2001年開設時のトップページ |
注:実際にhtmファイルを数えたら2,334個あった。
さらに言えば、あと6年後、2026年にはウェブサイトの歴史が、わが人生の三分の一に達する。人生の半分になるのは2053年、104歳のときになる。これはまあ無理だろう。
いずれにしてもこのウェブサイトは私の子供のようなものだ。私の、不満、怒り、意思、希望、そういったものを真っ正直に吐き出した集大成だ。
ウェブサイトを作ってから長い期間、いろいろと言いたい放題してきたことには、正直言って満足している。インターネットがなければ、私の腹は不満で膨れ破裂していただろう。
もちろんウェブで発信することは簡単だが、見てもらえるかどうかは非常に難しい。とは言え、おかげさまで開設からのアクセス累計は310万(2020.08.11達成)に達した。これを19年で割ると、一日当たり447件、大した数ではないか。
個人のしかもたいして新規情報もないウェブサイトとしては破格だろうと思う。
もちろんここでくだをまくだけでなく、ISO関係であろうと、政治関係であろうと、実際に行動し主張してきた。私は決してヒッキーでもなければ、口だけ男でもない。新型コロナウイルス流行からは行動を控えているが、昨年もデモに23回参加し、政党、首相官邸、マスコミに意見メールを50回くらい発信している。
当然であるが、私の主張への反論も多くの方から数多くいただいている。もちろんその意見に私が納得できなければ、お互いに激論もしてきた。またご賛同いただいた方々からも、激励や同感である旨のお便りもいただいてきた。
それらの応酬もこのウェブサイトのそれぞれのページに追記しており、ウェブサイトの一部となっている。
当たり前のことだが、私の発言が間違いで反論が正当なとき、そのやりとりをウェブにアップするのをためらったことは一度もない。公明正大、表裏ないのが私の
ともかくそんなウェブサイト人生を過ごしてきた。それは毎日に緊張があり、真剣に考える日々であり、素晴らしいことだ。ボケるには早いとしても、頭の回転が衰えないのもこのウェブサイトのおかげと考えている。
だから開設記念日だからといって、改めて初志を叫ぶこともないし、存在理由を説明することもない。
ということで本日は19周年を記念して、ウェブサイトをいかに維持してきたかを書く。
そもそもウェブサイトってどうやって作るの?
どこかのプロバイダと契約してインターネット接続を契約し、プロバイダーからホームページ作成用に50Mバイトとかサーバーを借りて、そこに自分のウェブサイトをアップするのが、20世紀末のウェブサイトの開設方法だった。
その後、50Mバイトのサーバーを無料で貸します、いや50Mバイトなんてケチなことは言いません、100Mでどうだ! 200Mでどうだ、いや無制限だ! その代わり広告を載せてねというのが21世紀の状況だ。
でも無料にはリスクがあります。いや自分のサイトに広告があっては気分が悪いとかではありません。もっと重大なことです。いつなんどきサーバーが消えてしまうかもしれないのです。
私もこれとは別のウェブサイトを、無料サーバーに作ったことが何度かありますが、ある日突然ウェブサーバーを貸していた会社そのものが消滅していて、驚いたことがあります。
まあ、それは仕方ないですね。人の褌で相撲を取るといいますが、タンスターフル(ただの昼飯はない)は世の習い。
私がウェブサイトなるものに出会ったのは、Windows95のパソコンを買ってウインドサーフィンを始めてからです。まあ、そのときは遊びでした。
1997年頃、会社の仕事で自分が処理している膨大なデータを工場の各部門がみられるようにしなければならないということが発生しました。当時はイントラネットもhtmも、私の頭で理解できるものではありませんでした。あっ、今もですが、
情報処理部門に、どうしたらいいのかと聞きに行ったら、私用にイントラのサーバーの一部を確保した。あとは頑張ってねという。オイオイ
負けず嫌いな私ですから、すぐに外出して本屋に行き、ナツメ社の「HTMLタグリファレンス」なんて本を買ってきました。そしてその本を見ながら、キーボードを叩いたものです。今ではナツメ社はホームページ関連の本を出していないようです。
その時はサーバーへのアクセスは、アクセス権をもらったホルダーがエクスプローラーで見え、直かにファイルの移動やコピーできました。
2001年に自分もホームページを作ろうとなりました。そのいきさつは過去に書きました。htmlファイルの書き方は会社で練習した、プロバイダーのサーバーにhttpでファイルをアップすればおしまい。簡単です。
まあそんなふうに私のウェブサイトは始まりました。
その後、会社を変わりました。
直後に上長から「部門のホームページをイントラネットに作ることになった。お前できるか?」と聞かれました。「Sure」と一声!
