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いつの間にやら3月が終わってしまった。LotR病のせいでたった2冊+αしか読んでいない。その割にとっても充実していたように思う。
頭痛がイタイ。先日なくなった叔父さんは、くも膜下出血で、食事中に箸を持ったまま倒れたと思ったら、もういけなかったそうである。頭痛がすると思っているうちはまだ大丈夫と言うことよね。でもなんだか心配、脳ドックでも行ってこようかしら。
NHKラジオの新講座「英語リスニング入門」けっこう難しいけれど解説はまだるっこしい。
羊歯家のビルは、これまでホビットだと疑わなかったが、人間のような気がしてきた。
なんだか来週初めまで、毎日立て込んでいる(特に放課後)。次男の学童保育のお弁当が9日まであるし、週末は信州で法事だし、井上直久さんの個展には行かなきゃならないし、演奏会は3つあるし、だいたい昼間は仕事に行かなくちゃならないし。いえいえ本末転倒とは言いません。どっちもしっかりねー。
『旅の仲間』は、やっとぶよ水を抜け、風見が丘を過ぎ、グロールフィンデルと出会うところへ。フロドの「ア エルベレス、ギルソニエル!」の叫びや、サムの思わぬ歌の才能、馳夫さんの野伏としての経験と知識等々。折に触れ指輪がその力を発揮しようとする。サムはいつもフロドの苦悩をつぶさに見て感じているのだねえ。そのサムがあこがれて止まない、エルフの軽やかさ、輝かしさ!こうしてギルドールやグロールフィンデルが出てくると、ここ中つ国がエルフの歩む国であることを改めて実感する。自分の国から出歩いているエルフは、レゴラスばかりじゃないんだもんね。くだんの地図("Journeys of Frodo")を見ながら読むと、確かに本だけ読むのとはまた違った楽しみ方が出来るが、やはり最初は物語だけで味わうのが正解だと思う。
ひさびさのサントリーホールで、オーギュスタン・デュメイ(Vn)&マリア・ジョアン・ピリス(Pf)演奏会。以前FMをBGMにしていたある時、たまたま流れていたブラームスのソナタに耳を奪われて手も止まるくらいにむんずとハートをつかまれてしまった。それが、デュメイだった。それまでは恥ずかしながらその名をぜんぜん知らなかったので、デュメイwho?という感じだったが、それ以来ずっと本物を聴きたいと思っていた。いやーなんとも。久しぶりに聴いたモダンのヴァイオリンであるが、非常に美しい音色の、落ち着いていながらしかも奔放である、得難い演奏家であると感じた。相方のピリスも、若い頃の壊れ物のような感じからずいぶんに良い意味で安定感を増した。とっても大男のデュメイととっても小柄で華奢なピリスの対比が何ともほほえましい。デュメイはとても嬉しそうに演奏しているので、それを見るとついにっこりしてしまう。それで、目をつぶって聴く。
『旅の仲間』はエルロンドの館でまだゆっくりしているが、あと七日で出立しなくてはならない。サムばかりでなくピピンとメリーの同行が許される。
母が先週から「ちょっと腰が痛い」と言っていたのが、一昨日からちょっと悪化した。幸いに週一回通っているデイサービスの母体が接骨院で、往診してくれるという。今日は提携先の外科まで送迎付きでレントゲンを撮りに行ってくれた。どこかそれと気付かないうちにひねったかぶつけたか、と思っていたが、長年かかって骨盤に変形があり、大腿骨の骨頭もつぶれているのだそうだ。「あれじゃ痛いと思いますよ」とのコメント。でも当人に訊くと「どこも痛くない。レントゲン?この前○○医院に行って透視してもらったけど骨もどこも悪いところないって言われた」と言うので「今日もレントゲン撮ったのよね?」と訊くと「そうだそうだ、今日も撮った。透視してもらったけど骨もどこも悪いところないって言われた」この分では「明日もレントゲン撮るのよね?」と訊いても同じ答えが返ってくると思われる。どうもこの頃とみに会話のすれ違いが増えてきたように思う。
