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1月3日、午後1時30分……。 読売新聞社前はすでにお祭り騒ぎだった。 トップのアンカーがとびこんでくるにはまだ15分あまりもあるというのに、ゴール付近には駒澤の選手たちが居並んで隊列を組んでいた。かれらはまさに凱旋戦士さながらに校歌を口ずさみながらその瞬間を待ちわびていたのである。 真っ先にゴールに運ばれてきたのは紫紺のタスキだった。 歓声と拍手がうずまくなか、ゴールにとびこんだアンカー、たちまちタスキと同じ色の隊列にもみくちゃにされ、2度、3度とビルの谷間の澄んだ冬空に舞った。 胴上げがはじまるとお祭り騒ぎも最高潮である。メディアのインタビューが始まろうとするころ、ようやく2位、3位のランナーが相次いでもどってきた。 と、ふいにラジオのアナウンスがやけに騒々しくなった。あわてて外れかかったイヤホーンを直した。どうやら4位以降は団子状態でゴールにやってくるらしい。 法政、順天堂、学連選抜……。 死力を尽くしたせめぎ合い。ゴール目前で辛くも先んじたのは法政だった。そして順天堂がつづいた。 そのとき……。 両校に遅れてゴールに向かう学連選抜のランナーに私は思わず眼を奪われてしまった。 片岡祐介……。 北海道教育大旭川の選手で大学院2年……、選手名簿に記載されている情報のほか何ひとつ知らないランナーである。 7位でタスキを受けたかれは冷静沈着な走りで、中央大を競りつぶし、順天堂、法政と最後まできわどく4位を争ってきた。 その片岡がゴールする瞬間……である。 かれは両手でタスキを頭上高くかざした。そして満面に輝くような笑みをたたえながらゴールにとびこんだ。 サングラスのせいで、どこかイカツそうな面相だが、その笑顔は実に爽やかであった。おれはやるべきことをやった……とでもいうのだろうか。いかにも満足感にあふれていた。 北海道のランナーにしてみれば「箱根」はまさに夢の世界にひとしいだろう。タスキを押し頂くように両手で握りしめていたのは、天下の「箱根」という大レースに出場できたことを素直に喜び、何よりも愉しんで走れたことを感謝していることの証なのだろう……と思った。 駒澤の糟谷悟くんには悪いが、私は優勝チームのゴールよりも、ほとんど無名のランナーのひたむきな姿勢に心を打たれたのである。 地方の名もないランナー・片岡祐介の姿勢にこそ、箱根をめざすランナーの原点があるのではなかろうか。そういう意味で今回新設されたMVPに学連選抜の鐘ヶ江幸二が選ばれたのは大きな意味があるとみる。 記念大会にもかかわらず、皮肉にも予選会回りとなった伝統校・早稲田大学、過去には優勝経験もある山梨学院大、大東文化大……。選手はもちろん、指導者もまた、片岡祐介や鐘ヶ江幸二に代表される学連選抜の選手たちの箱根への真摯な姿勢を鏡にして、自らを写してみる必要があるだろう。 箱根っていったい何なのか? 原点にもどって再出発するしか、未来はみえてこないだろう。
史上最高の戦国駅伝といわれながら、終わってみれば1強18弱……、王者・駒澤の強さばかりが際立つ大会となったのだが、今回はいつも以上に1区〜2区の攻防を注目していた。 最近の1区はスローの展開で幕あけるケースが多いが、今回に関しては願望も含めてかなりハイペースになるだろうとみていた。 今回は記念大会で学連選抜は関東地区だけでなく、出場選手は全国の大学から選抜されている。名うてのスピードランナー・白濱三得(徳山大)の動きがひとつのポイントになるだろうとみていたのである。チーム記録ではなく自己記録だけが残る学連選抜から出場するのだから、思い切っていけるはず……。ハナから積極的に仕掛けてゆくにちがいないとみていた。展開が早くなれば、やはり駒澤、山梨……あたりが有利になるのかな……などとひそかに思っていた。 ところが……。 開けてびっくり、なんとやら……。 