ウェブサイト開設21周年

22.08.15

8月14日の日曜日、我が主宰しているウェブサイト「日本人よ誇りを持て」は、開設21周年を迎えた。なお「うそ800」はその一セクションである。ほかにもいろいろ引き出しはあるのだがいずれも人気がなく、今では「うそ800」がメインとなってしまった。

さてウェブサイトが21年続いたとは、長いのかそうでもないのか?
一般的にウェブサイトの寿命は2〜4年だそうだ。個人のではない。企業のウェブサイトがですよ。個人のウェブサイトの寿命なんて言ったら、当然お金をかけて運営している企業のそれより短く、せいぜい1年とか2年ではなかろうか?

ウェブサイトの寿命について、公式に平均寿命とか平均余命なんて調べられているわけではない。いろいろな人がいろいろ言っているが、みな感じでものを言っており、研究したものはそんなにない。以前引用したことがある論文が今でも唯一のもののようだ。

笑ってしまうのはウェブサイトの寿命を調べる「キミのサイトの残り寿命」という、ウェブサイトの寿命を予測するサイトがあった。2009年に作られたが2011年以降更新はなく、今はCGIも動かず亡がらだけが彷徨っている。
人のウェブサイトの寿命の予測より、己のウェブサイトの寿命を考えなかったのか?

そんなことを踏まえると、私のウェブサイトが開設から21年も続いたというのは長いほうだと思う。
Windows95が現れてからパソコンをインターネットにつなげるのが容易となり、一般人がインターネットに怒涛のようにアクセスし始めた。個人でウェブサイトを作るのは、その直後から広まった。
となると現在2022年だから、最長の個人のウェブサイトは2022年引く1996年で26歳になる。それからみると21歳のここはまだ若い、というか永遠に最年長になれない。


開設当時のトップページ
その頃は、インターネットエクスプローラー
(IE)とネットスケープが競合していました。
下の図はネットスケープです。
開設当時のトップページ
当時はエラーなく、リンク切れもなければヨシ
という時代です。
音もなし、動くのはGIFアニメのみ。
高画質の写真とかミュージックがあれば、重い
と苦情が来る時代でした。
20年は十分に長いです。

ウェブサイトの寿命といっても、ウェブサイトそのものに寿命があるわけではない。ウェブサイトのメンテナスをやめた時に命が尽きる、それが寿命だ。
私の元同僚は、「作ったウェブサイトは数知れず、まだまだ残っているはずだ」と豪語していたが、ネットにはそういう使い捨てなのか、モズの早煮絵なのか、開設されただけでメンテナンスされずに放っておかれ老醜をさらしているものが多い。

仮に高校生とか大学生がウェブサイトを作ったとして、学校を出て社会人になれば趣味も変わるだろうし、何よりも公私とも忙しくなる。週1の更新など無理だろう。
社会人がウェブサイトを作ったとして、結婚、引越し、子育て、転勤、転職その他いろいろなイベントが起きるだろうから、いつまでも一つのことに関わってはいられない。
更新がめったになければリピーターはいなくなる。蜘蛛の巣がはったウェブサイトは存在しても寿命は終わりだ。


ウェブサイトを作るのは、初期には結構ハードルが高かった。htmlの主要なTAGを覚えないとならないし、見た目を良くしようとするとCSSの知識が必要となり、ブラウザに動きをつけようとするとJAVASCRIPTの知識も必要となり……
その後ホームページビルダーなど、テキストや絵を用意すれば、形に表示するhtmlを作ってくれるソフトが現れた。更にはWORDで書いてセーブするときファイル形式をdocでなくhtmlを選択すればOKというように便利になった。

パソコンが遅い
遅い遅いぞ
ところがこれらには落とし穴があった。
htmlのファイルサイズが手作業で書いたものに比べて、1.5倍から2倍にもなるのだ。
ファイルサイズを1kBでも小さくしようというケチな私には肌が合わない。いや、ケチではなく当時の有料ウェブサーバーの容量は20MBとか50MBだったから、死活問題というと大げさだが、画像であろうとhtmlファイルであろうと、1kBでも小さくしなければならなかった。

今はインターネットに接続は9割が光とかケーブルテレビである。それでも電話回線が6%くらいある。実際問題として表示される時間がかかるとか心配することはないだろう。
しかし2000年以前は電話回線がほぼ100%だったから、ウェブサイトを早く表示しないと訪問者が去っていくので、トップページは合計で70kBとか100kB以下にしなければならないと言われていた。今なら画像1枚で1MBあるかもしれない。当時はウェブサイトを作るのに制約条件が厳しかった。
だから画像はとりあえずファイルサイズが小さく画質の悪いものを表示し、時間経過とともに高画質のものに差し替えるとか、どうでもいいテクニックが大流行だった。
言い方を変えるとウェブサイトを作るにはテクが必要で、それが見せどころだったともいえる。私はそんなレベルではなく表示できれば御の字であった。
 参考:総務省 通信利用動向調査(2020.05.29)


