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日本橋のガードをくぐりぬけた亜細亜大のアンカー・岡田直宏は、やにわに白い歯をみせた。勝利を確信したというのか。嬉しさががこらえきれないというふうに満面にはちきれていた。 「まさに宙に舞いましたね」 監督の岡田正裕がのちにインタビューに答えて、このように語っているが、ランナーの岡田直宏自身にしても、そこからゴールまでの道のりは、まさに天空を舞うかのような至上の一時だったのではあるまいか。 後ろからは、もう誰も追ってこない。タスキをもらったとき42秒差で駒沢の糟谷がつづいていたが、もはや、はるか遠くに離れていた。岡田が知るはずもない後ろでは思いがけない波乱が起きていた。最終逆転に望みをかかる駒沢の糟谷は、後半になって失速、20qすぎで山梨学院に捕まり、さらに日大、順天堂にも抜かれて5位に落ちていたのである。 かくして亜細亜大が初制覇! 出雲8位、全日本11位から大きな変わり身をみせた。亜細亜大の箱根制覇をいったい誰が予想しえただろう。全日本10位以下からの箱根制覇など、81回の歴史をふりかえっても例がない。 下馬評では史上3度目の5連覇にのぞむ駒沢、出雲を制した東海大、全日本を制した日大、両大会で2位に甘んじた中央などの評価が高かった。なかでも東海大は近年まれにみる強力な布陣で台風の目になっていた。 後になって顧みると、これら4強にもそれぞれチャンスはあった。そのほか山梨学院大、順天堂にも……。勝利の女神は機会均等にチャンスを与えていた。だが、各大学ともにいま一歩のところでチャンスをモノにできなかった。最後は往路を制した順天堂と往路2位につけた駒沢にしぼられたかに見えた。事実7区をおわったときには、順天堂が最短距離にいた。だが8区で暗転、駒沢がトップに踊り出し、2位の亜細亜、3位の山梨、5位の中央までが2分以内で続くという大混戦……。 こうなれば、やはり駒沢……か、と思いきや、王者・駒沢もチャンスを生かせずに、伏兵・亜細亜大にトップを奪われてしまった。 往路6位、復路2位での総合優勝……。要するに8区までにトップに立ったチームが、いずれも勝利の女神に見放されて、スッコケてしまい、好位置をキープしていた亜細亜大におもいがけない優勝が転がりこんできた。漁夫の利……とまではいわない。亜細亜大も力のあるチームである。だが、運も味方したことは事実であろう。
大波乱の兆しは1区からあった。 日本体育大の鷲見知彦のロケットスタートで幕あけた第1区、5q=14:39というから、それほど早いペースではない。だが、誰一人として鷲見を追ってゆかない。独り旅になってしまったのが鷲見にとって不幸だったというべきか。もうすこし、絡んできてくれれば、あるいはまたちがった展開になっていたかもしれない。 レースが動いたのは17qすぎのこと、鷲見が逃げきれずに失速、中央の奥田実、中央学院の木原真佐人らが前に出てきた。駒沢、日大、東洋、明治なども追ってくる。 19.7qで駒沢の藤山哲隆がスパート、中央学院の木原が追ってきた。両者はげしいデッドヒート、20qをすぎて木原が藤山を突き放した。 1区で2位につけた駒沢は好発進、5秒差3位の中央、13秒遅れの日大にとっても、願ってもない展開だったろう。とくにサイモンを擁する日大にとっては、モグスの山梨学院が50秒遅れの12位と出遅れるなか、前半で独走態勢を固める絶好のチャンスといえた。 ところが、強みと弱みはまさに裏腹の関係というべきか。結果的に日大はこの2区で13位と大きく失速してしまうのである。 日大のサイモンが1qすぎで早くもトップを奪うのは予定通りというべきか。後方からはモグスがごぼう抜きで上位にあがってくる。4.6qでは中央学院を交わして2位、8.4qでは12人抜きで早くもトップをゆくサイモンに追いついてしまうのである。 雨がきたのは10qあたりからだった。雨のせいというわけではあるまいが、サイモンは失速、モグスに振り切られてのはしかたがないとしても、18qすぎて大ブレーキの様相、後続につぎつぎとつかまってしまう。 モグスは20q=56:53。さすがに後半はペースダウンして区間新こそ逃したが、力が一枚ちがうという走りをみせつけてくれた。駅伝というものがいまひとつ理解できていたないサイモンにくらべ、高校時代から日本にやってきているモグスは、さすがに駅伝というものをよく知っている。その差が出てしまったようである。