娘は手首が痛いのが本格化し、ついに今日簡単に鍼、整骨をしてもらう。亜脱臼と言うのだそうだ。ほんの1本か2本の細い鍼で嘘のように痛みが退いて、動かせなかった指が動くようになる。鍼は十人中ひとりふたりダメな人がいるそうだ。精神的にダメだと言う人と身体的にダメな人と。私自身は鍼は大好きで、見ていると自分にもまたやってもらいたいと思った。うう肩こり。白銀の鍼打つごとききりぎりす幾夜は経なば涼しかるらむ。鍼というと必ずこの歌を思い出す。
モリアに突入した『旅の仲間』。ビル(馬)は脱兎のごとく逃げ去って行き、すすり泣きながらサムはフロドを追う。それにしてもボロミアやアラゴルンはいつ寝るのだろう。そう言えば羊歯家のビルは人間だと判明。そういう記述があった。さすがに十数年ぶりに読み返すと細部は忘れきっている。かと思うと、昨日読んだばかりのようにありありと、あるいは親しく記憶に残っている部分も多い。"Journeys of Frodo"は何だか本文と違っているところも結構あるように思う。むしろ邦訳がいくぶん違っているのだろうか?
みなさんSFセミナーには行くのかしら?私は今のところ昼の部のみ行くつもり。
デュメイ&ピリス@王子ホール。ホールの大きさ・性格が違うと、ほぼ同じプロでも印象が全く違う。今回は頑張って複数回聴きに行くので、短期間に多面的につかむことができる。
『旅の仲間』を終わり『二つの塔(上1)』へ。ガンダルフがモリアで奈落に落ちるシーン=バルログが出てくるシーンを原文に当たってみた。記憶通り邦訳ではバルログに翼があることになっていたが、原文でもはっきりそういう記述になっているのか確認したかったのだ。
It stepped forward slowly on to the bridge, and suddenly it drew itself up to a great height, and its wings were spread from wall to wall;
と言っても、べつに「翼があってもそれはもともと役に立たない翼なのだ」だの「翼を広げると壁にぶつかってしまって飛べないのだ」だの、ぶちたいわけでは全然ないので念のため。
6日は昨年亡くなった叔父の一周忌のため朝から信州方面に行く。代替わりした坊主のお経が、のどの調子のせいか声が小さくてもろ子守歌のよう。このごろ法事も正座でなく椅子になったので、いつ椅子から転がり落ちるかと気が気でなかった。笑ったのは、お焼香をするにもお香の入れ物(なんて言うのだあれは)を載せる小さいワゴンのようなものがあったこと。去年は膝に載せて焼香し、おっかなびっくり次の人に回したのだ。お寺〜お墓〜会食(温泉宿)と全て済んだら何だかくたびれてしまい、子供らがTVで「ロストワールド」を見ている傍らで正体なく寝てしまった。ああだけどまた来年は三回忌なのよね。
今日は朝解散。無事渋滞もなく昼頃帰着、家に着く前に降ろしてもらい、池袋東武百貨店へ「井上直久‐イバラードの世界‐東京展」を見に行く。4日から10日まで開催されており、4日か5日に時間をとっていきたかったのだがダメ、8日も9日も行ける可能性が低いので、どーしても今日行きたかったのである。井上さんに『迷路の街で聞いた話』にサインを頂き、特製イバラードイラスト入りポストイットを購入。今回は、多層海系の絵が比較的多く、全体にいつもよりブルーでいっぱいの会場だった。ファン垂涎の、絵本『イバラードの旅』の原画が何点も出ており、なかでも「花火屋」とか「花火屋」とか「花火屋」とかが既に売れてしまっていたのが残念で残念で残念で…!やっぱり初日にどうしても行くべきだった。行ったからとて買えた訳ではないのだが(;.;)