情報発信をしたい! でもhtmlは敷居が高い……そう思っていた人は多い。その要望に応えるものが現れた。ブログである。
プラカード
インターネットの登場前は
デモとか意見広告くらいし
か主張する手段がなかった
インターネットによって我々は真の言論の自由を獲得したのだ。今までの言論の自由は権力者限定だった。だがウェブサイトも技術知識を持つ人限定の言論の自由だった。ブログは万民に言論の自由を与えてくれた。

2003年にライブドアブログが表れて無料で30MBまで使えた。今なら音楽や画像それも動画となると30MBなんて使えねえ〜と相手にされないかもしれないが、当時は画期的というか革命的だった。
デザインや背景はある程度制約はあるが、それらを選び画像とテキストを張り付ければ完了というのはものすごいことだった。
ブログはほとんどが毎日更新というのが多かった。まあ文章を書いてhtmlにしてなんてことがなく、居酒屋で美味しい肴があれば写真を撮ってアップするだけなら数分もかからない。

とはいえブログでさえ使えませんという人も多かった。当然そういった希望に応えるものが登場する。SNSである。
MIXIが現れたのは2004年、Twitterが2008年(日本)、Facebookは2010年(日本)などさまざまなコミュニケーションツールが現れた。
もうウェブサイトのような論説発信とか情報提供ではなく、それこそ、つぶやき(Twitter)か、写真と文章を共有する(Facebook)程度でしかない。インスタグラムに至っては「インスタントカメラ」と「電報」の合成語であり、ちょっと気になったのを写真に撮ってコメントをつける程度のもの。


いや、ブログやSNSにケチをつけているのではない。私自身、ブログは今日常更新している。生きているのがふたつだが、もう何年もメンテせず漂っているのは片手くらいあるし、SNSはMIXI、Twitter、Facebookをやっている。もっとも登録しているけど自ら書き込むことはなく、古い知り合いからの連絡用でしかない。

おっと、言いたいことは自分の主張を起承転結で話したい、世の中の不公正を糾弾したいとなると、自前のウェブサイトが必要だということだ。
自前というのはお金を出さないフリー(freeとは自由の意味もあるし、無料の意味もある)のウェブサイトでは、いつなんどきプロバイダーがなくなるか、なくならなくても○○ブログを終了しますという通知が来るかもしれないということだ。

特に私の場合、理由は分からないが、私のコンテンツは絶対に出てこない検索エンジンもあり、某ブログに開設した時はいつのまにか丸々削除されてしまった(拒否された)ことがある。きっと運営者が私が好きじゃないのか、私の主義主張に反対なのだろう。
まあ文句をつけても無料の場合はしょうがないようだし、別のブログにコンテンツを移動するくらい一晩かければよい。私のISOのブログが転々としたのはそのせいだ。

ともかくブログやSNSなど楽に使えるメディアが登場しても、ウェブサイトを作るにはそれなりの理由があり、無料のサーバーがあるのにわざわざ有料で容量が小さいところを使っているのは、自分の主張を唱えたい!そして一方的に削除されるのを避けたいということだ。


いろいろ語ったがウェブサイトの技術的なことになると、私は全くの初級者である。
1990年代に会社のイントラネットで見よう見まねで覚えたhtmlやスタイルシートのテクニックから今も進歩がない。htmlの文法はどんどん変わっているが、どのみちこのウェブサイトの初期のコンテンツは昔の文法なのだから今のコンテンツを昔の文法で書いてもどうということはないだろう。
定年退職者で暇を持て余している……いや暇をつぶすためにウェブサイトを紡いでいる私にはそれで十分だ。

注:初級者と初心者は違う。
初心者とは習い始めの人のことで、初級者とは一人前になっていない人です。誰でも初心者から始めますが、初級者以上に進まない人もいます。
水泳を習って10年になりますが、私はいまだに初級者です。(キリッ


実を言って私だって趣味と言えるものはいくつかあり、毎日フィットネスクラブにも通っているから暇とは言えない。とはいえ夜長とか時間はいくらでもあるのは事実。
世の中に言いたいこと、思いついたアイデアなど文にまとめて世に問うといえばかっこいいけど、まあ誰も来ないとしてもだ、腹膨れるの防ぐガス抜きである。
あるいは日記をネットに書いていると考えてもよい。ほかの人に読んでいただけるなら幸甚である。