ハイペースを演出したのは山梨学院大のエース・橋ノ口滝一だった。橋ノ口と日体大の注目の1年生・鷲見知彦が引っ張る展開で、5キロ=14分36秒というハイペースですすみ、5.4キロすぎで橋ノ口が後続をちぎって独り旅となった。10キロは29分04秒と快調なペースでひたはしる。 今回に関するかぎり橋ノ口には迷いがなかったようである。積極策に出たのは、押さえて失敗した過去の経験を生かしてのことだろう。そういう意味ではむしろ評価していた。最後の駅伝で、「駅伝に弱い橋ノ口」という汚名を返上して、卒業しようというのだろう。さすがは学生ナンバーワンだ……と、ひとりごちていたが、現実はそんなに甘くはなかったようだ。 13キロあたりからにわかにペースダウン、16キロ地点では鷲見と駒澤の太田貴之にあっさり交わされてしまう。結局のところ、橋ノ口はロードではダメ……というジンクスから自由になれなかったようである。 橋ノ口に引っ張られてうまく流れに乗ったのが、結果的には駒澤大と日本体育大である。第1区は最終的に日体の鷲見知彦と駒澤の太田貴之がはげしくトップ争い、スーパー・ルーキというべき鷲見が最後は力で太田をねじ伏せて、タスキをつないだ。 日体大の前半躍進をもたらしたのはひとえに、この鷲見の怖い者知らずの快走によるものである。
「華の2区」を迎えるにあたって、有力校のポジションを整理しておくと次のようになる。トップは日体大、6秒遅れで駒澤大、候補のひとつ大東は35秒差の4位、日大は50秒遅れの5位、東海は52秒遅れの7位……と、それぞれ好位置をキープしたが、山梨は1分31秒遅れの11位と出遅れていた。 先頭をうかがう位置では駒澤の内田直将、日大の藤井周一のツバ競り合い、中盤では東洋の三行幸一の追い上げ、後ろは山梨のO.モカンバがどこままで順位をあげてくるのか……が見どころであった。 2区で流れをつかんだところが往路の主導権をにぎる。まず最初の3キロでは8分42秒ではいった内田が日体大の1年生エース・保科光作を交わしてトップに立った。後ろからは日大の藤井周一が5キロ=14分23秒というハイペースで追ってくる。さらに後ろからは東洋の三行幸一がひたひたと接近してくる。 もうひとつ……。 選手たちにとっては思いがけない伏兵が待ちかまえていた。それは例年になり気温の高さである。 日大の期待を背負った藤井周一がにわかに失速したのは、きっと気温の高さを甘く見たからだろう。藤井は中盤からにわかにペースダウンして、最終的には区間11位に沈んでしまう。日大が最後まで上位にこれなかったのは2区で勢いがつかなったからである。 トップをゆく内田も15キロ付近で怪しくなり、粘る日体大の保科にとらえられてしまう。暑さとの戦いに打ち勝ったのは東洋大の三行幸一である。9位でタスキをもらった三行は16キロで駒澤の内田をとらえ、17キロでは日体大の保科さえもとらまえ、8人抜きで一気にトップの立ったのである。後ろからやってくるモカンバを寄せ付けなかった力強い走りはみどころがあった。 2区を終わった段階で、早稲田はなんと19位と低迷、杉山一介と空山隆児というエース級を投入しながらトップから6分も遅れてしまったのは大誤算だっただろう。これだけ足を引っ張っては、浮上のきっかけをみつけるのもむずかしい。
駒澤の勝因をあげれば選手層の分厚さにつきる。繋ぎの3区に起用された佐藤慎悟の冷静な走りは、まさに駒澤への流れを引き寄せたというべきである。 日体大の四辻聖をうまく利用して、両者でトップを奪ってもすぐには動かない。併走でじっくりと力を貯めて、10キロをすぎてから一気に仕掛けて突き放した。みごとな戦いぶりである。 さらに4区の田中宏樹は出雲、伊勢路の悪夢を振り払うかのような区間賞の快走、2人で、2位の日体大を2分50秒も引き離し、当面のライバル東海大には4分31秒もの貯金をつくってしまった。山登りの鉄人・中井祥太でも4分もの逆転はほとんど不可能である。 かくして4区を終わった段階で駒澤の往路優勝は9割がた決していた。 