娘が先日車の教習所を卒業し、あとは本試験を受けるのみ。私と次男がイバラードをさまよっている間に、娘は連れ合いと長男に同乗してもらって「仮免許教習中」。手作りのプレートに、周りの車がみんな笑って顔を見ていたって。意外に自分の家の車で仮免の練習をしているのって見かけないから、さもありなん。休日で空いている東京都内を、東京駅まで行って池袋まで戻ってきたそうだ。おお怖。頑張って本試験受かってくれ給え。それにしても保険料高い。今までは運転者夫婦限定・無事故割引で一番安い設定だったのに、俄然一番高い設定になってしまったのである。くれぐれも気をつけるように>娘
『二つの塔(上1)』はまだメリピピがオークに捕まっている所。ロヒアリムの包囲網に、オークは動きを封じられている。これも旧版では「ロヒリム」だったのよね。いちいち紙面を比較しているわけではないが、ちょこちょこ、訳語に差異が見られる。
MZTさん本格的にサイト休止ですか。いつかエイプリルフールに見事に担いでくれましたね>忘れないぞ。再開を心からお待ちしています。物理的には遠いですが、いつもMZTさんの存在は近くに感じておりますよ。
終業後、再度東武百貨店イバラード展へ。明日行こうと思っていたのを今日に変更した。それというのも、今日行くはずだったデュメイの演奏会@武蔵野市民文化会館が、出演者急病のためキャンセルになってしまったからである。せっかくのソロだったのに、ひどいわひどいわひどいわー(;.;) イバ展では、前回渋谷東急で購入したポスターを、額装して頂くためフクオカさんにお渡しした。花火屋とか花火屋とか花火屋とかを、名残惜しいよう、と思いながら見る。
昼休み、銀行と郵便局と本屋をはしご。意外にどこも空いていたので早く済んだ。お弁当を食べながら『ユリイカ』のトールキンの詩と解説を読む。悲しいことにミニトマトの汁が、ぴゅーっとページを汚してしまった〜。終業後、えいご。ああいつの日にか上のクラスにあがれることを夢見て。昨晩寝不足がたたって次男と一緒に寝てしまったのに、なぜか帰宅してご飯を食べるやいなや起きていられずまたも轟沈。
日中、娘から電話。「ねえねえねえ、受かったの受かったの!」反射的に「何が」と訊き返そうとして辛うじて思い出し「あっ、免許受かったの!?」ようやく運転免許が取れたのである。同時期に別な教習所で取り始めたカレシの方が先に取れそうだとくさっていたが、なんとか一歩先んじて取れた模様だ。でもそのカレシ、さいきん話を聞かないけど大丈夫?
相変わらず『二つの塔』だがやっと上の2に入る。
9時から11時半、12時から1時半、1時半から3時半と委員会続き。それぞれ顔ぶれが殆ど同じという…うう疲れた。みんなまとめて一所で論議してくれよ〜。
『二つの塔』は角笛城の攻防とエントの森の進軍を過ぎ、セオデン、エオメルらと共にアラゴルンらがオルサンクに入る。地図を見ながら読むと、攻防の詳細がありありと浮かび上がってくる。こういう戦いのシーンは得意ではないので記憶が薄れているが、セオデン、エオウィンらの人となり、嫌悪に燃える蛇の舌の睨め付けるようなまなざしなどは、今まで何年もたいして思い出したことがないのが嘘のように、生き生きと甦ってきた。白のガンダルフが何と素晴らしいことか、うーんまた初読時のように夢に見てしまうかも。映画でも2部、3部で、本領を発揮してくれますように!