お金の話をするとどう思われるか懸念もあるが……何をするにもお金がかかる。昨年からジオラマつくりも趣味に加わったが、これも結構お金がかかる。
コレクションボックス 作ればケースに入れないと埃だらけになるし、蜘蛛の巣が張るかもしれない。だから100円ショップからプラケースを買ってきてそれに合わせて作る。
100円ショップといってもすべてが100円ではなく、少し立派なものになると200円300円といろいろある。またスチレンペーパーとか接着剤など消耗品も多い。ジオラマを作ると水辺があるのが定番だが、固まると水の情景になる液体がチューブ1本1,300円くらいする。20センチ角くらいの海岸だとこれ1本使ってしまう。

スイミングだって安くない。水泳パンツの寿命は1年という。毎日プールに行くわけで、1着ではたりない。 ゴーグル 実際は3着を回しているが1年半で3着買いなおす。生地が変色するし伸びて生地が薄くなる。
ゴーグルも2個ないと回らない。私の場合近眼で度付きだから2500円くらいする。とはいえ金のかからないスポーツであることは間違いない。

家内は卓球命という女だが、ラケットを2個もっていて、ラバーは年に2回くらい張り替えるから都合ラバーが8枚。1枚5000円から高いものは1万円くらいする。
古くなるとラバーのグリップが弱くなり、回転をかけられなくなるのだという。
ウェアも毎年流行があるらしく、年を越すと卓球では着ずに家の中で着るくらい。みなあの柄は何年のものだと知っているから練習でも着られないという。市の大会などになると毎年チームでユニフォームを作る。だからどんどん溜まる。

そういうことを考えるとパソコンさえあればウェブサイトは作れる。手軽で安価な趣味であることは間違いない。
おっと私はホームページビルダーとか画像編集ソフトなどは持っていない。htmlはメモ帳、画像はGIMPとすべてフリーソフトである。
ときどきフォトショップがあれば……と思うこともあるが、どうせ高いソフトがあっても使いこなせない。GIMPやペイントで手書きしたもので十分だ。

とはいえパソコンにも消耗品がけっこうある。
私にとってはキーボードが一番の消耗品だ。歳をとってからはだいぶキーを打つことも減り、今では1年半は持つようになった。現役時代は風呂敷残業みたいなもので、家で仕事していたから、キーボードの寿命は1年ジャストだった。会社のキーボードの寿命は2年くらいあったのだから、家で文章を書き、会社ではそれを使って説明とか交渉をしていたということになるのだろうか?
まあキーボードは安ければ1000円、高くても3000円だから、水泳より安いことは間違いない。

注:風呂敷ふろしき残業とは、通常の労働時間内に終わらない仕事を自宅に持ち帰ってすること。時間外に労働をするわけでサービス残業の一種だろう。
風呂敷 うちの親父は50過ぎてからトラック運転から事務に回された。月末、期末になると書類を持って帰って夜遅くまでそろばんをはじいていた。大人になってからそういうのを風呂敷残業というと知った。
昔は風呂敷に包んで帰ったからそう呼んだが、今どき風呂敷のある家庭はまずないだろう。

ウェブサイトの問題として、昨年とうとうプロバイダーの容量100MBをオーバーしてしまった。無料50Mに有料50Mを加えているが、それも使い切ったわけだ。プロバイダーに問い合わせたが、これ以上容量大きくできないという。
最初はどうしたものかと悩んだ。いよいよウェブサイトを幕引きする時が来たのかとさえ思った。
結局今はDTIにはインデックス(目次)だけおいて、個々のファイルは別のフリーのプロバイダーにファイルを置いてリンクさせている。お金もかからずお客様にも迷惑をかけず。とまあ、そんなことで取りあえず対策はした。

とはいえ問題が解決したわけではない。フリーのプロバイダーはいつ消滅するか分からないというリスクがある。そのリスクは仮定の話ではない。
私のコンテンツにアクセスカウンターをつけているものがあるが、過去の経験では使える期間がせいぜい2年だ。それくらいときが経つと、無料カウンターのサイトがなくなってしまう。

当初はカウンターが消えると大変だと新しいカウンターサイトを探して、それをファイルに付け直していた。でもファイルが100個とか200個とかあるわけですよ。正直言ってそれほどのファイルの修整は一晩ではできません。下手すると半月くらい夜をつぶしてしまいます。
ばかばかしいから今はしません。なくなったらもう手を打たない。リンク切れが見苦しいがそれも気にしないで放置。新しく加えるコンテンツには新しいカウンターをつけておしまい。
命短し楽せよ翁であります。


今の願いは、一刻も早くCOVID19(新型コロナウイルス)が収まることだ。田舎の墓参りも、もう2年半行っていない。 オレはコロナウイルスだ、 講演会とか博物館とかにもいっていない。海外旅行も国内旅行も行っていない。せいぜいコロナ流行の谷間に行ったのは、両国国技館の大相撲見物とか、ジオラマの勉強のために有明のスモールワールドくらいだ。
だがコロナ流行はこの「うそ800」にも影響を与えている。