今年も山登りは各チームの明暗を大きく分けたようである。 山登りで上昇機運を回復したのは東海大学である。中井祥太が今年も7位から一気に5人抜きで2位まであがってきた。ほかでは法政も佐藤浩二の区間3位の快走で8位から5位へと順位を押しあげている。 裏目に出たのは大東文化大である。馬場周太は昨年は好走して順位を押し上げたのだが、今回はなんと区間最下位である。皮肉にも大東文化大は、看板の山登りで大きく失速して、優勝戦線から脱落しただけでなく、最終的にシード落ちである。奈落の底まで一気に落ちていった。 体調に疑問のあるままの出場とはいえ、馬場の体を大きくゆるがせながら、苦しさにもだえ、喘ぐ姿には思わず息をのんだ。昨年、大平台で観たときは、中井祥太と同じくらい軽快なピッチで飛ぶように駆け上がっていった。その姿をいまだくっきり覚えているだけに、その落差の大きさが信じられないのである。 今回、山登りを制したのは候補の中井祥太ではなく、なんと学連選抜の鐘ヶ江幸二(筑波大)であった。 鐘ヶ江も昨年、大平台で私の眼の前を一気に駆け上がっていった。ひたすら前をみつめて、たんたんとピッチをきざんでいた。どこまでも冷静な面立ちが、いかにも長距離ランナーらしくて、印象深く記憶に残っている。昨年のアルバムをひらくと、鐘ヶ江を撮影したショットがなんと4枚もあった。 記念大会とはいえ、学連選抜の選手が区間賞を獲ったとなれば、それだかでも学連選抜を導入した意味が出てくる。
往路を終わって、トップの駒澤と2位の東海とのタイム差が3分26秒、復路もアナがない駒澤にとっては、後はもうタスキを無事にゴールまで運んでゆくだけ……。左手に団扇、右手に扇風機というまさに余裕しゃくしゃくの様相である。 駒澤をのぞけば、あとは団子状態というありさまであった。2位の東海から5分以内に10チームがひしめきあっている。シード権争いは熾烈をきわめている。7位の神奈川大から13位の中央大までが、わずか1分53秒しかない。しかも11位以下に山梨学院大、順天堂大、中央大という強豪チームがひしめきあっていたのである。 団子状態の18チームが入れ替わり立ち替わり、足の引っ張り合いをしている間に、駒澤はすいすいとビクトリーロードと突っ走った。駒澤にとってはまさに確信の3連覇であった。 今回、もっとも大ブレークしたのは予選会あがりの亜細亜大であろう。エースランナーはいないが、往路はひたすらうまく繋いで3位にくいこみ、復路はひとたびは7位に落ちたものの、9区の堀越勝太郎の区間賞で3位を奪還している。チームとしてのまとまりもよかった。 次には法政大だろう。 「今年の法政はやりますよ! まあ、観ていてください」 暮れの31日に法政出身の元箱根ランナー・坂本朋隆さん(56〜57回大会に4区、1区に出場)から電話がかかってきた。 中学校教諭の坂本さんはわがランニングの師である。もともとはわが息子が通っていた中学、高校の教諭で、息子がランニングのコーチを受けていた。私も便乗して、それとなく教えを受けていたのである。 ひとしきり駅伝談義、法政談義に花が咲き、「少なくともシード権はとれるといいですね」と話していたが、結果はそれをはるかに上回っていた。 往路は3区の黒田将由と5区の佐藤浩二が奮闘、復路は往路ほどの勢いを欠いたが、8区の原田誠が力走して持ち直し、最終4位をまもりぬいた。チームワークの勝利というべきだろう。 順天堂は往路はなんと12位である。だが復路の順天堂……を地で行くように、復路2位と健闘した。最後はきわどうところで法政に4位を奪われたが、さすがと思わせるみごとな戦いぶりであった。 東洋大も2区三行の活躍などがあって往路6位に躍進、復路粘って総合6位をまもりぬいた。 総合8位の神奈川大学も復路はみるべきものがあった。7位で山をくだったが、7区では4位に浮上、8区も手堅く粘り、9区では島田健一郎が快走した。