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茶髪にネックレス、そしてファッショナブルなサングラス……。いかにも自意識の強そうなランナーの登場自体が衝撃的だった。 2年前の話である。 オレンジのタスキをかけて第1区に登場したかれは、優勝をねらう主力校が牽制し合うさまを嘲笑うかのように、スタートから果敢にぶっとばした。かれの快走で予選会あがりの法政が4区の半ばまでトップをキープしたのである。 徳本一善の個性的なスタイルや自己主張の強い物言いを不作法と考えたことはない。むしろ勝つこと一点に精力を集中する激しさと、生々しい勝負師の根性に共感をいだいている。 法政は徳本を軸にして箱根を戦ってきた。徳本が箱根にデビューした一昨年は最終的に10位でシード落ちしたが、オレンジ旋風は昨年になって本物になった。2区に登場した徳本は駒澤の神屋をはじめとする各校のエースを派手に粉砕した。2区でトップに立った法政は5区の終盤まで激しく首位を争ったのである。70年ぶりの往路優勝、60年ぶりの総合3位は逃したが、予選会5位から本戦4位という大健闘ぶりをみせた。 今季の徳本はユニバシアードに出場して銅メダルを獲得、学生競技会で日本人選手には負けていない。学生界ではナンバーー・ワンにのぼりつめた。伊勢路では駒澤の松下龍治に区間賞を奪われたが、12月の日体大記録会10000Mでは、実業団の有力選手や駒澤の主力を破って1位を占めている。 今年も徳本は当然のようにエース区間の第2区に登場してきた。6位でタスキを受けたが、トップの順天堂から10秒遅れ、ほとんどヨーイドンでスタートしたにひとしいポジションである。まちがいなしに首位に突き抜けるだろうと思っていたが、意外な陥穽が足もとにぽっかり口をひらいていたとは、本人はともかく、観戦者のぼくたちは夢にも思わなかった。 5キロすぎだった。 テレビ画面のなかで徳本は脚を突っ張るような不自然な姿勢になったかと思うと、あっという間に集団から取り残された。脚をひきずりながら、それでも躰を前に運ぼうと懸命にもがいている。顔を厳しくゆがめ、歯を食いしばってなんども天を仰ぐ。明らかに脚に異変が起きていた。 観察車から降りてきた監督が競技を中止させようとしたが、徳本は激しく首をふりながら、すりぬけるように逃げまわった。悲痛な形相とでも形容すべき神経を顔中にはりつめながらも、立ち止まらなかったのは、激しい悔恨のせいというよりも、学生ナンバーワンのプライドのせいだったろう。 成田監督が触れたとき、徳本はとうとう両手で顔をおおってうずくまった。競技を中止させた監督の判断は至当だが、2区にしてチームを途中棄権に追いやった徳本の悔いを、私は見るにしのびなかった。 右ふくらはぎの肉離れ……。徳本の途中リタイヤーは、まさに波乱にみちた今大会のゆくすえを占っているかのようであった。
大波乱の予兆はすでにして第1区からあった。5キロ15分23秒、10キロでも30分37秒という超スローの展開がそれである。たがいにチラと相手の顔色をうかがいながら、誰一人として飛び出さない。15キロをすぎても横一線の大集団を形成、落ちてゆくものがいなかったのである。ようやくにして六郷橋の登りでペースがあがり、最後は順天堂の入船満がハナ差でトップに立つのだが、鶴見の中継所では、首位の順天から15位の日体大までは、わずか45秒でしかなかった。 1区はまさに護送船団方式に終始し、2区からあらためてヨーイドンになったのである。 たとえば2年前の徳本のようにスタートから果敢に飛び出す展開なら、レース全体の流れはかなりちがったものになっていたのではあるまいか。スローの展開になって、1区がダンゴ状態に終始した最も恩恵をうけたのは駒澤である。予定していた内田直将が使えない不安は、護送船団方式によって救われた。監督・コーチはきっとホッとしていただろう。 ハーフのタイムからみて、駒澤の北浦は順天の入船あたりに2分ぐらい置いていかれて不思議はなかった。それがわずか27秒の出血ですんだのだから、駒澤にしてみれば願ってもない展開になったのである。