それにしてもLotR字幕版、脳内補完・修正しつつ見ていたので、初めのうちはもうちょっと救いがあるかと思ったが、脳内補完せずに見ると、実に実に実に罪であるとつくづく思う。でもマイカルじゃあ5回やっているうちの初回だけなのよね>吹き替え
持ち帰り仕事&『二つの塔』で気がついたら3時。神宮輝男『暗くなるまで夢中で読んで』(原書房)と言うより、「明るくなるまで夢中で読んで」と言ったところ。パランティアに魅入られ辛うじて現実に立ち返ってきたピピンを、ガンダルフが飛蔭に乗せて一路ミナス・ティリスに向かう。ガンダルフと飛蔭、なんてかっこいいんでしょう!ここの、眠りに落ちようとするピピンが、あたかも自分たちは動かぬ馬の彫像に乗っていて回りの世界の方がうねり去ってゆくようだという感覚を抱く描写、長く記憶に焼き付いている。このあたりのローハンの平原、角笛城からオルサンクに至る道筋などは、たしかに地図があると臨場感があり立体的に捉えるのには大変よろしい。
昨晩、あと先考えずに中つ国に行きっぱなしになっていたので、次男と連れ合いが「ベイブ」を見ているそばで、討ち死に。もしかして、「ベイブ」って、とってもおもしろい?ビデオを借りてみよう。
崩れてきた山からプルマン"The Firework-Maker's Daughter"を手に取り読み始める。割に薄くて簡単そうだったから。イラストが、アラビア?インド?風のターバンをかぶった男と、いかにもアジア風な顔立ちの女の子。『鳥姫伝』つながりのような気もしてページを開いてみた。舞台となる国はどことは特定されていないらしい。主人公は花火師の娘Lila、プルマンはこの手の名が好きなのか?口をきく白い象が登場(じゅう!)。
連れ合い、長男とユニクロに行く。子供物のセール品だの3本でいくらのパンツ類だの、単価がさほどでもないものをカゴに突っ込んでいたらなんだかんだで2万円超、ユニクロの買い物としては一山である。レシートをつくづく眺めてしまったよ。
大学の授業が始まった娘、土曜も一コマだけだが授業があるのだって、それも必修の。先生もご苦労さんなことだ。親はそれと知らずに暢気に寝坊である。
大江戸さん、MAKIさん、まこりんさんと4人でLotRを見に行く。私は4回目だがこの中にその上を行く人も。場所と時間の関係で今日は字幕版。ああ〜、疲れたよ。アラゴルンの「突っ込めー」レゴラスの「やっつけろー」で吹き出すかと思った。「エレンディル!」「アラゴルン!」て言ってるではないか。やっぱり吹き替え版で見たかったなり。それはともかく人参を持ったPJをようやく確認。アラン・リーがどこかに出ているって、ガセネタか?
ようやくTTT(二つの塔)の予告編を目にすることが出来た(映画館では20日からとのこと)。それを見るにつけ、たとえば躍る子馬亭でフロドが「灰色のガンダルフ」ってちゃんと言っていたよなあとつくづく思う。「エレンディルの光」もそうでしたね、大江戸さん。おかしな字幕の脳内変換も限度があるぞよ。
私もここにリンクしちゃおう>魅惑のLotR日本字幕版
"The Firework-Maker's Daughter"はおかしな海賊もどきの男たちが登場。表紙のターバンの男はどうやらこれらしい。
ええと生きているのですがちょっと死んでるっぽいです。二日続けて討ち死に。公私ともにノルマがあったりする。
英語のJo先生は絵を描く人。昨日判明したのだが、絵の自サイトをお持ちとか。今度URLを教えっこしようねー。
今日17日は次男の8歳の誕生日、プレゼントはベイブレード(のどれか)で、ケーキはFloのチョコレートケーキ超高カロリー。
"The Firework-Maker's Daughter"では花火のコンペティションに突入。こんなに薄いのに、まだ途中。でも読まなきゃ終わるわけない。もうすぐ終わるからね(;.;)>関係者の人
佐竹美保展@ギャラリー・コピス(清澄白河)、21日(日)まで開催中。行きたいなあ。
職場主催の講演会。120人程の小さなものだが、終了後に所内見学と二つの小イベントを催したのであれこれ疲れる。