3区はトップをゆく山梨学院を東洋大と中央大が追う展開になったが、ここで見せ場をつくったのが東海大の佐藤悠基だった。 東海大は本命といわれながら1区でなんと59秒遅れの14位と出遅れ、2区を終わったところでもトップの山梨から2分43秒遅れの12位に甘んじていた。 前では中央大の上野裕一郎が追いあげ、後方からは東海の佐藤が猛然と追いあげ、順位をあげてくる。区間新記録のペースで12q手前では駒沢の井手貴教を追いぬき、当面のライバルより先んじて、東海の反撃がはじまった。 佐藤の走りは後半も衰えることなく、堂々の区間新記録更新。終わってみれば東海は12位から4位まで順位をあげ、トップの山梨と37秒差まで迫っていた。佐藤の快走で一気に圏内突入である。 3区、4区をうまく乗り切ったのが中央大である。 3区の上野でトップの山梨との差を21秒にすると、4区の小林賢輔が一気に山梨の飯塚伸彦をとらえ、激しい雨のふりしきるなか、トップに立った。後方からは9位でタスキを受けた順天堂、村上康則が好走、トップとの差をおよそ1分詰めて、6位まであがってくる。結果的にみて村上のこの勢いが5区・今井正人を乗せてしまうことになる。勝負のアヤというものはそういうものなのだろう。
5区の山登りは豪雨のなか、厳しい気象条件のもとでのレースとなった。 4区を終わったところで、トップは中央、10秒遅れで山梨、43秒遅れで東洋、47秒遅れで東海、5位の駒沢は約2分、6位の順天堂は2分26秒遅れでつづいていた。 3区で浮上した東海はここでエース的存在というべき伊達秀晃、満を持しての登場で、一気に奪首の腹づもりだったろう。 今年も山中の戦いは順位がめまぐるしく変転、見応えがあった。 1.7qで山梨の森本直人が中央の中村和哉をとらえてトップに立ち、1q=3分を切るペースで快調に前をゆく。 今年も今井正人は山登り巧者ぶりをいかんなく発揮した。10qで駒沢の村上和春を抜き去り、村上をひきつれるかっこうで東海、東洋を急追、12.7qでは一気に3位まであがってくる。 好対照だったのは東海の伊達だった。終始ピッチがあがらず、順天堂に交わされた13q付近ではブレーキ状態、東海にとってはこの5区が誤算だった。 トップをゆく山梨学院の森本の足に異変が起こったのは14qの手前だった。痙攣がきたらしく足をひきずりはじめる。今井は猛然と追いあげ、17.8qで2分26秒あった差を挽回してついにトップに立った。今井、森本ともに顔をしかめて苦しげに走る姿、いかにも勝負どころであることをものがたっていた。 かくして順天堂は11年ぶり7回目の往路優勝、5連覇をねらう駒沢は30秒遅れの2位と絶好のポジションをキープした。ライバルの中央は1分20秒遅れの3位、日大は2分遅れの5位、東海には4分あまりの差をつけていた。 4強のうちでは駒沢がほぼ予定通りの展開、ここで総合優勝が現実のものとしてみえてきたはずだった。