もし1区がハイペースのしのぎあいになって北浦が大きく置いてゆかれていたら……、。2区の神屋があれだけ不調だっただけに、駒澤はかなり苦戦していたはずである。 復路で駒澤をやすやすと前にゆかせた遠因は、戦う意欲を欠いた1区・14人のランナーたちのせいである。駒澤に弱点が見えていただけに、順天堂、山梨、神奈川、中央、帝京などは、第1区からもっと果敢に攻めてもよかったのではないか。 かくして史上空前ともいうべき大混戦の様相は、タスキとともに5区まで受け継がれ、往路はめまぐるしい順位変動を繰り返した。順天堂、山梨学院、早稲田、駒澤、神奈川……、レースの流れが定まらないままに、あれよあれよという間に往路が終わってしまうのである。 めまぐるしく順位が変動した原因のひとつは、各大学ともに往路に主力を投入したせいもある。いっそのこと、往路優勝というものはなくしたらどうだろうか。往路、復路と分けて覇を競うのなら、2日目の時差スタートにそれほどの意味はない。両日ともヨーイドンで出発したほうが趣旨が一貫している。時差スタートでは走っている選手にも復路の順位はわからない。往路、復路と区別してタイム表示するのはいいが、優勝チームは総合優勝だけに一本化すべきである。
山を制する者は箱根を制す……。 使い古された陳腐な箴言によりかかるわけではないが、その陳腐さゆえに逆に大きな説得力を持ってしまったのが今年の大会だった。長いあいだエース区間といえば、往路の2区(花の2区)、4区、復路では9区があげられてきたが、10区が23キロに変更されてから、変化が生じてきているようだ。とくに今年は「山」を重視する傾向が顕著で、登りの5区にエースをぶつけてくる大学が多かった。 中央の藤原正和、山梨のD・カリウキ、神奈川の吉村尚悟、順天堂の野口英盛……、2区に投入されてもいいエース級がこぞって山登りに起用されたのである。近年箱根ではいいところのない山梨はイチかハチかの勝負をかけてきた感があり、岩水を欠いた順天堂も苦肉の選択の結果とみてとれた。それはともかく山中での順位争いに加えて、区間賞争いも興味深いものとなったのである。 4区を終わった段階では松下龍治で逆転した駒澤がトップ、12秒遅れで早稲田、1分13秒遅れで神奈川がつづき、帝京、山梨学院、日大、大東文化、順天堂……3分以内に8校が連なっていて、今年も山中の戦いがポイントになり、大いにみどころがあった。 駒澤の一年生・田中宏樹を追う神奈川の2年生エース・吉村尚悟のトップ争い。そして後ろからやってくる順天・野口英盛と中央・藤原正和の区間賞争い。観戦者は表と裏のバージョンで楽しむことが出来たのである。 神奈川の吉村尚悟は実に冷静な判断であった。それほど急がずに前を追い、15キロ手前で早稲田を交わし、駒澤に追いついてもあわてなかった。ゆっくりと相手をみてから、下りで一気に突き放した。 神奈川の4年ぶり3度目の往路制覇は吉村の快走によってもたらされたが、今年は1区から4区までで常に好位置につけていたことが、大きな伏線になっている。とくに1区の飯島智志、3区の下里和義の好走が光っている。 裏バージョンの戦いでは順天堂の野口英盛が爆走、区間記録保持者の藤原正和を寄せつけなかった。5キロ=16分20秒というハイペースで追い上げ、5キロすぎでは4人を抜き去り、4位まであがってきている。 区間記録を上回る勢いで、14キロ手前ではトップまで55秒差に迫っていた。区間記録の更新は強風のせいでならなかったが、大東、日大、山梨、帝京、早稲田と順次に交わして3位まで順天堂を押しあげてきた。山中での5人抜きは大会タイ記録である。さすがはキャプテンというべきか。3区の弛みで危機をむかえていた順天堂を救った攻めの走りはみごとであった。 ゴールで観戦していた追っかけのEさんによるとレースを終えた野口は、唇をかみしめ涙ぐんでいたという。このランナーは人いちばい責任感が強く、満足度レベルが高い。その証左だろう。