火曜日の朝のこと。長男が登校したあと、プリントか何かを机の上に返すために彼の暗い部屋に入った(外の鎧戸が閉まっている)。急いでいたので電気もつけず、つかつかと入ったところ、部屋の真ん中で左足のつま先が思いっきり何か重たいものに激突した。痛って〜!よく見ると、ダンベルが部屋の真ん中に。いててて、と言いつつ自分の出勤用意に戻ったが、痛みが急激に増し、思わず座り込んで足指をさすると中指に激痛が走る。しばしギュッとつかむが、痛みがひかない。もう行く時間だよ、何であんなものを部屋の真ん中に!いで〜、と一人悪態をつきつつ、ひょこひょこ長男の部屋に戻って、ダンベルをぶん投げてやった。でも重かったので30センチくらいしか移動しなかった。昼頃職場でおそるおそる見たら、小型のいちじくみたいな色に変色していた。でもって、幸いにだいぶ痛みの取れた今晩、長細い二十日大根の一夜漬けを食卓で見て、どうもイヤに見覚えがあると思ったら、火曜日の腫れた状態の指だった(;.;)
ようやく"The Firework-Maker's Daughter"読了。Lilaは、花火師になるための3つの贈り物をそれとは知らずちゃんと持っていた。コンペティションでは父と二人で見るも美しい花火を披露して王様と観客を魅了し、見事優勝。「これが、Lilaが花火師になった、そのお話です。」
季節作業@職場のため来週は忙しそうだー。いったい一週間で終わるのだろうか。ちょうどもう一つの締め切りもかさなっているという悲しい状況。それにしてもお願いだから皆さん、帰ろうとしているところに「あーよかった、いたいた」と嬉しそうにやってきてめんどくさい話で引き留めないでえええ。毎日続くとキレるよ。家ではごはんもなく空しく待つ小二の次男。娘はバイト、頼みの長男もこんな日に限って遅いのだ。
どうも最近土、日というとだらだら、何をするでもなく一日が過ぎてしまう。『二つの塔』の予告編とそのセリフなんかをDLしてうっとり見たり。ああもちろん文庫で『二つの塔(下)』も読んでる。ちなみにブックカバーはビニール製のLotRのもの。
と思ったら、今日は真面目に持ち帰り仕事をしたのだった。さんざん頭を悩まして、まあ妥協の産物だがそのあと1時間程かけて人の原稿の直し。あと2割くらいで終わるという頃、いきなりOSレベルのエラーメッセージが出て、ぱあになってしまった(大泣)。どこかに救われてないかと捜したが、ダメでした。自動保存がかかると言うだけの理由でいやいやWordを使って再度書き直し(;.;)
佐竹美保展@ギャラリー・コピスを見に行く。どうやらH2さんと接近遭遇したらしい。雨のギャラリー・コピスは玄関前の緑もなかなかいい感じ。佐竹美保さんは、見に来た人に作品について気さくに色々と話しておられ、誰かが帰るときには必ず「ちょっと失礼」と一旦話を中断して、玄関で見送られる。やや長身ですらっとした、どちらかというと一見落ち着いた感じの方。絵がまた、細かい〜!メニム一家のシリーズや、クレストマンシーなどの挿し絵は、だいたい実物大だ。表紙絵はさすがに本よりはかなり大きいが、相当に細かく描かれている。ジャッキーや九年目の魔法の表紙絵などは文庫の表紙になったことを考えると相当大きいもので、意外に透明感があり印刷よりずっと明るい感じだった。うう文庫の書影がない(;.;) メニム一家から『北岸通りの骨董屋』表紙はこんなに暗くなくて暖かい感じ。クレストマンシーシリーズ『魔女と暮らせば』は、グルグル回っている感じを出すのがとっても難しかったそうだ。『サラシナ』の絵はなかったのだけれど、実際にひょうたんを栽培して作者の芝田勝茂さんに差し上げられた話などを伺った。昔描いておられたのはSFマガジンではなくて奇想天外のほうだったらしい。しかし検索してみると本当にたくさんの本を手がけておられる。今年中にもまた何冊か。今はネシャンサーガの作家の別の本を下読みしているとのこと。売れっ子です。
雨ではあっても空が明るかったので、歩くのに気が重くなることもない。独特の雰囲気のある街のようで、時間があったらその近辺をゆっくり散策するのもいいだろうなあと思った。花水木が散り敷いて足もとが明るむ。
『二つの塔(下)』ファラミアに出会う。春たけなわの北イシリエン、かぐわしい空気に包まれる。ここ好きだなあ。いいところをもらったねファラミアくん。
連れ合いのいびきのため寝られず。七転八倒した挙げ句、枕と布団を抱えてソファに避難する。LotRのおかげで寝るのが遅くなったので、ちょいと寝酒を引っかけてがーっと寝ようと思ったに。全ー然だめ。ね・ら・れ・な・い。テレビの音なんかしていても平気の平左で寝られるのに、どうしていびきだと駄目か?