亜細亜の堀越には先に行かれたが、法政を交わして4位をキープ、3位にあがった亜細亜大学とはわずか7秒おくれで最終区につないでいる。10区の出来しだいでは、3位をもぎとることも可能なポジションにいたのだが、最後に息切れしてしまったのが惜しまれるところである。 今回は例年のように9〜10区での熾烈なシード権争いはなかった。11位の中央学院が、早々に圏外に去ったせいだが、そのかわり3位から10位までが団子状態で、順位が猫の目のごとくめまぐるしく変動した……というのが大きな特徴であった。 もうひとつ、顕著な特徴をあげれば、予選会組の活躍が目立ったこと。事実、亜細亜をはじめ法政、東洋、神奈川の4チームが、不振にあえぐ早稲田や大東文化大、山梨学院を蹴落として、シード権を獲得してしまったのである。
不振をきわめた第1は大東文化大だろう。 大会前は優勝候補の一角にあげられていた。事実、4区までは8位につけていた。ところが山登りで一気に16位まで順位を落とし、そこからもはや這い上がることができなかった。 第2は山梨学院である。やはり優勝候補の一角にありながら、優勝争いにはからむことができなかった。出雲5位、全日本3位のチームが、それほど故障選手が出たわけでもないのに、どうして12位なのだろう? 1区の橋ノ口の失敗を2区のオンベチェ・モカンバがなんとか挽回したが、3区以降はすっかりリズムを失ってしまった。4区の高見澤はなんと区間10位というありさま、これでは勢いがつくはずがない。 いったい同じ失敗をなんど繰り返したら気がすむのか。この問題については、すでに語り尽くしたので繰り返しては細説しないことにする。要するに選手の潜在能力、テクニック、ランナーとしてのセンスは超一流……、にもかかわらず本番で実力が発揮できないのは、モーチベーションの問題である。 選手のモーチベーションをいかにして高めるのか。むしろそれは指導者の問題だろう。選手にひとしく指導者にも問題がある。そこが何も判っていない。このチームはもはや指導体制を刷新して、イチから出直すほか低迷脱出の道はない。 早稲田もひどい。先の伊勢路では選手の独りが脱水症状を起こして、レースそのものを棄権してしまった。前代未聞の椿事である。かつて中村清監督の時代にそんなカッコの悪いことはあっただろうか。 今回は往路に主力選手をすべて投入したがみごとに裏目に出た。なんと15位、まるで信じられない結果である。選手が誰一人燃えていない。眼が死んでいる。このチームも指導者にかなり問題があるようである。このままでは予選会の通過すらも危ないだろう。 おもしろかったのは学連選抜が総合で6位に飛び込んできたことである。全国から優秀選手を選んだとはいえ、しょせんはにわかづくりの寄せ集めチームである。箱根をめざして科学的に対応している正規の出場チームの比ではない。 逆に言うならば、そんなチームにあっさり負けてはメンツ丸つぶれ……と考えるべきである。 今回の学連チームは最後の最後で6位に終わったが、4位の法政とは僅差で、現実に4位の目も十分あった。これがもし3位にでもなっていたら、ちょっとした波紋を呼んでいたことだろう。 学連チームには勝ってあたりまえ……と、心得るべきである。もし負けるようなことがあれば、反省をうながす意味で、即、予選会周りにすべきである。 今回、学連チームに敗れた中央大以下12チームは、そのことをよく肝に銘じておく必要がある。 終わってみれば駒澤の独り舞台…… 駒澤の王座はしばらく続くだろう。駒澤に対抗しうるのはどのチームなのか。若い力が着実に育っている日本体育大が一番手、次にはやはり1年生、2年生中心で5位まで押し上げてきた順天堂あたりではないか。 それにしても…… 昨今の駅伝は実力接近で、ちょっとした失敗が命取りになる可能性がきわめて強い。駅伝の世界も世知辛くなったものである。(2004/01/04)
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