往路制覇は「山」登りを制した神奈川、復路を制したのは「山」下りを制した駒澤であった。 駒澤の2年生・吉田繁は初めて箱根に出てくる顔である。ハーフマラソン64分台といえば並の選手である。ところが晴れの舞台で大仕事をやってのけた。駒澤の2度目の制覇を確実にしたのは吉田である。最初から果敢にとびだし、早くも6キロぎで神奈川の谷口をとらまえてトップに立ってしまった。59分21秒といえば、4年連続で山下りの区間賞を獲得した金子宣隆にわずか17秒負けただけである。無名の選手がエースなみの働きをしたことにより勝負の流れは一気に駒澤に傾いたのである。 駒澤は6区で2位の順天堂に1分50秒の差を付け、7区以降は独走態勢をかためていった。印象的だったのは7区以降のランナーはいずれも守りではなく攻めの走りをしていたことである。選手そうの厚さもさることながら、一人ひとりが攻める姿勢を失わなかったことが最大の勝因だろうと思う。 順天堂大はよく2位をまもった。エースの岩水嘉孝の欠きながらの総合2位は健闘の部類である。とくに復路は中川拓郎ひとりという布陣で3位を勝ち取った点に注目したい。ポスト・クインテットの戦いかたがみえてきた。来年につながるレースをしたというべきだろう。アンカーが帰ってくるのを待ち受けるメンバーに笑みがこぼれていたのは、確かな手応えをつかんだからだろう。 健闘組の一番手をあげれば、文句なしに3位の早稲田だろう。往路は2,3区で区間賞を連取して4区の半ばまで首位を突っ走った。復路でも7区の空山隆児と10区の櫻井勇樹が区間賞を獲得、今大会4つの区間賞は最多である。予選会の好記録がバブルでなかったことを証明して見せた。空山隆児はまちがいなしに箱根のエースになるとみた。併走している神奈川の竜田、大東文化の柴田の背後に追いつき、両手で左右にかき分けるようにして追い抜いた度胸のよさに大器の片鱗をみた。 意外だったのは山梨学院大と日大である。 とくに山梨はこのところ3年つづけてシード落ちの危機にさらされている。出雲や全日本では主力に伯仲するのに箱根では低迷している。優勝を争える戦力をもっていながら、持てる力を発揮できないでいる。同じ失敗を3年も繰り返すのは、チーム指導体制に問題があるのだろう。 日大は往路が悪すぎた。復路ではいくぶん持ち直してシード権をきわでく争っていたが、最終区で沈んでしまった。
今大会は注目選手にに故障者が多かったようである。レース中に故障した徳本はともかくとして、順天堂のエース岩水嘉孝、駒澤の内田直将、山梨の高見澤勝など……。駒澤のエース神屋伸行もどこか故障があったのだろう。 さらにエースといわれるランナーの凡走も多かった。法政の徳本にはじまり、中央の藤原正和、駒澤の神屋伸行、山梨のカリウキ、いずれも本来の走りとはほど遠いものだった。実力接近で、もはや名前だけでは勝てないということだろう。 最近とくに故障者が多いのは、故障と紙ひとえのところまで躰を追い込まなければ、レースのスタートラインにも立てないからである。今年はながくシード権をまもりつづけてきた日大がシード権を失い、山梨学院のような優勝をねらえる戦力があっても、ひとつまちがえばシード落ちの危機に立たされる。予選会のタイムも飛躍的に向上してきている。それは駅伝の競技レベルが底上げされたことの証左なのだが、近年はあまりにも過熱しすぎている感もある。 2日間にわたって箱根のランナーを追っかけたEさんは徳本の姿も間近に目撃、次のようにのべている。 「翌日の大手町のゴール付近で、ギプスに松葉杖の徳本選手とすれ違いました。側に1区を走った黒田選手たちが付き添っていて、とても痛々しかったです」 テレビ画面でみる2日目の徳本は、もうふっきれたような笑顔をみせていたが、それだけにEさんが言うようによけいに痛々しさが募る。 テレビ放映されるようになって、いまや箱根駅伝は国民的行事になった。テレビに登場するランナーに求めるファンの欲求が次第にエスカレートしてゆくのは自然のなりゆきである。徳本のアクシデントもその延長線上にある。そのように考えると、もしかしたら、徳本の悲劇を醸成した責任の一端は、観戦者としてのぼくたちにもあるのかもしれない。
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