『二つの塔(下)』はサムの気絶で終わり、続く『王の帰還(上)』はアラゴルンらローハンに残った仲間の消息へ戻る。ピピンがデネソール殿に忠誠を誓う場面でなぜか泣いてしまった。
お昼休みがなかった(;.;) えいかいわ教室は一区切りが終わったらどうするか、逡巡している。この前聞いたのだが、オタクっていうのはgeekって言うんだって。LotR geekって言うのかな?
職場でこの3月いっぱいで定年を迎えたある人が、1年間非常勤となって残った。勤務日数こそ週5日から3日に減ったが、職掌は変わらないはず。ところが3月から4月への区切りの線をまたいだとたんに、やる気ナシの様相をあらわにし出した。「今日頼まれたって来週まで来ないから駄目っ」とか。今日も職場内に掲示するポスター制作を依頼すると「こんなもの持ってこられたってどこまで書いたらいいか分からない!ちゃんと原稿持ってきて!どんなデザインにするかも分からないでしょっ!誰が担当っ?」…あんたが担当です。この資料から考えて創るのが彼の仕事なのだ。ほかに誰もいないのよ〜。あとで同僚に「良く言い返さなかったね。私なら喧嘩してると思うよ」と言われた。言い返すのは本当に簡単だったしこちらに分があるのは明白だったのだけれど、それには彼のこれまでの40年近くのやり方を否定しなくてはならない。やっぱり今さらやる気のない60歳のおじさんに「これまでそれで通ってきたのがおかしい」と言っても変わる訳じゃないし(変わってくれればとは思うけれど)、理を述べて言い負かしたとしても「オレはずっとそんな風に思われていたのか…」とこれから老後を落ち込んで過ごすのも気の毒だし…なんて思われてるのってじっさい気の毒だけど。悪いけどもう頼まないからいいや。1年間ゆっくり機嫌良く残務整理してちょうだいね。
『王の帰還(上)』ではアラゴルンらが北から駆けつけたドゥネダインらと死者の道に入る。昔読んだときとその後の記憶では、非常に狭い真っ暗なトンネルを長い長いことかかって通り抜けたという印象がある。ギムリでさえ震えおののくような恐怖は言うまでもない。しかし今回読んだらその描写が意外に短かったのに驚いた。怖い夢を「怖い」という印象のみで詳しいことは覚えていないように、この死の道の部分も印象のみがふくれあがってその具体的内容は殆ど覚えていなかったと言うことらしい。
きょうはメリーがセオデンに忠誠を誓う場面でまた泣けた。私もセオデン王になら誓ってもいいな。エオウィン姫の張りつめた悲しみ。ううう。 TTT予告編ではゴンドールという国すら無いことになってるんだってぇ?