ウェブサイトとCOVID19は無関係だろうとおっしゃるな。2020年にコロナが流行してから、我が愛しき「うそ800」のアクセス数は明白に減少してきている。2019年までは日々のアクセス数は400をキープしていたが、2021年までに日々のアクセス数は300まで減った。2022年に入りコロナが一段落したと思えた4月頃には350を超えてきたが、第7波に入った8月から、またアクセス数は350を切ってしまった。
こればかりはウェブサイトで管巻いてもしょうがない。


うそ800 本日の締め

ウェブサイト開設から21年経った。21年は長い。初めの頃はウェブサイト開設記念日に、なぜ開設したのか、ここで私は何を主張しているかということを書いていた。
それから世相を嘆き、ISOの欺瞞に対する怒りというか提言を書き、だんだん時代の流れをどう思うかというようなことを書くようになり、ここ数年は世の中に対して諦めたようなことを書いている。
来年以降は……生きているかどうか定かでないから、予想とか希望を書くのはやめよう(笑)

お暇なときに過去の記念日のコンテンツをお読みいただけたら幸いです。
甲子園のスコアボードではありませんよ!
4
14
グレーの年は記念日を忘れてました😌





外資社員様からお便りを頂きました(2022.08.15)
おばQさま 21周年おめでとうございます、毎度同じお祝いですが継続は力なり。
これからもお元気で好奇心にあふれた記事を楽しみにしています。

ついでというと失礼ですが、SDGsについても一言。
17の目標を見ていつも不思議に思うのは、「出生」について明白な記述が無い事。
子育てについては、間接的にいくつかの目標:例として「子供にすべての人に健康と福祉を」などが関連していますが、出生率が下がれば社会が維持できないのは明白にもかかわらず、目標に無いのは何故でしょうか?
出生率は社会の維持に最重要な目標に思うのですが...

不思議に思って調べると、総務省のサイトではSDGsを実現する為の目標として「希望出生率1.8」の目標がありました。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/sdgs/dai2/siryou2.pdf
17の目標との関連は:1(貧困)、4(教育)、5(ジェンダー)、8(経済成長と雇用)、10(格差)、12(持続可能な生産と消費)等
ですって。
出生率1.8でも社会が維持できるのかという疑問もあるけれど、それは移民や外国籍の労働者を期待しているのでしょうね。

でも世界全体で言えば、出てゆく人がいるならば、減る国もある。それって10(人や国の不平等を無くそう)に反しないのか?
結局、SDGsって、工場で掲げてある「ゼロ・ディフェクト」とか「ゼロ災害」みたいなものなのかなぁと思ったのは、私の心が曇っているからなのでしょう。

外資社員様 毎度ご指導ありがとうございます。
SDGsのテーマとか目標とか、真面目に考えて作っていないからでしょう。
そういうと語弊があるかもしれませんが、SDGsの作成に関わった方が書いた「SDGs−危機の時代の羅針盤」を読みますと、とにかく各国の意見が合わず形になりそうがない。だから成立させようと妥協に妥協を重ねてなんとか形にしたと己の努力をくどいほど書いていました。
「SDGs−危機の時代の羅針盤」ではなく、「SDGs−役たたず危機をもたらす羅針盤」が正しいタイトルなのかもしれません。
そんなに意見が合わないなら作成しなくても良いのにと私は思うのですが、大学の先生とか官僚になると良くても悪くても結果を出さないとならない義務感・恐怖感があるのでしょうか?
ちゃぶ台返しをする勇気がないから、更なる地獄に落ちそうな予感がします。
ともかく出生率が1.8であろうと、2.1であろうと、真剣に考える必要はなさそうです。どうせあと5年もするとSDGsでは不十分だった、SDGs mark2を作ろうなんてやっているはずです。そもそもSDGsは達成期限が2030年だと国連が語っています。国連って嘘つきですよね。誰が聞いても17目標があと8年で達成できるはずがありません。
ZD
まさに「ゼロデフェクト」です。思い起こせば、1968年高校を出て現場に出たら天井からたくさんの「ZD」という旗が吊るされていました。旗を吊るせば不良が出ないのでしょうか?
アホらしいです。
キャッチフレーズを唱えれば……というのは言霊とも違うように思います。
まあSDGsを生暖かく眺めていましょう。あと3年もしたら見直しがあり、あと7年したらSDGs mark2が現れ、2030年を過ぎたら、そもそも現状認識が誤っていたと新たなメンバーで持続可能とは何だろうと議論するところから再出発するでしょう。
そしたら新しいSDGsバッジも売れて皆ハッピー!

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