数時間後に部門のウェブサイトをイントラにアップしました。まあ部署と担当と業務の概要だけですよ。何ごとも形からです(笑)
上長 感激です。私を取ってくれた上長への恩返しになったと思います。
古人曰く、芸は身を助く、
時とともにウェブサイトのTAGを書く方法も大きく変わってきた。
21世紀になると、ホームページビルダーなど自動的にhtmlにしてくれるソフト使用が当たり前になり、それを買うのがもったいないという人はMicrosoft Wordで書いた文章を、html形式で保存とするとhtmlに変換してくれます。ただし余計なTAGがメチャクチャ入るし、期待通りのレイアウトでもありません。
ホームページ作成ソフトも戦国時代を通り過ぎましたが、どこが勝ち残ったというわけでもありません。多くの人はホームページを作ることが面倒だと、文章と写真をアップすれば済むブログに移り、更に文章書くのも面倒だと単語を並べるだけのtwitterとかface bookとなりました。実を言ってface bookなどを見ていると、単語を入力する人よりも、いいね👍だけとか、シエアをクリックするだけの人が多いようだ。
人間は怠け者だから、そのうち思っただけで、ウェブを作ってくれるようになるかもしれません。
プロが作る法人のウェブサイトはともかく、21世紀の今では、個人でhtmlとかcssなんてシコシコ入力している人なんてごく少数でしょう。
最近、本屋でパソコンのコーナーを見ると、スマホの使い方、Facebook、Twitterの使い方の本はザクザクありますが、htmlの書き方の本は1冊しかありませんでした。
10年一日どころか20年一日で、前世紀から進歩せずにキーボードでTAGを打ち込んでいるのが私です。さすがナツメ社のものは時代遅れになり、今は技術評論社の「HTML5 & CSS3」なんて本を、脇に置いています。
ともあれ21世紀の今も、個人製作のウェブサイトは星の数ほどある。その中には何年も継続しているウェブサイトもあるだろうし、ウェブサーバーに上げてはみたものの、すぐに気が変わりウェブサイトの亡骸というか墓碑のみが何年も残っているものもある。
たぶんお墓も草むしりなんてしないから草ぼうぼうになっていたりして……
ウェブサイトの墓 安らかに眠れ |
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とはいえウェブサイトの寿命といっても定義が難しい。開設してから定期的、あるいはイベントごとに更新があれば生きていると思われる。しかし最終更新日が数年前の日付なら生きているとも思えない。
企業が開設したウェブサイトの中には、特定のイベントの集客のためのものもあり、そういったものはイベントが終われば削除するのが普通なのだろうが、何年も経っているのに「〇月〇日 ビッグサイトに集まろう!」なんてのもある。それは生きているとは言えない。もっとも昔の資料を探していて、そんなものが参考なったこともある。ISOなら文書でなく記録というのか? それなら生きているといえるのか?
Googleで「ウェブサイトの寿命」と入れてググると、あっという間に数千万件がヒットする。もっとも「ウェブサイトの寿命」についてのものは、そのうちの1割もない。ほとんどは「人や犬の寿命に関するウェブサイト」だったり、官公庁の「寿命統計や健康寿命を延ばすための広報」とかが多い。
検索ワードを工夫すればもっと良い情報が得られるのだろうか?