季節仕事ほぼ目処が立つ。形が出来たのであす細部の調整をすればとりあえず今の段階はおしまい。あー目が疲れた。
現在いる部署は、所内の色々な情勢や各部署の裏情報が結構入ってくるところ。所長よ、もっと隅々まで目と手を伸ばしておくれよ!管理職を叱咤してくれ!ヒラのみんなはすっかり意気消沈しているぞ。所員の働きあってこそのこの職場ではないのか?なんてここで言っても始まらないよねえ。でもあの人もこの人も、ほかの用で来てはしまいに暗い顔で「こんなのでは駄目だ」「こんな状態はおかしい」と言って帰るのだもの。若輩者の私がどうして「がんばりましょうよ!」と年上の人を励まさなくちゃならない?<もはや若輩じゃないと言う声もあるけど(^^;;
わざわざ授業料の高い高い塾を、通いやすいという以外の特別の理由なしに選んできた長男であるが、今朝から最後のスキー競技会に出かけてしまった。どうすんのよ、塾。とってもこれは払える額じゃない。本来の高校の授業料よりはるかに高い。一人っ子にしておけば良かったかな。でもって、塾は限りなくペンディング(;.;)
『王の帰還(上)』を終える。北からの援軍を加えたローハン軍、アラゴルンが招集した影の軍勢を初めゴンドール奥地、南方各地からの軍勢が、ペレノール野の合戦に集結する。しかしサウロンの口ってあんなに一場面しか出なかったかと思う。映画のファラミアはちらっと見たところボロミアと実によく似ていて本当に兄弟かと思うようだが、原作のような、ボロミアよりはるかに器量の大きい人間として描かれているファラミアにしては、弱っちいのではと言う危惧がある。
昼から娘と落ち合って買い物とか。夕方連れ合いwith次男を呼び出し娘の運転練習。次第に暗くなる薄暮時運転、こわかったよー、でもいつも車に酔う次男はバッタリ寝ていた。水道橋の台南ターミー麺で食事をして帰る。初めての夜間運転は、同じく初めての車庫入れで無事終了した。しかし「今度一人で運転したい!」という果敢なる申し出はあえなく却下されたのであった。
『王の帰還(下)』をメインに追補編、シルマリリオンの下巻を拾い読み中。本編とシルマリリオンの訳語が一致していないが、これもいつの日か統一されるのだろうか。めんどくさいのう。それにしてもいいなあ春たけなわのイシリエン。ホビット庄は北の方にある割には気候は温暖に描かれているように思われる。ああいう気性の種族が住んでいるのだからそれなりの気候に違いない。それ以外の所と言ったら、どこが一番いいところだろう。ゴンドールは、その名(岩の意をふくむそうだ)からしても気候も大味で荒々しそうな感じがする。広いから色々だろうけれど。裂け谷あたりも特に秋は美しいだろうが、山がちだから住むには厳しそう。やっぱりのんびり暮らすなら北イシリエンだなあ。などなど、『中つ国歴史地図』で気候の変遷などを見て将来の計画とか(違うか)。
娘、次男と、突然多摩動物公園に行く。普通だったら京王線で行くところ中央線〜多摩モノレール経由で行ってみたら、思いがけず沿線に我が母校が見えた(感涙)。気持ちよく晴れて空気はややひんやり、外を歩くにはもってこいの日。久しぶりにのんびり歩く。人も相当に多かったが、動物園自体「動物はどこよ?」と言うくらい広いので、上野動物園ほどの混雑ではない。虎が最も印象的。大学生になった娘とまた動物園に来ようとは正直思わなかったよ。でも娘の小さかった頃に比べ、すっかり整備が進んでしまい、多摩丘陵の懐という感が薄れてしまったのはとても残念だ。またJR線の運賃の高さをしみじみ感じた。ライオンバスには長い行列が出来ていてパスしたため、今度必ず乗りに連れてくるからねと次男と指切りしたが、その時には運賃の安い京王線で行くぞ。
なぜかETがデスクトップに常駐ちゅう。ご降臨とご帰還のところが楽しい。私はおにいちゃん役の子が大好きで、先日ちらっと今の姿がTVに出ていると娘が呼んでくれたのに、タッチの差で終わってしまっていた。うう残念。MIBIIには記憶再生マシーンが出てくるとか、まったくもう。あいかわらずお馬鹿で楽しそう。
SFセミナーの予約受付はがきって、当方にはまだなのですが、皆さん届いているんでしょうか?
