ボートを観にくると雨が降る。前日からの雨は、ひとたび降り止んだが、ときおり強い雨足が海面をただく。湾内の望も海も白濁模様の被膜につつまれていた。どうやらぼくは雨男らしい。
舞鶴漕艇場に初めてやってきたのは、昨年の五月半ばだった。小雨降りしきるなかで国体リハーサルのレースを観戦しながら、ぼくはポートに憑かれた若者を主人公とする小説のテーマを模索していた。それから琵琶湖、戸田、網走湖とオアズマンを追っかけ、長編小説『湖の子たちの夏』(本紙連載、筑摩書房刊)は今夏、ぼくの手もとから飛び立っていった。
あれから一年あまり…。本番国体漕艇競技の準決勝レースを観ながら、ふと奇妙な思いにとらわれてしまった。まるで小説の主人公たちと再会したような懐かしさを覚えたのである。ぼくの思いは、今なお虚構と現実を往き来していたようである。
二日間の予選を突破した各クルーは、眼の前で熾烈な闘いをくりひろげ、まるで東舞鶴の市街に突っこむ勢いで疾漕していった。十分間隔で海はオールでえぐられ、船先で破かれて瞬時の熱狂につつまれてゆく。ぼくがひたすらゴール前の海に密着したのはなぜか。技術、体力、コンビネーション、集中力をぎりぎりまでもとめるひたむきさに身ぶるいするからだったろう。
熱い闘いを終えたクルーの面々はゴールと同時に肩をまるめた。勝者のかがやく表情。能力の限界に挑みながら、今一歩のところで屈した敗者の虚ろな眼……。ズームレンズで目いっぱいに引っ張ったファインダーのなかで、、降り止まぬ雨に煙る海が、それぞれの表情をつつみこみ、遠くにかすむ小高い山や島影、そして東舞鶴の港の風情がひとしお哀愁をそえていた。
明日の決勝に進むクルー、敗れて去るクルー、いずれも闘い終わった瞬間、眼に焼きついた風景を、後のちまで忘れることばないだろう。二度まで濡れそぼったぼくも、雨しぶく舞鶴の海をおりにふれ想い出すにちがいない。
(京都国体 ボート競技 観戦記)
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