ&ヰeからも見られ♀重にも差別を受けることになる。健常でなく、ことばすら持たぬ子である場合、何も言えないだけに、いっそう、その憤懣は内部に蓄積されていく。
 健常ならざる子といえども、あるいはそれゆえにこどもはそういう父親のあり方をすばやく肌で感知する。ことばを介してないだけに、虚飾のなく鮮烈である。まるで美名かんなアンテナでも持っているようにキャッチしてしまう。そして親が豊かな愛情を持っているか、自分の存在をどのようにとらえているか、折にふれ、独自のやり方で試してくる。そうしたわが子がからんできても、気付かぬ父親は、時として「うるさい」と無視してしまうことになる。
 こどもと父親の断絶の内実が救いようもなく深まっていくのは、こうしたほんの些細なことからであろう。


子から敵対的な視線

 その結果かろうじて母親を介してしかこどもとかかわれなくなってしまう。こどもは母親という鏡に映る父親とのみ対応する。母親が傍らにいるときのみ、父親である私を意識するのではないかと思う。
 妻が姿を消し、こどもと二人きりになると、こどもの側から一方的に父子の関係を断ち切られてしまう。そのとき私に向けられるわが子の視線はもはやアカの他人のものでしかない。時として敵対してくることすらある。それはまた妻である母親から夫としての私に向けられてくる敵意でもある。皮肉にもこどもと二人きりになると、よけい妻である母親の存在が夫である私の存在を撃ってくる。こどもからは敵対的な視線を向けられ、妻からも揶揄される。まったくどうしようもない挟み撃ちの現在を生きる父親の姿は、滑稽であるとしかいいようがない。
 健常でないこともはもとより、父親もまた見られる¢カ在であり、そういうこどもを持つ親として差別され、なお同時に、こどもに対しては差別者であるという痛みを引き受けて、逆に周囲に鋭いまなざしをむけていくという姿勢を獲得しないかぎり、迷路から脱出することは不可能であろう。
 こどもの内部、しかも健常でないこどもの心の中を見届け、そこに入っていくことは至難である。だが自分の位置を定かに意識する時にはじめて、母親とは異なるこどもとのかかわりがひらてくるように思える。


目次
思いがけない出会い
京都新聞 (1978.06.18)
センチメンタルなつぶやき
京都新聞 (1978.04.24)
ことばの知らぬ子を持って 模索する父親の位置
朝日新聞 (1979.03.10)
親と子に架ける虹
雑誌「こどもの季節」(ブラザーショルダン社)1979年5月号 (1979.05)
ともに生きるということ 国際障害者年″にあたって
雑誌「地域福祉」(日本生命済生会)1956年1月号 (1981.01)
ボランティアの喜びとは?
雑誌「刑政」(財・矯正協会)2001年11月号 (2001.11)
わが小説のバックステージ
雑誌「新刊ニュース」(東京出版販売)1986年8月号 (1986.08)
神明社の葭子歌碑
広報誌「ところざわ」(所沢市)1986年5月5日号 (1986.05)
集中力に感嘆 煙る海に哀愁
京都新聞 (1988.09.07)
あれから二〇年
月報「太宰治全集」(筑摩書房) (1998.11)
駅伝の歴史と駅伝競走の黎明
雑誌「てんとう虫」(株式会社アダック刊) (2010.01.01)

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