ヒットしたひとつに「キミのサイトの残り寿命」という、サイトがある。
動作していたときは、URLを入れると「あと〇日」と余命を教えてくれるらしい。その余命決定方法はブックマーク数やYahoo、Livedoor、FC2のブックマーク数などから算出していたようだ。
残念ながら「キミのサイトの残り寿命」の開設日は2009年で、最終更新は2009年5月24日。2020年現在、トップページはありますが、一番大事な残り寿命を計算するCGSが動かないので本来の機能はありません。これではウェブサイトは存在してますが、生存はしていないようです。
ともかく検索結果、一般人のウェブサイトの寿命は2年から長くて4年らしい。もっともウェブサイト制作会社が言う寿命とは、同じURLで継続してもデザインの陳腐化や新しい技術に対応できなくなるために見直さねばならなくなるまでの期間のようだ。
個人のウェブサイトは、趣味の自慢とか、収集品の展示とかだろう。趣味が変わったり、仕事が変わったりすれば放置してしまい、過去に作った自分のウェブサイトがいつ消えても、時代遅れになっても主宰者は気にしないのかもしれない。
中にはまっとうな研究者が、己の論文を自分のウェブサイトにアップしているのもある。自分の研究成果を広く知らしめたいという気持ちなんだろうけど、見方を変えると紀要とかちゃんとした出版社の論文集に掲載できなかったのかと勘繰ってしまう。
私のウェブサイトが多くの人より長く続いたということは、開設した時から転職しても仕事そのものは変わらなかったこと、その仕事でいろいろ問題を感じ改善しなければならないと感じたこと、それを世の中に主張したかったこと、課題が重要でモチベーションが維持されたということだ。自慢することでもなく、馬鹿の一つ覚えというわけでもない。
私のプロバイダはDTIといい、元は電気会社とか東電とか変遷があったが、今はなんとかいうIT会社の子会社になったらしい。
私はWindows3.1から95に乗り換えてインターネットデビューしたときから、このDTIを利用している。だから付き合いも2000年からだ。
なぜDTIなのか? なんてことは簡単だ。当時、インターネットプロバイダーなるものはどこにでもある、だれでも使えるというものではなかった。田舎町である郡山市ではほんの数社しか利用できるところがなかった。
友人たちに評判を聞き歩き、一番速いところ、トラブルが起きたら相談に乗ってくれるという条件なら、ここしかないだろうといわれた。
さて、私もウェブサイトを作り年月が経つといろいろ不具合が起きてきた。
他のプロバイダーを見ると最新技術で多様なCGIを提供しているが、DTIはそんなことに力を注いでいない。あるのはカウンターとアンケートくらいしかない。時代遅れもいいところだ。
私のウェブサイトは見た目で勝負というものではないが、もっと最新の表現とか動作ができたらいいなという気はする。
最近では賃貸サーバーの容量不足である。これはCGIが使えないというよりも重大問題だ。
20年前は50Mバイトというのは無限に思われた。当時パソコンの外部記憶装置のメインは3.5インチのフロッピーディスクで、記憶容量は両面倍密で1.4Mだったはず。
今なら、たったそれだけ!と思うかしれないが、両面倍密が登場したときは、自分が社内で作る文書のバックアップには1枚あれば十分だと思えた。
ムーアの法則というのがある。法則といっても自然科学の法則ではなく、将来の発展を予言したものだ。それは「集積回路の実装密度は18か月ごとに2倍になる」というものだ。
それじゃ18か月ごとにパソコンの性能は2倍になるのか、すごいなあ〜と感心してはいけません。
現実にはOSのサイズも、アプリのサイズも、18か月ごとに2倍まではともかくどんどんと大きくなり、CPUもメモリーも要求される能力がますばかり。OSやアプリがバージョンアップするたびにパソコンの動作スピードは半減した。バージョンアップ前の性能を望むなら、倍のスペックのパソコンを買うしかありません。
なんか間違っている気がする。
写真も1995年頃は100kBとか大きくても250kBくらいだったものが、今では1Mや2Mは珍しくなくなった。ワードのdocファイルにしても、文書のかざりというか修飾が多様となったためか、いまどき数十kBなんて文書はめったにない。普通に文章を書いて絵を入れたり文字を飾ったりすると、300kBとか500kBなんてことになる。両面倍密のフロッピイにファイルが二つしか入らない。
それどころか一番ファイルサイズが大きくなるのがパワーポイントで、数十Mバイトのファイルは普通になった。
両面倍密のFDがでたとき、1枚あれば一生モノと思ったことは、まったくの間違いだったわけ。
集積回路の密度が上がると、アプリケーションが必要とするCPU能力とメモリー量は、その2倍になるという法則でもあるのではなかろうか?
