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福本 武久
ESSAY
Part 2 |
福本武久によるエッセイ、随筆、雑文などをWEB版に再編集して載録しました。発表した時期や媒体にとらわれることなく、テーマ別のブロックにまとめてあります。
新聞、雑誌などの媒体に発表したエッセイ作品は、ほかにも、たくさんありますが、散逸しているものも多く、とりあえず掲載紙が手もとにあるもの、さらにはパソコンのファイルにのこっているものから、順次にアップロードしてゆきます。 |
西陣そして京都……わがルーツをさぐる |
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初出:雑誌「ぎをん」(祇園甲部組合) No.173陽春 2003.01.10 |
八 坂 の 塔
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テレビのドラマや旅の番組で、京都がとりあげられると、きまって五重塔のある風景がタイトルバックに現れてくる。
京都で五重塔といえば先ずは東寺、そして法観寺にある「八坂の塔」だが、画面に登場するのは、ほとんどが八坂の塔である。東山を背景にしているから、いかにも京都の貌としてふさわしいからなのだろう。
八坂の塔は東山界隈ならば、どこからでもみることができる。けれども私の好みでいえば、ゆっくりと仰ぎ見る雄姿とでもいうべきか。八坂通りを歩きながら臨む五重塔である。
清水道をこえて東大路を北に向かい、一つ目の信号を左に折れる。クルマが行き交うこともできないであろう狭い道が八坂通りである。観光客で賑わう清水坂に近く、産寧坂や二年坂にも通じているのだが、裏道にあたるせいなのか、いつも人影はまばらである。
傾斜のきつい坂道をゆくと、両側には京都らしい町屋が軒を接して連なり、付近には青物屋、魚屋、豆腐屋、菓子屋などがあって、暮らしの香りがほのかに匂い立っている。
八坂の塔はそういう地にしっかり足をおろした家並が連なる細い通りの行き止まりにある。この界隈には電柱が一本も見あたらず、電線にさえぎられることなく、五重塔まですっきりと見通せるところがいい。妙に懐かしく清々しい風景である。
静謐な街のたたずまいに溶けこみ、街なみの中心をなすかのように空高く、すくっとそびえる五重塔の姿は厳かであり、それでいてどことなく優雅でもある。周囲からの視線を撥ね返すのではなく、むしろ信仰心とは無縁の者でさえも包みこんでくれそうな寛大さすら漂っているのである。
西口克己さんの小説『祇園祭』には、八坂の塔にふれて次のようなくだりがある。
『 微妙な、やわらかな反りを打った黒瓦の屋根が、巨大な神衣の裾を重ねたように四層五層と積みあげられ、その一番高い五層楼閣の屋根の中央には、太槍の千段巻にも似た九輪が、きりりと空中高く突き立っていた。いいかえれば、その九輪こそは、この塔の甍の下で、平安の衣につつまれた祇園の氏子たちを、一切の疫病と怨敵から護りぬく神の剣でもあるのだ。』
つまり京の町衆にとって、古くから守護神の役割を果たしてきたということなのだろう。
五重塔の堂内は、驚くほど太い柱や梁が折り重なっていて、それらが重々しく迫ってくる。狭くて急な階段をのぼりきって三層の楼閣に立つと、眼下にはいましがた登ってきた八坂通りが瓦屋根のあいだを伸び下り、かなたにひろがる街なみを一望することができる。
仰ぎ見ながらやってきた八坂の塔のうえに立ち、あらためて街なみをながめていると、なるほどこの塔は古くから京の町々を見まもり、町衆たちもまた朝な夕なに仰いできたであろうと思われ、時をこえた信愛の重みが分かるような気がしてくる。
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