一日、本当に爽やかな素敵な天気。10時から美容院、いやに空いていると思ったら、そこは日曜は10時からだった。私が意を決して美容院を予約すると、まず間違いなく上天気になるという哀しいジンクスがあるらしい。きょうはストレートパーマだったので4時間を覚悟して行ったが、朝一番が幸いしてか1時前に終わったので儲けた気分である。最初の3連休の締めくくりは掃除、と思っていたのだが、あまりの気持ちの良さに、外に出なくては後悔すること間違いなし、と掃除を返上し急遽あてどなく散歩。子どもたちはそれぞれに遊びに出、連れ合いはお籠もりで仕事、というわけでひとりふらふら近所の遊歩道を歩き、コンビニで用意したお茶とお菓子を友にベンチに陣取る。木洩れ日がちらちらと輝き、いくぶんひんやりした空気の中、久しぶりに腰を落ち着けて本を読んだ気がした。帰路ひさしぶりに図書館に寄って『文学界4月号』を借りる。
と言うわけで、美容院、散歩のベンチの両方で読んだのは『クリプトノミコン 1』、大体半分くらいまで。この作家は読むのは初めてである。いかにも長編作家らしい語り口だと感じた。非常に素直な文章で、気持ちよく頭に入ってくる。何より、面白い。前2作に手をつけるのをややためらってきたのは、お利口ではなかったかも知れない。ボビー・シャフトーはボニーなのかな?
『文學界4月号』の目当ては湯本香樹実の中編「西日の町」である。過日新聞で知ったがその時には既に5月号が発売されていたので手に入らなかった。
主人公の「僕」が十歳の時、母と二人で住む北九州のKという町の狭いアパートに、「てこじい」がひょっこり現れた。それは母の父、つまり僕の祖父である。北海道出身の彼は、妻子を置いては姿を消し、また前触れもなく現れると言うことの繰り返しだった。その日からアパートに居着いたてこじいは、眠るときも彼の定位置であるたんすの前の壁により掛かり、決して横になって眠ろうとはしないのだった。母の、祖父の、しがらみやエピソード、彼の死までを現在42歳(これは作家と同じ年齢設定)となった「僕」が淡々と語る。
饒舌ではない、肉体労働者として働いてきたてこじいの人となりを「僕」に語るのは母とその弟である。親への反発ももちろんあるがむしろ共感の方がより多く感じられる、ちょっと奇妙さを感じさせる親子関係だ。てこじいが自分から昔のことを積極的に語ることは少なく、「僕」は主に母の目を通しててこじいを知ってゆく。結局てこじいは心臓と肝臓をやられて亡くなるが、まさにその瞬間の変容のうつくしさ。生命を失い、「さらに、あらゆる輝きを失っていた」顔が、そのほんの一瞬あとには「もう何かを失った顔とはいえな」いものに変わった。こうして「僕」はてこじいの生よりも死の方を多く知った。…なぜ、いま「僕」は10歳の時のてこじいと母の思い出を語るのか。その多くは語られない。主人公らがそれぞれに確かなものを掴んだと思われる『夏の庭』や『秋のポプラ』とは異なり、おそらくそのころの母の年を既に越えていると思われる今の「僕」は、「てこじいと母」に何を見、何を掴んだか。祖父や父母からおのずと受け継いでいるものを意識しながら、いっぽう自分の中にはないものをはっきりと確認しているのだろうか。前3作は児童文学として扱われているが、この作品は10歳の「僕」の目を通して語られているとは言え、本質的に大人の…人生の正午をすでに過ぎたものの文学だろうと思う。
今後の予算獲得の戦略とかいろいろ。
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