ともかくWindowsがバージョンアップするたびに、アプリケーションがバージョンアップするたびに、パソコンに要求する能力はドンドンと高まる一方だ。
アプリのスペックで言えば、WordにしろExcelにしろ、Windows3.1時代のもので、私は必要十分なのだが。
もっともデータ容量の規制(?)もなくなった。
2000年頃は、ネットにあげる写真は130kB以下にしろとか、トップページを表示するデータサイズは100kB以下にといった制約があった。電話回線でデータを送ることと、プロバイダに多数のお客さんがぶら下がっている状況ではそうしなければウェブの表示に時間がかかり、訪問者が待ちきれずにほかに行ってしまうからだ。
やがてADSLになり、光になると、データサイズなど気にしなくなった。
それは動画やミュージックを入れる方向になり、結局体感的な表示スピードは20年前と変わらないようだ。
ともかくウェブサーバーにアップするデータ量も増えるばかり。
DTIの無料のウェブ容量50Mとは、現代では呆れるほど小さい。何年か前にデータ量が50Mを超え、しかたがないから毎月の使用料を払って50M追加した。今現在100Mあり、約90Mが使用済である。今年5月末にffftpでアップロードしようとして、ウントモスンとも言わなくなったので、故障か!と焦ったが、調べるとウェブサーバーが満杯になっていた。とはいえ、故障なら直せるだろうけど、ウェブサーバーが満杯なら直しようがない。
DTIにメモリーを増やしたいと問い合わせたら、お金を払ってもメモリー追加はできないという。そりゃご無体な!
しかたがないので画像のサイズダウン、改定記録欄の古い年度のものを削除したりでなんとか2年分くらい空きを作った。
「石油の一滴は血の一滴に値する」と語ったのは第一次大戦のときのクレマンソー。「メモリーの1kBは血の一滴に値する」なんて20年前に戻ったのかと思いましたよ。
2020年は世界中に新型コロナウイルス流行が、第一優先の重大問題となりました。まあ、私は引退した身、何もするわけではありませんが、人に迷惑をかけないように、感染しないように、感染したら人にうつさないようにと気を付けることくらいです。
ともあれこのウェブサイトが受けた影響は…アクセス数激減です。
リモートワークのせいなのか? 緊急事態のときにばかばかしいお話なんぞ読む、心の余裕がないということなのか?
2019年末までは以前と同様に推移してきました。お正月は元日から10日間くらい大きく減少するのは毎度のことなのですが、お正月が開けてもアクセス数は復活しませんでした。1月中旬から8月の今まで、昨年までの75%〜85%くらいのアクセス数しかありません。
まあ、私のコンテンツも、大声を出して人を呼ぶほどのものでもございません。アクセスが少ないぞなどと文句を言ってはいけません。
正直言って、ISOの問題点も知る限りは言い尽くしたかという気もします。それにISO認証自体がもう黄昏どき、私がどうこう語るのとは無関係に、近い将来認証制度の終焉を迎えるでしょう。ならば今更どうこう言ってもせんのない話でしょう。
というわけで、19年の歴史を閉じようかという気も少しずつ湧き上がってきているのです。されどうしたものか?
ともかくウェブサーバーの空き容量はあと1年半分はありますから、その間に考えたいと思います。
店じまいするのも見捨てられ廃墟となってからでなく、まだ人通りがあるうちにしたほうがよさげです。
私が突然死んだらって? 家内が銀行口座を一切合切解消し、息子・娘と山分けするでしょうから、その時点でDTIへの支払いが停止し、ウェブサイトは消滅します。有料と無料の違いは歴然です。無料なら老醜を晒すけど、有料なら即座に抹消です。
立つ鳥跡を濁さず、まあ、それも良いかと
本日の感謝
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。
そしていつもご訪問いただきましたことに感謝申し上げます。
おっと、当面終わる予定はありませんので、気が向いたときはご訪問お願い申し上げます。
過去の駄文もお読みいただければ幸いです。