復路は「復路の順天堂……」といわれるだけあって、順天堂の堅実なレースぶりで幕あけた。6区の長谷川清勝、7区の小野裕幸が好走、7区を終わったところで2位の中央、3位の山梨に2分52秒あまりの差をつけ、4位の駒沢には3分38秒もの大差をつけてしまう。 駒沢はいがいに伸びなかった。6区、7区の凡走が最終的に致命傷になったようだ。ちなみに優勝した亜細亜大は7区を終わって4分34秒遅れの6位だった。 例年なら復路は比較的出入り少ないレースとなる、今年も順天堂がそのままスンナリ行くかと思われたが、8区を境にして、思いがけなく大きな山場を迎えることになる。 順天堂の8区のランナーは難波裕樹、15qすぎまでは快調な足どり、いよいよ勝負に決着がついたかと思ったとたんである。16qすぎで異変、にわかに上体がぶれはじめた。まるで夢遊病者のようにまっすぐに走れない。脱水症状か! 後ろからは駒沢の堺晃一が山梨、中央を交わして急追してくる。 難波は20qすぎになって意識ももうろうとしてきたのか、蛇行してフラフラ状態、顎をふりつつ前に体を運ぼうとするが、もはや眼はうつろ、タスキがつながるかどうかさえ危ぶまれるありさまであった。 思いがけない順天堂の大ブレーキにより、駒沢は残り1qであっさり逆転、2位にあがってきた亜細亜大に1分12秒先んじた。難波はなんとかタスキをつないだが、亜細亜、山梨にも交わされて4位、優勝戦線は一気に駒沢を中心に回りはじめた。 駒沢にとってはいちどは遠のいたトップの座がやすやすと転がりこんだ。追ってくるのが日大でも中央でも東海でもない。亜細亜と山梨である。もらった……と思ったであろう。 ところが……。ドラマはまだ終わってはいなかった。9区にはいって独走態勢をかためるかに思われた駒沢がいがいに伸びなかった。亜細亜大の山下拓郎が順天堂の長門と競り合いながら、猛然と追いあげてきた。16qをすぎて、その差が16秒、19.5qでは併走状態になり、20.7qで山下がスパート、力強くトップに踊り出したのである。 駒沢は10区の糟谷悟にすべてを託すかたちになったが、糟谷をしても9区で火のついた亜細亜大の勢いをとめることはできなかった。
亜細亜大は往路優勝も復路優勝もなしで総合優勝である。主力はいずれも思いがけない失態で脱落したが、亜細亜大には大きなブレというものがなかった。きわめてめずらしいケースである。 往路は順天堂大、復路はなんと法政大が優勝、ともに2位の山梨も含めて、シード落ちさえも懸念されただけに意外といえば、意外な結末であった。逆にいうならば実力伯仲で出場19チームは、ともに等しくチャンスがある大会だったということになろう。 そんなわけで2位の山梨学院、4位の順天堂、その健闘ぶりは大いに称えられるべきであろう。往路15位から復路優勝で総合7位まで押しあげてきた法政も、主力メンバを欠きながらの結果だえるから、これも大健闘というべきだろう。 往路で落ちるところまで落ちた日大は復路でふんばり、総合3位まであがってきた。やはり地力のあるチームである。 東海も最終的には6位まであがってきたが、中央の8位、日体大の9位は戦力からみて、いささか食い足りないものがある。 シード権争いも熾烈をきわめた。 9区を終わったところで8位の法政までがどうやら安泰、9位の早稲田、10位の日体大、11位の大東文化大、12位の東洋大、13位の城西大までが1分以内にはいっていた。5チームで2つの椅子を争うという壮烈な争いとなった。 最初に早稲田が競り負けて脱落、日体大と東洋大が抜け出したが、15qをすぎて城西大が猛追してきた。9位争いがつづくなか、一時は城西大が先んじる格好になったが、最後は日体大と東洋大の地力が勝った。 早稲田は今年も13位でシード落ち、12位の大東文化大ともども、やはり食い足りないものを感じた。同じ失敗をなんども繰り返す。指導者に問題があるのだろう。 駅伝のおもしろさは順位のめまぐるしく変転するさまである。そういう意味では今年の箱根は最初から最後まで、一瞬たりとも眼離しできないという、まれにみる大激戦、駅伝の醍醐味を満喫した。 ★開催日:2006年01月02日(月) 〜3日(火) 総合成績はここをクリック |
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