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福本 武久
ESSAY
Part 2 |
福本武久によるエッセイ、随筆、雑文などをWEB版に再編集して載録しました。発表した時期や媒体にとらわれることなく、テーマ別のブロックにまとめてあります。
新聞、雑誌などの媒体に発表したエッセイ作品は、ほかにも、たくさんありますが、散逸しているものも多く、とりあえず掲載紙が手もとにあるもの、さらにはパソコンのファイルにのこっているものから、順次にアップロードしてゆきます。 |
西陣そして京都……わがルーツをさぐる |
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初出:雑誌「ぎをん」(祇園甲部組合) No.159陽春 2001.04.10 |
鱧(はも)
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大正期の作家・上司小剣には『鱧の皮』(岩波文庫)という味わい深い短編がある。
舞台は明治の終わりから大正の初めにかけての大阪・道頓堀である。借金で首がまわらなくなって、東京に逃げた婿養子の夫から、ある日、手紙がとどく。滞在費とともに好物の「鱧の皮」を送ってくれという。
鰻屋の女主人である妻は、つくづく愛想がつきた……と、ぼやきながらも旅先の夫に想いを馳せ、ひそかに「鱧の皮」をもって東京にゆくことを決意する。……
誰でも自分の生まれ育った郷里の「食」が無性に恋しくなるときがある。
京都を離れて二〇年あまり、私もときおり「ぐじ」や「鱧」が食べたくなる。京都に出向いたときは、錦市場に足を運び、ひと塩ものの「鯖」「ぐじ」を買って帰る。
「鱧」はナマで持ち帰ると鮮度が落ちるから、照り焼きでがまんしているが、同郷の家人はいつも「落とし」が食べたいという。
鱧は京都の夏を代表する魚、たとえば祇園祭りの別名は「鱧祭り」といわれる。「梅雨の水でうまくなる」といわれるように、鱧は六月から七月に脂がのってくる。
骨切りした鱧を二、三センチにきり、さっと熱湯に通して、氷水で冷やすと、まるで雪の結晶のように花ひらく。ふくよかな身、皮のこりこりとした歯ごたえもたまらない。梅肉で食べる「落とし」に冷えたビールがあれば、もう幸せいっぱいになる。
関東では馴染み薄い鱧も、たまに店頭に顔をみせることもある。昨年の六月半ばごろだったろうか。新潟から進出してきた鮮魚センターにゆくと、思いがけなく鱧がまるごと並んでいた。
「これ、ハモやんか」
さっそく店のオジさんに「誰か骨切りできるか?」と訊くと、「おれが、やってやるよ」と胸を張った。
皮一枚をのこして小骨を細かく切る。鱧の食味は骨切りの巧拙で決まるといわれる。
「だいじょうぶやろか」
家人は不安そうに魚身をさばくオジさんの手つきに眼をこらしていた。
関東では鱧の骨切りができなくても魚屋がつとまるらしい。迂闊にもそれがわかったのは、口いっぱいに小骨がひっかかる「落とし」を吐き出してからだった。食べられない珍味を恨めしそうにみつめる私たちは、まるでお預けを食った犬のようだった。
こうなったら意地でも……。
家人は京都の知人に電話をかけまくって、錦市場にある鱧専門の店を教えてもらった。
最近では活の鱧を「しゃぶしゃぶ」用に調理して宅配してくれるという。
翌日、クール便で届いた旬の鱧は脂がよくのっていた。白身魚のあっささりとした舌触り、それでいてコクがある。材料の良さと骨切りの腕前があいまって生み出される独特の食感を、私たちは十分に堪能したのだった。
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