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青東駅伝として知られている東日本縦断駅伝競走大会は、第1回が1951年に行われている。今年で51年目だが、途中7年の中断があり、今年は44回目である。青森から東京まで62区間、856.3kmを7日間に分けて、全17チーム、408人の選手が走破するというから、まさに世界最大規模の駅伝である。 世紀をこえて、21世紀最初の青東駅伝の日程は10月28日(日)から11月3日(土)まで、テレビのダイジェスト放映は、ゴールしてから一週間後の11月10日(土)であった。 前回は埼玉が終始リードして、優勝はほぼ確実と思われたが、最終日のまさかの逆転劇で、東京が2年ぶり22度目の栄冠にかがやいた。 埼玉にとっては、いま一歩のところで足もとをすくわれた東京にリベンジしたいところだろうが、東京の布陣は昨年以上に強力であった。東京はまさに完全優勝さえねらえるメンバーをそろえてきた。 監督は昨年の実業団チャンピオンであるコニカの酒井勝充、そのせいもあって初日からワイナイナや坪田智夫などコニカの主力を投入してきた。チャレンジャーの埼玉は……というと、たとえば今年はカーニーの名前がメンバーから消えている。昨年に比べるとかなり小粒で、大幅な戦力ダウン否めなかった。そんなわけで今大会の焦点をあげれば、完全優勝をねらっている東京に対して、若手のホンダ勢を中心に埼玉が何日目まで持ちこたえられるか……という一点にしぼられていた。
東京は最初から他を寄せ付けなかった。初日の2区でトップに立つと、そのまま突っ走り、8区間のうち4つの区間賞を奪った。とくに2区で奪首した坪田智夫と8区の長丁場でで区間新をマークした西田隆維の快走で、当面のライバル埼玉に5分45秒の差をつけた。 2日目は埼玉が三行幸一(東洋大)、田上二朗(大東大)という大学生、箱根では「山下りの永井」というわれる永井順明(中央大出身)が区間新をマークするなど、若い力が爆発、11区間のうち五区間を制して、東京を2分33秒上回った。 埼玉の命運は3日目の出来にかかっていた。2日目で良い流れをつくった埼玉が三3目も制すれば、勝敗のゆくへは、予想外にもつれる可能性もあった。だが埼玉はスタートの櫛部静二で好発進したものの、またしても西田隆維、坪田智夫にしてやられた。後半は猛追して、最後は秒差まで追い上げたが、いま一歩およばなかった。両チームの勝敗は、この時点で決したといっていい。埼玉の勢いを封じ込んだ東京は4日目からは独走態勢を固めてしまうのである。 東京27、埼玉17……。区間賞の獲得数である。62区間のうち両チームが7割強も押さえているのである。東京には区間賞を3回とった選手が3人もいる。坪田智夫、西田隆維、木庭啓である。ほかに山本泰明、ワイナイナ、松浦仁一らが2回である。とくに坪田と西田がポイントになる区間で快走しており、勢いのある2人が東京の勝利を導いたといっていい。
青東はいわば駅伝のオリンピックである。東京や埼玉のように、毎年のように優勝をねらってくるチームもあれば、参加することで何か突破口をみつけようとしているチームもある。実業団、シニアもジュニアも大学生も市民ランナーも、みんな同じ土俵で走る。かつて実業団で活躍していた選手が、新しい人生を占う意味で、故郷から出場するケースもめずらしくはない。選手それぞれが独自の目標に向かってひた走るのが、この駅伝である。 鈴木賢一といえば1994年の広島アジア大会のマラソン代表だが、今年4月に富士通を退社、現在は黒磯南高教員になっているが、栃木のメンバーとして青東へもどってきた。8年ぶりの青東では3度も走った。 初日4区(15.6)では区間13位、4日目31区(16.0)と6日目53区(18.5)はともに10位に終わった。鈴木と同じく今春、富士通を退社して帰郷した菅野邦彰は山形から出場、顔をゆがめて歯を食いしばるさまに、指導しているこどもたちに走る姿をみせたいという思いがあふれていた。かれらはそれぞれ指導者として新しい人生のスタートを踏み出した。まるで新しい目標に向かって、自らを奮い立たせるかのようであった。
櫛部静二といえば天才ランナーである。早稲田大学卒業後はヱスビー食品で活躍、アジア大会にも出場したことのあるランナーだが、櫛部といえばすぐに想起されるのは1年の箱根駅伝2区での大ブレーキである。トップをゆきながら、体調不良のために失速して、13人に次つぎ抜かれてしまった。だが3年のときは1区に起用され区間新記録で快走、早稲田の総合優勝に貢献した。箱根駅伝のスターのひとりなのだが、どうもマイナスイメージばかりが先行、色眼鏡でみられてしまうところに、かれにとっての不幸がある。 その櫛部は今年、埼玉から出場してきた。大学院進学を決意したかれは、今年の4月末でエスビー食品を退社したが、おりからエスビーの先輩で4月に城西大駅伝部監督になった平塚潤に声をかけられて、同コーチにつくことになった。コーチのかたわら城西大クラブの一員として競技もつづけるという。 新しい目標をみつけた櫛部は顔の表情も晴れやかである。清々しい笑顔が胸をうった。3日目のスタートの20区では57分04秒で区間賞を獲得、6日目の53区では区間新記録の西田隆維(東京)に次いで2位で走り終えた。「走ることが楽しい」という櫛部は、来年2月の東京国際マラソンに出場するらしい。一皮むけた天才ランナーの走りに期待したい。 櫛部を城西大コーチにひっぱった平塚潤も埼玉から出場したが、かれにとっては今大会がラスト・ランとなった。広島アジア大会の銀メダリストなど、数多くの勲章をもつ平塚は最終区62区に登場、区間6位でラストをしめくくった。指導者として、いままさにスタートラインに立った平塚、櫛部と、かれらにひきいられた城西大の今後を注目してみまもりたい。
今大会は坪田智夫、西田隆維、永井順名など、将来の長距離界を背負う若手の活躍が目立つ大会だった。高校生では福島の今井正人(2年)が、1区で実業団、大学生相手にきわどく区間賞を争って2位、第39区では区間賞にかがやいた。そのほか18区では岩手の川、23区では栃木の佐藤慎悟、42区では長野の原田徹が、それぞれ区間賞にかがやいた。 大学生では埼玉勢の健闘ぶりが目についた。山脇拓哉(大東文化3年)、三行幸一(東洋大)、堀口貴史(国士舘大)が、それぞれ2度の区間賞を獲得している。三行、堀口ともに本大会で箱根駅伝に出場できない鬱憤を晴らしたようである。 山脇は全日本大学駅伝の第1区に登場したが、青東での好調さを活かすことができなかった。区間16位と大きく崩れて、大東大の勢いを1区でとめてしまった。青東での好調さを伊勢路に活かしたのは駒澤の松村拓希である。茨城から出場した松村は1区で競り勝ち、21世紀最初の区間賞を獲得、全日本大学駅伝でも6区でも快走して区間賞、駒澤大学の優勝に大きく貢献している。山梨は山梨学院大の選手たちが大挙して出場、17区では清家健が区間賞を獲得するなど山梨チームの主軸を占めていた。 とくに今大会は大学生、高校生の活躍が顕著で、そういう意味では収穫が大きかったのではあるまいか。
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